(決められた約束はきちんとはたされる)
お父さんは本当に、彼女を殺すつもりだろうか?
いや――
そんなことは、疑問に思うまでもなかった。お父さんは間違いなく、彼女を殺すだろう。ノートに彼女のことを書くというのは、そういうことだった。今までずっと、そうだったみたいに。
ノートに書かれているのは今のところ、彼女についての基本的な情報だけだった。〈名前、年齢、住所、身長、体重……〉〈足に怪我をしたこと、血液型、今までにかかった病気……〉
それは、いつものお父さんのノートの書き方と同じだった。情報は次第に緻密になっていく。一日の行動パターンや、個人的なスケジュール、よく行く場所や、習慣的な行為、本人も気づかないような癖の一つ一つ。観察はゆっくり、着実に増えていく。
現在、ノートにはぼくの知っているのと大差のないことしか書かれていなかった。過去の通例からいって、情報収集は大体一ヶ月ほど続けられるのが普通だった。それから、具体的な計画が立てられはじめ、様々な可能性についての考察や、細部の問題検討が行われる。
殺害が実行されるのは、二ヶ月から半年といったあいだのはずだった。
もちろん、それが今回もあてはまるとはかぎらない。何かの理由で計画の前倒しや――断念が行われないとは。
でもきっと、お父さんにかぎってそれはないだろう。お父さんは焦りもしなければ、諦めもしない。植物が暗闇の中で根をのばして、見えない速さで枝をのばすみたいに、決められた約束はきちんとはたされるのだ。
ぼくは、どうすべきだろうか――?
お父さんの次の目的が彼女であることは、間違いなかった。ノートに書かれた内容は、他人の空似ですますにはあまりに無理がある。そんなのは、タイプライターで適当に文字を打っていたらハムレットになった、というのと同じくらいバカげていた。
――彼女の殺害を防ぐ方法は、いくつかあった。
一番簡単で確実なのは、お父さんを告発することだった。前にも考えたとおり、それがもっとも手っとり早い。証拠になるノートを持って、警察に保護を求める。あとは捜査関係者がうまくやってくれるだろう。死体や、いくつかの物証だって発見できるはずだ。
でも、これも前に考えたとおり、ぼくはそんなことをするつもりはなかった。お父さんが捕まっても、それですべてが丸く収まるわけじゃない。ぼくはひどく面倒で厄介な立場にひきずりこまれることになるし、それは永遠に続いていく。そんなのは、絶対にごめんだった。
だとすると、方法としてはお父さんを捕まえるのではなく、お父さんに殺害を諦めさせる、というのが現実的なようだった。
これなら、実質的には何の問題も起こらない。秘密は守られ、彼女も守られる。ぼくは今までどおりに生活を続け、地球は明日もまわり続ける。
そのためには、お父さんを脅迫する必要があった。
ノートのことを曝露し、殺害を中止するよう勧告する。そうしない時は、警察に訴える。ぼくは本気だ。ノートはぼくの手元にあって隠している。お父さんが承知しなければ、それは自動的に警察の手に渡る――
でもこれには、いくつかの問題点があった。
まず、お父さんが脅しに乗るかどうかがわからない。下手をすると、お父さんはぼくのことまで殺してしまうかもしれない。その可能性は否定できない。そうなったら、ぼくはきっとぼくの身を守れないだろう。
それに、都合よくノートを隠しておくのも難しかった。誰かに預かってもらうべきだろうか。でも、一体誰に? ぼくにそんな便利な知りあいはいないし、うまいアイデアも思いつかない。
結局のところ、お父さんを諦めさせるのは、お父さんを捕まえるのと同じくらい厄介なことだった。細部の予想ができないし、不確定な要素が多すぎる。何だか、お父さんはぼくの思ってもいない行動をとりそうだった。
――彼女を守る方法としては、もう一つある。
それは、彼女に自分の身を守ってもらうことだった。彼女にすべてを白状してしまう。お父さんが人殺しだということ、彼女が狙われているということ、このままだと確実に殺されてしまうということ。
でもそれでどうなるかは、ほかの方法と同じくらい不確かだし、気が進まなかった。彼女は笑って本気にしないかもしれない。あるいは信じたとしても、お父さんのことを捕まえるべきだと言うかもしれない。
それはどちらも、ぼくの望むような状況じゃなかった。
現状では、ぼくはすべてを解決するようなうまい手を思いつけないでいる。
けれど――
そもそも、どうしてぼくは彼女を死なせたくないなんて思っているんだろうか?