旅館⑨
廊下に出るとちょうど翡翠も外に出てきたところだった。
「翡翠さん!!」
「どうかなさいましたか?」
かなめは先程の音が気になって翡翠に尋ねてみた。
「屋根裏でカリカリって音がしませんでしたか?」
「屋根裏ですか? 私は気が付きませんでしたが……」
「そうですか……翡翠さんの部屋の方へ移動していったような気がしたんですけど……」
「鼠か何かではないでしょうか? 随分山深いところですから」
「先生は何か感じますか……?」
かなめは意を決して恐る恐る尋ねた。
「さあな……」
そう言って卜部は階段へ向かって進んでいってしまった。
一階の受付から奥に伸びる廊下を進むとそこが座敷になっており大宴会場と小宴会場の札も掲げられていた。
水鏡は小宴会場の襖から顔を出して手招きした。
「さささ!! こっちですよ!!」
招きに応じて小宴会場に入ると、すぐに料理が運ばれてきた。
女将の千鶴と若女将の千代が常磐色の作務衣を着た二人の中居を引き連れて手際よく配膳していく。
「こちらのお肉は地元産の黒毛和牛になっております。こちらでお焼きになってお召し上がりください」
そう言って女将は霜降りの肉が乗った皿を御膳にそっと置いた。鉄板代わりの陶器の下には固形燃料が備えられている。
その他にも蒸篭に入った薄切りの霜降り和牛と野菜ときのこ……固形燃料で煮えた鍋には美しい金色の出汁が湯気を上げていた。
小鉢には角の立った刺し身が盛られ、山菜の天ぷらがあり、金粉が封じ込められた美しい煮凝りがあり……
かなめは眼の前に並んだ色とりどりのご馳走を見てゴクリと生唾を飲んだ。そして卜部の方を見た。
卜部もちらりとかなめに目をやると小さく頷いた。
「さささ!! 堅苦しいのは無用です!! お代わりや追加も自由にしちゃってください!!」
こうして豪華絢爛な晩餐が幕を開けた。
「んぅううううううまいっ!! おいひいですぅ!!」
かなめは霜降りのしゃぶしゃぶをピンク色に仕上げて一気に頬張ると卜部の太ももを叩きながら叫んだ。
「かなめちゃん、いい食べっぷりだね!! 喜んでくれて嬉しいよ」
水鏡は霜降りの焼肉を頬張りながらかなめを指さした。
「最高です! ね! 先生」
卜部も肉を口に運びながら頷く。
「女将さーん!! お酒も持って来てー! 上等な奴を頼むよー!!」
水鏡が叫ぶとはーいと声がして見たことも無い日本酒が運ばれてきた。
「ほう……」
卜部はそれをしげしげと眺める。
「先生もお酒飲むんですか?」
かなめが驚いて尋ねた。
「なんだ? 俺が飲んだら駄目なのか?」
「そんなことないですけど……意外というか……」
「ままま!! いいじゃないですか!! 皆で飲みましょう!!」
水鏡は卜部にどんどん酒を注いだ。そのせいもあってか卜部も徐々に上機嫌になっていった。
かなめと翡翠も頬を桃色に染めながら、お互いに偏屈な上司を持って苦労するねとクスクスと笑いながら過去にあった《《大変談義》》に花を咲かせていた。
「おい鈴木ぃ。お前、霊媒師なのに肉なんか食っていいのか?」
顔を赤くした卜部が箸で水鏡を指しながら意地悪な笑みを浮かべて言う。
「嫌だなぁ〜。僕なんて何食べても変わらない生臭霊媒師ですよぉ。先生こそこんなに飲んでお肉も食べちゃって大丈夫なんですか?」
水鏡も赤ら顔で卜部に酒を注ぎながら答えた。
「ああ。この前のプールの一件で俺の《《気》》はスッカラカンだからな。今は何をやっても同じだ」
空になった盃をコンと机に叩きつけて卜部が不敵に笑った。
「おかわり」
「へ、へへ、そ、そうですか……」
卜部の盃に酒を注ぐ水鏡の顔は真っ青になり、その手は小さく震えている。
かなめはそれを見てどうやら大変なことになったぞと悟った。
卜部は波々と注がれた盃をぐっと飲み干して一言うまいと呟いた。




