山下邦夫の話⑫
「誰だお前!! 依子じゃないな!?」
山下は半狂乱で叫んだが身体の自由は効かないままだった。
「心霊解決センターの万亀山です……!」
かなめは山下を取り押さえたまま静かにそう言った。
「あいつの助手か!? 離せ! 俺はあの女を殺しに行くんだ……邪魔するな!」
山下が叫ぶと部屋中から低い男の声が聞こえてきた。
殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
「え……!?」
かなめは急に恐ろしくなってあたりを見回した。
すると部屋には黒い影のような男達が溢れて、殺せと、殺せと、呪詛の詞を繰り返している。
山下はかなめの拘束が緩んだ隙にかなめを突き飛ばして包丁をまっすぐかなめに向けて一歩一歩かなめに躙り寄っていった。
「こ、来ないで……!」
「うるさい……こうなったら、お前も道連れにしてやる……! あの陰険な霊媒師もな……!」
その時だった。
パーン! 突然部屋に手を叩く乾いた音がこだまする。
すると先程までいた黒い男たちは弾けるように消えて、山下の後ろに立つ人影一人だけになった。
「先生!」
かなめが叫ぶとそこには卜部が立っていた。
「山下邦夫。俺との約束はどうした?」
卜部は鋭い目つきで山下を睨みながら冷徹に言い放つ。
「う、うるさい!! 俺はあの女を殺しに行くんだ!! お前に邪魔される筋合いはない!!」
「確かにそれはお前の勝手だ。だが俺も仕事なんでな。山下邦夫から依頼を受けてる。妻と娘を失いたくないとな」
「黙れ!! 俺が山下邦夫だ!!」山下は叫びながら包丁を両手でしっかり握って、卜部に突っ込んでいった。
「先生!」
叫ぶかなめを左手で制して、卜部は一言だけつぶやいた。
「指切った」
卜部のつぶやいた声は、山下の絶叫にかき消されることなく響いた。卜部の口から出たそれは、言葉ではなく呪だった。
山下はそれを聞くとぎゃっと小さく叫んでうずくまった。床には出刃包丁がごとりと音を立てて転がった。山下は震えながら自分の両手を見つめた。そこには赤黒く染まった十本の指が見えた。
卜部は山下の方に歩いていくと、山下の背後にこびり付いていた黒い人影を掴んで山下から引き剥がした。すると断末魔のような叫び声を上げて山下はその場に倒れこんだ。
「もしかして、死んじゃったんですか……?」
かなめがおそるおそる尋ねる。
「いや。気絶してるだけだ」
卜部は黒い人影を持ったまま手を強く打ち叩いた。すると黒い影は他の影たちと同じように弾けて消えてしまった。
「これで終わったんですか?」
「まだだ。元凶が残ってる」
卜部はそういうとシンクの上にかかった鏡の前に立った。そして小さなナイフを取り出して自分の親指を切りつけるとその血を鏡に付けた。今度はポケットから古びたコンパクトを取り出すとそれを開いて同じように鏡に自分の血を付けた。
「俺の血で繋がりを創った。お前はもう逃げられない」
卜部はそう言うとシンクの鏡とコンパクトを合わせ鏡にして何かをブツブツと唱え始めた。かなめは卜部の言葉を聞こうと耳をそばだてる。するとそれはどうやら女の人の名前のようだった。三島恭子出てこい。三島恭子出てこい。そう繰り返している。
「ぎゃああああああああああああ」
突然鏡がひび割れたかと思うと絶叫が部屋に響いた。卜部はそれを確認するとパタンとコンパクトを閉じてしまった。
「こいつが元凶の三島恭子の怨霊だ」
コンパクトを見せて卜部は言った。
「かつてここで不倫していた男の不倫相手がこの三島恭子だ。三島恭子は初めは聞き分けのいい女だったらしい。しかしどんどん不倫相手の男にのめり込んでいった。ある時から妻と別れて自分と結婚してくれと、せがむようになったらしい。男はそんな三島が煩わしくなったんだろう。不倫をやめたうえに、三島を会社から追い出したそうだ。それでも三島は諦めなかった。踏切に立っては男の帰りを待っていたそうだ」
「踏切……」
思わずかなめはつぶやいた。
卜部はわずかに頷いて続きを口にする。
「やがて三島は男の妻と家族を怨むようになった。自分が男に選ばれないのは嫁と子供がいるせいだと。三島はいわゆるストーカーになった。男はそんな三島を疎ましく思い、ついにある決断をした」
かなめはごくりと唾を飲み込んだ。恐ろしい結末が見えたからだ。
「男は三島に話があるとうそぶいて給湯室に呼び出した。三島に酒を飲ませ泥酔させると黒いコートに着替えさせ、例の踏切に運んで三島を放置した……」
「問題の女はこの世から消えて、男は平和を取り戻したかに思えた。しかしその夜から男は悪夢にうなされるようになる。カラフルなマニキュアをした三島の指が部屋中を這い回る夢だ。脳みその溢れた三島が、男に妻と子供を殺すように囁き続けた。何日も何日も何日も。やがて男は精神を病み、家族との関係は壊れていった。妻から離婚を切り出された男は逆上して妻と子を殺すと、この踏切で飛び込み自殺し、自らの命を絶った」
「それからだ。ここで不可解な事故が続き、会社は倒産。おまけに《《なぜか》》売春宿になって、家族間、夫婦間に問題を抱えた男が、たくさん訪れるようになったのは」
「三島恭子がそうなるように仕組んだってことですか……?」
「三島だけじゃない。もっと上の霊的な存在が、三島とここで起きた事件を媒体にして同じ波長を持つ人間を引き寄せてるんだ」
卜部は忌々しそうに部屋の隅を見て吐き捨てた。部屋には沈黙が流れた。
「行くぞ。かめ」
「かめじゃないです。かなめです」
二人はそう言うと山下を抱えて部屋を出た。タクシーはことのほかすぐにやってきた。運転手はあの時の運転手だ。
「本当にお二人が言うとおりになりましたねぇー! いやぁー!! びっくりですわ!!」
「いいから出せ」
「まさか本当に男が来て掴みかかってくるとは思いませんでしたよ! 霊能者は未来も見えるんですか? 見えるんなら次のレースの順位とか教えてもらえたりしませんかねぇ?」
男は相変わらずひとりで調子良く話していた。その声を聞くとかなめは現実の世界に帰ってきたような気がしてなんとなくお腹が空いてくるのだった。
山下邦夫の話 了




