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ゴミ・シリーズ

その聖女は眠らない~リリィ・アップトンと奇跡の左手~

作者: XI

*****


 五つや六つの小さかった頃、幼なじみの男の子――赤い髪のブラッドと東の森を訪れていたときのことです。ささやかな冒険心を胸に獣道を見つけて進んでいたところ、丈の短い草の合間に置かれたトラバサミに白いウサギがかかっているのを見つけました。左の後肢から激しく出血していました。あらぬ方向へと折れてもいました。とてもとても痛々しい姿でした。あらゆる生き物よりも知恵で勝る以上、どのような状況にあろうと、生殺与奪についてはニンゲンに絶対の優位性があります。そこには異論も異議も唱える余地はないのです。自然の摂理です。あたりまえの真理です。


 幼心にもそれはわかっていて――だけど私は泣いてしまいました。泣きじゃくってしまいました。ブラッドはそっと頭を撫でてくれました。彼は「連れて帰ろう」と言いました。もはや助かるはずもないであろうに治療を試みようというのです。そこに彼らしい思いやりを見ました。


 二人で少々難儀しながらもトラバサミから解放することができました。ウサギは一刻も早く逃げたいようでした。足を引きずりながらも離れようとするのです。ニンゲンが怖かったのでしょう。健気で臆病。ウサギのそんな性質に、また涙しました。私の碧い瞳からはとめどなくぽろぽろと涙が溢れ出ました。


 かわいそう。

 なんてかわいそうなの。

 何も悪いことなんて、していないに違いないのに……。


 憐れむ思いから、私はその傷に触れました。左手で触れました。「神様、どうかこの子を助けてください」と胸の内で強く願いながら。できうる限り強く強く祈りながら。すると――誰より私が驚きました。左手から透明感を帯びた乳白色の光が生じたのです。大きなものではありません。患部を覆う、ほんとうに慎ましやかな光です。柔らかな温かみに満ちていることがわかりました。包み込むような優しさを孕んでいることもわかりました。


 三十秒程度のことだったと記憶しています。

 出血は止まり、折れていた箇所は元に戻り――私は手をどけました。

 物凄く軽快にウサギがぴょんぴょん跳ねていった光景は、忘れようもありません。



*****


 私、リリィ・アップトンは、開祖の名にルーツを持つ「ザメル教」に身を捧げる、いわゆる聖女です。我が「聖国ゲフェン」は、蛮国とも称される西の「ケイロン」と長らく戦争状態にあります。私が生まれるずっと以前から兄弟喧嘩のようにして、たびたびぶつかり合っています。力の強い兄はケイロンのほうです。ゲフェンは数でも質でも遅れをとっています。勝てない戦。そう言われて久しくもあります。


 これまで多くの兵が死にました

 兵の無事を、あるいは国の勝利を祈る聖女も多く亡くなりました。


 私の母も聖女でした。

 でした――過去形です。

 母は師団長である父の部隊に従軍し、祈りつづけました。


 私が十四になったばかりの折、父の部隊は壊滅させられました。相手はなにせ蛮族です。屈強な父は過酷な拷問の末に殺されたのかもしれません。美しい母に至っては何度も何度も犯された挙句に死を見たのかもしれません。そんなふうに考えてしまうと自分をつらい目に晒すだけなのですが、それが理解できても、「その様子」を具体的に想像してしまいます。


 果てなく続く、悲哀、そして憐憫……。

 二人の無念さを思うと、どうしたってやりきれません。



*****


 私は生まれてからずっと、眠ったことがありません。世界で唯一とされる「回復魔法」を得た代償――そんなふうに周囲から言われ、私自身もきっとそうなのだと考えています。


 眠れないことが苦痛だったのでしょうか、赤子の時分はベッドに横になってもぐずってばかりだったと、亡き母から聞かされました。特に子煩悩だった父は幾人もの医者に私を診せました。不眠に効能があるとされる薬をいくつも試しました。効果が得られなかったから眠れなかったわけですが、今、両親の思いやりが胸の奥深くまで響いていることは間違いありません。掛け値なしに尊い二人の愛情は、私の中で永久に生きつづけることでしょう。



*****


 軍、ひいては国にとって、私の扱いは難しいと言えます。替えの利かない貴重な回復魔法の使い手でです。しかし、だからこそ、前線に配置せざるを得ません。一人でも多くの兵を戦線に復帰させる――それが私の役割なのです。私の場合、疲労を感じることはあっても、眠りに就くことはないので、必然、ふつうのヒトより長い時間、活動することができます。たくさん仕事ができるということです。回復魔法と眠らない身体は、私を私たらしめる象徴的な構成要素なのです。


 兵の方々からはしばしば崇められます。

 ゲフェンに勝利をもたらす神の使いだ、と。

 いつしか称号にも似た綽名を賜り、それは「奇跡のリリィ」――。


 現状、敵国ケイロンの侵攻は押しとどめることができています。兵のみなさんの身を挺したがんばりがあってこその善戦です。ですが、やはり多くの死が生まれます。私の力が及ばずに亡くなってしまう方もいらっしゃいます。目の前で命が失われてゆく様……何度見たところで慣れません。それでも、常にしゃきっとしていなければなりません。


 涙することなど決して許されない。

 いついかなるときも毅然としていなければならない。


 特異な能力を持つがゆえに受ける辛苦は、神が私のためにわざわざ用意してくださった試練。それは乗り越えるべき――いえ、乗り越えられるはずの障害であって、挫けてしまうという、言わば敗北に、直結させていい根拠にはなりえません。


 やれることは、やる。

 やれないことでも、やってみる。


 負けません。

 負けてやりません。


 私は絶対に諦めないんだと心に決めています。



*****


 兵の方が駆る早馬に乗り、「魔神の丘」と呼ばれる最前線に向かいました。ゲフェン随一の騎士とされるブラッド・スクイード伯爵が深手を負ったとの報を受けてのことでした。


 ブラッド・スクイード伯爵。

 私の幼なじみです。

 誰より大切に思い、想いつづけている男性です。


 伯爵は簡素なテントの中で、身を小さく丸くして横たわっていました。私はその惨さに立ち尽くしてしまいます。伯爵の右腕は肩から先が失われていて……。彼はウゥウゥと獣みたいに唸ります。痛みに歯を食いしばり、それから「早く治せ!」と叱りつけるように言い放ちました。「魔神の丘」は要衝中の要衝。当地を掌握したほうが戦争に勝つとも言われています。ゆえの度重なる激しい戦闘行為――。伯爵は「俺がいないと負ける!」と叫びます。そうかもしれません、きっとそうなのでしょう――というのは、なかば嘘です。冷静に思考すればそういう結論に至ります。いくら強靭な身体と精神を持つ騎士とはいえ、片腕を、しかも利き腕を失くしてしまっては、もう……。


 ――唐突に、苦しげではありますが、伯爵がふっと頬を緩められました。身体を起こし、だから私は慌てて膝をつき、伯爵の――ブラッドの背に右手を添えました。彼は「痛みは大嫌いだ。でも、痛みがあるからこそ生を実感できる」と、いよいよ微笑みました。「俺は誰よりも生きたい。頼む、リリィ。治してくれ」――。


 もちろん、治します。「でも、もう戦ってほしくない」――と、正直に伝えました。ブラッドの傷は塞がりつつあります。もちろん、腕を元に戻すことまではできません。いくら回復魔法といっても、そんなものです。限界があります。出血は止まり、「痛みも引いてきた」と言い、ブラッドは鼻の下を指でこすり、「へへっ」と笑いました。少年のあどけなさがあります。小さなときから変わらない、人懐こい笑顔です。


 しかし、すぐに険しい顔をして――「連中、“ダスト”と手を結んだらしい」と口にしました。


 “ダスト”――ヒトに仇をなす存在。

 多数のゴブリンが組織立って攻めてきたのだと言います。

 ゴブリン――尖った耳をした、野蛮で戦闘的な緑色の怪物です。

 体躯の大きさはまちまちで、三メートルに及ぶ者もいるといいます。


 ブラッドは「ゴブリンは“ダスト”だ、ヒトの敵だ、間違いない。だが、ヒトがヒトの敵となるのが戦争だ。となると、ヒトもまた“ダスト”なんだよな……」と残念そうです。私は俯くことしかできません。誰もが何もかもがゴミとなる可能性を秘めている――それが、私たちが生まれ落ちた世界の(ことわり)なのです。例外はありません。だからこそ、生きとし生けるものはみなが平等であるはずで――。


「命ある限り、俺は戦う。リリィも職務を全うしてくれ」

「や、やっぱりダメッ! 死にに行くようなものじゃない!」

「俺は俺が生きていることを確かめに行くんだよ」

「でもっ!」

「一度でいいから“掃除人”ってやつに会ってみたかったな……」


 呟くように言って、ブラッドは左手で剣を握り、テントを出ていってしまいました。

 

 “掃除人”――“ダスト”をまさに掃除する、特別な存在だと聞きます。それがほんとうなら、彼らを仲間に迎えることができれば、どれだけ心強いことでしょうか……。



*****


 このたびの「魔神の丘」における攻防戦は痛み分けに終わりました。国が決死の覚悟で派遣した魔法使いを主とした師団がうまく機能したのです。勝てはしなかったけれど、負けもしなかった。大切な事実です。睨み合いの状態が続き、一時の平和を謳歌することが、現在にあっては、じつは一番幸せなことなのかもしれません。


 ブラッドも帰還しました。「少し休める」とのことで、ある日、彼は私を連れて、思い出深い東の森へと馬を駆けさせました。隻腕となってしまったにもかかわらず、手綱さばきは達者としか言いようがありませんでした。


 私たちが幼い日にとっておきとした場所――ぽっかりと開けた空間の中央を担うまあるい泉は、木々の合間から差し込む日差しを浴びて、きらきらと輝いています。私は真白の靴を脱ぎ捨て、真白の法衣の裾を捲り上げました。フードも取り払います。ふちに座って足を泉に浸します。つんと澄ましたように冷たくて――。とても気持ちがいいので、つい顔をほころばせてしまいます。ブラッドはブーツを脱いで私の隣に座ると、「聖女には触れられない」と言いました。だから、私のほうから触れます。彼の逞しい左肩に、そっと頬を寄せました。


 それから私たちは、そっと口づけを交わし――。


 あーあぁ、「奇跡のリリィ」とキスしちゃったよ。

 ブラッドはそう言って、悪戯っぽく笑うのです。


 片腕で抱き締めてくれました。

 しがみつくようにして、抱き返します


「今夜はきみを抱いて眠る」


 私も眠ることができればいいな。

 そんなふうに思いながら、目をつむったままでいます。


 そのとき、そよ風が一つ――。


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