10-6
「高瀬先輩だ!」
わたしは立ち上がって、その窓の下まで寄った。でも窓の高さはわたしの身長を越えている。とても出られないし、窓も開かないから声も届かない。でも動いて気配だけでも察してもらえないかな。
飛び跳ねてみたり手を振ったりしてみて、気がついた。
高瀬先輩は美術室の中の何かに夢中だ。窓の外なんてさっぱり見やしない。やっぱり窓開けて呼ばないとだめだ。慌てて放置されていた机を窓際まで持っていってよじ登ってみた。そこでまた動きでアピールしてみたけどだめだ。
「梅乃ちゃん。なんか無駄っぽいよ。そんなところで跳ねたら危ないし」
一成君に呼びかけられて、わたしは飛び跳ねるのをやめて高瀬先輩を見つめた。高瀬先輩はその部屋の中を見ているがために、外には背を向け続けている。
誰かと話しているんだとわたしが気がつくのと、その誰かが姿を見せたのは同時だった。
「麗香先生!」
……なんで麗香先生があんなところにいるんだ!?
今日退院で、家に帰って安静にしてなきゃいけないんじゃないの?
まったく意味がわからなくてわたしはアピールするのも止めてぽかんと二人を見守るだけだ。
困ったような顔で美術室の中から高瀬先輩の隣まで麗香先生が歩いてくる。麗香先生が気がついてくれればいいなと思ったけど、よくよく考えれば明るい美術室からこの真っ暗な倉庫の中なんて見えるわけが無い。
あれ?高瀬先輩は、熊井先輩と倉庫の掃除をしているんじゃなかったっけ?熊井先輩を疑うわけじゃないけど、その掃除って……本当に存在していた仕事なんだろうか。
「何話しているのかな」
「なんか深刻そうだけど……」
コンタクトをいれていてもわたしの視力は一成君には適わない。一成君には二人の表情まで見えているのだろう。ついでに読唇術とかできないかな。
窓際で二人は話していたけれど、まるで何かを急に断ち切るようにして麗香先生は身を翻した。高瀬先輩は手を伸ばして麗香先生を捕まえようとしたけれど、するりとかわして彼女は美術室を出て行ってしまった。
気になる!
「ええー今の何かな!」
「何かって……そりゃ高瀬先輩が薬師寺先生に迫ってふられたとしか見られないだろう」
たしかにそうとしか見えなかったけど、でも。
「そんなの困る!」
わたしは怒鳴った。
机の上に立っているわたしを見上げて、一成君はその勢いに首をかしげていた。
「どうしたの」
「ああもー、どうして麗香先生、そんなに高瀬先輩が嫌なの!」
「え、梅乃ちゃん。高瀬先輩応援していたんだ……」
「するよ、だって高瀬先輩、麗香先生をすごく好きなんだもん。そりゃ見た目はヘリウムガスだけど、中身はまあまあいい人なのに……!こんなことになるなら、春のうちにもうちょっと応援しておくんだった……」
「……どういうこと?」
「梓が、理事長と麗香先生をくっつけようとしているの。また、たち悪いことに、麗香先生はわたしと梓がつきあったらいいと思っているし!」
「どうしてまた……あー、やっぱり梓先生は、梅乃ちゃんを好きだったんだ。やっぱりね、だから梅乃ちゃんが理事長好きなのは具合が悪いんだ、なるほど」
「そうなの!超信じられないことすると思わな……!」
わたしは勢い余って喋りすぎた口を慌てて閉じた。梓がわたしを好きとか何とか言っていることは伏せておこうと思ったのに……。
「梅乃ちゃん、もてるなあ。そして人間関係難しいね。蓮と梓先生は梅乃ちゃんが大好きで、梅乃ちゃんは理事長が好き。前、梓先生を好きだった薬師寺先生は、今は梓先生を応援していて、その薬師寺先生を好きな高瀬先輩は、梅乃ちゃんが蓮とくっつけばおもしろいのにとか思っていると。そして梓先生は手段を選ばず、薬師寺先生と理事長をくっつけようとしているんだ」
「ひどいよね、特に梓!」
「……俺もその容赦のなさを見習わないといけないな……」
何!?
「すごい。俺も考えはしたけどそこまではできなかった。梓先生の歳くらいになれば、俺にもできるようになるんだろうか」
「将来の夢にしないでね、それ」
でも確かに理事長が誰か別の人を好きになってくれたらいろいろ都合いいよな、とか呟いている一成君が、いままでのどんなときよりも敵に見える……!
「もー、一成君、親友の蓮を応援するのはいいけど、たまにはわたしのことも応援してよ!」
わたしも一成君の友達じゃん、と抗議したらなぜか一成君はわたしから目をそらした。
「……別に蓮のためなんかじゃないし」
じゃあ、誰のためじゃー!
「ま、それはそうと、そこから下りなよ梅乃ちゃん。高瀬先輩も美術室を出ていってしまったみたいだし」
外を見てみると気がついたら美術室の電気が消えていた。高瀬先輩の姿も当然ない。結局ここから出る助けにもならなくてわたしはため息を一つついて、机から下りようとした。けど。
「あ」
わたしは軽く声を上げただけだけど、それは悲鳴を上げる余裕がなかったからだ。暗くて足元が良く見えず、わたしは思い切り机から足をふみはずした。
「梅乃ちゃん!」
わたしの代わりみたいにわーって叫んで、受け止めてくれたのは一成君だった。でも衝撃全てを支えることはできなくて、二人してほこりっぽい床に転がった。わたしも肩口を床にぶつけて思い切り息を飲んだけど、床とわたしに挟まれる形になった一成君の低いうめき声が聞こえた。
「っ……いて」
わたしを抱え込んだまま一成君は眉をひそめた。なんでこんな暗い部屋でそれが見えたかと言おうと、距離がものすごく近いからだ。一成君の整った顔に頬ずりできちゃうほど近い。ひょー、まつ毛長い!少しよこせ!
「……梅乃ちゃん、あんた結構粗忽者だろ」
「ご、ごめん。えへへー」
一成君が苦しそうにため息をついたのでわたしは慌てて上から退こうとした。が、わたしを抱きとめているままの一成君の手が、腰と背中から離れない。
「い、一成君?」
「まあ、あの、そんな慌てなくてオッケー」
闇の中、一成君の目は凄く真剣だった。口調は軽いんだけど、視線はわたしに刺さるほど。
「だってわたし重いし」
「……えーと、その……ああ、温かい!うん、そんなに梅乃ちゃん重くもないし、くっついていると温かいから、まだどかなくていいし」
「やっぱり、寒かったんだ」
わたしは一成君がさっき気をつかってくれたことがありがたいような申し訳ないような気になってうつむく。と。
「……ああくそ、だめだ、俺。蓮すまん!」
まるでわたしを突き飛ばすみたいにして、いきなり一成君は身を起した。その勢いに今度はわたしが床にしりもちをついてしまう。
「あたた……」
「ああ、ごめん梅乃ちゃん!ごめん!でもやっぱりくっついているのは良くないもんな、ごめん!」
……一成君が挙動不審なのだが。
いや、王子様の行動には必ず何か意味があるんだ、疑うな。
民草にはわけ分からん言動でも、やんごとない人々にとってはオーライなんだよね、きっと。
しかし、王子の奇行はちょっとまだ続いている。わたしからまた距離をとって壁の前に座り込むとぶつぶつ呟いている。ご乱心だ!
「蓮は高瀬先輩だし、梓先生は理事長と薬師寺先生だし、みんな味方がまともでほんとうらやましいよ。俺なんて面白がられているとしか思えないっつーの、わさび大福みたいなことしやがって……ほんとムカつくわ、熊井鉄治……」
わさび大福か……なにされたんだかわからないけど、確かに熊井先輩のやることはそんな感じだ。
と、急に電気がついた。
「おーい、誰かいるのか」
「いますよ!」
熊井先輩の声にわたしと一成君は同時に声をあげた。古くてすりへった鍵を開ける音がして、ようやくドアが開いた。
「ごめんごめん、ここに久賀院さんと王理がいるって説明してなかったから、鍵持っていたヤツが間違えて閉めちゃったみたいでさ」
「寒かったですよ、熊井先輩!」
「いやーごめんねえ、僕としたことが」
なぜか熊井先輩は上機嫌の上、満面の笑顔だった。なにの一成君は何かの仇みたいに熊井先輩をにらんでいる。
「でもおかげで片付いたみたいだしね、ありがとう助かったよ」
とりあえずわたしと一成君はそのホコリっぽい部屋からでた。鍵をちゃらちゃら鳴らして歩く熊井先輩の後を追う。
「閉じ込めちゃってごめんねえ。お詫びに久賀院さんにはお菓子買ってあげるね」
「もー、そんなんじゃごまかされませんよ!一成君も寒くてかわいそうだったんですから」
「あ、王理?」
熊井先輩は振り返った。
「王理は商品引き換えみたいなものだからねえ。むしろこっちがお礼もらわなきゃねえ」
「え?」
「王理」
熊井先輩はあの大輪の花のような笑顔を一成君に向けた。
「据えられた膳をどうするかは当人の自由だから、そこまで僕は関知しないけど。なあ王理」
「……人に据えられなくても、本気になったら自分でなんとかできます。見くびらないで下さい」
「せっかく手伝ってやったのに」
「思いつきでやんなよ!味方するならちゃんと打ち合わせぐらいしろー!」
珍しく怒っている顔を隠しもしないで一成君は言う。しかし、いったい熊井先輩の言葉のどこが逆鱗なのかはよくわからない。
高貴な方の神経はやっぱり普通とは違うのだな、うむ。
「あ、そう。まあ王理は可愛くないところが可愛いよね。高瀬とはまた違った感じでいじりがいがあるなあ。残念だ、僕はあと三ヶ月で卒業だからこの顛末を見届けられないのか、残念。久賀院さん、僕卒業してからも時々寮に遊びに来たいんだけど、そしたらうっとおしいかな。下界のおいしーケーキ買ってきてあげる」
「どうぞどうぞ、遊びに着てください!わたしはムース系が大好きです!えへへへ」
いい人だ。
「とっとと卒業して二度と来るな!」
一成君が怒鳴って、で、熊井先輩は心底おかしそうに笑っていた。




