第2話 お弁当を食べること!?
「うわぁー」
昇降口入ってすぐにある掲示板の人だかりに、リュウは朝からげんなりしていた。正直、混ざりたくはないが、ここを通らなければ教室には着けないため、無理やりねじ込んでいく。
「わりぃね、後ろ通るよー」
覇気のない声で、人混みを掻き分けて行くと、見知った顔が見えた。なぜこんな人混みの中で見えたかというと、文字通り頭ひとつ飛び出ていたからだ。
「カズ」
リュウが呼び掛けると、カズはこちらの方へ首を捻った。だが、辺りを見回していて、リュウを見つけられていない。
「リュウか?すまないが小さくてどこにいるかわからない。」
「小さくねぇよ!平均だ、平均!ここだよ。」
リュウの身長は175cm大きくはないが、小さくもない。至って平均的な身長の持ち主だ。
人混みにもまれ、挙げ句にちび呼ばわりされたリュウは、そのイライラをぶつけるために、カズのお腹を軽く殴った。
「ん、そこにいたのか。……手を押さえてどうした?どこかにぶつけたのか?」
「……」
カズの体は文字通り鋼のように鍛え上げられている。生半可な攻撃は全て自身に跳ね返る。リュウは今、短絡的な行動をとった事を、とても後悔していた。
「……なんでもねぇよ。それより、なんだよ、この人だかりは。たかが校内掲示板なんかになんでこんなに人が集まってんだよ。」
カズは少しだけ考え、リュウに答えた。
「俺から説明するよりも、自分で見た方が早いだろう。よく見えるように持ち上げてやろうか?」
大真面目な顔をして言うカズの冗談は、とても分かりにくい。乗りよく返すのも面倒なので、リュウは溜め息をついて、なげやりに言う。
「絵面が酷いから止めとくよ。自分で見てくる。」
「遠慮はしなくていいんだぞ。」
本気で言ってたのかと思いたくなるようなカズの発言を無視して、リュウは再び人混みを掻き分けて進む。
「もう、ちょっ…、うわっ」
掲示板付近にたどり着いた瞬間、回りの人だかりがリュウから離れた。そのせいで、バランスを崩して転びかけるが、壁に手をついて、何とか防ぐ。
「なんだよ、全く。……げっ」
「げっとはご挨拶だな。勝負前にわざわざ顔を見せに来た俺に対して。」
「そうよ、キラ様に失礼よ。」
「ええ、失礼よ。」
何かにつけてリュウに絡んでくるキラと愉快な仲間達だった。リュウは即時撤退しようと、回れ右をするが、キラの言葉の中に聞き逃せないものが含まれていることに気づく。
「勝負?誰と誰がだ?」
「あん?寝ぼけてんのか?俺とお前に決まってんだろ。テメェから吹っ掛けてきて何言ってんだ。こんな回りくどいことしやがって。」
全く心当たりのないリュウは、怪訝な顔をしながらキラの指差す方を向く。
「誰がそんなめんど…くさい…事……。」
リュウは否定しようとしたが、沈黙せざるをえなかった。
リュウが見た物は校内新聞である。いつもこの場所に張られているものではあるが、今回のはとんでもない内容だった。
《夕暮れ時の救世主現わる!!》
昨日の放課後、聖獣研究会(通称獣研)から脱走したアルグに襲われていた女生徒を、とある男子生徒がたった一人で救い出した。女生徒は膝を擦りむく程度の軽傷で済み、アルグに至っては傷一つ付けず捕獲された。驚くべき事に、このアルグは激昂状態で、たった一人での捕獲は、優秀な霊戦手ですら困難なものであった。それを難なくこなしたこの男子生徒R.J.E.に取材をしたところ、以下のように話していた。(個人情報保護のため、イニシャルのみの掲載とする)「アルグなんて、所詮は小型の精獣だ。捕獲もそこまで難しいものではない。」さらに、この生徒は、霊戦手:訓練ランク第3位のキラ=モンクに対して、挑戦状を叩きつけたそうだ。その時のコメントも記載する。「たかが訓練で、いきがるなよ。」この二人の公式対抗試合は、今日の放課後5時から、訓練場を貸し切って執り行われる。見逃すことができない、熱い闘いになることであろう。最後に、救出された生徒からR.J.E.への謝辞を記載する。「助けていただき誠にありがとうございました。公式試合、頑張ってください。」
記述:シンヤ=ぺディア
「………」
キラが何かわめいていたのを無視して、記事を読み終えたリュウは、今学期最大の頭痛を感じた。昨日の一件が大きくねじまがって書かれている。(事実:嘘=5:6の割合だ。)落ち着こうと、深呼吸をして、一つの事を決意した。
「シンヤ、後で必ずぶん殴る。」
「おい、無視してんじゃねぇ!」
「そうよ、キラ様に失礼よ。」
「ええ、失礼よ。」
リュウは即座にキラに対して、勝負を無効にする口実を考え出す。
「あれだ。イニシャルが同じなだけで、俺じゃない。俺はそんな面倒なことはしない。」
リュウは我ながら上手く考えたと、心の中で自画自賛した。だが、それは余計にキラを逆撫でする悪手だった。
「昨日の放課後お前が言った言葉が書かれてんだろうが。それに、教官の方にはすでに俺とお前で訓練場貸し出しの許可書が提出されてんだよ。何を今さら否定してやがる。バカにしてんのか、あん。」
「そうよ、キラ様に失礼よ。」
「ええ、失礼よ。」
「……ちっ。」
シンヤの根回しの速さに、リュウは舌を巻いた。それでも何とかして試合を反故にしようと、リュウが言い訳を考えていると、廊下にドスの聞いた声が響きわたる。
「いつまでここにおるんじゃ、己らぁ。もうホームルームが始まる時間じゃぞ。さっさと教室に行かんかい!」
青いジャージ姿で竹刀を持ったサングラスのおっさんが、リュウのところへ近づいてきた。
「げっ、鬼教官。」
その男の名は、クヤザ=フィアマ。この学校で一番怖いと言われている、霊戦手訓練の担当教官だ。噂では、訓練をサボった生徒を何人か殺っちまってるらしい。完全にデマだとはリュウも思っている。
「き、教官。私は指示通り、教室へと向かいます。では、失礼します。」
「そ、そうよ、失礼します。」
「え、えぇ、失礼します。」
完全に裏返った声で挨拶し、素早く逃げていくキラズ。それを見送ったリュウは、試合を無効にしてもらうタイミングも、撤退するタイミングも逃した。
「げっとはご挨拶じゃないか、リュウゼル。久し振りじゃのう。わしはお前がいなくて寂しいぞ。」
全く寂しそうに見えない顔で、睨み付けてくる教官に、リュウは苦手な作り笑いをした。
「いやいや、俺がいなくなってだいぶ楽になったでしょう。探し回る必要がなくなったんですから。」
リュウが1年のとき、このフィアマ教官が担当だった。そして、リュウはただの一度も、この教官の訓練を受けていない。それは、リュウがサボったからである。普通の教官ならば見捨ててしまうところを、この教官はなんと、全ての訓練でリュウを探したのだ。
「いやいや、案外、お前さんとのかくれんぼは楽しくてのう。おかげさんで、全力を出させてもらえたわい。」
リュウは顔をひきつらせた。フィアマ教官の言う全力とは、霊戦者としての全力であった。彼の霊戦器はネアゴ=フィアマ教諭で、二人は夫婦である。霊戦器としての形状はどでかいハンマー。先端部から霧の分身体を作り出す。毎日出はないが、30人程のフィアマ教官が学校を捜索していた日があった。
「見つからないかと、毎日ひやひやしましたよ。」
互いに悪どい笑みを浮かべ、笑いあっている。とてもお近づきになりたくない光景だ。
「今年もやりたいのう。家内も楽しそうにしておったからのう。で、お前さんはいつ戻ってくるかのう。」
鋭い眼光で、リュウを見据えるフィアマ教官。それに対し、リュウも負けじとフィアマ教官の目を見る。
「俺は…。」
リュウが答えようとした瞬間、幼馴染みの声がそれを遮った。
「教官、授業の鐘が鳴っています。私が責任をもってこの馬鹿を教室へ送り届けますので、この辺で失礼させて下さい。」
あまりの緊迫感に、二人は鐘の音が聞こえていなかった。フィアマ教官は自身の腕時計を見て、とても残念そうな顔をする。
「おっと、時間が過ぎてしまったのう。どうじゃ、このままわしと二人で特別授業でもせんか?」
綺麗な女性の先生の誘いだったら、喜んで受けるが、厳ついオッサンとの個人レッスンは死の香りしかしない。
「折角ですが、丁重にお断りさせていただきます。では、時間ですのでこれで失礼します。」
いつもの5割増しで丁寧な言葉を使い、その場を立ち去る。数歩、歩いたところで、教官から声がかかった。
「今日の試合、楽しみにしておるからの。頑張れよ。」
そして、リュウは再び頭痛を覚え、溜め息をついた。
階段を上がり、フィアマ教官が見えなくなったところで、リュウはカズを問い詰める。
「あの記事、お前も協力しただろ。じゃなきゃ、昨日、あの馬鹿に言ったセリフをあいつがかけるわけがない。あんなことして、何がしたいんだ、お前ら。」
立ち止まったカズは少し間を置いてから、すぐに自白した。
「こんな姑息な手、最初は乗り気ではなかったがな。シンヤが、試合ならお前が張り切って参加するからというんで、仕方なく協力しただけだ。」
カズの発言を聞いて、リュウは頭を抱える。
「お前な。どう考えても、シンヤの嘘に決まってんだろ?」
呆れながら、リュウは溜め息をつく。だが、カズの反応は、リュウにとって意外なものであった。
「そうか?昔のお前は、俺とやりあうのが楽しそうに思えたぞ?あれは、俺の勘違いだったのか?」
それを聞き、リュウはしかめっ面をする。そう、この幼馴染みとは10歳の時から、毎日のように訓練をした。無論、二人での試合を、1日1回は必ず行った。
確かに、あの頃のリュウは、心底楽しんでいた。自分が強くなること、相手を打ち負かす戦術を考えること、何より、全力を尽くして勝った瞬間の喜びを噛み締めていたのだ。
だが、今はもうそんな風には思えない。思えるはずがない。あの頃のリュウをつき動かしていたのは、ある少女との約束だった。その大切な約束を、今の自分では果たすことは叶わない。だからこそ、その約束に近づくことを遠ざけたのだ。叶わない希望を持たないために。
リュウはそれを誰かに話す気はない。例えそれが、幼馴染みであってもだ。
気まずい沈黙を、階段の上から来た第三者が破る。
「やっと見つけた。カズ、先生が怒ってたわよ。早く行きましょう。あ、リュウも一緒だったんだ。自分の教室に行った方がいいわよ。」
「探しに来てくれたのか。すまない、チヤ。」
カズはチヤに向かって礼を言い、リュウに向き直る。
「リュウ、俺も今日の試合楽しみにしてるからな。」
そう言うと、カズはチヤとともに、階段を上がっていった。
残されたリュウは、ぎゅっと拳を握り、その場に立ち尽くしていた。
午前中の座学を終え、昼休みを告げる鐘がなった。だが、リュウの座席は今日1日空席のままであった。その空席をシンヤは苦笑しながら覗き見る。
―やり過ぎたかな?―
シンヤは昨日の一件を見た後、すぐに行動に出た。アルグを連れた三人が、生徒会室に行っただろうと予測し、取材をしに行った。カズに頼み込み、昨日のキラとのいざこざを聞かせて貰ったのだ。その後、リュウが逃げられない状況を作るために、放課後の訓練場の使用許可を取り付け、今日掲示する予定だった校内新聞の見出しを変更し張り出した。これだけの作業を、あの短時間の間に、たった一人で行ったシンヤは、自分ではこれくらいできて当たり前だと思っている。
実を言うと、今朝の一幕も当人に気づかれないように見ていたのだ。
シンヤは、リュウがなぜ霊戦手になりたくないのかに、当たりはついていた。
だが、彼にもリュウに霊戦手になってもらわなければならない理由があった。それは、リュウにも、今のところ勘づかれてはいない。
正直、シンヤ自身も、こんな遠回りなやり方は好みではない。それでも、今動かなければ、彼は間に合わないかもしれないと考えたのだ。
「我ながら、最低だな。」
「本当にね」
独り言のつもりだった言葉に、返事が返ってきたため、シンヤは驚いて顔を挙げた。
そこにいたのは、長い赤毛を右に縛ている女生徒だった。いわゆる、サイドテールという髪型をしている。
「やぁ、委員長。今日はお弁当かい?」
シンヤに委員長と呼ばれた女生徒の名前は、エクレリア=ロール(通称エクレ)。2年Aクラスで風紀委員会の委員長だ。
「今日はショコラとは一緒じゃないのかい?」
「あの子は今、あそこよ。」
エクレの指差した先は、教室の入り口だ。ドアから顔だけを除かせた女生徒がいる。彼女の名前は、ショコラリア=ロール(通称ショコラ)。二人ともAクラスで、ショコラが霊戦器で、その使い手のエクレが霊戦手だ。二人は双子で、外見は全く同じである。1年のときは、二人ともツインテールで、誰も判別できなかったため、エクレは右に、ショコラは左に髪を結んでいる。気の強い姉と違って、ショコラは人見知りであるため、知らない人が大勢いる場所では、すぐに物陰へと隠れてしまう。
「彼女は相変わらずだね。」
ショコラが隠れるのを見て、シンヤは面白そうに笑った。だが、エクレは不愉快な顔を隠さずに返す。
「相変わらずはあんたの方でしょうが。今朝の新聞、半分以上はあんたのでっち上げでしょ?」
女生徒はシンヤの机を叩いて抗議する。だが、シンヤは全く気にした様子もなく、笑顔で答える。
「うん、そうだよ。それが何か?」
全く悪びれた様子のないシンヤに、エクレが詰め寄る。
「あんた、一体何がしたいわけ?あいつで遊んで、そんなに楽しい?」
今にも胸ぐらをつかみかかってきそうな勢いで、詰め寄るエクレにシンヤが苦笑する。
「そんな遠回しに言わないで、あたしのリュウで遊ばないでって、言えばいいのに。」
シンヤの言葉に、エクレは後退り、顔を赤くして狼狽した。
「べ、別に、あたしはあいつのことなんて全然…。あ、あたしが言ってるのはあんたがああいうことすると、校内の風紀が乱れるでしょってこと!」
何も隠せてないが、半分以上は照れ隠しなのだろう。先程のようにシンヤの眼前に、エクレは顔を近づけた。
「こんなところをリュウに見られたら、勘違いされちゃうよ?あ、噂をすれば、リュウ。」
シンヤが呼び掛けた方を、エクレがばっと顔を向ける。だが、そこにいたのは、知らない生徒だった。エクレは顔を真っ赤にして、シンヤに向き直る。
「あんたねぇ~」
ゴゴゴっと効果音が付きそうなほど燃えているエクレを、いつのまにか後ろにいたショコラが呼び掛ける。
「お姉ちゃん、もう戻らないと、お昼御飯食べられなくなっちゃうよ。」
「あ、あぁ、もうこんな時間か。ごめん、ショコ。」
妹に引っ張られ、エクレが教室を出ていく。出入口を通る直前、エクレが大声で叫んだ。
「いいか、シンヤ。今回はこれで勘弁してあげるけど、次やったら、容赦しないからね。」
当然、クラス中から注目をあび、ショコラが慌てて、エクレを引っ張っていく。
「もう、お姉ちゃんてば、恥ずかしいよ。」
「ご、ごめん。」
顔を真っ赤にしたショコラは、先程のエクレと全く同じであった。二人が自分の教室へ戻るのを見送ったシンヤは、自嘲気味に笑う。
リュウやさっきの二人のように、感情を表に出せることが少し羨ましく感じられた。
「僕はもう…。」
教室の窓から外を見て、ここにいない友人の顔を思い浮かべる。
「リュウ、僕は君に助けてもらいたいんだ。」
誰にも聞こえない声で呟いたその願いは、とても身勝手なものだ。僕は自分勝手だなと、もう一度自嘲の笑みを浮かべた。
昼の鐘が鳴ったとき、リュウは1年校舎の屋上にいた。基本、屋上は鍵がかかっていて出られないが、この校舎だけは、去年の夏に鍵が壊されてから、ずっと放置されたままである。これは誰にも知られていないので、リュウが訓練から逃亡するときは、決まってここでやり過ごしていた。2年になってからは、あまり足を運ぶ機会がなかったが、今日は朝からここにいる。
優しい春の風を感じながら、屋上で寝そべっているリュウは物思いにふけっていた。
「みんな勝手な事ばかり言いやがって、俺が何になろうが、俺の勝手じゃねぇか。」
カズやシンヤだけでなく、鬱陶しいキラズ、鬼教官フィアマも好き勝手なことを言っていた。
自信がないわけではない。キラごときなら、さほど時間をかけずに倒せるだろう。
だが、問題はそこではない。キラを倒してしまうことで、回りが騒ぎ立てるのが目に見えているからだ。なら、わざと負けた場合はどうだろう。キラがますます助長し、さらに罵倒を受けることは目に見えている。何よりも、期待が裏切られた瞬間のあの顔を、大勢の人から見せられるのはとても嫌だ。そんな葛藤が、リュウの中でずっと渦巻いていた。
「俺の知ったことじゃない。」
そう愚痴ってはみるが、やはり心は晴れない。そんなもやもやした中、空に焦点を当てると、あの夢の景色が浮かび上がった。
「リィナ」
リュウは夢の中に出てきた少女の名前を愛おしく呼ぶ。
「はい、なんですか、リュウさん?」
側から聞こえてきたその声に驚き、リュウは勢いよく起き上がった。そこにいたのは、ブラウンの髪色をした長髪の女生徒だった。
「どうしてここに?」
驚きのあまり、呆けた顔で尋ねてきたリュウに、リィナは優しい笑顔で返した。リュウの横にちょこんと座りながら、理由を教えてくれた。
「ここ、私がいつもくる秘密の場所なんです。リュウさんにはバレちゃいましたけど。」
可愛らしく舌を出しながら、戯けるリィナに、リュウは見とれていた。短くない間、何も言わず見つめてくるリュウに、リィナは恥ずかしくなって、顔を背ける。
「あ、あの、私の顔に何かついていますか?」
「あ、いや、わり。」
二人は互いに顔をそらし、わずかながら沈黙が生まれる。その沈黙を破ったのは、きゅーという、可愛らしい音だった。
リュウがその音のした方を見ると、リィナがお弁当箱で顔を隠していた。隠しきれていない耳が、赤く染まっているのを、リュウは見逃さなかった。
「そういや、もうお昼か。俺もお腹減ったな。」
空を見上げながらそう言うリュウに、リィナはコホンと小さく咳払いをして、落ち着きを取り戻した。
「折角ですから、ご一緒しませんか?」
リィナの誘いはとても魅力的なものだったが、残念なことに、リュウはいつも弁当ではなく、食堂で済ませている。
「有難い誘いだけど、俺、弁当持ってないんだ。」
そう言って立ち上がろうとするリュウを、リィナが慌てて止めた。
「お、お弁当、多く作りすぎちゃったので、半分食べていただけませんか?」
リィナの提案に、リュウは少しだけ迷った。そこに、リィナは畳み掛ける。
「き、昨日のお礼もしたいですし。だめ、ですか?」
瞳を潤ませて、懇願してくるリィナに、ついにリュウが折れた。
「わかったよ。そこまで言うなら、少しだけ貰うよ。」
リュウの言葉を聞いた瞬間、リィナはぱぁっと、花が咲いたかのような笑みを見せる。
「ありがとうございます。」
そんなリィナの姿をみて、リュウは思わず笑みをこぼす。
リィナは2段のお弁当を広げ、二人の間に置いた。
「あ、あの、どうぞ。」
リュウは、縮こまりながら差し出してくるリィナから、箸を受け取り、お弁当に手をつける。
「ん、これうまいな。」
「本当ですか、良かった。」
自分の胸の前で、手を合わせて喜ぶリィナを見て、リュウは自然と綻びていた。
「こっちのも食べてみてください。」
リィナが進めてくるおかずを、リュウは口の中に放り込む。
「うん、野菜の甘味がマッチしてていいな。」
「そう言っていただけると嬉しいです。私、こうやって誰かと一緒にお弁当食べるのが夢だったんです。」
リィナのはしゃぎように、リュウは苦笑気味に返す。
「大げさだなぁ。誰かと食べるなんて普通だろ?」
リュウの言葉に、リィナは少しだけしゅんとして、理由を話した。
「私、中等教育は私専属の先生が家に来られていたので。友達も、小さいときに一人だけいたんですけど、今はもう会えなくて。だから私、友達がいないんです。」
リュウは会ったときから感じていたが、思った以上に箱入りお嬢様だったらしい。
「友達なんて、適当に話してればできるだろ?」
リュウの返しに、リィナは俯きながら呟く。
「その、なんて話したらいいか、わからなくて。」
消え入りそうに話す彼女に、リュウはアドバイスをしようと口を開く。
「それはあれだ。その…。」
「……」
リィナは続きを待って、リュウの顔を見る。
言葉が出てこないリュウは、一つの事を思い出した。
「……そういえば俺、自分から話しかけたことないな。」
思い返してみると、カズの時も、シンヤの時も、向こうから歩み寄ってきていた気がする。
二人は目を点にして互いを見合う。
そして、どちらともなく笑いだした。
「私達、似た者同士なんですね。」
リィナが笑いながら、そう言った。
リュウも同じように笑って言う。
「そうみたいだな。」
二人はその後も、お弁当を食べながら、時が経つのを忘れて笑いあった。
そんな二人の笑い声を塗りつぶすように、予鈴が鳴り響く。
「あ、もうこんな時間。教室に戻らなくちゃ。」
リィナが慌てて空になったお弁当箱をしまい、立ち上がる。
そんなリィナを、リュウが呼び止める。
「1つだけ聞かせてくれ。」
リィナが振り返り、リュウの顔を見る。
「もう相方はいるのか?」
リュウは自分でもなぜこんなことを聞いたのかわかっていなかった。彼女の後ろ姿をみて、あの夢の中少女と重なったもかもしれない。実際のところはわからないが、リュウは真剣な面持ちでそう口にしていた。
リュウの質問にリィナは少しだけ答えるべきか迷っていた。だが、リュウの顔を見て、正直に話した。
「いえ、私に相方はいません。」
二人の間に、先程とは違う沈黙が流れた。その沈黙を嫌うかのように、リュウが口を開く。
「なら、俺と…。」
リュウはその言葉を最後まで口にしなかった。それは、口を開いた瞬間に、あの子の笑顔が見えた気がしたからだ。夢の中のあの子の。
「いや、何でもない。呼び止めて悪かったな。」
そう言ってリュウは、リィナから顔を背けた。
「いえ、お昼ご一緒できて楽しかったです。ありがとうございました。」
リィナの笑顔が少しだけ雲っていたことが 、リュウには見なくてもわかった。
「こちらこそ、うまい飯をありがとうな。またよろしく。」
リュウの返礼を聞いて、リィナは走り去っていく。
リュウはその後ろ姿を見送っていた。
だが、リィナは出入口の前まできて、立ち止まってしまった。そこでこちらを振り向き、大声で叫んだ。
「今日の試合、頑張ってください。」
そう言うやいなや、リィナは顔を隠すようにして中へと戻っていった。
去り際のリィナの一言を聞いた瞬間、リュウの心は決まった。
「我ながら、単純だな。」
そして、自嘲気味に溜め息を溢した。
時間を遡り、午前中、生徒達が座学を受けている間、学校近くにある商業用の建物の一室で、数人の人影が見られた。その室内は、互いの顔が見えないほど暗く、外からは僅かな光も差し込んでいない。ここで、とても善良とは呼べぬ者達が密談していた。
「ついにエステリアが動き出した。」
一人の男がその名前を忌々しげに口にした。また、別の男が憎悪のこもった声を漏らす。
「我らが敵になる可能性を持つ、唯一の男。動く事がなければ、捨て置いたのに。バカな奴だ。」
それを聞いた女が男に向かって口を出す。
「動かなくとも、いつかは処理なされていたでしょうに。」
女の発言に、そこにいた人影が皆、悪意を込めた声で笑い出す。ただ一人、目を閉じたまま、黙考している男を除いて。その男に向かって、女が問いを投げかける。
「我らが主よ、あの男、如何様に致しましょうか?」
女が問いを発すると同時に、皆、男の方を向く。男が黙考している間、誰一人として、口を開かない。短くない沈黙のすえ、男が指示を出す。
「今はまだ、動くべきではない。此度の遊戯で、彼奴の器も測れようぞ。フィアマの監視の目も緩んではいまい。それに…。」
男がちらりと入り口の方を見る。
「いや、それはよかろう。皆のもの、彼奴の実力の程、しかとその目に焼きつけてこい。万が一にも彼奴めが、かの英雄の再来となろうことがあれば、そのときは、私自らが手を下す。私が指示を出すまでは、如何なる手出しも無用だ。皆のもの、よいな。」
男の眼光に、その場の皆が一瞬怯んだが、すぐに、返事を返す。
「「「はっ」」」
男に対して、皆が恭しく頭を下げた瞬間、全員が霧のように霧散した。その瞬間、部屋に明かりが差し込み、部屋の中を明るく照らす。
ほんの数瞬の間をおいて、入り口付近に、突如男が現れた。
その男は、白いスーツを着て、そのスーツにあう帽子を深く被っている。手には赤い宝石が付いたステッキをもっている。
だが、そんな優雅な格好とは正反対に、男の額には汗が浮かんでいた。呼吸と共に緊張を吐き出し、握っていたステッキに声を掛ける。
「もういいぞティア、御苦労だったな。」
呼び掛けられたステッキは、その姿を人の形へと変える。そこに現れたのは、成人するかしないかくらいのメイドだった。ティアは主に向かって、頭を下げた。
「ライゼル様。今後、如何なさいますか?」
ライゼルと呼ばれた男は、帽子に手を添えながら、ティアに話しかける。
「そうだな、リュウの方はクヤザさんに任せて、俺達はいったん休もうか。ティアもさすがに疲れただろう。」
ティアは顔を上げ、主に反論する。
「いえ、私はエステリアにお仕えするメイド。この程度の事で疲れたりは致しません。」
子供のように顔を膨らませながら言うティアに、ライゼルは苦笑する。ティアの声には明らかに疲労が滲み出ていたからだ。だが、ライゼルもティアとの付き合いは長い。それを指摘するような愚策はとらない。
「わかったよ。俺が疲れたから、宿に戻って休ませてくれ。」
ライゼルの言葉に、ティアが再び頭を下げる。
「かしこまりました。」
そんなやりとりの後、二人はこの建物を後にする。外に出ると、林の方に、ハイリア高校の建物が見える。高校を見ながら、ライゼルは独り言ちた。
「リュウゼル、負けるなよ。」
そして、二人は街の喧騒へと姿眩ませた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。7月15日21時に第3話を、7月16日21時に第4話を掲載予定です。よろしくお願いいたします。