6 予定行動
無事に主催者への挨拶を終えた二人は、一番目立たない場所に移動した。
途中何度も話しかけられたが、リリーブランがうまく躱す。
果実水のグラスを手渡してやると、ローラは一気に飲み干した。
「そんな飲み方をしてはダメよ? 潤す程度に少しずつ口に含むものよ」
「ちっ! 飲み物一つ好きに飲めないのかよ」
「大きな声を出さないで。それでなくてもあなたは目立っているのだから」
「はいはい。ところで小用はどこに行けばいいんだ?」
「このお屋敷は確か奥の方だったと思うわ。ここを出て廊下を右にまっすぐ行って……メイドと一緒に行きなさい」
「我慢できねえよ」
「ダメよ。迷子になっては大変だから。我慢してちょうだい」
「ちっ!」
「あなた……その舌打ちの癖は直した方がいいわ。みっともなくてよ?」
そう言いながらリリーブランは、離れて控えていたメイドを手招きした。
「マリアがお花摘みしたいのですって。あなたお願いできる?」
「畏まりました。マリア様、お化粧室はこちらです」
ローラはきょとんとした。
「化粧じゃないよ?」
「承知しております。化粧室と呼ぶのです」
「なんか……いちいち面倒くせえな。気取りやがってさあ。貴族だろうが国王だろうが出すもんは出すだろ?」
リリーブランは無視することにした。
メイドに先導され会場を出たローラは、静々と滑るように歩く。
数人の男性陣が、その姿に見惚れていた。
(あいつら金持ちかな……)
そんなことを考えているなど知る由もないひとりの男がローラに話しかけた。
「美しい方。どちらへ?お庭ですか?よろしければエスコート致しましょう」
数歩先を歩いていたメイドが慌てて駆け寄った。
「申し訳ございません。こちらはマリア・エヴァンス伯爵令嬢でございます。本日初めての夜会にて、少々緊張をされておいでですので、わたくしが代わってお返事申し上げます。お嬢様は……その……化粧室に……」
「ああ、それは大変失礼いたしました。あまりの美しさに不躾にもお声を掛けてしまいましたこと、どうぞお許しください」
「ええ、申し訳ございませんでした。ロナルド公爵令息様」
メイドの後ろでゆっくりと礼をするローラ。
その姿を未練がましく見ているロナルド公爵令息。
メイドは走って逃げたいのを我慢して口を開いた。
「さあ、参りましょう。お嬢様」
適度に離れた頃、周りに人がいないことを確認したローラが言った。
「さっきのは誰だ?ロナロナ公爵令息って言ったか?」
「ロナルド公爵令息です。ロナルド家の次男の方ですわ。王宮で文官をなさっておいでです。たしか第二王子の執務室にお勤めだったと記憶しております」
「へぇ~。あんた、あの人たち全部覚えているのかい? 凄いねぇ」
メイドの自尊心がフッと顔を出した。
「全部というわけではございませんが、ほとんどの方のお顔と名前は記憶しておりますわ」
「尊敬するよ。努力したんだね。いや、ホントに凄い」
「それほどでもございません」
「公爵の次男ってことは、やっぱり金持ちなんだろうねぇ」
「ロナルド公爵様は大きな領地をお持ちですし、ご長男様もとても優秀な方と伺っております。間違いなくこの国の上位に位置するお家柄です」
「へぇぇ。そりゃあたいには一生縁がない人たちだね」
「そうですわね……さあ、こちらが化粧室です。どうぞ、お早めに」
「ああ、ありがとう」
ローラを見送ったメイドは、中の様子を伺って他に出口がないことを確認した。
もしもここでローラを見失うようなことがあれば、大変な失態となる。
メイドは化粧室の扉の前に陣取り、じっとローラが出てくるのを待った。
「悪かったね、助かったよ」
いつも悪態ばかり吐いているローラに、笑顔で話しかけられたメイドは、少しだけ気を緩めてしまった。
(本当に見た目は完璧なのに……生まれた場所のせいね。惜しいことだわ)
そう思ったが口に出さず、ローラを先導して会場に戻るために歩き出した。
問題行動を起こさないローラに、緊張感がゆるんだメイドは判断を誤る。
学園時代の友人を見つけ、立ち話をしてしまったのだ。
ローラが後ろで待っていると信じて疑わないメイドは、昔話に花を咲かせた。
少し離れた場所で大人しく待っているローラの横に、ロナルド公爵令息が立った。
「先ほどはどうも」
ローラは口を開かず、美しい笑顔だけで応じた。
メイドがちらっとこちらを見たが、話している様子の無いローラに安心して、視線を友人に戻した。
その瞬間を見逃さなかったローラが、ロナルド公爵令息に小声で話しかけた。
「お庭もきれい?」
内緒話のようなローラの声に、すっかり舞い上がった令息は、メイドに気づかれないように小声で返事をした。
「ええ、とても美しいですよ。お連れしましょうか?」
「ぜひ」
二人はそっと姿を消した。
いたずらを成功させたような連帯感を感じつつ、二人は庭に出た。
今頃あのメイドは慌てていることだろう。
戻ったら腹を下してもう一度化粧室に行ったとでも言い訳をしておこうと考えながら、ゆっくりと歩くローラ。
涼し気な色のアガパンサスが風に揺れ、どこからか甘い香りが漂ってくる。
ガサッという音を微かにとらえ、横目で確認するとイースが手を振った。
「この花は?」
「アガパンサスという花ですよ、エヴァンス伯爵令嬢」
「どうぞ……マリアと」
「マリア嬢、美しい名前だ。私のことはどうぞデリクとお呼びください」
「デリク?」
嬉しそうな顔でローラの手を握ろうとした瞬間、デリク・ロナルドの後ろに影が走った。
振り返る暇も無く、顔に布を押し当てられ、薬品を嗅がされ昏倒したデリク。
「後は任せとけ。お前は早く会場に戻れ」
「殺すんじゃないよね?」
「当たり前だ。せっかく捕まえたカモだぜ? 上手いことやるから大丈夫だ」
ローラは足早にその場を離れた。
明るい方へ進んでいくと、急に後ろから腕を掴まれた。
驚いて振り向くと、青い顔をして肩を上下させているメイドが睨みつけてきた。
「どこに行っていたのですか!」
「ああ、ごめんごめん。大人しくまってたんだけどさ、急に腹の具合が悪くなってね。化粧室に戻ったんだ。そしたら庭で何かが光って、気になって見に行ったら迷っちまった」
「……もういいです。お嬢様が心配されています。すぐに参りましょう」
「ああ、分かったよ。そう怒るなって。悪かったってばさぁ」
メイドはローラの腕を掴んだまま、夜会の会場に入って行った。
すると入り口付近でおろおろとしているリリーブランが駆け寄ってきた。
「何処に行っていたの! ダメじゃないの! あれほど言い聞かせたのに……」
「悪かったよ。腹の具合がさあ」
メイドが扇で隠しながら、リリーブランに耳打ちをした。
「まあ無事なら良かったわ。誰とも話さなかったでしょうね?」
「ああ、行く時になんとかっていう男が話しかけてきただけさ」
またメイドが耳打ちをする。
「まあ、ロナルド公爵令息が話しかけてきたの……そう……うまく躱したのなら良かったわ。今夜はもう帰りましょう。満足したでしょう?」
「もう少し居させてくれよ。人生最初で最後の事なんだからさ。上手そうな菓子もあったじゃないか。少しぐらい喰ってもいいだろ?」
「……わかったわ。ではもう少しだけ付き合いましょう。お菓子はメイドに運ばせるから座って待ちましょうね。食べ方は……小さくフォークで切って食べないとダメよ」
「煩いなぁ、ちゃんとやるさ」
ローラはイースからの合図を待ちながら、大人しくババロアやショートケーキを食べた。
「こんなに小さく切っちゃあ、味が分かんねえな」
ローラの言葉を無視して、リリーブランはシャンパンのグラスを手にした。
「なんだ?それ」
「シャンパンよ。あなたにはまだ早いわ」
「ちっ! 酒なら飲んだことくらいあるぜ?」
「あなた、本当に舌打ちするの止めなさい」
リリーブランの言葉など耳に届かないローラは、壁に掛った大時計を見た。
あれから30分以上経過している。
もう大丈夫だと判断したローラは、徐に立ち上がった。
「もう十分だ。帰ろう」
リリーブランとメイド達はホッと肩の力を抜いた。