33 マリアの人生の再開
「もうすぐ彼女の魂はここに戻ってくる。ねえ、マリア。彼女の体が動かなくなる前にやりたいことはない?」
「今は私以上にアレン様が尽くしてくださっていますが、本当は私も看病がしたいです」
「そうか……じゃあ行く?」
「戻れるのですか?」
「うん、マリアの魂はまだまだ元気だからね。ここを去ってあそこに行きたいのなら止めないけど、私はとても寂しいな」
「終わったらまたここに戻ってこられますか?」
「次は天寿を全うしてから、ちゃんと死んで魂だけで来ることになるかな」
「だったら……行きません。アース様といたいです」
「ああ……マリアは私を喜ばせる天才だ。でも本当に行きたいって思っているなら方法はあるんだよ?」
「方法? 行っても戻ってこられる方法ですか?」
「うん、今回と同じようにすればね。マリアが死んでしまう前に魂を私が抜き取るんだよ」
「でも私が行っている間、アース様は独りぼっちでしょ? 寂しいでしょ?」
「寂しいね。もしかしたら泣いてしまうかもしれない」
「だったら……やっぱり行きません」
「ごめんごめん、マリアがあまりにも可愛くて、つい揶揄ってしまうよ」
マリアが頬を膨らませて横を向いた。
その頬に手を伸ばし、マリアを抱き寄せたアースは愛おしそうにマリアの髪に口づけた。
「でもね、本当はマリアはあちらに戻っても良い時期には来ているんだよ。私が手放せなかっただけなんだ。ごめんね?」
「アース様……」
「魂っていうのはね、一度きちんと仕事を全うしないと次の輪廻に戻れない。だからね、マリアがこのまま私といると、ずっと年も取らないし死なないでしょ? それがマリアの魂にとって良いことなのかどうかって考えちゃうんだよね」
「そうなのですね……だったら一度戻って、おばあ様の看病をします。それが終わったらすぐに迎えに来てくださいませんか? 私はずっとアース様とここにいます」
「嬉しい申し出だけど、それではマリアの魂が成長できないよ? 成長できなかったらずっと同じような人生を繰り返すことになる。そんなのつまんないでしょ?」
「でも……」
「それはマリアの魂の成長を止めてしまうよね。だからマリアは、一度ちゃんと終わらせておいで。それで君が魂だけになって戻った時にどうしようか考えよう。どうかな?」
「アース様がそうしろと仰るなら従います」
「じゃあ決まりだね。というより少し急がないとあまり時間が無い。数日だけなんて悲しいでしょ? マリアのおばあ様に残された時間はあと1年も無いんだ」
「私は? 私の人生って何年ですか?」
「それはわからないさ。君がどんな人生を送るかによって変化するからね。基準年数っていうのはあるけど、確定年数は無いんだよ」
「悪い事すれば短くなりますか?」
「そうとは限らないさ。善い行いをしても短い場合もあるよ?人生年数に大きな影響を与えるのは他者だからね。君がそうだっただろう? 本当ならもっと生きられたはずなのに、あんなことに巻き込まれたからとても短くなっちゃった」
「そうですよね……」
「だからね、マリア。死ぬまで精一杯生きるしかないんだよ。できそうかな? ああ、心配だ。君は優しすぎるからねぇ。私はこの世界なら現身でいられるけれど、人の世に行くと霞でしかいられないんだ。だから君の魂には干渉できても、具体的な出来事には関われない」
「1人で頑張るってことですよね? それならみんな同じですから……」
「頑張ってみるかい?」
「はい、やっぱりおばあ様のところには行きたいです」
「うん、わかった。ではそうしよう。私も寂しいけれどマリアのために頑張るよ。幸いって言ってはアレだけど、アレンは君の顔も性格も知らないからね。今のままの姿で再会させてあげよう。でもおばあ様にはちゃんと真実を話しなさい。大丈夫だ。彼女の魂はすでに崇高の領域に達しているから、必ず理解してくれる」
「はい、頑張ってみます」
マリアはアースの力で人生にリトライすることになった。
アレンが出勤した後、マーガレットが一人になった時間帯を狙う。
マリアはアースと共にその瞬間を待ち、アースの見せてくれる画面を見ていた。
「そんなに凝視しなくても大丈夫だよ。緊張しているのかな?」
「そうですよね。緊張してるかも」
アースはマリアを抱き寄せながら頭を撫でた。
「マリアなら絶対大丈夫だよ。頑張って生きていくんだよ?」
「はい。本当にお世話になりました、アース様。大好きです」
「ははは! 私もマリアが大好きだよ。さあ、残念だけれど……時間だ」
そう言うと、アースはマリアを抱き上げ、空間の世界から消えた。
「では、いってきます。マーガレットさん」
「はい、いってらっしゃい。アレンさん」
一度振り返って手を振るアレンを、車椅子に乗って見送るマーガレット。
はた目から見ると祖母と孫のような二人は、お互いの折り合いを見つけて静かに暮らしていた。
玄関からふと空を見上げたマーガレットは呟いた。
「マリア、今日の空はあなたが大好きだった水色だわ。きれいね」
マーガレットの心の中で生き続けているマリアは17歳から成長していない。
マリアはいつも楽しそうに笑っているような娘だったと、流れゆく一筋の雲を見ながらマーガレットは思った。
「会いたいわ」
そうつぶやいたマーガレットの名を呼ぶ声が門のところから聞こえる。
「おばあ様! マーガレットおばあ様!」
ゆっくりと歩いてくる顔は確かにマリアのそれだった。
信じられないという気持ちより、嬉しさの方が強かったのだろう。
マーガレットはこの奇跡を、何の疑問も持たずに受け入れた。
「マリア……あなた……」
「おばあ様、お会いしたかったの。それでね、戻ってきちゃったの」
「そう、戻ってきたの。良かったわ……本当に良かった」
「私ね、とても上手にお茶を淹れられるようになったのよ」
「まあ! それでは久しぶりに、二人だけのお茶会をしましょうか」
「ええ、すぐに準備するわね」
マリアは驚かせてしまうだろうと不安に思っていたが、アースの言う通りすんなりと受け入れてくれたマーガレットに少し驚いた。
空間の世界で使い続けていたのと同じキッチンに立ち、お茶の準備をするマリア。
いつもアースに出していてカップを手に取り、ゆっくりと撫でた。
そのカップとマーガレット愛用のカップに紅茶を注ぎ、アレンが買ってきていたフィナンシェを乗せた皿を運ぶ。
ニコニコ笑いながらティーテーブルに座って待っているマーガレットに、マリアは涙が込み上げた。
「おばあ様、聞いてほしいことがたくさんあるの」
「ええ、そうでしょうとも。時間はあるのでしょう? ゆっくり聞かせてほしいわ」
マリアは父親とこの家を出た時のことから順番に話した。
アースに魂を引き上げられたことや、いかにアースがマリアを慈しんでくれたかなどを話すマリアの顔は幸福に満ちていた。




