プール㉘
深夜のプールに覆面パトカーに乗った一人の男が到着した。歳は五十を過ぎたくらいだろうか。
男は車を停めると目を細め暗闇に屹立する建物を見てため息をつく。まるで灰色の棺のようだ。
卜部の言う通り正面玄関の鍵は開いているようだった。
持ってきた懐中電灯で館内図を照らし経路を確認すると、男はまっすぐプールへと歩みを進める。
重たい扉を開くとそこには血まみれの卜部と助手のかなめ、鼻の無い女、汚物まみれで横たわる男の姿があった。
「まったく最低な現場だな……」
男は禿げ上がった頭頂部をぽりぽりと掻きながらもう一方の手を腰に当てた。
「同感だ。助かったよ。張さん」
「何が同感だよ! まったくややっこしい案件ばかり押し付けやがって!」
卜部を恨めしそうに睨んで男は叫んだ。男の名は泉谷張といった。若い頃は《《鬼の張さん》》の異名で恐れられていたらしい。今では温厚な一課の刑事である。
「それはお互い様だ。言いっこ無しだぜ」
卜部は初老の刑事に向かってニヤリと笑ってみせた。泉谷は手のひらで目を覆ってため息をつく。
「で? そこに倒れてるのがホシってわけかい?」
「ああ。そいつが婦女暴行に盗撮やら恐喝をやってた。それを問い詰めたらトチ狂ってこちらの女性の鼻を噛みちぎった。錯乱したのか泡を吹いて倒れてそのざまだ」
泉谷は目を細めて反町ミサキを見つめた。ミサキはとっさに目をそらす。
「はぁ……《《そういうこと》》だな」
「ああ。《《そういうこと》》だ」
「事情聴取するから、全員署まで来てもらうよ。ああ……この状態じゃ無理か……まずは救急車だな……」
「俺と亀は大丈夫だ。そっちの二人を頼む。亀、証拠のカメラを張さんに」
「亀じゃありません。かなめです!」
そう言ってかなめは刑事にカメラを渡した。汚れたビニールに入ったカメラを泉谷は顔をしかめて受け取った。
「じゃあ、あんたら二人は聴取の日程が決まったらこっちから連絡するからな」
「面倒だから無しにしてくれてもいいんだぜ」
「バカ野郎! さっさと行きやがれ!」
卜部はくくと笑うとかなめに目配せしてプールを後にした。かなめは振り返ってミサキと泉谷にぺこりと頭を下げると、小走りで卜部の後を追って暗い廊下の闇へと消えていった。
ピピピピピ……ピピピピピ
泉谷の携帯が鳴った。
「もしもし。なんだ?」
「言い忘れてたが、プールに張った結界は朝まで解かないほうがいい」
「なんだと!? おい!!」
「ツーツーツー……」
手に持った赤い紐を見つめて刑事はため息をついた。ちょうどその時、救急車のサイレンが聞こえてきたので、男は頭を振ってその場を後にした。
「おぎゃあ……」
どこかで赤ん坊の泣く声が聞こえた気がした。
プール 完
プールの事件ファイルはコチラから
https://kakuyomu.jp/works/16817139555499753150
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次回からは新章「水鏡案件その壱」が始まります。




