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空想学園シリーズ

青春的日常を謳え!~節分的日常!~

作者: 文房 群


 ――それは少年にとって、当たり前な日常であった。


       〇



 定刻通りに家を出て、近所の住人に笑顔で挨拶をする。通い慣れた通学路を歩き、見慣れた門をくぐり抜け、顔馴染みの後輩に口うるさく制服指導をされ――

 同級生にフォローされることで指導を終え、やっと席に着いた彼は目を閉じた。



「ふ……ふふ、ふ」



 喉の底から零れる声をかみ殺しながら、少年はそっと、マスクに覆われた右目の下に手を添える。


 ――『力』の供給は、今日も異常なし。


 マスクの下に滑り込ませた指先で頬をなぞり、満悦げに彼は唇を歪める。 『力』は本日も怠りなく、全身を循環しているようだ。


 ――おっと。こうしちゃいられない。急いで制御装置を着けないと。

 体調確認を済ませた彼は、鞄の外ポケットからフィンガーレスグローブを取り出すと、それを左手に装着した。軽く手を開閉させて触感を確かめながら、自分の意識を腹の辺りに向ける。


 ――……ふう。間に合ったようだな。


 肩の力を抜いた少年は『ここで「力」が暴走しては、周囲に迷惑がかかるからな』と、名前を覚えていないまばらなクラスメイト達を一瞥し、壁に掛けられた時計に目を移す。

 あと数秒もすれば、担任の教師が点呼を取りに教室に来るだろう。

 学生として熟知している当たり前のことをわざわざ思考し、教師が入室してくるまでのカウントダウンを心中で始める彼は、同じ部活のクラスメイトに挨拶を返し、



「点呼始めるから席に着けー」



 心の中のカウントがゼロになると同時、校舎中に鳴り渡るチャイムと共に入室してきた教師に、今日も世界は正常に稼働していると、ほくそ笑むであった。


       〇



 小学生の頃は今か今かと待ちわびていた、昼休み。


 成長した今となってはあまり関心を抱かなくなった休み時間を、去年から仲の良い友と一緒に昼食を取ると決めている岩原(いわはら)は、いつものように水筒と弁当箱を携えて、広場に向かう。

 食堂の前に浩然と広がる芝生のすぐ脇に、設置されたベンチ。

 クラス分けでそれぞれバラバラになった今でも、入学当時から定位置であるその場所に集うのが、岩原達の中で暗黙の了解となっていた。

 目を閉じても歩けるベンチまでの最短ルートを辿り、広場へ続く昇降口を抜けた先。

 食堂を利用する生徒が次々と通過する、校舎の出入りにて。



「この世界はいつだって残酷だな……」



 開け放たれた扉に寄りかかり、憂いを呟く友に、岩原は手にする水筒で殴りかかった。



「痛い!? ちょ、お前水筒はないだろう水筒は!」


「いや、何故だか急に殺意が芽生えて……ワルカッタ」


「謝る気ゼロだなお前!」



 水筒をぶつけられた背中をさすりながら『まあ顔じゃないだけマシか……』と零すチャラ男――古河(ふるかわ)に、そうかそんなに顔が良かったかと岩原は黙って水筒を振り上げる。



「あ、もうやめてください。顔は本当にやめてください。これが俺の唯一の取り柄なんですよ」


「あんまりナルシスト発言するなよ……殺意が芽生えるから」


「でも事実だろ?」


「事実だけどな」



 水筒を下ろし移動を始めた岩原に、ほっとして肩を並べる古河。

 利き手にビニール袋を引っ提げ、何食わぬ顔で歩く彼の手元を一瞥した岩原は、呆れたようにため息をついた。



「お前……またパンかよ」


「仕方ないだろ? うちは共働きで滅多に帰ってこないんだ。彼女もいないから、弁当なんて作ってくれるヤツもいねーし」


「自分で作れよ」


「俺低血圧だから朝起きれなーい」


「前の晩に作っときゃいいだろ」


「えー、めんどくせー」


「お前ってヤツは……」



 耳元を掠める風の冷たさを感じながら吐く息の白さに、まだ冬なんだなと感傷に浸る岩原に、古河は今日も定番となった話題を振る。



「でさ、どうやったら彼女できると思うよ」


「お前の周りでキャーキャー言ってる女子の誰かに、付き合わねーかって言ったらできると思うぞ」



 またか、とうんざりした調子で小慣れたセリフを言うと、古河は『分かってないな岩原……』と首を横に振った。



「あの女子達はな、そういうものじゃないんだよ。俺が『イケメン』だからアイドルみたいに群がって騒ぎ立てているだけであって、付き合いたいとかキスしたいとか……そう、純粋な恋心で俺に近付いてきているワケじゃねーんだよ」


「あー……いわゆるミーハーってヤツか」



 そりゃあご愁傷様だな、と投げやりな返事をする岩原に、古河は神妙な顔つきになりこう頼んだ。



「だからさ……いい女がいたら紹介してくれ」


「そんなのいたら俺が彼女に欲しいわ。股間を中心に爆発しろ」


「これから使う……予定だから断る!」


「……『予定』ってところが、悲しい現実だよな」


「言うな……それを……!」



 深いため息を吐く古河は『この世は残酷だ……』と昇降口でぼやいていた言葉を繰り返し、ビニール袋の中からブリックパックを取り出す。

 歩きながら片手で器用にストローを刺す彼は中庭のある一角を見ると、肘で岩原をつつく。



「見ろよ、あのリアルを充実している四人――略してR4(リア充フォー)を!」


「それ、何のネタだ?」



 ブルジョア学園を舞台にした少女マンガ、と律儀に答える古河の示す方向に視線をやった岩原は、『ああ』と淡泊に声を上げる。


 ビニールシートの上で和気藹々と談笑する二組の男女。

 それはどの顔も、岩原にとって見覚えのあるものであった。



「で、二年の中でも有名なカップルがどうした」



 大体予想はつくけどなと、一応問い質しておく岩原。

 恨めしげにカップルを見つめる古河は嫉妬に表情を歪ませて、岩原が予想した通りの言葉を紡ぐ。



「……羨ましくね?」


「そのデコにある大仏ホクロ引き千切るぞ」


「何でだよ!?」


「普段から女子に囲まれてるお前が言ったところで、何一つ共感できねーんだよイケメンが!」



 さり気なくイケメンアピールするなよ優男! ――そう言って古河の足を踵で思い切り踏んだ岩原は、素早く脱兎のごとく走り出す。



「い゛っ――お前、岩原ぁ!」



 待てこのチビ! と遁走する岩原を追う古河に『うるせぇ俺は167センチだ176センチ!』と、個人情報を叫ぶ岩原。

 両者共に運動系の部活に所属しているため、その追いかけっこは死闘の如き迫力がある。


 徐々に縮まる距離の中、共に怒声を上げながら慣れ親しんだ中庭を突っ切る岩原と古河は、食堂の横を疾走し、広場へ駆け込み――



「『邪神の(ディープダーク・レイン)』!」


「「なあぁぁぁぁああっ!?」」



 ――直後、襲撃を受けた。


 ビシシシシッ! と全身に小さな塊をぶつけられ、そのうちの一つが岩原の右目にヒットする。



「目があぁぁ!? 目になんか入ったあぁぁぁッ!」


「うわあああ口に入ったヤツ飲み込んじまったあぁぁッ!」



 目を押さえる岩原、げほげほと噎せ込む古河。

 阿鼻叫喚と喚く二人に塊をぶつけた少年は、彼らに駆け寄り、無防備な頭を鷲掴みにするや否や、



「――伏せろ!」


「「おぶうぅっ――!?」」



 勢い良く二人の顔を、地面に叩きつけた。



「ぶぼっ! この、なにすんだ龍堂寺(りゅうどうじ)!」


「地面とキスしたって俺は嬉しくねーぞ! 美少女とのリテイクをお願いします!」


「古河お前は男子トイレの便器にディープキスしてろ!」



 地面から即座に顔を上げ、口や目の周りに付いた土を払い落とす岩原と古河は、漫才のようなやりとりをしながら傍で伏せている友――龍堂寺を睨み付ける。

 マスクで目から下を覆い隠している彼は、真剣な眼差しで共に昼食を取る仲である岩原と古河に、まず謝罪をした。



「悪いな……何の関係もないお前らを、巻き込んでしまった……」


「……は?」


「すまないが……俺と一緒に戦ってくれ!」


「ごめん龍堂寺話が見えない」



 キリッ、と表情を引き締める龍堂寺に困った顔で古河は返す。

 ここでやけに周りが騒がしいことに気付いた岩原は、ふと辺りを見渡し――



「……何事だよ、本当に……」



 雄叫びを上げながら升に入れた何かを投げる、生徒達の姿を目撃した。

 岩原の呟きに反応し辺りに目を向けた古河も、『うわぁ壮絶……』と、男女学年関係なく砂のような物を投げているその光景に呆然とする。


 沈黙する二人に、騒ぐ男女らが持つ物と同じ升を持つ龍堂寺は重々しく口を開いた。



「実は――」



       〇



 それは突然のことだった。



「……今日の風は、騒がしいな」



 端から見れば『何言ってんだアイツ』と奇妙な視線を向けられるセリフを唱え、入学当初から変わらぬ食事場所――ベンチの上に仁王立つ龍堂寺。

 長い前髪から覗く双眸は期待に輝いており、彼は今か今かと二人の友を待っていた。

 それは――玄関先で飼い主の帰りを待つ忠犬のように。


 そんな龍堂寺の視線の先――広場の中心で、この学校特有の腕章を身につけた数名が、何やら集ってゴソゴソしている。

 怪しい、と。

 昼食の場所取り係である龍堂寺は思ったが、ベンチから動くワケにはいかない彼はじっと目を凝らし、いつも制服指導の世話になってる集団――警備委員会の面々を見つめる。

 龍堂寺以外にも彼らの存在に気付いた数名の生徒が見守る中で、警備委員会はテキパキと紙風船を膨らまし、それを百円ショップに並んでいるような安っぽいヘルメットに付け、一人一人装着していく。



「何が起こるというんだ……?」



 左手にレザーのフィンガーレスグローブ、鼻まですっぽり使い捨てのマスクで覆い前髪で両目を隠している彼の方が、紙風船付きヘルメットを被った集団より怪しいのだが、自分の容姿になど気にかけていない龍堂寺は『怪しい格好だ……』と警備委員を見続ける。


 やがて広場にいる全警備委員が紙風船付きのヘルメットを装着し終える。

 一体何が始まるんだ――龍堂寺が固唾を飲み見守る中、警備委員の一人が拡声器を取り出した。



「あー、《あー。マイクテスト、マイクテスト》」



 変声期後の低い男子の声と共に、きぃんと耳鳴りを起こさせる甲高い音が響き、道行く生徒達が何事かと足を止める。

 一瞬で生徒達の注目の的となった警備委員会の一人が、いつからか手にしていた幟を立てた。

 堂々と風にはためくその幟の内容を龍堂寺が認識する前に、拡声器越しに警備委員は告げる。


       〇



「……節分?」



 冷たい微風に揺れる幟の内容を読み上げた古河に、龍堂寺は説明を続けた。



「警備委員は告げた――『これより我々警備委員が頭に乗せた紙風船を割った者には、今学期における警備委員の指導免除、体育単位の増加、さらに全品無料の食券を贈呈する』」


「マジかよ!」



 驚愕を顔に浮かべる岩原に、『マジだ』と龍堂寺は静かに頷く。

 それを聞いた古河は納得したとばかりに首を振った。



「道理で参加者に不良が多いわけだよ……」



 体育単位に、食券。

 優等生も普通の生徒も、充分に心惹かれる景品。

 だがそれ以上に不良生徒の心を惹いたのは――『警備委員の指導免除』である。



 今や教師以上の実権を握っていると過言ではない、学校の規律や風紀を正す組織――警備委員会。

 実力行使と彼らに反旗を立てた不良生徒達を、目には目歯には歯で黙らせたという伝説を持つこの委員会は、無論その他の学校生活指導にも容赦がない。

 彼らの厳しい指導により、一体これまでに何人の生徒が保健室の枕を涙で濡らしてきたことだろうか……。


 そんな警備委員会の指導を、免除できる権利を貰えるというのだ。

 これまで委員会に泣かされてきた不良生徒を中心に、生徒達が血眼になり升の中身――福豆を投げるのにも頷ける。



「だからお前は豆持って参加してたのか」



 龍堂寺の説明により、生徒達が升に入れて投げている物の正体が福豆だと知った古河は、『あそこで配っているのか』と食堂の出入り口を見た。

 警備委員の一年生が長机の上に、福豆入りの升を並べている。

 ついでにその隣では、恵方巻きが販売されているようだ。しかもなかなかの売れ行きである。


 随分大掛かりな豆まきだな、と実家の豆まきでも玄関先に豆を撒く程度だった岩原は、豆と共に叱咤激励が飛び交う節分イベント会場――否、戦場を見据えて。



(……食券欲しいしな)



 楽しそうだし、参加しようかなと思い立った彼は龍堂寺に問うた。



「あの升を取ったら、参加していいのか?」


「……一緒に、戦ってくれるのか?」


「食券が欲しいからな」


「え、岩原参加すんの? じゃあ俺も単位のために参加するわ」


「二人共……俺と共にあの警備委員(ケロベロス)を倒してくれるのか……!」


「ケロベ……何?」


「龍堂寺ー、岩原はそういう中二用語知らねーから、普通に喋ってくれ」



 岩原が参加の意思表明をすると、何故か感激だと涙を浮かべる龍堂寺に、古河は呆れが混じった冷たい視線を送る。


 ――高校二年生であるのに、どうしてこの友人は中学二年生によく見られる精神状態でいるのか。

 それは彼と関わりを持ってから古河の頭の片隅にある謎の一つである。


 何で泣くんだ、大袈裟だな――龍堂寺が巷でいう中二病患者であることを知らない岩原は素で、涙目の龍堂寺を笑い飛ばす。

 『普通』を絵に描いたようなバレーボール少年、岩原。

 純粋な天然、と同級生の間で評価されている彼にも『何でコイツは龍堂寺を変だと思わないんだ』と古河は不思議に思いながら、冷静に話を切り出す。



「……で、あそこで配られている升を受け取れば、参加できるんだろ?」


「おう! それと欲しいヤツは空気バットも配給してくれるってよ!」


「空気バット?」



 何で空気バット? と小首を傾げる岩原に、龍堂寺は喧騒の一点を指差し。



「豆じゃ紙風船を割れないから、必要なヤツには空気バットは支給されるんだ――警備委員もうちわで応戦するしな」


「いや何でうちわ!? そこは警備委員も空気バットだろーが!」


「空気バットだと圧倒しちゃうヤツがいるから、ハンデらしいぞ」



 ツッコミを入れた古河に、龍堂寺は先程と別の場所を指差す。

 最も不良生徒が群がるその一角を見れば――襲い来る空気バットを次々といなし、手にするうちわただ一つで参加者からバットを叩き落とす、一人の警備委員の姿があった。

 入学してたった二週間でその名を学校中に轟かしたその一年生は、制服指導で龍堂寺も度々世話になる――



「……うちわでも充分無双してるじゃん、中田くん」


「まあ、中田だしな……」



 全てを悟った岩原と古河は、遠くを見る。

 ――嗚呼、『あの』中田に一泡吹かせようという目的で参加するヤツもいるんだな……。

 警備委員の『番犬』とも名高い彼に、次から次へと撃退されていく不良生徒達を眺める二人は、思い定めた。


 ――よし。やるなら中田以外をやろう。



「龍堂寺、あとは誰が残ってるんだ」


「三年生四人に二年生二人と、『記録係』に『恥将』だ!」


「よし、『恥将』が残ってるならコッチのものだ! 古河、龍堂寺! 恥崎を狙うぞ!」



 次期男子バレーボール部副部長である岩原は体を起こし、軽く制服についた砂塵を払いながら友人に指示を下す。

 二つ返事で頷いた古河と龍堂寺は、即座に伏せていた体を起こした。


 龍堂寺はまず様子見と、警備委員二年生『恥将』に接近しながら観察を開始する。

 岩原と古河は福豆と空気バットを調達しに、食堂へ向かった。



「福豆持ってきたぞー!」


「ついでにバットもなー!」


「待ってたぜ戦友(とも)よぉぉぉぉ!」



 ――数秒後。それぞれ福豆入りの升と空気バットを一つずつ携えた岩原と古河は、ついでに龍堂寺のものと思わしき痛々しいポエムが印刷された袋の傍に昼食を置き、様子見をしていた中二病系高校生と合流した。

 『恥将』の様子を観察していた龍堂寺は、早速帰還した二人に観察結果を報告する。



「先に言っておく……予想外にやり手だぞ、『恥将』は……」


「……どういうことだ?」


「……これから言う内容が難しいから、理解できないかもしれないが……ありのままに起こったことを、そのまま手を加えずにあったまま、見たまま、感じたままに――」


「龍堂寺、長ったらしい前置きは良いからサッサと話せよ。真面目に聞いてる岩原が混乱する」



 なかなか内容を語り出そうとしない龍堂寺に、古河が諭すように口を挟めば、マスクの下に隠れた唇がムッ、と尖る気配。

 龍堂寺は少し拗ねたようである。



「何事にも前置きは肝心なのに……まあ、色々なことを省いて語るとなると――二刀流なんだ」


「……はい?」



 ――二刀流? 何それ、中二病こじらせてとうとう頭がおかしくなったのか?

 現代日本において、今やアニメ以外で耳にすることのない単語を聞いた古河は、懐疑的な視線で龍堂寺を見る。

 しかし龍堂寺は真剣に、毅然とした調子で報告を続けていく。



「二刀流なんだよ。『恥将』は他の警備委員と違って――うちわを二つ、使ってるんだ」


「はあ……で、うちわを二つ使ってるからやり手なのか?」



 相手はあの『恥将』だぞ、と存在自体がチャラいと称される、警備委員一逃げ腰な人物を脳裏に浮かべ岩原は意見する。

 これに龍堂寺は升を持たない手を前方へと差して、言った。



「見てみろ……あの『恥将』とは思えないうちわ捌きを……!」


「うちわ捌きって、そんな大袈裟な――」



 険しい顔で言い放った龍堂寺の態度に失笑しながら、岩原と古河は同時に前方――『恥将』がいる場へ目を移す。

 移して、その目で見た。


 そして彼らは――呆気にとられる。


 彼らの視界にいる『恥将』の姿は、普段の彼であるなら必ずとるであろう――隣人を盾にしている姿、ではなく。

 悲鳴を上げて逃げ回る姿、でもなく。

 冷や汗を額に滲ませ説得を試みようとする姿――でもない。


 特攻してくる生徒を避けながら、

 投げ放たれる福豆を左手のうちわで防ぎ、

 振り下ろされた空気バットを右手に握ったうちわの表面を利用し――流す。



 一人の『戦士』の姿であった。



「……あれ、本当に『恥将』?」



 長いものには巻かれる性格が良く出たへっぴり腰になることなく、両の足で大地を踏みしめ、悠然と大勢の生徒を相手にする『恥将』。


 ――確か五月頃、不良生徒に制服指導をした時には、後輩である中田の後ろに隠れるぐらい、ヘタレていたのに……。

 『恥将』とは別のクラスであるため関わりが無い古河は、自分の記憶に無い『恥将』の姿に困惑し、思わず岩原を見やる。

 戸惑いを浮かべた顔で視線を返してくる岩原も、古河と同じ心境のようだ。


 ――あのヘタレに何があった。


 以心伝心の岩原と古河が唖然と別人の如き警備委員を凝視する中、『恥将』と同じクラスである龍堂寺がぼそりと零す。



「九月終わり辺りからオーラが変わったとは感じていたが……まさかあの噂は本当だったのか……!」


「……噂?」



 呟きを拾った岩原が気になった言葉を復唱すると、龍堂寺はきょとんとした顔で岩原を見つめる。



「知らないのか? サッカー部じゃ結構前から出回ってる噂なんだけどよ……」


「……あ、もしかして『あれ』? バスケ部でも結構囁かれてた」


「そう、『あれ』だ。あの噂だ」


「は? え? お前ら何話してんだ? あれって何?」



 代名詞で会話を成立させている古河と龍堂寺についていけず、頭上に疑問符を浮かべる岩原。

 何なんだよ、と二人の言う噂に全く心当たりのない岩原に、古河と龍堂寺は声を揃えた。



「「『恥将』婿入り疑惑」」


「………………はあ?」


「いやー、な。だから噂されてるんだよ。『恥将』が婿入りするってことが」


「しかも『番犬』の家に! ――『恥将』が地獄の番人と化す日は近い……!」



 知らねーのかよ、と茶すように噂について説明された岩原は暫し、自分の知る常識が覆されてしまったことによる混乱を収めながら黙考し――やがて、疑惑的な表情となる。



「……婿入り、ってよ……妻の家に嫁ぐことだよな?」


「そうだね」


「『番犬』――中田って、男だよな?」


「間違いなくオスだな!」


「…………ぇえ!? じゃあ『恥将』ってホモなのか!?」


「ばっ……声がでけーよ岩原!」



 仰天とばかりに声を上げた岩原に、古河が慌てて『しー!』と口元に人差し指を立てる。

 本人に聞こえるだろ、と注意を促す古河に『あ、悪い』と我に返った岩原が頭を下げた。

 ――その時だ。



「――というか、何で標的の前で平和に駄弁ってんの?」



 ――間近で聞こえたある人物の言葉に、三人の時間が止まった。

 ぎぎぎぎぎ、と錆びたブリキ人形のように首を回した三人の視界に映るのは――うちわを二つ持った警備委員。

 髪を染めていなければ、流行のアクセサリーの類を一つも身に着けていない――にも関わらず、全体的に軽い雰囲気を纏っている彼に、古河は『げっ』と表情を歪める。



「『恥将』!」


「いや、ニュアンスが違うから。恥ずかしい意味の『恥』じゃなくて、賢い意味の『智』だから」



 普段から言われ慣れているからか、挨拶代わりとばかりに呼び名の訂正をする『恥将』――否、『智将』。

 気配もなく現れた彼に今更距離を取る三人は、豆と空気バットをそれぞれ構えながら『智将』を警戒する。



「『恥将』! お前いつの間に背後に立っていたんだ!」


「お前らが俺についての噂話を始めた頃からかな……あと、お前らも『恥将』呼び、訂正しないのね」



 ちょうど自分についての話となった時からいたらしい『智将』は、やれやれといった様子で肩を竦め『まあ、良いけどね』と、諦めのため息を吐く。

 だが、次に三人に目を向けた『智将』は――チャラい印象のあるその顔を、硬質なものへ変えていた。



「だけど、これだけは訂正してもらおうか――俺はホモじゃない」



 『オーラが……変わった?』と龍堂寺が目を見張る先で、『智将』は告ぐ。

 それは正当であるというように――隠し立てせず、堂々と。


 ――天高く、誇大に。



「俺は――中田くんが好きなだけだ!」


「「「「「――――――え?」」」」」



 ――この時、その場に居合わせた全生徒が震撼した。


 生徒が最も集まり、近くの食堂からも一望できる広場の中心で、大胆な告白をしたある警備委員に、警備委員会主催『節分大会』の参加者、傍観者はみな沈黙して『智将』を見る。

 いたたまれない静寂の中『智将』は、自らに向けられた様々な思惑の込められた数々の視線に動じることなく、高らかに惚気の言葉を紡ぎ続けていく。



「なんかホモだ同性愛者だと噂されているけど、断じて違う! 俺が好きなのはただ一人、中田くんなんだ! 誰が何と言おうが知ったことじゃない! 俺は同じ警備委員で、一つ年下で、『番犬』だなんて呼ばれてて、入学して二週間で伝説を作った、オールバックに顰めっ面がチャーミングな、真面目でワンワンな中田くんが――大好きなんだあああああああああああ――――ッ!」



 広場の中心で愛を叫ぶ『智将』に、彼の目の前で絶句し、何も言えない三人は悟る。


 ――あ。コイツ、ガチで『番犬』のこと好きだわ。


 ありったけの愛を叫んだ『智将』は、肩の力を抜いて、へらっと照れ臭そうに笑う。



「……身に覚えのない噂が出回ってるから、今この場で訂正しておいたけど……言葉にしてよくわかった。やっぱり俺は中田くんが好きです――結婚したい」


「――っな、ぁ……!? な、何を血迷って口走ってるんですかヘンタ――あ、違っ――先輩いいいいいいいいいッ!」



 瞬間、響き渡る怒声。

 羞恥の感情を孕んだ動揺の絶叫を聞いた『智将』はこれに、『あーあ』とわざとらしく落ち込んでみせる。



「……怒られちゃった」


「……そりゃあ、人が大勢いる中であんなこと言われたら、そうなるだろうな」



 拒絶されないだけマシじゃね? ――耐えきれず、小さなツッコミを吐いた古河に、うんうんと同意する岩原と龍堂寺。

 余談だが既にこの時、『智将』に対する全生徒の認識は『チャラいホモ疑惑』から『チャラい「番犬」愛者(ホモ)』となっていた。


 そのように、生徒からの評価がかなり下がったことなど何一つ知らぬ『智将』は、ポケットから取り出した携帯電話で時間を確認し『そろそろかな』と人知れず囁くや、にぃっ、と悪どく顔を歪める。

 イタズラっ子――などとちゃちなものではない。

 大抵のことは中二病的ポジティブ思考でやり過ごししてしまう、龍堂寺でさえ怖じ気付かせる――悪党の薄ら笑い。



「さぁーて、あと十五分ちょっとで昼休みも終わることだし……ぼちぼちシメにかかろうかな」



 シメ? と『智将』の発言に数人の生徒が眉間を寄せた。

 携帯電話を仕舞い、うちわを二つ携える『智将』は綽々と辺りを見回すと、自分の近くにいる生徒全員に向け――挑発の言葉を、軽く人を小馬鹿にした態度で紡いだ。



「それではここからはさ、ら、に、大サービスタァーイム! 今から昼休みが終わるまでに俺の風船割ったヤツはな、ん、とぉ――所属する部の部費を増量しちゃいまーす! さ、あ、て? 一体誰が『智将』を風船を割るのでしょーか!」



 ふざけた調子で広場に響いた挑発に――同じくして、『記録係』が唱えた。

 それは――にっこりと、営業的な作り笑いで。



「ならば私を倒した方には――私の個人資産から、二十万円ほど贈呈しましょう」



 ――ラストスパートとイベントの参加者を煽る先輩を見習い、『番犬』も自らを狙う不良生徒らの前で、誓う。

 目の前の不良生徒よりも――悪辣に。

 意地悪く、凶悪に――誰よりも、極悪非道な悪役らしく。



「俺は……そうだな。何でも言うことを一つ聞いてやる。『何でも』、だ――一生パシリでも良いぞ?」



 ――警備委員の中でも呼び名が付くほど有名な三名。

 彼らの宣言はこのイベントを提案した、警備委員会副委員長の思惑通りに、広場に集った参加者を――大いに沸かせた。


 空気が爆発したかのような雄叫びと共に、我先にと福豆を握り、空気バットを手にする生徒達の中で――他の参加者と同様にモチベーションを高められた龍堂寺は、戦友である岩原と古河にやる気に満ち溢れた顔を見せる。



「岩原! 古河! 俺は今から、邪神の力を解放するぞ!」


「じゃ、邪神!?」


「あー、うん。そうか、とうとう解放してしまうのかー」


「ああ――サッカー部のみんなのために、なんとしてでも『恥将』を倒してみせる!」



 『邪神って何だよ!』と仰天する岩原と、棒読みで冷めた眼差しを向けてくる古河に、不敵な笑みを浮かべる龍堂寺はマスクに手をかけた。


 底抜けに明るい――正義の主人公のような笑顔を浮かべ。



「ここからが――俺の本気だ!」



       〇



 三年生十名、二年生八名、一年生十名――計二十八名の委員が『鬼』の役としてイベントを開催した結果。

 『記録係』、『智将』、『番犬』を除く二十六名がイベント参加者によって退治された。


 そして――見事、『智将』の前に敗れ去った岩原、古河、龍堂寺の三人は、食べ損ねた昼食を参加賞の福豆と共に提げ――現在。教室に戻るルートを辿っていた。



「なんつーか……アイツら、人じゃねぇ……」



 とぼとぼと階段を上りながらメロンパンをかじる古河が、生徒の群れを薙ぎ倒していく、呼び名付きの警備委員を脳裏に思い浮かべながら口を切る。



「何で背後からくるバット余裕で避けれるの? 後ろに第三の目でもつけてるのアイツら?」


「邪神の加護を受けた俺の『邪神の(ダークネス・ブレイド)』を避けるとは……何者だ、アイツらは……!」


「……ただの空気バットに見えたが、あれはその……邪神の剣なのか?」


「岩原、真に受けるな。龍堂寺の発言の九割は戯れ言だからな」



 そうなのか? ときょとんと聞き返す岩原に、古河はそうだと頷く。

 ――マスクを外した後の龍堂寺は『邪神の力が……暴走する……!』と左手首を握った瞬間、『智将』に蹴り飛ばされた。

 おかげで『智将』の意識はそらせ、豆をぶつけることはできたが――見ているこちらが恥ずかしかったと、今でも友として恥ずかしい古河は、自分の顔を隠したい衝動に駆られている。


 自他共に認めるチャラ男である友人の、そのような葛藤など全く知らない龍堂寺は悔しげに拳を握り『修行しなければ……!』と唇を引き締めていた。

 修行って何だよ、と龍堂寺の言っている言葉の意味が理解できない岩原は、当然その意味を問おうとした――が。



(……あれ?)



 階段を上りきり、正面に在る渡り廊下に通じる扉から入ってきた風が、龍堂寺の前髪を扇いだ時。


 焦げ茶色であるはずの彼の瞳が――赤く輝いているのを、岩原は見た。


 赤く、爛々と――血のように。



 岩原が刹那の輝きについて口を開く前に、その光は焦げ茶へと変貌する。

 異質な赤色は、跡形もなく消え去った。



「どうした岩原、ぼーっとしてよ」


「……いや、別に」



 突然黙り込んだ岩原を不審に思い、声をかける古河。

 いつもと変わりない態度からするに、彼はあの赤色を見ていなかったようだ。



(――気のせいか)



 きっと渡り廊下から差す光を反射して、一瞬赤く見えたのだろう。

 こっそり龍堂寺の瞳を盗み見て、その色が焦げ茶であることを確認した岩原は、片手を上げる。



「じゃ。俺ここだから」


「おー、じゃあな」


「また明日、いつもの場所でな!」



 軽く手を振れば、同じ様に手を振り返す二人の友人。

 いつものように、他愛なく軽い再会の約束を交わした岩原は、手に持つ中身のぎっしり詰まった弁当に意識を向け――さて、どう処理したものかと思考する。


 他愛ない小さな約束は、無情に過ぎ去る時間と同様。

 欠片も『日常』だという実感もされないままに、今日も少年達の間で交わされていく。



       〇



「あ――――センセー、俺トイレ行ってきまーす」


「古河ー、お前またかよ」


「仕方ないでしょう。俺、トイレ近いんすから」



 ――午後の授業中。

 黒板に白い数字を並べながら、問題の回答例を解説する教師に軽口を叩く古河は、暖房の効いた教室を出た。


 誰もいない廊下。

 窓を開けているため、外の空気がどんどん通り抜けていく一本道を彼は早足で歩き、男子トイレに足を踏み入れる。

 個室トイレの、奥から二番目。

 そこが古河の指定席である。


 洋式トイレの蓋を開けず、そのまま便器の上に腰を下ろした古河は、ブレザーのポケットから携帯電話を取り出し、教室で確認した一通のメールを画面に映し出す。


 絵文字も顔文字も無い、簡素で率直な内容の文章。

 それは教師は勿論、友人である岩原も龍堂寺も知らない――裏社会からの、殺人の依頼メールだった。


 穏和だと女子生徒から評判の顔を、入念に研がれたナイフのように鋭く、危ういものにした古河は依頼内容の記されたメールに目を通し――自嘲的に、嘆息する。



「また明日、か」



 ――明日、俺はアイツらとメシを食えるのかな。


 裏社会の仕事が舞い込んで来る度に、古河は隣に立つ死と顔を合わせ、その恐怖に震える。

 左胸を強く握りしめ、死の恐怖に耐えるように身を縮こませる古河は、二人の友を思い――目を閉じた。


 願わくば――また、何事もなかったかのように、友人と日常を謳歌できることを――



 日の当たる世界の、他愛ない日常という温もりを知る彼は、今日も日陰の世界から伸びる冷たい影に怯えながら――闇の中へ、身を投じる。



       〇



 部活を終え、真っ直ぐ家へ帰宅した龍堂寺は、日課である『会話』に勤しむ。



「なあなあ邪神様ー」



 ガランと人気のない、空虚な寺の離れ。

 すっかり廃れた寺を実家とする彼は、自室の姿見へ無邪気に語りかける。 家族は皆用事で家を開けており、龍堂寺以外は誰もいない。

 元より家族が不在である時間を狙って、彼は帰宅しているのだ。

 あと一時間は帰ってこないだろう、と理解している龍堂寺は、物心ついた時から存在を察知し、信仰してきた神に、今日も学校であった出来事を語る。


 兄に打ち明けるように、易々と。

 意気揚々と、楽しげに龍堂寺は日常を――神に語り続ける。


 そうして一通り、語りたいことを話し終えた龍堂寺は、鏡の向こうに問いかけた。



「なあ、邪神様ー。十年以上捜してるけどよ――邪心様の『器』って、どんなヤツだよ」


『――逢えば解る』



 龍堂寺のものではない声が、空気を震わせる。

 鏡の向こうに広がる漆黒の影から発せられた答えに、龍堂寺は『うーん』と首を傾いだ。



「いつもそればっかだけどよ……本当に逢えばわかるのか?」


『お前には我が力の一部を貸し与えている。故に、お前が「器」を見つければ、お前の中にある我が力が報せるであろう』


「……そーいうものなのかー」



 イマイチぴんとこないなー、と天井を仰ぐ龍堂寺に、黒い影は嗤う。



『何。案じずとも一目見ればすぐ解る』


「……そーいうものなのか」



 釈然としない様子でありながらも『うん、わかった』と笑顔を浮かべてみせる龍堂寺は、だからさと記憶から引き出し慣れた、幼い約束を口頭する。



「『器』が見つかったら――妹を治してくれよ」



 影に浮かぶ、鮮血のように赤い目玉は、瞬いた。



『重々承知しているとも――約束だからな』


「約束だぞ、邪神様!」



 小指を立てる龍堂寺は、意気込む。

 よし。明日も邪神様の『器』を捜そう――と。


 全ては病弱で、病室から殆ど出たことがない――妹のために。

 龍堂寺は明日も、邪神の遣いとして学校に登校する。



 邪神の『器』は、未だ見つかない。



       〇



「な、か、た、くぅーん! お疲れさまー!」


「先輩方、お疲れ様です」


「あれぇー、俺のこと無視っすか中田くぅーん」


「……あ。いたんですか知崎(ちざき)先輩」


「最初から隣にいたよ中田くん」


「すいません知崎先輩。気付きませんでした」


「五センチの距離にいて気付かないって、ある意味スゴくない?」


「ああ、ところで先輩」


「それでもって俺の抗議はオールスルーなんだね――何だい中田くん」


「先輩が相手にしていた――龍堂寺、でしたっけ」


「しょっちゅう制服指導に引っかかる中二病患者、二年生の龍堂寺ね。ソイツがどうかした――って、訊くのは愚問かな」




「中田くんも感じたんだろう? ――『何か』の力を」




「……やはり、知崎先輩も感じていましたか」


「あんなに禍々しい気配、寝てても気付くって――現に、生徒指導室で指導してた副委員長も気付いたほどだよ」


「……彼は、何者なんですか?」


「ただの中二病……って言いたいけど、そうもいかないだろうね」


「かなり強い気配でしたからね」


「慌てて止めさせてもらったけど……あれは近々くるかもね」


「……強いと言えば、大仏のようなホクロの男子生徒も、『こちら』寄りですよ」


「大仏ホクロ……は、古河だね。確かにアイツ『なんか小慣れてるなー』とは思ったけど……」


「体の運び方が訓練されたものでした。あれはそっとやちょっとで体現できるものではありません」


「『そっち』の専門家が言うなら、そうなんだろうね――となると、あの三人組はグレーリストに入れといた方がいいのかなー」


「……あの、いかにも普通そうな男子生徒もですか?」


「うん。次期バレーボール部の副部長、岩原もね」


「……彼は関係ないように思えますが」


「いや、岩原も充分過ぎるほど関係者だよ」




「中二病患者とチャラ男の友達が、普通の男子生徒で在れるわけがないだろう?」




       〇



 岩原の家は、四人家族だ。

 サラリーマンの父に専業主婦の母、甘え盛りな小学生の弟。

 家は学校のある町から、五つほど隣の町にあり、電車通学をしている。

 自宅は一個建てで、小学生の頃から二階の部屋を一つ、私室として使っていた。隣の部屋は三年前から弟が使用している。


 部活から帰った岩原は、兄ちゃんお帰りと駆け寄ってくる弟の頭を一撫でし、着替えのために自室に向かう。

 今日は恵方巻きだよ、と夕食の献立内容を報せてくれる弟に、そうかと返事を返しながら岩原は自室の扉を閉めた。



「疲れた……」



 肺の中の空気を全て、ため息として体外に排出した岩原は、肩にかけていたメッセンジャーバッグを扉の傍らに置き、ベッドに飛び込んだ。

 のしかかる体重に反発してくるベッドに、『あー』と脱力しながら意味もなく声を上げる。

 疲労による眠気が彼の意識を舐める――そんな時、ブレザーのポケットに入れていた携帯電話が震えた。


 部のメンバーか、顧問かのどちらかだろう。

 のろのろとポケットから携帯を取り出した岩原は、タッチ式であるそれを起動させ――



「……あれ」



 表示された画面を、二度見した。



『メール受信  一件

 from:――――

 件名:あなたをまっています』



 文字化けした知らないアドレスからの、身に覚えのないメール。

 それは岩原の知る日常から少し外れたところから、やってきた。



「広告メールか……」



 無意識に日常を貪る岩原は呟き、メールを消去する。

 そして外の世界からやってきた便りのことなどすっかり忘れて、今という時間に現を抜かすのだ。


 頭の中で聞いた、歯車が食い違うような音にも――気にとめず。



 今日も岩原は、当たり前な自分の日常を――飽食する。



       〇



「人間っていうのは常に、変化を恐れているんだ。

 それはいわゆる『非日常』に憧れる中二病患者にも当てはまってね――彼らは誰より奇怪なことを追い求めていながら、誰より周囲の環境の変化を恐れている。

 だって、そうだろ?


 中二病という精神状態にあるヤツラは誰だって、自分が特別であると妄信しているんだから。 あくまでも、自己中心的なんだよ。いつだって、自分が主役を飾るんだ。


 そうやって虚像や妄想に走ることで――自分の周囲の環境が、いたって凡庸な世界であることを確認し、安堵しているんだ。

 ――人によって色んな意見があるかも知れないけど、俺が考える中二病っていうのはつまり、『日常の再確認』ってヤツだね…………龍堂寺はただの中二病患者じゃないみたいだけど。



 裏社会に属する人間も、まあ、中二病と似たり寄ったりってところだね。

 例として古河を上げるけど……あれは典型的な表と裏の世界の間で葛藤するタイプの人間だよね。

 表の世界での関わりを仮初めと割り切れないで、裏社会で息をし続ける……って。

 いつまでもそんな中途半端な生活が続かないことぐらい、古河も馬鹿じゃないから理解してると思うんだけどね。



 ――で。ここからが本題。

 中二病患者と裏社会の人間。そんな二人の友達である、極々普通のバレーボール男子――岩原のことだ。

 アイツは中田くんが言うように、その辺の高校にも四人ぐらいはいそうな、普通の男子生徒だ。

 特に辛い過去もなく、特に悲しい過去もなく。

 家族がいて、それなりに努力して、それなりに挫折を味わって、それなりに喧嘩して、それなりに充実した生き方をしてきた――一般的な男子生徒だ。

 そんな一般的な彼だからこそ、目立つような特徴もなく。


 そんな一般的な岩原だからこそ、彼は知らず知らずのうちに自分の『日常』の中に『非日常』を内包してしまうのさ。


 ――つまりはね、中田くん。


 普遍的であればあるほど、人は周囲の変化や非日常に協調し、順応してしまうのさ。


 普通であるための協調性の高さ故に、ね」


「……つまり普通であるからこそ、岩原も注意しておくべきだと、言いたいんですか?」


「うん。それに間近であの三人のやり取りを見て思ったんだけど――岩原は少し、性格が天然なんだらしいよ」


「天然……ということは」


「そう、中田くんの従兄弟と同じ様に――一般的からズレた『非日常』も、容易に『日常』と解釈してしまう性格みたいだよ」


「……厄介ですね」


「厄介だねー。天然なヤツっていうのは、こっちが伝えたいことからズレた認識とかしちゃうからねー……しかも俺の管轄だし……はぁ」


「……一応、俺も気にはかけておきますね。龍堂寺となら、しょっちゅう制服指導で顔を合わせますし」


「……え、マジで? ありがとう中田くん! 素直で優しい中田くん!」


「無駄口を叩く暇があったら、早くその辺に撒かれた福豆片付けてくれませんか? この後には会議も控えてるんですから」


「中田くんマジツンデレ。どうして中田くんをみんなが敬遠するのか、本当に謎なんだけど」


「分かりきってますよ、そんなこと……――俺が」


「――いつも難しい顔して、凶暴だから」


「……分かってるじゃないですか」


「そりゃあ入学してきた時から世話焼いてた先輩ですから? 中田くんが嫌われる原因なんて、すでに理解してますよー、だ」


「……そうですか」


「……だからこそ、言うんだけどさぁー……」




「――一回、女子制服着てみない?」




「副委員長に、知崎先輩がセクハラしてきたと報告しておきますね」


「やめてください。かなり本気でやめてください頼むからお願いします」


「……だったら今後一切、そういう発言は慎んでください」


「えー……似合うと思うんだけどなぁー……絶対」


「……なんで今、『絶対』のところを強調したんですか」


「そりゃー、ね。確信してるから。というか、俺はちゃんと解ってるから」




「『ちーちゃん』が意地っ張りで可愛い女の子だって、俺は知ってるから」




「――――――――」


「だからさ、一回だけでも俺の前で女子制服着てくれないかなぁー、なんて――――あれ、中田くん?」


「……なんですか」


「……もしかして中田くん、照れてま――あだぁッ!?」


「――すいません知崎先輩。手が、滑りました」


「……へぇー、『手が滑って』先輩の顔面に拾った福豆投げつけたんだぁー……へぇー――ええええぅだッ!」


「すいません知崎先輩。つい体が滑って、先輩を巴投げてしまいました」


「そしてそのまま片羽締めに移行という照れ隠しなんすねえええええ締まる締まる首が締まるああああああああ――――」




「先輩、中田がまた『恥将』に締め技をかけてますけど、どうしますか?」


「あー、ほっとけほっとけ。どうせいつもの痴話喧嘩だ」


「でも先輩、『恥将』が本気で苦しがってるみたいなんですけど」


「あれが中田のコミュニケーションだ。気にするな」


「……先輩。『恥将』が動きません」


「どうせ介抱するのは中田だ。ほっとけ――ったく、なんでアイツらあれで付き合ってないんだよ」


「……あれはどう見ても、相思相愛ですよね」


「おちょくる知崎も知崎だが、中田も素直じゃねぇよな……」


「……いつになったら、付き合うんでしょうかね」


「せめて俺ら三年が卒業するまでには、付き合って欲しいよな…………副委員長に提案してみるか」





<了>



〇あとがき〇



まずはこのような企画に快く参加してくださった、雪野つぐみさんにお礼を。

こんな馬鹿のワケ分からない発案に乗ってくれて、ありがとう……! 本当にありがとう……!


――ということで、堂々と開催させていただきました、突発衝動企画第一段。

テーマは『中二病』。

共通設定として『現代』『高校生』を念頭に、このような短編小説を書かせていただきましたが……なぜか中二病の魅力を引き出せていない作品となりました。

自分が衝動だけで中二病を書くと、支離滅裂な内容になることがよく分かりました。

なんということだ中二病……奥が深い……!


そもそも自分自身が中二病(自覚有り)なので、普通に物書きをしたところで、痛々しい内容になるのは必然的なのですが、改めて中二病について書くとなると難しいのが、中二病という精神状態の複雑で、素晴らしいところですね。

幾つになっても中二病は素晴らしいと思います。いつまで経っても、ラノベを『面白い』と言える人間でありたいです。あ。今、自分は痛々しい発言をしました。

こ れ が 中二病か……!



えー、中二病についての談義はさておいて、今回の短編についてコメントさせていただきますと――加筆修正のために改めて読み直し、率直に思いました。

な ん だ こ れ 。

中二病を完全に舐めきってるじゃないか、と言わんばかりの噛み合っていない文章。一体誰が主役なんだ、とツッコミたくなる構成。自分としては普通の少年、岩原が主役だと思いながら書いていましたが――やはり、自分が執筆する上で必ず出てくる病気が、この短編でも発症しました。

病名――『登場人物多数症』。

いつの間にか登場人物が大勢になっているという、謎の病気。

どうも自分は昔から物語を書くと、登場人物が多くなる傾向にあり、なおかつ登場したキャラクター一人一人の設定を考えてしまいます。凝り性なんです。なんというか、そういう設定とか考えるのが好きなんです。執筆は別に置いておき。


修正する度ページ数が増え、短編のくせに登場人物が十人を越す自分ではありますが、これからも地道に執筆活動をしていく所存です。

このような馬鹿丸出しなど小説に付き合って下さった方々へ、今後もよろしくお願いします。



最後に。このような企画に参加してくださったリア友――雪野つぐみさんと、この小説を見てくださった全ての方々に、感謝を。


ありがとうございました。





<完>

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― 新着の感想 ―
[良い点] 普通に見入ってしまいました。それぐらい、文章と物語に引き付けられました。 [一言] もしかすると、私にも中二病が…… 確実にあると言えますが。 続きがあればなぁと……。
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