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被虐の少女の手記  作者: シリアス大好きマン
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 家はなくなった。

 公嗣は一般人だ。大学に通うため、一人暮らしをしてまだ半年ほどしか経っていないと言っていたが、やはり愛着が湧くもの。寂しそうな目をしていたから、皐月は彼と水無月を住処に案内することにした。というよりするしかなかった。

 所属していた機関から与えられた小さな家。一階建てで、複数人が住むことを前提としていない家だ。

 公嗣はこれだし、水無月はもとより流浪人だ。寝泊まりする場所が無ければ話にならない。

 不本意極まりないが同室につっこんだ二人を優しく見守り、もぞもぞと布団に入ったところで皐月は自室に戻った。

 布団は自分の分しかない。だからふたりはくっついて寝てもらうことになる。実に不本意だが、水無月から聞いた活躍っぷりから許してやることにした。

 皐月自身は机に突っ伏して寝るつもりだ。

 ふたりに訊きたいことは山ほどあるが、今日はもう、いい。日本とアメリカが組んでいたという予想外の出来事に、深淵と呼ばれるバケモノの奇襲。よくぞ生還できたものだ。

 机の明かりだけそのままで、部屋の明かりは消す。あとは腕を机の上に乗せて、顔を伏せればOKだ。

 シンプルな呼び出し音が鳴る。隅に置いた携帯がぶるぶると震えている。

 僅かに首の角度を変え、画面に表示された文字を見る。

「あ、れ……お母さんか」

 こんな時間に珍しい。もう深夜を迎えようとしているのに、早寝をモットーとしている母がかけてくるのは。

 だらしない姿勢で寝ていた皐月は背筋を伸ばし、電話に出た。

「もしもし、お母さん?」

 向こうから返事はない。

「お母さーん?」

 やはり返事はない。

「ボクをからかっているの?」

 妙だ。

 それでも返事がないことに皐月は違和感を覚えた。もしかして間違えてかけてしまったのかもしれない。母は機械音痴だから、まだ操作に慣れていないのだろう。

 そう思って切断ボタンを押そうとした瞬間、明らかに母のものではない声が聞こえた。

「どなどなどーなーどーなー……荷馬車が揺れるよー……」



 ◆



「能代君」

「は、はい……」

「私、怒ってるの」

「そうです、か……」

「なんでかわかる?」

「わかりませ……いえわかります!」

 水無月の顔が近い。狭い布団の中で向かい合っているせいで吐息が俺の鼻をくすぐる。鼻先がむずかゆい。

「でもまず言わないとだね。……ありがとう。私を助けてくれて」

「――――ああ」

 ごく短絡的なやりとり。

 とても短い言葉だが、その中にある重みは十分伝わった。

「どうして能代くんは私のためにそこまで頑張ろうとするの? わかってはいるんだけど、何もあそこまで」

 水無月が悲しげな表情を浮かべる。

 夜の帳、窓から僅かに差す月光が水無月の顔を照らす。その愛しくて、決して失われてはいけない彼女に見惚れる。あの時と同じだ。

 よく、わかる。俺のしたことは。なんて無茶なことをしたのだろう。あの時の弾ける思考。燃える想い。それと照らし合わせると後悔することなどひとつもない。

「水無月が好きだからだ」

「――――へ?」

 目をぱちくりとさせる水無月。あまりに突然の言葉で、一気に顔が真っ赤に染まった水無月は咄嗟に布団で顔を隠した後、いそいそと目だけを俺に向ける。俺だって顔面トマト状態だ。昔インフルエンザにかかった時でもこんなに身体が熱く感じることはなかった。

「お、俺は水無月が好きだ」

「ぁ……ああうん! そうだね!!」

 自分でもなぜかわからないがもう一度言ってしまった。こういう経験は皆無だからどうしたらいいかわからない。なんとか次を紡ごうと必死になって口から出たのがこれだ。ほら見ろ、水無月も緊張しきってテンションが空回りしている。俺の先祖が見たら「あちゃー」と目を手で覆うこと間違いなしだ。

 うぶでダメダメで知識のない残念な俺は手を伸ばす。

「ひゃわっ⁉ えっえっ」

 ……間違えた!

 確信する。こういう時は手を握ったほうがいいのではという勝手な考えに従ってしまった。

「……」

「……」

「…………」

「…………。えっと……能代君?」

 フリーズした頭。水無月の呼びかけに再起動する。

「その、私は……その……なんて言えばいいのかな」

 なんて不甲斐ない告白だ。

 目を瞑り、大きく息を吐く。

 次に開かれると、水無月はもう緊張していなかった。真剣な目。黒より黒い瞳は俺を捉えて離さない。

 今度は布団で顔を隠すことなく、俺を見る。

「――ありがとう。私を好きになってくれて。私も能代君のこと、好き。でもこれが恋愛的なものなのか、わからない。恋愛は理屈じゃないもんね。それに私は……うん、私は応える資格がない」

「資格がないって……どういう意味だ?」

「私の目的は扉を閉じること。そして第二の目的は……私が死ぬこと」

「いや……何、言ってるんだよ」

「私は本気だよ?」

「――――」

「ごめんね、なんか。せっかく告白してくれたのにこんなこと言うなんて。ダメだなぁ私は」

 あははと寂しそうに微笑む。

 俺はすぐに何かを言い返してやることができなかった。五分ほど沈黙が流れ、口にできても「なんで?」と訊くことしかできなかった。

「皆が私のこと、世界を救った奴だって言ってたよね? あれは本当。前に私は悪性から世界を救った。で、その時の爪痕が異層と空にある扉。だからその落とし前をつけるの。でも私も悪性に目覚める。その前に死ぬの。誰にも迷惑をかけないように」

「悪性に目覚めるって……なんでだよ」

「……まあ、色々背負っちゃったから、かな。それでも私を好きでいてくれる? やめたほうがいいよ?」

 水無月は死ななければならない? 到底受け入れがたい告白に俺はまた反応できなくなる。

 手は繋がれたままだ。ひんやりと冷たい水無月の手。まるで死んでいるようでいかに『人間離れ』しているのかを垣間見た気がする。

 水無月が立ち上がる。

 目を細めながら俺に微笑むと、しゅるる、と服を脱いだ。それを俺はやめさせようとするのは無粋だと思い、ごくりと喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

 下着姿になった水無月は……月光を逆光にした水無月の身体は、見るも無残だった。

 ――傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。傷跡。

 肩から腰に伸びた引っ掻き傷。

 右の脇腹に残る痛々しい火傷の跡。

 まだ完全に塞がれていない太腿の抉れた跡。

 右肩を何かに貫かれた跡。

 腎部に目立つ、死んだ肌。

 拙い手術でもされたような、胸からヘソの上まで汚く斬られた跡。

 探し出せばきりがない。それほど痛めつけられた肉体だった。

「……どう?」

「――――これ、は」

「幻滅したでしょ? 見ての通り私の身体はこんなにもボロボロ。能代くんだって、汚れきった女の子より、もっと可愛くて、もっと幸せで、もっともっと綺麗な女の子のほうがいいでしょう?」

 その笑みは誰に向けられているのか。俺か? 自分にか? 自嘲か。

 いったいどれだけ痛めつけられるとこんな身体になるのか、俺には検討もつかない。三ヶ月くらい? もしかするとそんな甘い期間ではなく、年単位で拷問じみたことをされていたのかもしれない。

 人は外見が九割という。俺はこの意見を強く支持している。水無月への一目惚れだって、今思えば無意識のうちに下心だってあっただろう。

 だが今は違う。

 水無月咲という少女を知ることができた。すべてを知ることができた。出会ってまだ数日しか経っていないが、俺はきっと、その間に水無月に十分に惹かれたのだ。

 命を助けてもらった恩返しがしたい。から、水無月を守ってやりたい。に。

 立ち上がる。

 水無月は怖がっている。必死に紛らわそうと俺を見つめているが、握りしめた拳が僅かに震えているのを俺は見逃さない。

 何と言われるのか。水無月が怖かっているのはそこだ。俺と水無月の一世一代の告白。どっちが重いのかというと言うまでもない。

「水無月」

「……うん」

「俺は水無月が好きだ。どれだけ自分を卑下しても、俺は水無月を好きでいる」

 抱きしめる。

「……ぁ。ぁ」

 抵抗する素振りはなかった。抱きしめることでわかったが、水無月は拳だけでなく、身体が大きく震えていた。

 か細い声を漏らした水無月はしだいに安心しきって震えを止めた。今度は水無月が腕を伸ばして俺の身体を抱きしめる。

「ありがとう……私、頑張るから。負けないから。悪性なんかに負けないから。私は能代くんを命をかけて守る。だから私のこと、守ってくれる?」

「なにバカなこと言ってるんだよ」

 水無月の華奢な身体をさらに抱き締める。すると水無月も俺を強く抱きしめ返す。

「守ってみせるよ、水無月」

 顔を合わせ、ついに唇が重なる。

 初めてのキスはレモンの味だとかよく言われているが、そんな味はしなかった。どこまでいってもだらしない俺が味を感じるほど冷静ではなかった。ただ、ふわっと柔らかい感覚があった。

 水無月の冷えきった身体が、じんわりと暖かくなった。



 ◆



「……地獄にすら行けないね、ボクは」

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