テルとモクの心霊ノオト
【注意書き】
※この物語は全てフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
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※本作は他小説投稿サイト(クロスフォリオ、ピクシブ)にも重複投稿しております。クロスフォリオ版は成年向けですが、こちらはR-15相当に修正しております。
幼い頃より煙のようなものが見えた。
それは家の仏間であったり、首吊りが発見された公園の木の下だったり、学校の給水塔の上だったり。
友人にそれらを指差すと「テルは嘘つきだ」と揶揄われていじめの対象になった。生来、負けん気が強くそういった相手をボコボコにしては親が謝りに行っていじめから無視に変わったが独りで何とかやり過ごした。
初めての恋人となる男性と出会ったのは大学時代でオカルト研究会の勧誘をしていた。結局、入部して成り行きで男女の関係となり、付き合って別れてを繰返して勉学そっちのけで心霊スポットも廻った。
ある日、彼のアパートで二人、黴臭い布団に包まり寝ているとスッと風が入り込んだ感覚があった。それに眼を覚ますと天井から煙が見える。普通の感覚なら火事と思うだろうが煙は藍色で徐々にそれが人の形を形成していく。
(こいつはおいでなすったな、彼の前の女か怨霊か)
と、いやに冷静に思っていると彼には見向きもせずに私の方向へ煙が下りてきた。煙は爬虫類みたいな形になった。いや、龍だ。ヒトの身体つきで顔は鋭い龍。視線が外れてくれない。煙龍が口を動かす。読唇術なんて解らないが嗤ったのは解った。
煙龍がすうっと移動し私の唇に自身のそれを重ねた。煙に質量があるとは思えなかったがじわっと濡れた感触があった。煙が口の中に入ってくる。肺に入る。苦しい筈なのに甘い香りが胃に迄入り鼻に抜けると涙が溢れ快楽が走り次第に全身の筋肉が弛緩してきた。いつの間にか私は失禁していた。しかし、煙龍がそれらをまるでおむつの吸収材のように吸い取ってくれていた。
恋人は一向に眼を覚まさない。隣で抱いた女がこんな眼に遭っているというのに。しかし、今はどうでも良かった。この快楽に身を委ね一生を終えたい、快楽に気が狂ってしまいたい。
気が付けば朝になり私は恋人と藍色の髪のやさ男に挟まれていた。起きた恋人が自然に「二人ともメシでも食うか」と言ってきて〝記憶を改竄する〟とんでもないものに取り憑かれたんだ、と悟った。後に恋人とは別れた。
あの朝、裸のやさ男が微笑みながら耳元で囁いた言葉は忘れられない。
「テルちゃん、よろしゅうなあ。俺は痛みなく食べたるさかいな」
◇ ◇ ◇
深夜、若梅輝美は友人に呼ばれた先のファミレスの席で静かにコーヒーを啜っていた。友人は何度も何度も同じ話を焦点の合わない濁った眼で繰返す。
「ねえ、テルちゃん。聞いてる?」
「うん、聞いてる。行方不明になった比紗子ちゃんの話」
「でね、僕たちが御来光を見に行って、テントで泊まって……ううっ」
「帰りに道が崩れて比紗子ちゃんが崖下に落ちた、ね」
彼は輝美の容赦ない言葉に泣き出してしまった。落ち着く迄、頼んだセットのモンブランケーキを食べる。喫煙席なので煙草を取り出し火をつけふかす。友人は涙を拭い話を続ける。
「警察や捜索隊が何度も一所懸命捜してくれたんだけど……結局、見付からなくて……それでも、諦めきれなくて、捜索が打ち切りになった後も独りで探したんだ。そしたらね、見付けたんだ」
「比紗子ちゃんを」
「うん、正確には顔だけど」
「顔」
輝美は眉を顰める。彼は何処か嬉しそうに笑う。その瞳の焦点は相変わらず、ぼやけたままだ。
「藪から見えたのは間違いなく比紗子ちゃんの顔だった……でも、もう半年以上経ってるからあそこで生きてるとは思えない。幽霊でも良い、幽霊だったら成仏させてあげたい。ずっと眼に焼き付いているんだ」
「それで、私に?」
「うん、テルちゃんって霊能力者でしょ」
輝美は黙って煙草を銜えて煙を吸い込み、ふうっ、と吐き出す。
「私、それを言われるの嫌なんだけど」
「お願いだよテルちゃん……一生のお願いだから少ないけど払うから」
「あのね……」
友人が席を立ち別れると輝美が内ポケットから違う銘柄の煙草を出して火を点ける。紫煙を吹き出してすっかり冷めたコーヒーを啜る。
「すんませーん、おねーさん。冷コーとナポリタンとオムライスとハンバーグとストロベリーパフェとクリームソーダ、あとライス大盛、お願いしまっさ!」
テルの向かいの席に現れた藍色の髪の着物姿のひょろりと痩せたやさ男が店員に大きな声で注文する。店員が二人の席へ来た。
「〝モク〟、誰が払うと思ってるの」
「へえ。その、おぜぜは誰の力で稼いだんやろなぁ」
二人の遣り取りに店員は呆れていたが注文を繰返すと厨房へ向かった。しかしながら、友人が去った直後に現れたこの〝モク〟という男を周囲は気にもとめていない。まるで最初からそこに居たかのように。
しばらくして運ばれた大量の料理を上品にモクと呼ばれた男性が口へ運んでいく。
「モク、どう思う?」
「んむ、ちょっと待ってえな。ここのファミレス美味いんよ」
「はあ……」
「せやけど、あのボンの話……〝山〟に〝死人の顔〟か……心当たりはあるで。下等の〝あやかし〟やな。あすこの山やろ」
友人の恋人が行方不明になった山の名を口にし、モクがオムライスをおかずにライスを頬張る。輝美がモクの分のアイスコーヒーを横取りする。
「江原さん案件?」
「あのおっちゃんやったらうまい事撃ち抜ける筈やわ。俺の出番はなしかな。またその日ぃ夜になったら迎えに来るわ」
「うん」
◇ ◇ ◇
週末、輝美は知り合いの猟師と二人で山を登っていた。
猟師の江原はベテランで、友人の恋人が行方不明になった山の付近で獲物を撃ちながら麓で農業をしている。江原は〝この地方〟では地元のハンターの中でも〝あやかし〟を撃って処分する者だ。
輝美も二、三度その獲物を見せて貰った事があるが、人間の眼を八つ持った六本腕のナニカであったり、頭を撃ち抜かれながらも「コロシテ、コロシテ」と人語を呟く双頭の獣も居た。彼女が食べるんですかと問うと、アンタらみてな趣味の蒐集家センセに売る、とひこひこひこと笑った。
険しい山道という訳でもなく、かといって有名な登山ルートという訳でもない。軽トラで乗り付けて崖から沢に降りる。猟師が言う。
「動くじゃねえぞ、居る」
その言葉の通り、藪の向こうから何かが動く音がした。ざく、ざく、と足音を立てて姿を現した。
一見するとこの国の野生下には居ない虎か豹のような大きさの四本足の獣ではあったが、それにしても首が長い。よくよく見ると、その眼は首に生えており、少なくとも十以上の赤い眼球がぎょろりとこちらを見つめている。首の先の顔はヒトのそれと同じだったが下顎に大きな口があり、開くと歪な並びの鋭い牙が見える。化物だ。その顔は前に写真で見た彼の恋人だ。
猟師がにやりと煙草の脂に染まった黄色い歯を見せて笑う。
「ほうらよ、ああやって喰った人間の顔を浮き上がらせて油断させて近付いたところをバクリさ」
そう言うが早い猟銃を構える。耳を塞ぎな、と言ったが間髪入れず発砲した。その瞬間、化物が大きく跳ねる。血を流し化物が倒れると涙をこぼした。まるで人間のように。
麓に帰り輝美が携帯電話で事の顛末を友人に電話すると烈火の如く怒られた。そして今から向かうからと一方的に切られた。
輝美は、あれはもう化物だったがと思いつつ、猟師の小屋でまともな獲物のジビエ料理に舌鼓を打った。夕方に彼が来た。檻の中に仕留めた虫の息の件の化物を見せると彼は震えながら泣き崩れた。そっとしておこう、と振返った瞬間、輝美の背中に激痛が走った。猟師も倒れ、バチバチと電撃の音がする。スタンガンだ――輝美が悟った時には視界がブラックアウトした。
輝美たちは気が付けば紐で縛られ地面に倒れていた。何とか動く首を上げると彼に馬乗りになった化物が首を伸ばしその醜い口から長い舌を伸ばし彼の顔を舐め回している。
化物が獣の猫撫声を上げる。化物の首の眼が一斉にこちらを向いてまるで意思と理性があるように笑った。いや、嗤った。背筋に悪寒が走りながら輝美は眼をきつく閉じた。
◇ ◇ ◇
「難儀やなあ、ほら起きんかいテル」
「痛たた……」
陽が落ちてとっぷりと暮れた頃にモクが二人の戒めを解いた。友人と化物は山に逃げていった。肩を回す猟師が苦虫を嚙み潰したような顔をして地面に唾を吐く。
「瀧センセよ。もうちょっと早く来られんもんかね」
「すんませんね、江原のおっちゃん。ボクかて自由に現世に出入りする事出来んのですわ」
「アンタみたいな〝おそろしいあやかし〟でもそうかい」
「そうなんすよ」
モクが貼り付いたような薄ら寒い笑みを浮かべる。痛む身体を抑えながら輝美が山を見つめていると猟師が呟いた。
「結局、あの坊主は喰われに来ただけだ」
軽トラで街まで送られて二人は防音の高級タワーマンションに居る。大きな姿見に、ずらりと並ぶ文学賞の大賞のトロフィー。リビングに置かれたピアノとドラムセット、輝美がウイスキーを棚から出してグラスに注ぎ一気に呷る。
「ねえ……癒してよ」
モクがにたりと笑う。
「ヒトの姿がええかな? それとも……」
「〝化物〟の姿で……〝本性〟でしょ、アンタの」
「ひひひ」
姿見に映る服を脱いでいく二人の男女、輝美は胸は大きいものの顔は童顔で手足も短く年齢に不釣り合いな幼いものだ。モクは着物の下に隠れていた肌が青いものに変わっていき鱗がびっしりと生え顔も髪はそのままに狂暴な流線型の言うなれば〝龍〟のそれに変化した。
情事の後、風呂に入り、二人で交互に煙草をふかして布団に包まる。ヒトの姿になった裸のモクが紫煙をふうっ、と天井へ吹きかける。
「あのボン、どないかせんとアカンな。もうボンやないやろけど」
「食べられてる?」
「とっくに」
裸の輝美が煙草を灰皿に揉み消して頭を抱える。
「二人を成仏させないと……お願いモク。昼に来て」
「せやけど、俺はお日さんに弱ぁて夜にしかこの世に来られへんさかい」
「私の血液五百ミリ・リットル」
「血ぃ!? 最高やんけ、乗ったぁ!」
◇ ◇ ◇
「珍しいな、瀧センセが昼に現れるなんて……テルちゃんは?」
「あー、貧血なんすよ、大人ししといたって下さいな」
件の山の沢へ降りる前の道、モクが軽トラの荷台で蹲る輝美に囁く。
「ニンゲンの生命力は美味しいなあ、こうやってお天道さんの下でも動けるんやさかい」
「……っさい、ころす」
「はは、最後に食べる時が楽しみやわ」
血色の良いモクが笑う中で猟師が呼ぶ。
「おーい! 来やがったぞ……おぉぉ、ほんまもんのバケモンになりやがった!」
「さぁーて、バケモンの〝格〟っちゅうのを見せたろか」
モクと猟師の眼の前に現れたのは以前の姿から更に悍ましく変化した化物であった。
足は長く伸び六本に増え、近付く動作は蜘蛛のように交互に曲げて神経を逆撫でするようだ。首の上に瘤のような膨らみが出来ている。化物が首を下げるとそこには輝美の友人の顔が苦悶の表情を浮かべ赤い血の涙を流していた。ぼこぼこと音を立てる胴体は今にも爆ぜそうな雰囲気を醸し出している。
猟師が震える身体を固くして猟銃を撃つ。
「クソッ、弾をはじきやがった!」
その言葉通り化物には掠り傷一つ付いていない。モクが間に立ちはだかる。
「おっちゃん。あんまり俺の姿見んとってなあ、〝気ぃ〟あてられて死ぬで――」
言い終わらない内にモクは顔が変わりその流線形の青い鱗と鋭い牙と鈍色の角を持った龍になる。眼が赤く光り、その口を大きく開けたかと思うと閃雷が走った。轟音が山に響き、野鳥が逃げて行った。
「モク……?」
いつしか眠っていた輝美が眼を開ける。
「おっかねえおっかねえ……」
隣には軽トラの荷台に飛び乗った猟師が震え、辺りは静寂が包んでいる。
ゆっくりと輝美が荷台から降りると着物姿のヒトの形のモクが煙草を喫っていた。その先にはどす黒く大きな血溜まりが長く伸びて草木が燃えていた。彼女に気付くとやさしい笑顔を見せて近付いた。
「終わったで、今日はビフテキでも作ったるわ」
「……ありがと」
「血ぃ作って貰わんとな、何せ俺の大事な文字通りのメシの種やさかい」
「うっせ!」
輝美がモクにローキックをキメた。
◇ ◇ ◇
「『彼は彼女と融合した事で究極の幸福を遺伝子の螺旋に刻んだ。配列された符号は白い種子が奏でる旋律に乗って廻り、そこから分裂し増殖する細胞が二人の存在を明日へ遺す』、か……いやー、殆どポルノ小説ですよ若梅先生」
「そうですかね」
「いや、締切り厳守して頂けるのは有難いんですが、文学誌なんでもうちょっとソフトで」
「ほな、余所に移ろかー、テル」
「アレ、いらしてましたっけ、瀧先生……?」
「おったおった。ボクら若梅輝美と瀧木蘭の二人で一人の小説家の瀧輝美」
深夜のファミレスをあとにした編集者と残った輝美と木蘭ことモク。二人してコーヒーを啜って煙草を喫う。
「あのボンの事、堪忍なあ」
「仕方ないでしょ、ああするしかなかったんじゃない……」
「……」
「……私も何か食べる」
「よっしゃ、食お食お」
編集者に渡したポルノめいた小説で、賛否両論あったのはまた別の話。