第5話 契約すること!?
リィナは通路を走り続け、ようやく訓練場にたどり着いた。そこで見たのは、リュウではなく、盾を持ってキラと対峙しているカズだった。リィナはすぐに辺りを見渡し、それを見つけた。
「あれは……、何……?」
それを最初に見たとき、リィナの中で何かがざわついた。それを見たのは、初めてのはずだ。だが、心の中で、何かがあれを求めている。
―あれを滅せよ。―
そう聞こえてくる。リィナは膝をつき、胸を押さえる。そして、見上げた先にいるあれと、正面から向き合っている男子生徒を見つけた。
「駄目、リュウさん。それと戦わないで。」
そう溢し、リィナは足に力を込めて立ち上がる。そして、全力でリュウの元へと駆け出した。リュウをあれと、一人で戦わせないために。
▼▽▼▽▼
最初に動いたのはリュウだった。生徒を抱えたまま、いったん、怪物との距離をとった。そして、抱えていた生徒を、意識のある女生徒へ託す。
「こいつの事頼めるか?」
突然目の前に現れたリュウに驚きながらも、女生徒は頷いて、気絶している生徒を受け止めた。その瞬間、リュウは反射的に短剣を振った。
背後から怪物が襲いかかってきたのだ。
怪物は先程と同じように右手を降り下ろした。それを見た女生徒は目を瞑って、気絶している生徒をぎゅっと抱き締める。
―短剣ごと潰される。―
即座にそう判断したリュウは、怪物の腕の軌道を短剣でわずかにそらし、そのまま、怪物の腹に蹴りを入れた。怪物は少しだけよろけ、降り下ろした腕も、下へ叩きつけられる事なく空を切った。
怪物は空を飛んで体制を立て直し、少しだけリュウとの距離を空ける。
リュウは怪物に向かって話しかける。
「ちょっとくらい待っててくれよ。俺は逃げないからさ。」
怪物はリュウの言葉が通じているのか、宙に浮いたまま、動きを止めた。
「ありがとよ。」
リュウは怪物に対し礼を言って、二人の生徒の方へ向き直る。
「そいつを連れてあっちまで行ってくれるか?あそこなら、多分大丈夫だからさ。」
正反対とまでは行かないが、訓練場を挟んだ場所に戦えない生徒達が避難をしている場所があった。そこには、数人の霊戦者が守りを固めているので、ここよりは安全だろう。女生徒はこくりと頷いて、気絶している生徒を引きずっていった。それを見届け、もう一度、怪物と向かい合う。
「お前、案外素直だな。」
リュウの言葉に、怪物は獰猛な笑みを溢した。リュウは、その意味を間違う事なく受けとる。
「そうだよな。邪魔がいたら面白く無いもんな。俺とお前のゲームには、さ。」
リュウが言い終わると同時に、双方が前に出た。こうして、怪物達の戦いの火蓋は切られた。
▼▽▼▽▼
クヤザが見知らぬ男と向かい会っている時、すでにエクレとショコラは、霊戦者達が確保しているスペースまで逃げ込んでいた。
男が怪物になり、クヤザを吹き飛ばし、リュウが戦い始めるまでの一部始終を見ていた。
「リュウ、あんた、あんな化物に勝つ気でいるの?」
エクレは泣きそうな声でそう呟く。フィアマ教官ですら一撃で戦闘不能に追い込んだ相手に、霊戦器もなしで挑もうというのだ。エクレには無謀としか思えなかった。
確かにリュウは強い。キラとの戦いで最後に見せた動きは、エクレもすれ違い様に攻撃を浴びせた程度にしかわからなかった。あの時リュウは、キラの背後に回ったのではなく、正面から突っ込み、すれ違い様に、キラの急所全てを斬ったのだ。その速さは、斬られた本人が斬られた事がわからないレベルだった。それを、霊戦器なしでやってのけたリュウは、紛うことなき怪物である。
だが、今リュウが戦っているのは、本物の怪物だ。フィアマ教官より体格の小さいリュウでは、一撃くらった時点で終わりだろう。
エクレは、恐怖で目に涙を溜めていた。
そんなエクレの目元に、そっと細い指が当たられた。
「泣かないで、お姉ちゃん。」
それは、意識を取り戻したショコラのものだ。目覚めたばかりのショコラは、今何が起こっているのか、まるで理解できていない。それでも、悲しそうな姉の顔を見て、条件反射のように姉を慰めていた。
そんなショコラをエクレは優しく抱き寄せた。
「良かった、ショコラ。気がついたんだね。」
「うん、でも、今はお姉ちゃんの方が、倒れそうな顔してるよ。」
ショコラは姉に向かって、軽口を返せる程度には回復していた。周りを見渡し現状を把握しようとするが、体に力が入らない。起き上がることに失敗し、再び、姉の膝元に寝ころんだ。
「まだ、寝てなきゃ駄目だよ。」
エクレはショコラにそう言って、その手を握った。
「他の人達はどうなってるの?」
ショコラは姉に、今の状況の説明を求めた。姉は少しだけ周りを見て、ショコラに教える。
「変な呪詛みたいなのを呟いていた人達は、あらかた収まったみたい。訓練場の所では、副生徒会長とキラが戦っているの。でも、状況から見て、もう終わると思う。キラの方が動きが鈍くなってる。だから、もう大丈夫よ。」
エクレは笑って、そこで状況説明を止めた。双子のショコラには、その顔が嘘であることがすぐに見抜けた。
「あのリュウって人は?」
その問いに、エクレは顔を曇らせた。やはり、かなり不味い状況らしい。ショコラはそう判断した。そして、決めた。
「私達も行こう。」
自分も戦う事を。
その言葉を聞いた時、エクレは絶句した。
「リュウって人が危ないんでしょ?お姉ちゃんは、あの人の事、助けたいんだよね。」
エクレは顔を曇らせて少しだけ迷ったが、すぐその提案を却下した。
「駄目よ。ショコ、あなたまだ気がついたばかりじゃない。それに、フィアマ教官だってすぐにやられちゃったんだよ。私達が行っても、足でまといにしかならない。」
そのまま下を向く姉に、ショコラは優しく微笑む。
「私達にもできる事はあるよ。ううん、私達にしかできないことだよ。フィアマ教官の所へ行こう。それが、私達のやるべき事だよ。」
はっと、エクレは顔をあげた。そうエクレとショコラなら、ショコラの霊戦器としての力なら、確かにやれることがある。
そんな希望を抱いた姉に、ショコラは手をさしのべる。
「行こう。」
エクレは、その手を恐る恐る握った。
「ありがとう、ショコ。うん、行きましょう。」
そして、二人は立ち上がる。
▼▽▼▽▼
何度目かの衝突を経て、リュウは冷静に自分の不利を把握していた。
スピードはリュウの方が上、それは間違えない。今までの怪物の攻撃も全て見切れている。
だが、破壊力と防御力は遥かに怪物の方が上だ。一撃でも攻撃を受ければ、確実に敗北するだろう。それは死を意味している。それに比べて、リュウは幾度となく攻撃を決めているが、いずれも決定打となるようなものはない。それどころか、わずかにできた切れ目も、即座に修復されてしまった。このまま戦い続ければ、リュウの動きは鈍り、いつかはあの一撃を受けることだろう 。
だが、リュウの思考は勝つ事を諦めようとはしない。それは、かつて、カズと幾度となく剣を交えた時に培ったものだ。どんなに不利な状況下においても、最後まで勝利への道筋を探し続ける精神力は、間違えなくリュウの武器である。
―とりあえず、弱点と呼べるものは見つからないしな。―
怪物も己の優勢をわかっているのだろう。その顔は、堪えきれない笑いが、滲み出ているかのように歪んでいる。
―さて、どうするか?―
怪物がピクリと動いた瞬間、リュウはその思考をやめ、意識を怪物の一挙手一投足へと向ける。
怪物が両腕を頭上にあげ、叩きつけてくる。
それが振り下ろされる瞬間に、リュウは真横に飛んだ。その瞬間、怪物の顔に凶悪な笑みが浮かんだ。振り下ろされた腕は、客席に突き刺さり、砕かれた建物が飛礫となって、リュウへ襲いかかる。
「ちっ!」
リュウは、飛礫の隙間を縫うようにして躱していく。それを抜けたとき、そこに怪物が先回りしていた。怪物はリュウが飛礫を躱しきる事を読んでいたのだ。ここに来て初めて、リュウの顔に焦りの色が浮かぶ。リュウは眼前で腕を交差させ、怪物の一撃をその身に受けた。
後方に吹き飛ばされ、凄まじい音をたてて客席のある地面にめり込んだ。
「かはっ」
口から血を吐き出し、意識が朦朧とする。
―やばいな…。―
リュウの前に怪物がゆっくりと近づき、リュウを見下ろしている。その顔には、先程と同じ凶悪な笑みが浮かんでいた。
まるで、リュウに絶望を 味あわせるかのように、ゆっくりと腕を挙げていく。
―動け…、俺の体…。―
そんな状況でも、リュウはまだ諦めていない。
だが、どう足掻こうと、リュウの体はピクリとも動かない。
とうとう怪物の腕が頂点に達し、その動きを止めた。そして、リュウに目掛けて一直線に振り下ろされる。
―クソっ、やられる…。―
リュウがそう感じた瞬間、何かが両者の間に割って入り、轟音をならしながら怪物の腕をを受け止めた。
その後ろ姿は、リュウが幾度となく見てきた人物のものだ。
「……カ…ズ……。」
リュウは息も絶え絶えに、カズの名前を呼ぶ。
「……くっ。」
カズは、盾を地面に突き立て、苦鳴を漏らしながらも、怪物の圧力に耐えていた。
そして、横からもうひとつの人影がこちらへ向かってくる。
その人物は、リュウを抱えると、即座にその場を離脱した。
「副生徒会長、もういいわよっ!」
リュウを救出したのは、エクレだった。
エクレは離脱が完了したと同時に、カズに合図を送った。
それを聞いたカズは、怪物に向かって全ての鉄球を打ち込んだ。
死角から放たれた鉄球は、ものの見事に命中し、怪物を吹っ飛ばす。
怪物は少しだけ後方に飛ばされたが、即座に羽を広げ、その場にとどまった。相変わらずダメージを受けた様子はないが、明らかに激昂していた。次の瞬間、最初に出現したときと同じように、空に向かって甲高い咆哮を挙げる。
「キィァァァアアアアア!!」
そして、その顔を鬼のような形相へと変え、カズを睨み付ける。それだけで、カズは目の前の敵に勝てない事を悟る。
決死の覚悟でここにいる人間が外へ逃げるための時間を稼ぐと決めた時、怪物の背後に数十人の人影が近づいた。
「あんまし、うちの生徒を苛めんでくれんかいのう。代わりに、わしがお前さんの相手をしちゃるから。」
その声に、怪物は振り向く。
怪物がそこに見たのは、数十人のフィアマ教官だった。怪物は新しいオモチャを見つけた子供のように、笑みを作る。だが、その笑みは鬼の形相混ざり合い、見るものが吐き気を催すような醜悪なものとなった。
「さて、少々運動するかのう。」
そう言って、フィアマ教官の顔にも笑みが浮かぶ。だが、カズはその笑みに陰りを感じた。恐らく、フィアマ教官は怪物を相手に勝つ絶対の自信がないのだろう。いや、それ以上に、善戦することすら危ういと感じているかもしれない。カズはそう判断し、フィアマ教官とともに、怪物に構える。
「カズキ、お前さんはサポートじゃ。ええか、決して前に出るんでないぞ。」
やはり、カズの見立ては正しかった。普段のフィアマ教官であれば、これほどの強敵との戦いで、生徒を戦線加えるはずがない。カズはより一層気を引き締め、フィアマ教官に向かって返事を返す。
「了解しました、教官。」
こうして、フィアマ教官とカズによる、怪物との二ラウンド目が始まった。
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リュウを抱えたエクレは、怪物から一番近中への入り口に入り、通用口でリュウを下ろした。
「……わる…い……。助……かっ…た……。」
「そんなのいいから。喋らないで、待ってなさい。今、治すから。」
リュウの腕は、両方とも逆に折れ曲がり、全身を打ち付けたためか、全身の至る所が骨折していた。背中は特に傷が酷く、意識を保っているのが不思議なくらいである。
エクレが自分の制服の袖を捲ると、その腕には、チェーンが巻きつけられていた。
その腕をリュウの眼前に出すと、チェーンがリュウの体に巻き付いていく。その長さはどんどん伸びて行き、リュウの全身を完全に覆った。
エクレが目を閉じ、その手に集中していく。するとチェーンに赤き炎が灯る。
チェーンの正体は、霊戦器と化したショコラだった。ショコラに宿っている精霊は不死鳥の眷属。その性質は炎の慈悲。負傷者に意識さえあれば、如何なる傷もたちどころに回復する。
フィアマ教官を治したのも、双子の力だった。リュウと怪物の間に割り込む前に、双子はフィアマ教官の元へ向かい、その傷を治したのだった。
灯った炎は次々に広がっていき、リュウを覆う。すると、逆に折れ曲がっていたリュウの腕がもとの方向へと戻っていく。そして、その呼吸も正常なリズムへと落ち着いた。
リュウの体を治し終えた炎は、瞬時に消えた。
それを確認したエクレは、チェーンを戻していく。全てのチェーンがエクレの腕に収まると、リュウは手を開閉し、正常に動くか確認した。
「助かった、エクレ。ありがとう。」
そう言って、エクレはリュウに笑いかけた。
エクレはそれを見て赤面する、ということはなく、目から大粒の涙をこぼし、リュウの胸に頭を預けた。
「お、おい。」
リュウはどうしていいかわからず、とりあえず両手を挙げる。
そして、泣きじゃくっているエクレが、リュウの胸の中で口を開いた。
「あんた馬鹿じゃないの?あんな化け物に勝てるわけないじゃん。あとちょっとで、死んでたかも知れないんだよ。ちょっとはまともに考えなよ。」
泣きながらそれを口にしたエクレに、リュウは戸惑いながらもお礼を言った。
「悪かったよ。でも、本当に助かった。ありがとな。」
そう言って、リュウはエクレの頭の上に手をのせた。振り払われるという事もなく、リュウはエクレが泣き止むまでの間、そのままでいた。
心の中では、今も戦っているであろう幼馴染みの安否を心配していた。
―俺が行くまで死ぬなよ、カズ―
リュウはその言葉を口には出さず、己の中で呟いた。
▼▽▼▽▼
怪物と戦い始めてからたった数分で、フィアマ教官の分身体は半分になっていた。怪物には本物を判別できていない。それは怪物の動きからわかる。怪物はもっとも近い相手に対して攻撃を仕掛けていくだけだ。今もそうして、分身体を蹴散らし続けている。
フィアマ教官はそれを利用して、本体である教官が死角になるように誘導している。そこから、様々な攻撃で怪物にダメージを与えようとする。だが、どんなにうまく誘導しようが、その速さと破壊力に全ての戦術は意味を為さなかった。。数回に一回は直撃しているが、あまり効果は見られない。
「フィアマ教官、やはり自分が前に出ます。」
カズはフィアマ教官に向かって、そう進言する。だが、フィアマ教官はそれを許さなかった。
「さっきも言うたはずじゃぞ。お前さんはサポートじゃと。こんな状況で何べんも言わすなや、あほんだら。」
フィアマ教官の表情には、焦りの色しかなかった。どんな戦術も通じない。どんな攻撃も効かない。カズには、怪物を倒す方法なんてないのではと考えた。そんなカズの表情を横目に見て、それを読み取ったのか、フィアマ教官がカズの考えを否定する。
「奴を倒す方法はある。」
カズは教官に対して、驚きの表情を向けた。だが、教官はさらに言葉を続けた。
「光や聖の精霊をもつもんが攻撃すればええんじゃ。この訓練場の中央にも一人おる。ただ、そのためには、あそこで続けておる封印の儀をとかなあかん。それがどういう意味かわかるやろ?」
カズは、ちらりと訓練場の中央で短剣を突き刺している女性を盗み見た。あの儀式を行ったのは、怪物が現れる前、黒い霧が発生したときだ。つまり、あの儀式を止めるということは、黒い霧が増幅し、更なる何かを出現させるという事だ。
カズは、やはり勝機を掴める気がしなかった。今こうして教官と話している間にも、どんどん分身体が削られていっている。
もちろん、カズも鉄球での攻撃を試みてはいるが、全く効果がないように思われる。いや、実際にそうなのだろう。
カズの心の中を、黒い絶望が徐々に侵食していた。
▼▽▼▽▼
「さて、そろそろ行くか。」
泣き止んだエクレを体から離し、リュウは立ち上がった。
それを見たエクレが驚愕の色を見せる。
「あんたまだわかってないの?今死にかけたばかりなんだよ。」
エクレは無意識に叫んでいた。リュウは苦笑しながら、座り込んでいるエクレの頭に手をのせる。
「それはそうなんだけどさ、そろそろ行ってやらないと、カズとおっさんがきついと思うんだよ。あの二人じゃ怪物の速さに対抗できない。それができるのは俺だけだ。」
その言葉を聞いて、エクレは俯く。その口からは弱々しい声がこぼれ落ちる。
「あんたと怪物が戦ってるとこ見てた。確かに、あの速さに追い付けるのはあんただけだと思う。けど、追いついた所で、どんな攻撃も意味なかったじゃん。」
エクレの言葉は通路に響く。そして、そのままさらに続けていく。
「フィアマ教官が言ってた。光や聖の属性を持つ精霊の力なら、あれを倒せるかもしれないって。逆に言えば、それを宿した霊戦器がいない勝てないってことだよね。でも、あんたには霊戦器すらいないじゃない。そんなんで、どうして戦うのよ。」
エクレはそれ以上なにも言わなかった。リュウもかける言葉が見つからず、ただ立ち尽くしていた。
そこに、凛とした声が、鳴り響く。
「でしたら、私を使ってください。」
そこに現れたのは、リュウとキラの試合が終わってから、ずっと走り続けていたリィナだった。リィナは息を切らし、壁に手をつきながら、胸に手を当ててもう一度言う。
「リュウさん、私を使ってください。」
リュウとエクレは、突如現れたリィナに驚いていた。
「リィナ、どうしてここにいるんだ?」
リュウは思いついた問いを、そのまま口にした。リィナは呼吸を落ち着けてから、その問いに答える。
「ペディアさんが、リュウさんのところへ行けって言ってました。恐らくこの状況を見越してのことですよね?ですから、私を使ってください。」
リィナは三度その言葉を口にし、自らの手を差し出す。この言葉から察するに、リィナは光または聖の精霊を宿しているのだろう。リュウがその力を借りれば、あの怪物を倒せるかもしれない。
でも、このときのリュウの中には、ひとつの葛藤があった。
それは、あの少女との約束―
―わたしがあなたのれいせんきになるの―
ここで、リィナと契約をかわせば約束を破ることになる。もちろん、今の状況でそんな事を言っていられないのは、リュウにもわかっている。それでも、リュウの中では、その約束はとても大切なものである。
当然、今リュウの目の前にいるリィナは、それを知っているはずがない。
リィナはリュウの前に立ち、その瞳を見据えている。
「私じゃ、駄目ですか?」
迷っているリュウに対して、それを尋ねた。その一言を発したとき、リィナの瞳には僅かな揺らぎが見えた。それは自身をリュウに受け入れてもらえないのではという不安。表面上はそれを見せないよう、気丈な振る舞いを見せている。
だが、リュウにはその不安が深く伝わってきた。
―女の子にここまで言わせて、俺はただ黙っているだけなのか?カズやクヤザのおっさんが戦ってるのに、遠くから眺めてるだけなのか?―
リュウは目を瞑り、己の迷いを心の中に仕舞う。リュウは心を決めて、差し出された手をとった。
「俺がリィナの霊戦手になってやる。」
その言葉に、リィナは笑顔で返した。
そして、二人は握手を交わしたまま契約に移る。リィナの口から、契約の言葉が発せられる。
「我、リィナ=ハイテリアルの名の元に、霊戦手、リュウゼル=ジア=エステリアとの契約を宣誓す。我はこの者の剣となり全ての敵を滅し、この者の盾となり全ての脅威を退ける。我、この世の理をもって我が身を捧ぐ。」
二人の握りあう手から、光が放たれる。それはリュウとリィナの間に、仮の契約が結ばれた事を意味していた。リィナはそこからさらに、霊放の儀を行う。
「我が身に宿りし閃光を司りし精霊よ。我が身をもって、手の力を顕現させたまえ。」
二人は優しい光に包まれ、その影は姿を変えていく。
▼▽▼▽▼
フィアマ教官の分身体は残り三体。教官自身も恐ろしく疲弊している。サポートに徹していたカズも、それは同じだ。
対する怪物は、何一つ変わらず、この戦いを楽しんでいる。そんな怪物を前に、カズは1つの作戦を思いついていた。だが、それを実行に移すには至っていない。なぜなら、作戦を実行するにあたって、怪物の攻撃を一度受けきる必要があるからだ。
カズの考えている作戦とは、怪物の攻撃をカズの持つ盾で受けきった後、圧縮した鉄球を怪物の体内で膨張させ、内側から破壊するというものだ。鉄球の大きさを変えるためには、カズがその手で直接的または間接的に触れている必要がある。すでに、圧縮した鉄球は、やつの口から体内に放り込んであるため、後はやつに触れて、それを膨らませればいいだけの話だ。
怪物の攻撃を受け止める事は、リュウを助ける時に、一度やっている。だからこそわかる。もう一度やれば、自身の腕が折れるかもしれないということを。その瞬間、怪物によって虫けらのように叩き潰されるだろう。
仮に成功したとしても、怪物にダメージを与えられる保証はない。そんな穴だらけの作戦を話した所で、フィアマ教官が了承するはずがない。こうして躊躇している内に、徐々に追い詰められていた。
―その作戦、思いきってやっちゃいましょう。―
カズの迷いを察してか、チヤが話しかけてきた。霊戦器となったものは、その使い手と繋がりを持つため、両者の心の声を聞き取ることができる。一般的に霊戦器は、戦闘に関して素人である。普段は、戦闘の邪魔となるため、チヤから話しかけてくる事はない。だが、今はカズの迷いを消すため、あえて話しかけたのだ。
―だが、もし失敗したら、チヤまで巻き込むことになる。―
言い訳のように言うカズに、チヤが叱咤する。
―あのね、もうとっくに巻き込まれてるんですけど。それも、渦中のど真ん中です。―
―む、すまない。―
チヤの言葉に対して、カズは素直に謝罪した。
それを、チヤは呆れながら返す。
―はぁ。そう思ってるなら、あの黒いのを風船みたいに破裂させてやりましょう。―
チヤの言い方に、カズは苦笑する。そして、覚悟を決め、チヤ礼を言う。
―あぁ、やってやろう、チヤ。礼を言う。―
―そういうこと言うと、やられちゃうわよ。この間読んだ本に書いてあった。死亡フラグって言うらしいわよ。―
照れ隠しだろうが、先行きが不安になる発言に、カズはまたも苦笑した。
―それは、危ないな。気をつけよう。―
そんな会話で、カズは心を落ち着ける事ができた。怪物の動きを見て、飛び込むタイミングを計る。今、怪物が最後の分身体へと向かっていった。その様子を、じっと見つめる。
分身体がハンマーを掲げ、怪物の腕を止めている。だが、徐々に押し込まれていく。
―今だ!―
二つの影が競り合ってる隙に、カズが全力で走り出した。フィアマ教官の表情は驚きで目を見開いていた。今、大声で止めれば、怪物に気づかれ、瞬時にカズが殺される。そう判断したフィアマ教官は、逆にカズをサポートすることにした。
怪物の腕が分身体を押し潰すその瞬間、分身体は真っ白な煙となり、怪物の視界を覆う。そこにカズが突っ込んだ。
突如、目の前に現れたカズに対して、怪物は腕横から腕を振り、吹き飛ばそうとした。
それを、カズは避ける事なく、正面から受け止める。この瞬間、カズはあるかけに出ていた。それは、怪物の腕を軽くする事だ。
通常、霊戦器の加護による性質は、それが作り出す物体に対してはさほど苦労なく操る事ができる。だが、それが別の物質となると格段に難易度が上がる。今、カズがやろうとしているかけはまさにそれだ。
カズは迫り来る怪物の腕に集中し、激突の瞬間、重力操作を行った。ガァンという音がなり、その場を覆っていた煙が、霧散していく。
カズはかけにかった。怪物の腕には先ほどまでの重さが微塵も感じられず、軽く弾き返す。
怪物が不可解そうな顔で、カズを見ている。その一瞬に、カズは怪物へと手を伸ばした。
―行ける!―
カズがそう思った瞬間、怪物はニヤリと笑った。カズは全身に悪寒が走った。怪物は嘲笑うかのように、今まで使っていなかった足でカズをけり飛ばそうとしている。眼前に迫り来る足に対して、カズは為す術がない。さっきの重力操作は完全にまぐれだ。次は確実に失敗するだろう。それに、今からそれを行っても、到底間に合わない。
それでもカズは諦めず、重力操作を行った。
―間に合え!―
カズがそう念じた瞬間、1つの影が両者の間を通りすぎる。それはカズにも視認することができなかった。それが通りすぎた後、怪物の足が綺麗に切断されていた。それはあたかも、最初からそうであったかのようだ。
怪物は顔を歪ませ、狂ったかのように叫び声をあげる。
「キィァァァアアアアア」
怪物が叫び声をあげている隙に、カズは全力で後退した。そのカズの眼前に、先ほどの影が現れた。その影は怪物の足を左肩に担ぎ、右手には光輝く白銀の剣を持ったまま、カズを見ている。
その姿を見て、カズは堪えきれずに笑みを浮かべていた。そして、影はカズに向かって口を開く。
「カッコ悪いぞ、カズ。」
それは、頼りになる幼馴染みの声だった。
「現れて早々、悪口か。そもそも、お前がもっと早く来ていれば、こんなに苦戦はしなかった。」
カズは精一杯の嫌味を込めて言う。それに、リュウは顔をしかめて、怪物の方へと向いた。足を真上に放りあげ、落ちてきた瞬間、それを微塵に切り刻む。足は虚空へと消え失せた。そして、カズに向かって力強く声をかける。
「とりあえず、ここは任せとけ。」
そう言って、リュウは剣を構え、地面を蹴った。
そんなリュウの背中に、カズは小さな声で頼む。
「あぁ、任せた。」
そして、リュウと怪物による三ラウンド目が始まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。7月20日21時に第6話を掲載予定です。よろしくお願いいたします。