18 ルーナの罪
それから2日後、珍しくメイド長が食事を運んできた。
「お着替えがないそうで?」
マリアは何も言わなかった。
「あら、ずいぶん粗末なワンピースですこと。それで? 何が必要なんですか?」
「医者を呼んでください」
「まだそんなことを言っているのですか! 奥様にはお伝えしています。お決めになるのは奥様ですから」
「そうですか」
マリアはメイド長が早く部屋から出て行くことだけを望んでいた。
医者を呼べとは言ったが、マリアの足はすでに取り返しのつかないほどの状況だった。
足首はマリアの脹脛より大きく腫れ、指で押すとぶよぶよとして戻らなくなる。
色はどす黒いままで、時々大きな腫れものができて、悪臭のする膿が出る。
足首の痛みは消えたが、足を自力で動かすことはできなくなっていた。
感覚の無い足を引き摺りながら、ベッドから動くのは食事を取りに行く時だけだ。
「あまり我儘ばかり言わないでくださいね。それにきちんと食事を提供しているのに、そんなに瘦せて。好き嫌いが多いのではありませんか?」
意味の分からない捨て台詞を残してメイド長は去って行った。
「何しに来たんだろ」
それからはまた同じような日々の繰り返しだった。
マリアは数日前から動くのがとても億劫になっていた。
シーツを切り裂いて磨いた鏡で見た自分の顔にショックを受けてからだ。
人の顔ってこれほど黒くなるのかと、自分で驚いた。
目は落ち窪み、ぎょろっとしている。
頬骨だけが目立ち、唇は枯れ木のようにカサカサだった。
とても17歳の乙女の顔ではない。
この顔を見てもメイド長は医者を寄こさなかった。
誰かの命令だろうか……マリアには何もわからない。
そして一週間ぶりの入浴の日、いつものように無言で清掃をした使用人が去ったあと、マリアを覆っていたリネンを捲って、ランドリーメイドが顔を出した。
着替えを棚に収めたその娘は、ニコニコしながらエプロンのポケットから小さなカップケーキを出した。
「厨房でいただいたんです。二つあったから、おひとついかがですか」
差し出されたカップケーキに齧り付いたマリアは、思わず涙を零してしまった。
「甘い……おいしいわ……」
「良かったです。お客様はもう少し召し上がるようにされた方が良いですよ? お顔の色も優れませんし、ずいぶん痩せすぎだと思います」
「ふふふ……そうね。そうよね。固すぎるパンと水のようなスープだけじゃダメよね……」
「失礼なことを言ったならお許しください」
「ええ、大丈夫よ。ケーキありがとうね。生き返るような思いだわ」
「そうですか? またいただいたら持ってきますね」
しかしその約束は果たされることが無かった。
二度とその娘は現れなかったのだ。
メイド長に食事のことで進言したその娘は、即日解雇を言い渡され屋敷を出されていた。
知る由もないマリアは、自分と会話をしてくれる唯一の人間の来訪を首を長くして待ち続けた。
ある日、メイドが二人部屋に入ってきてカーテンを取り外していった。
取り換えられるのかと思っていたが、代わりのカーテンが吊るされることは無かった。
次は鏡台が運び出され、その次は椅子が持っていかれた。
マリアの部屋にあるのは、シーツも無く剝き出しのマットが置かれたベッドと、椅子が無く座ることもできないライティングテーブルのみ。
入浴している間に盗まれたのか、ライトスタンドも無くなっていた。
マリアがこの屋敷に来たのは晩夏だったが、すでに秋も深まりつつある。
擦り切れて破れが目立つ夏用のブランケット1枚だけで過ごす夜は、マリアの命を確実に削っていた。
予定より半月遅れて出張から戻ったアレンは、束の間ルーナと再会を喜び合った後、すぐに執務室に入った。
年の瀬の前に歳出帳簿を提出しなくてはいけないのだ。
二か月以上に渡って不在だった執務室には、山のような書類が積まれている。
内政収支の管理は執事長に任せていたが、あいにく執事長は風邪を拗らせ休んでいた。
収支関係だし、少しは聞いていることがあるかもしれないと、ルーナを呼んだ。
「ルーナ、帳簿のことで教えて欲しいことがあるんだ」
「帰って早々なのに、お忙しいのね。聞きたいことって何かしら?」
「あの女の経費だけど、全額使い切っているんだね。いったい何を買っているんだろう。宝石? それともドレスかな。どこにも行かないのに欲深い女だな。まあ想像通りか」
「えっ……そうね……詳しくは知らないのよ。メイド長に任せているから」
「ん? あの女のことは任せてくれって言ったのは君だよね?」
「ええ、そうなんだけど……なんだか怖くて」
「ああ、凶暴な女だもの。君は近づかなくて正解だよ。メイド長に任せなさい。それと食事は別の献立なのかい? えらく食費が掛ってるようだが」
「同じものだと聞いているわよ? メイド長に確認しましょうか?」
「ああ、一応第二王子の出費だから、詳細な報告が必要なんだ。それにしても騎士の一年分の給与を三か月で使い果たすなんて恐れ入るねぇ。君がそんな女でなくて良かったよ」
「えっ! 第二王子のお金なの?」
「そうだよ。言ってなかった? ああ、執事にだけ言ったのかな。ん? そのネックレス、とても素敵だね。君に良く似合っている」
「あ……ああ、これ……は、母に……そうよ、母に貰ったの」
「凄いねぇ、それってブルーダイヤだろ? 子爵家に臨時収入でもあったのかな」
「ええっと……たぶん古いものよ? リメイクしたとか言ってたわ」
「そうなの? リメイクか。賢いやり方だね。うん、本当に良く似合う。あの女にもそのくらいの賢さがあれば良いんだけど」
「あ……あの……それで? 他にも聞きたいことがあるの?」
「いや、後は執事が復帰したら聞くよ。急いでいるわけでは無いのだけれど、急に宰相が金は足りているかと聞くものだから」
「ああ、そうなの……でもなぜ第二王子殿下があの方の経費を?」
「これは言ってただろ? 第二王子殿下の公妾だからね。国費予算は組めないさ」
「そうだったかしら……、ああ、そうよね。聞いたわね。でも殿下は会いにも来られないものだから、てっきり捨てられたのかと思っていたわ」
「いや、そうじゃないよ。殿下は今王宮を出られないんだ」
「そうだったの……いずれは来られるのよね?」
「たぶんね。ああ、そう言えばあの女が来てもうすぐ三か月だ。来週には王宮の医者が診察に来るからね」
「えっ! お医者様が?」
「うん、そうだけど……どうした?」
「いいえ、何でもないわ。お部屋を整えておかなくちゃって思って……」
「これだけの予算を使っているんだ。さぞ豪華な家具に入れ替えているんだろ?」
「そうね……ええ、きっとそうよね」
不思議そうな顔をするアレンに愛想笑いを残してルーナは執務室を出た。
激しい動悸で眩暈を起こしそうになるのを必死で耐えて、メイド長のもとに向かった。
ルーナが犯した最初の罪は『気づいているけど見ない振り』することだ。
そして次が『何を言っても無視』だったが、今のルーナは『共犯者』だ。
絶対にアレンに知られてはいけない。
そう考えたルーナは両手を握りしめてメイド長を探した。
「拙い! 拙い拙い拙い!」
ルーナは叫びだしたいほどの焦燥に駆られた。




