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被虐の少女の手記  作者: シリアス大好きマン
8/8

8

 世界は、これほどにも美しかったのか。

 水無月は日の光を全身に浴びながら歓喜に震えた。

 これほど気持ちの良い日を迎えたのはいったい何年ぶりだろうか。

 空気が最高に美味しい。これだけで三日間は生きることができる気すらするほど。なんて馬鹿なことを考えつつ、水無月は目を細めて異層のある方向を眺めた。

 そこにはもうゼレステアの扉はない。Wothは跡形もなく消えて、満天の青空が広がっている。

 もう一度大きく深呼吸し、たっぷりと光を浴びた水無月はベランダから室内に戻ると、優雅にマナがストローで飲み物を啜っていた。

「何飲んでるの?」

「りんごジュースだよ。水無月も飲むかい?」

「うーん、今はいいや」

 マナはリビングでくつろぎながらテレビを観ている。知らないキャスターがニュースを読み上げ、それについてゲストが討論する番組だ。

『先日、突然Wothが消失しました。大きな爆発音とともに消えたのです。一般人が撮影した動画をご覧いただきましょう』

 そこで映像が切り替わり、空が映される。

 普段は動かざること山の如しだったWothがぐにゃりぐにゃりと伸縮を繰り返したあと、突如地面から生じた爆発に飲み込まれ、映像は白に染まり、収まるとそこには田舎にも負けないほど美しい星空が広がっていた。

 動画は終わり、スタジオに映像が戻る。

『現在政府が原因を調査中とのことです。また、大鳳究とその仲間が消息を立っていることから、これは魔法が絡んでいるのではないかとの声も上がっています』

 端で何度も同じ動画が再生される。

 そして次にゲストがコメントする番になって、口々に意見を述べる。ひょろ長い男性だ。〇〇大学名誉教授のテロップが下に表示される。

『まずわかることはひとつ。あの忌々しい渦を消すことができたということです。密かにある種の観光スポットとなっていましたが、見ていると異層による被害を思い出してしまうといった人はとても多いのが事実。これは懸念がひとつ消えた、ということで、喜ばしいことです』

 用意されていた水をがぶがぶと飲み干し、キャスターは次のゲストにコメントを求める。

 求められたのは五十代前半の女性だ。

『もしあれが魔法で起こった爆発というのならば危惧するべきです。それだけの力を持っているのですから。私はWothの消失は……あまりいい気はしませんね。むしろ魔法使いから「こんなことだってできる」というアピールのではないかしら?』

 世間の反応はいまいちだ。

 水無月は黙って最後までゲストたちのコメントに耳を傾ける。

 魔法はまだ危険視されている。能代が命をかけて閉じた扉……それでもこの程度なのだ。きっと一週間ほどすれば何事もなかったように日常は戻ってくるだろう。

 だが、いい。水無月はそう思った。

 大きな変化というのはそれなりに時間がかかる。水無月は魔法を認めてもらおうと活動する気はない。今は、この小さな幸せを噛みしめることが大事なのだから。

 マナがズズズ、とりんごジュースを飲み干す。

 胸から焔が上がり、三頭の狼が現れてマナに身体を預け、ゆっくりと目を閉じる。身体は大きなくせに、こうなると可愛い子犬のようだ。

 村雨の腹を毛並みに沿って流れるように撫でると、片目だけ開いて、高く鳴いてもっとと言わんばかりに腹を差し出す。

「能代くん、まだ帰ってこないかな……」

「……ちゃんと帰ってくるよ。帰る家なんてここしかないしね。それに――ね」

 つい溢れてしまった心配。

 すぐにマナからの返答が返ってくる。一瞥され、その意味を理解した水無月は僅かに頬を朱色に染めながら「そうだよね」と空いた手でマナの手を握る。

「――お姉ちゃん」

「なんだい、水無月。愛の告白ならいつでも聞いてあげるとも。式はいつあげる? 場所は? 新婚旅行はどこがいい?」

「もう、そんなのじゃないってば。この呼び方、私だって恥ずかしいんだから」

「ボクはウェルカムだよ」

「そんなこと言うんだー。じゃあもう皐月ちゃんに戻すよー?」

「それだけはやめておくれ。お姉ちゃん泣いちゃうから」

 よよよ、と嘘泣きまで始めたマナに水無月はこれ以上の追撃をやめた。

 村雨の身体が温かい。窓から射す日差しもちょうどいいくらい温かく、夏とはまるで思えない。マナも瞼が下りそうになりつつも、眠気との攻防に耐えていたが、とうとう狼たちの温かさに負け眠りに落ちてしまう。

 当然それを見せつけられると水無月も眠くなってきた。

 指が自分の桜色の唇に触れる。

 あの日のキスの感触、まだ色濃く残っている。なんだか嬉しい反面、数日経ったのに未だ鮮明に覚えている自分は変態なのかと考えてしまう。こういうものなのか? こういうもののはず。はずだよね⁉

 マナに尋ねようとしたが、すでに寝ているし、きっと真木に対して激しい嫉妬を抱かせるだけだ。だからやめておこう。そうなると尋ねる人が真木しかいなくなってしまった。

 ピュアすぎる水無月は悶々とすることしかできず、しだいに眠気に身を任せ始める。

「まだかな…………」

 その言葉を最後に、水無月は夢の世界へと飛び立った。


 気がつけば夜中だった。

 村雨の身体にだらしなく涎を垂らしていた水無月は誰にも見つからないうちに袖で拭き取り、こっそりと顔を上げた。マナはすでに横にはおらず、白露に時雨もいない。

 テーブルには夕食が並べられていて、その美味しそうな匂いに脚が自然と動いた。椅子に座り、その正体を知る。

「オムライスだ。ふたりとも寝てたからな。時間的に俺が作っておいた」

 キッチンから姿を現したのは真木だ。最愛の少年との再会に、水無月は無意識のうちに彼の胸に吸い込まれていた。

「み、水無月……別に半日くらい出掛けてただけじゃないか」

「そんなの関係ないの」

 たっぷりと熱い抱擁を交わす。力強く抱きしめる水無月に満更でもない真木は、大人しく受け入れた。いつもこれだ。ハグすることが非常に大好きらしい。なぜかと訊いても「安心できるから」という。

「おーおー今すぐ離れなさい真木。でないと熱すぎて超新星爆発が起きるかそれともボクが真木の下半身を――」

「これは俺は悪くないだろ⁉」

「ふん……まあ、いいけど。水無月もずっと『まだかな』って言ってたし。それで収穫は?」

「それは……嬉しいな。ああ、ちゃんといい物件見つけたよ」

 ポケットから一枚のチラシを差し出す。ハグしたままの水無月はそのままで、マナと確認する。

 前の真木の家よりはひと回り小さいが、生活するには特に問題はなさそうだ。真木はマナの家に居候している身だ。アパートが大鳳たちに破壊されてしまったため、家なき子の状態だ。保険はきちんと承認され、夏休み明けからの大学生後期には間に合わせなければならない。そのための物件探しに今日は出掛けていた。

 真木のボロボロだった身体は無事に生還したが、予断を許さない状況だ。マナの治療のおかげで一命をとりとめたが、二か月ほどの安静を言い渡された。といっても激しい運動、魔法を使わないこと。真木は別に普段から魔法を使うつもりなどないから気にする必要のないことだ。しかしこの数日で大幅に体力の低下した真木にはこの外出はもってこいだった。

「よかったね。これで真木は一人暮らしに戻れるわけだ。これでボクも安心して水無月とこの愛の巣で……」

「え? 私は能代くんと住むつもりだけど」

「え?」

「え?」

「……え? は?」

 出会ってから初めて一番殺意のある眼差しに貫かれ、真木は潰れたカエルのような声を出した。

「いやぁ……その……水無月が一方的に、な……?」

「ちょっと、村雨。こいつどう思う?」

 ギルティ! ギルティ! 

 そう言っているようで、「さすが村雨、わかってる」と顎下をなでる。

「マナの家のすぐ目の前だし! 会おうと思ったらいつでも会えるし、な?」

 腑に落ちないマナは無言でぺしぺしと真木の脇腹をつつき、遺憾を示す。

 揉めている間にせっかく真木が料理したオムライスが覚めてしまう。当然水無月はマナとの時間も大事にしたいと考えている。でもふたりを天秤にかけると……この結果をマナに伝えてしまったら間違いなく真木の下半身が可愛そうなことになるから黙っておく。

「はやく食べようよ。私もう、お腹ペコペコだよー」

 これ来たと、ようやくべったり密着から解放された真木は水無月の助け舟に乗って、マナから逃げるように席に着いた。

「ご飯食べてからにしよう、その辺の話は。能代くんだって久々の運動で疲れただろうし」

 水無月の鶴の一声に、とうとうマナが折れる。「水無月とくっつくことは認めるけど、認めたわけじゃないから」と支離滅裂な警告と伝えてしぶしぶと席に着いた。数時間前までは空気を吸うだけで満足していた水無月は、今度はこのオムライスの匂いだけで満足してしまう。食事がただの食事でしかなかった水無月にとって、これを楽しむという心の余裕はなかった。

 ……だが今は。真木に助けられた日からは違う。

「いただきます」

 と声が重なり、三人が夕食を食べ始める。

 もう、手の不自由もない。被虐に耐え忍んだ身体は治った。傷跡もキレイに消えて、これまで傷付くことに何の躊躇いもなかったことが恥ずかしいくらいに自分の身体を大事にしている。

 手記は捨て、過去との因縁を捨てた。未来へ生きることに目を向ける。真木と一緒なら、たとえどんな困難だろうと乗り超えられる。そう信じて疑わない。

 そしてオムライスを口に運んだ水無月は口にケチャップがついたまま言うのだ。

「うん、美味しい!」

 と。

 ――その笑顔は、今までの中で最高のものだった。


これで終わりです。

ありがとうございました。

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