悲恋
「なんで……」
引き攣った声が出た。
床一面に流れる銀色の髪が徐々に赤色に染まっていく。
その様を望んだ癖に、いざ目の前に突き付けられると、
混乱しているなんて、
「なんで、」
――いや、違う。
俺が取り乱しているのは、そんなことじゃない。
「なんで、」
刃物を突き刺した状態で、俺は彼女を見下ろしていた。
同様に、彼女は俺を見返していた。
その顔は何故か、
「なんで……っ、なんで笑っていられるんですか!!」
笑っていた。
血が滲み出て、辛そうに顔を歪ませながら、
それでもいつものように笑っていた。
その微笑みが、どうしようもなく俺を混乱させた。
「怖くないんですか! 憎くないんですか!」
一方で、彼女が少しでも動けば、刃物を握る手に力が入る。
「貴方は俺に殺されるようとしているのに!」
言葉と行動が全然噛み合わない。
行動は彼女を殺そうとし、言葉は彼女の死を嘆いている。
――ふと、思った。
行動自体は確かに『如月勇人』のものだが、
言葉の主導権はまるで、別人が乗り移ったような感覚だった。
今、話しているのは紛れもなく、
「俺は貴方との約束を守らなかったのに!」
勇者自身のものだった。
「勇人様」
名前を呼ばれて、我に返る。
「まだ世界が崩壊するまで時間があります」
相手を諭すような、落ち着いた声音だった。
「ですから、」
聖女の微笑みを浮かべながら、彼女は言った。
「私の話を、聞いてくれませんか?」
* * *
突如、それは起きた。
『……え?』
私の前から、人が消えた。
『神父様?』
聖女を保護し、監視する役目を帯びた神父様。
直前まで話していた筈の神父様が、瞬きする間もなく掻き消えた。
神父だけではない。
足が鎖で繋がれていたとしても、外の音は聞こえてくる。
賑やかで、楽しそうで、遠い音。
その音が一気に無音へと切り替わる。
『…………え?』
呆然と立ち尽くし、何が起きたか分からない。
ただこれだけは何故か分かった。
私はこの日、たった一人で世界に取り残された。
鎖で繋がれた状態で、教会に置き去りにされた私は、一人祈りを捧げていた。
そうしなければいけない気がした。
祈りを捧げている最中も、全て無音のまま。
何日経ったのか、数えることなく、ただ一心不乱に祈りばかり捧げる日々。
不思議と、空腹感を覚えることなく、祈りに集中していた。
そこからすでにおかしかったのだ。
何日も経っていれば、そのまま餓死したとしてもおかしくない。
にもかかわらず、異常だと思うことなく、
私は教会に居続けていた。
すると、突然、教会の扉が開いた。
久しぶりに聞く、人の足音だった。
思わず振り返れば、そこにいたのは、
『貴方が、聖女様?』
『……ええ、そうです』
自分と全く同じ顔をした少女が一人、立っていた。
――ああ、そうか。
『貴方は、九条梓ですね?』
知らない誰かの名前が分かった。
『私の名は、聖女』
驚きは自然と溶けていく。
『またの名を、睡眠過剰症候群。その根源』
次はこの人が新しい宿主なのだと意識が芽生えた。
天啓と呼ぶべきかもしれない。
『初めまして、九条梓様』
次はこの人を眠りに就かせなければならないと気が付いた。
『どのようなご用件でしょうか?』
微笑みをもって、私は彼女を出迎えた。
――この日、私は初めて自分が病気の根源だと自覚した。
* * *
「何も知りませんでした」
ぽつりと、彼女は呟いた。
「自分の過去を疑うことなく、私は聖女なのだと思っていました」
世界を救済する為、存在する存在。
「ですが、私の役目は人を守る為ではなく、人を殺める為のものだった」
それでも祈りを捧げたのは、役目を放棄するわけにもいかない。
やめてしまえば、何の為の存在だったのか分からなくなってしまう。
本能に近い強迫観念に突き動かされ、世界の為に祈りを捧げた。
すると、教会の外から人の声は一人、また一人と増えていく。
病原菌の声が増える度に、安心感を覚えていった。
「彼等はあくまで自身を人だと認識していた」
宿主が切り替われば、大元は自身が病気だと自覚する。
それ以外は全て宿主の世界を構築する為の駒であり、自覚する必要もない。
大元が自覚するのは、新しい宿主の世界を構築し、世界を存続させる為の、
本能を呼び覚ます為ではないか。
「あくまで私の仮説ですが」
「……何故」
自嘲気味に付け加える彼女に向って、俺は自然と口を開いた。
「何故、俺にそんなことを教えてくれるのですか」
仮説と称しているが、根源自身が語る事実など聞いたことがない。
この情報を現実に持ち帰れば、病気の構造を解明する糸口になるのでないか。
空想妄想と片づけられるかもしれないが、
それでも大した進歩じゃないのか。
だが、同時に疑問が残る。
「俺たちにとって、貴方の『仮説』は僥倖と言ってもいい」
「……」
「だけど、貴方にとってはそうじゃない」
彼女は睡眠過剰症候群そのものであり、根源である。
病気を解明することは、病気自身にとても不都合なのではないか。
「聞きたいことがあったからです」
虚空を見つめる彼女の目に、俺の姿が映った。
「聞きたいこと?」
「はい」
力なく頷きながら、何の感情も宿らない瞳に射抜かれた。
「勇人様、貴方はこの世界を何だと思いましたか?」
「え……」
「空想だと仰いました。妄想だとも」
「……ええ」
「ですが、この世界は確かに存在していた」
「……」
「私を含めて、貴方は数え切れない程の『人』の命を奪っていった」
「……」
「たった一人を助ける為に」
彼女は『聖女』だった。
今、病気の根源でなく、世界を守る為の存在として問いかける。
「私達は確かに存在していた」
「……」
「そんな私達の命を奪ってまで、価値あるものはありますか?」
――世界の敵だった。
『魔女』の時と同様に、『如月勇人』は世界を壊すだけの『敵対者』だった。
そこに味方は誰もいない。
対峙する聖女を前に、『如月勇人』は口を開いた。
「――それでも」
刃物を持つ手に力が入る。
「それでも俺は貴方を殺す」
流れる血に顔を歪めそうになりながら、はっきりと断言した。
「だから、」
「……もう、いいです」
彼女は頭を振った。
「分かりましたから」
刹那、ガラスの割れる音がした。
「……え?」
幻想的な光景だった。
彼女の体に罅が入り、ガラスの破片が散らばるように、
バラバラと散っていく。
「潮時ですね」
彼女から流れた血さえも、光に呑まれて消えていく。
「勇人様、お別れの時間のようです」
「…………」
「勇人様?」
何も言えなかった。
言える気もしなかった。
「何故泣かれているのですか?」
泣いていることすら自覚していなかった。
「勇人様」
頬を撫でる指先が、目の前でパリンと割れて消えていく。
「貴方が悲しむ必要はありません」
何も言えなかった。
「貴方自身が仰っていたじゃないですか」
「……?」
「貴方が好きなのは私ではありません」
儚げに微笑む彼女の頬に罅が入る。
「私も同じです」
彼女の目は愛おしげに誰かを見ていた。
「私が好きだったのは……」
その誰かが誰なのか気づいた瞬間、
「勇者様だったのですから」
微笑みと共に、彼女は消えていった。
「聖女様……?」
世界が崩れていく。
「……っ」
後にはもう、何も残らない。
「う……」
それでも、『俺』は、
「う、ああああああああああああああああああああああ!!」
慟哭のような叫びを響かせた。
物語の主人公達が悲劇を回避する。その為に生まれる悲劇がある。
その悲劇の主役は案外、主人公達の『敵対者』側だったりする。
今回はそんなお話になっています。何か突き刺さるものがあれば幸いです。




