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エピローグ

 風香の希望で、俺は久しく夜に家を空けた。


 七夕祭りの時以来、だろうか。あれを夜と言って良いか分からないが、それ以来だったとすれば約四か月ぶりだ。


 高校生で二十三時以降の外出は違法で、今出たらその時間まで帰らない事になるだろうが、そんな事を咎めるのはお巡りさんくらいのものだ。


 そうして向かう先は、姉さんの営む喫茶店、アルカナだった。


 アルカナは駅の近くにあって、夜間帯にはバーとなる。


「それにしても、こんな時間に出たいなんてどうしたんだ?」


「……私だって、火遊びに興味くらいあるんですよ?」


「好奇心は猫を殺すんだぞ」


「猫じゃないので大丈夫ですね」


「……まあ、いいけどな」


 全く褒められた事ではないし、本当は咎めるべきなのだろうが、不思議とそんな気分にならなかった俺は、風香をアルカナへ案内していた。


 静かな夜の道。駅へ近付くのにつれて少しずつ辺りが明るくなっていくのは、この時間に特徴的な楽しみだろう。


 外観的特徴はレミニスと近い雰囲気のある店。その扉を開けると、抑揚の小さい姉さんの声が俺達を迎えた。


 そして、すぐさま怪訝な視線で俺を睨むようにしてきた。


 何故連れてきた、とでも言いたげだ。姉さんは七夕祭りの時のことを少しばかり負い目に感じている様で、やりにくいのだとボヤいていた。と、マスターから聞いた。


 相変わらずというか何というか、この手の精神的な嫌がらせには余念が無い。まあ、それはお互い様だろうが。


「……目つきの悪いのは生まれつきだ」


「何も言ってないでしょう」


「目は口ほどに物を言う。……なるほど。用があるのは翔じゃないのか」


「はい。まあ、用という程の事では無いですけど」


「……とりあえず、注文を聞こう」


「俺はコーヒーで」


「私は……ドラゴンフライを」


「ふむ……年齢を確認できるものは?」


「家に忘れました」


「……おいおい」


「……忘れたなら仕方ない。そういう日もあるだろうさ」


 それは大人としてどうなのだろう。


 いや、確かに俺も風香もそれと分かるような加工はしていないし、パッと見は問題無さそうに映るだろう。


 身長なんかは個人差があるし、顔立ちもそうだ。誤魔化しが利く。


 それに、風香は特にそうだが、仕草や雰囲気が大人びて見えるから、この時間のバーに居るという事自体も説得力を助けて、傍目には決して未成年などとは思われまい。


 ただ、そういう問題ではないだろうとツッコミを入れてやりたいところではあった。勿論、そんな事をすれば目立つのは自明であるから、口に出しはしないが。


 姉さんも、いつのまにかカウンターの向こうで何やら始めているし。まさか本気で出すつもりだろうか。


 なんて考えていると、風香が俺の肩に手を添えて、吐息の声で耳をくすぐる。


「お持ち帰りしてください、先輩」


「……酔わなかったら?」


「酔わなくても、酔いますから」


「……介抱なら、してもいい」


「はい。ではそれで」


 持ち帰るも何も泊まりに来ているだろうに。などという野暮な事は言わない。


 そういうのは心の中に留めておけば良いのだ。


 それに、純粋に魅力的な誘いでもあった。


「そうしていると、随分と大人に見えるね」


 姉さんがコーヒーとドラゴンフライを俺達の前に置きながら微かに笑う。


 ただし、目元は笑っていなかった。風香に鋭い眼光を向けている。


「……借りは返した、という事でいいのかな?」


「そういうことです。貸したつもりもありませんし、勝手に負い目に感じられているのも居心地が悪いですから、この辺りで清算しておくのがお互いの為でしょう」


「分かった。それで良いならそうしよう。私としても楽だ」


 なるほど、と俺は思った。


 つまり、風香は俺を誘いたいが為にそれが必要で、ただそれは不法行為であるから、貸し借りの清算という形で一度だけ何も言わずに、という事だろう。


 不法行為とはいえ、お互いに口を割れない形であるから、問題にはならないだろうが。


 賢い女って怖いな。目的の為なら手段を択ばない。背筋に冷たいものが走った。


「……コーヒーにしておいてよかったな」


「冷たいものを飲む気分ではなくなりましたか?」


「……まあ、そういう事だ」


 一度は関係が壊れかけたあの一件以来、風香の、察する能力、とでもいうのだろうか、鋭さが随分と増してきたように思う。まだ本気で隠そうと思えば隠せるが、こうして気を抜いていると些細な事で内心や思考を気取られたりする。


 一体何の影響だろう。


 まあ、今更風香に知られて困るような事も、踏み込まれたくない部分もそれ程無いのだが。強いて言うなら、その場その場で思った事を隠しておきたい事がある、くらいだろうか。それだって大した合理性も無い男の意地のようなものでしかない。


 そして、それだけ知っていても一向に俺から離れようとする気配が無い辺り、風香も随分と物好きである。この話をしたところ風香には、先輩に言われたくはないです、と返されたが。


 ゆっくりと風香がグラスを傾けた。極々自然に。当然そこに注がれているのはドラゴンフライ。そういう名前のカクテルだから、つまり酒である。ジンベースだからそこそこ強いのではないだろうか。


 大した量ではないが、もしかすると本当に潰れてしまうかもしれない。それはそれで風香の目的は果たされるのだろうが。


「あ、美味しいですね」


「……それは良かったよ」


 姉さんが、何とも言えない表情で言った。


 まあ、状況を考えれば仕方のない事だろう。


 しかし全く違和感が無いのがかえって違和感になっているという珍しい状況だ。


 他の客から疑いを持たれるという事が無いのは幸いだった。


 堂々としていれば、思いの外バレないものだ。単純に他の客に興味など無い、というだけかもしれないが。


 まあ、どちらにせよ助かる事に変わりは無かった。


 風香がふと、そういえば、と切り出す。


「バーと言えば、創作ではよく見ますけど、あれって実際にあるんですか?」


「あれ、というと?」


「あちらのお客様からです、ってやつか」


「先輩、流石ですね」


 私の事がよく分かってますね、とでも言う様に微笑んだ。


「あぁ、それか。確かに、創作では見るかもしれないけど、現実には無いね。海外ならどうか分からないが、現代日本では貸し借りの意識が強すぎる……と、私が言うのも変な話だが」


「無いんですか……」


 風香が明らかに落胆するのが分かった。人の事は言えない程度に風香も妙なところでミーハーである。


「いやまあ、知り合い同士で面白がってやる事は無いとも限らないらしいけどね。うちで見た事は無い」


「なるほど。この店の雰囲気には合いそうだと思ったけど、確かにネタ半分で出来る感じではないな……」


「そういうことだ」


 アルカナはモダンでシックな落ち着いた雰囲気の店だ。特に夜間はその色が強くなる。


 それと、姉さんが冗談の通じ無さそうなタイプに見えるというのもあるだろう。実際は割とその手のジョークが好きらしいのだが、無表情なのが祟って勘違いされているらしい。


「それに結局、ああいうのは創作上のことにしておいた方が良い、というのもあるだろうね」


「あぁ……それは、確かに。現実には無いからこそ創作物を有り難がっているところはありますね」


「まあ、ありふれた事ならわざわざ書く意味は薄いからな。創作に限らず」


「伝記とかですか?」


「あぁ。何だってそうだけど、珍しいから価値があるんだ。誉れがあるから語られる。教訓になるから残される」


「違いないね。ただまあ、現実問題特別な事ばかりに価値がある訳でも無いという矛盾も抱えているが。いや、特別な物ばかりを教え伝えた結果かな?人間が当たり前の大切さを忘れてしまったから、その意識は今とても重要視されている」


「当たり前で大切な物、ですか……。確かに、あまり普段から意識してはいないかもしれません」


「柔らかく言えば、欲しい物と必要な物って事さ。手に入れたものはそこにあって当然になってしまいがちで、欲しい物ばかり輝いて見える。それに執着せずとも生きられるようになったというだけで、昔から人間の本質は何も変わってはいないのさ」


「隣の芝生か」


「私は……先輩だけが、ずっと特別なままですよ?」


「え?あ、あぁ……俺も同じ気持ちだけど……」


 俺が言葉尻をすぼめたのには、一応理由がある。


「……惚気話なら帰ってやってくれ」


 予想はしていたが、やはりこうなった。


 姉さんは浮いた話が大好物であるが、惚気話は苦手なのである。


 人間関係がどう転ぶか分からない状態というのが面白くて堪らないらしい。というと、性悪みたいだが、別に他人の不幸を願っている訳ではないのだ。純粋に、興味を引くのだという。


「……じゃあ、帰りましょうか?」


 誘う様に溢した風香の言葉に視線を合わせると、その手元のグラスがもう空いていた事に気付く。


「……酔ったか?」


「はい」


「普通、酔ってる奴は酔ってるとは言わないんだがね」


「……じゃあ、酔ってません」


 俺は、その鮮やかな手のひら返しに思わず笑ってしまった。


「分かった。じゃあ、俺達はこの辺で」


「……次は二十歳になってから来なさい」


「分かってます」


 風香が不貞腐れた様に俺を睨んだ。


 いつまでも煮え切らない先輩が悪いんですからね、とでも言いたげに。


 ただ、まあ。


 この時間に風香がアルカナへ行きたいと言った時点で、俺はこの後の事を考えていたのだ。


 その読み通り、家に着いた俺達は熱く肌を重ね合った。


 激しく求め合って、心の穴を埋め合うように快楽に溺れた。


 風香がなんだか少し申し訳無さそうな顔をしていたのも、俺が『痛い思いをさせなくて済んで良かった』と言うと小さく微笑んでくれた。


 感極まって目尻に涙を浮かべていたくらいだが、見なかった事にしておいた。


 一晩中、抱き合って、愛し合った。


 そして、そんな風に体を貪り合える事が、互いに互いを信じられるようになってきたという証明にもなっていた。

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