誕生日
胸が苦しい。どんどんと呼吸の間隔が狭くなり息がしづらい。あまりの苦しさから助けを求めて手を伸ばしたそのとき――
目が覚めた。
いまだに苦しい胸を押さえながらぜえぜえと吐く息を落ち着かせるために深く息をする。落ち着いたころには胸の苦しみはなくなっていたが、額に残る玉のような汗が頬をひやりと伝う感覚に、先ほどまで胸の痛みがあったことを確かにする。
「なんだったんだ」
寝起きにもかかわらずいやにはっきりした頭で考えに耽っていると、ギギギッという音を立て扉が開かれる。
「あらアイン、もう起きたのね。おはよう」
「えっ、あっ、おはよう母さん」
「ふふっ、こんなに早く起きるなんて、誕生日だから浮かれているのかしら?」
からかってくる母さんの言葉に少し顔を熱くする。
「違うよ。なんとなく目が覚めただけで別に」
「ふふふ、じゃあご飯の準備してあるから、早く着替えて降りてくるのよ」
「もう、子ども扱いしないでよ。今日で15歳なんだから」
にこにこで去っていく母を横目に先ほどの言葉を反芻する。
「誕生日、15、15歳か……」
別に浮かれているわけではない、断じて浮かれているわけではないのだが、15歳というのは成人を迎えるということでもある。ちょっとばかし口角が上がってしまうのも仕方ないだろう。
「さてと」
僕はベッドから跳ね起き、寝巻から着替え一階へと降りると、香ばしい小麦のにおいが鼻を通り抜ける。
そこには水とパン、スープがあった。
「やっと来たのね、アイン」
「やっとって、そんなに時間かかってないでしょ母さん。今日のご飯もおいしそうだね」
「あら当然よ、でも今夜のごはんは特別よ。なん立った今日はアインの15回目の誕生日なんだから」
「は、ははは」
これじゃ僕より浮かれているんじゃないか?
浮足立つ母さんに苦笑いで相槌を打つ。
すると母さんは何かを思い出したかのよう手を強く打つ。
「いけない、今日は早めにお仕事に行かなくちゃいけないんだった。アインもほら、冷める前に食べましょう」
「ああ、もう、ちょっと、せかさないでよ」
母さんは僕の肩に手をのせぐいぐいと押し席に座らせると、自分の席に着き朝食を詰め込む。急ぎすぎたのかゴホッゴホッとせき込み急いでコップに入った水を飲みこむ。
相変わらずの母の様子に少し顔を引きつらせながらスープに口をつける。
「それじゃ行ってくるわね。今日はのんびりしてなさい。普段やってる家事もやらなくていいからね」
「そういうわけにはいかないよ。洗濯物や洗い物をそのままにしておくわけにはいけないし、それこそそれに使う水瓶の水も少なくなってるから井戸に汲みにいかなくちゃ」
「もう、誕生日くらいのんびりしたらいいのに。だいたいアインはいつもいつも――」
「あーはいはいわかりました、わかりました。ほどほどに済ましたらゆっくりするから。ほら、仕事行かないといけないんでしょ、いってらっしゃい」
「あ、もう。じゃいってくるわ」
母さんを家から追い出し扉を閉じる。
外からは不満げな母のため息の後と元気な返事が返ってきた。
食べ終わった朝食を片付けると、水瓶の水がなくなってしまった。
村の井戸に水を汲みに行くと文字通り井戸端会議しているおばs、んんっ、お姉さんたちに話しかけられた。
「あらアインちゃんおはよう、水汲みご苦労さま」
「おはようございます」
「そういえば、今日はアインちゃんの誕生日じゃなかったかしら」
「あらあらそうなの、何歳になるんだったかしら」
「今日で15になります」
「あらそれじゃ今日で成人ね、あんなに小さかったアインちゃんが時間が過ぎるのは早いわね」
「そうね、でもよかったわ。女手一つで子育てなんて大変だったでしょうに」
「ちょっと奥さん」
「あら、悪気はないのよ気にしないで」
「いえ、大丈夫です。それじゃ失礼します」
母さんは15年前、赤ん坊の僕を連れてこの村に戻ってきたらしい。最初はいろいろあったみたいだけど、僕が幼いころは貯えを切り崩して、6歳になって家の手伝いを始めるころは村の仕事を始めて、僕を育ててくれた。
父さんは僕が生まれてすぐ死んでしまったらしい。父さんは世界に10基ある塔に登り、そこに存在する魔物を倒して得られる素材や、そこで拾えるお宝を売る仕事をしていたらしい。その塔は試練の塔と言われ、それに挑む人を挑戦者と呼び、全ての塔を登りきるとありとあらゆる願いが叶い、巨万の富を得られるとも、最強の力が手に入るともいわれている。
母さんも元々は挑戦者で、塔に挑んでる最中に父さんと出会い恋人になったらしい。子供、つまりは僕ができて母さんは挑戦者を引退した。僕が生まれて、これからもっと稼いで来なくちゃな、と意気込んで塔へ向かっていったが、いつまでたっても父さんは帰ってくることはなかったそうだ。
父さんのことを話す母さんは少し寂しそうだったけど、挑戦者だった父さんがすごくかっこよかったことと愛していることが伝わってきた。
そんな父さんの話を子供のころから聞かされてきたので、ちょっとばかし挑戦者に憧れがある。
でも、挑戦者になりたいって母さんに言ったら、どう思うんだろう……。
家に帰り水瓶に水を移し掃除を始める。うちには、居間と台所、母と僕のそれぞれの部屋、客間があるからなかなか大変だ。
この村でほかに客間があるのは村長の家くらいなのに、なんでうちにもあるんだろう。
そんなことを考えながら掃除を終わらせて、のんびりと過ごしていると母さんが大きな荷物をもって帰ってきた。
「ただいまっと」
「お帰り母さん、どうしたのその荷物」
「ふっふっふ、じゃーん」
母さんは荷物を机に置くと、包んでいた袋をばっと広げた。そこには、大きな塊肉があった。
「どうしたのこれ」
「今晩のごはんのホワイトオークミールよ、アインの誕生日に合わせて届くように用意してもらってたの」
塔からはいろんな食材もとれる。この村は塔のある町から離れているから、少し高くはあるが魔物肉も売られているし、猪や兎といった動物の肉も売られている。普段の食事で肉が出てくること自体は珍しくない。
しかし、ホワイトオークミールとなると話が違う。時期によるが普通のオーク肉の2倍ほどで、一時期高騰したときは5倍の値が付いたことから、値が落ち着いた今でもホワイトオークミールといえば高級肉というイメージがついている。
「ホワイトオークミール!?高かったんじゃない。それにほかにもいろんな野菜とかもあるし」
「いいのよ、今日は特別なんだから、気にしない気にしない。ほら準備するから待ってて。」
母さんは肉や野菜をもってキッチンへと向う。
椅子に座って少し待っていると、肉を焼く香ばしいにおいが漂ってくる。その香りに待ちきれずにそわそわしてると母さんがキッチンから顔を出す。
「できたわよ~。ステーキとシチューにしてみました」
そういってテーブルに料理が並べられていく。生まれて初めて見るご馳走にあふれるよだれを押さえる。
「おいしいといいんだけれど」
「もう見ただけでわかる、絶対おいしいよ早く食べよう」
「はいはい、それじゃあどいうぞ」
母さんが席に座ると同時にステーキを切り始める。すっと入るナイフがいかに柔らかい肉かということをありありと示している。ゆっくりと口に運び歯でかんだ瞬間にあふれ出る油がとても甘い。あまりのおいしさに放心しかけたが、必死にとどまりシチューを飲むためにスプーンをつかむ。とろとろのスープに浮かぶ肉と野菜を同時にすくい口に運ぶ。具材から出たうまみとコクが舌に絡みつき、肉も野菜もほろほろと崩れ落ちる。のどを通り胃に落ちる温かさが一日の疲れをいやしてくれる。
恍惚な表情を浮かべ食べ進めていくといつの間にか皿の上が空になっていた。
「い、いつの間に」
「おかわりもあるわよ」
「おかわりっ」
あまりのおいしさに夢中になってしまって少し恥ずかしかったが、それ以上に食欲が勝りおかわりを頼む。
それからは母さんと今日あったことについて話しながら食事を楽しんだ。
主人公のアインの名前の由来は、「無」を意味する「Ain」からきています。
セフィロトについて多少調べればいろいろわかると思いますが、この作品は中途半端な知識、拡大に拡大しきった解釈、混ざりに混ざった神話や童話をあくまで参考にしながら作っているので。正しくない部分も多々あると思いますが、気にしないでください。
何もないアインが何を得るのか、楽しく読んでいただけると幸いです。