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王理高校の寮は、全部で三棟ある。
つくりはどれも同じだ。二人部屋で四階建て。寮は一年生から三年生まで混合で、同じ学年でルームメイトは組まされる。一階に共同の浴室はあるけれど、手洗いとシャワーだけ部屋に添え付けになっている。それはありがたい。
『女子は入学しなかった』そんな頭の理事長には当然女子寮のことなんてかけらもなかったらしい。かといって、近所にどこか済ませるにも、この山奥ではマンスリーマンション(家具付)なんてありゃしない。もちろん家から通うのは距離的に無理。
てことで放り込まれましたよ、第三寮に。部屋は一人で使っていいんだけど。
一応一階の廊下の一番隅っこの部屋で、廊下の途中には部屋に入る直前に壁が一つ増築されていて、そこにも扉が付いている。廊下に向けて監視カメラがあって、室内のモニタで監視ができる。私の部屋に入るための鍵の二つあって、しかも一つは網膜スキャンで早速登録してもらった。部屋の窓には格子が入っている。また、わたしの部屋の隣はあえて空室にしてある。
梓の暗躍ですな。
どう考えても侵入不可能な要塞ですありがとうございます。つーか梓のやることは極端すぎておかしい。
その前の廊下には、キャンプ用テントが張ってある。
「おはようございまーす」
ここで暮らしてはや二週間だ。もうこれも見慣れた。
「うむ、おはよう」
テントの前でストレッチしているのは理事長だ。わたしはそのへんに張り巡らされた忍者もびっくりな鳴子のしかけをよいせと潜り抜けた。
これに至るわけは、入学式の夕方に遡る。
あの日わたしを寮まで案内した理事長は、直後に消えて、三巡分して戻ってきた。
手にはなんだか重そうな荷物を持っていたけど、その後食堂でわたしをみんなに紹介した。ほんとにみればみるほど野郎ばっかりなので、なんだかめまいがしそうな光景だったことは記憶に新しい。
「と、いうわけでだ」
あの凶悪顔で、理事長は食堂の生徒を見回した。
「この寮に、女子が入る。女子立ち入り禁止のはずだが、仕方ない。あってはならないことであり私にとっては苦渋の決断だ」
なんか開戦でもすんの?
「婦女子に対して不埒な真似をする狼藉者は断固許さん」
何?今、何時代?
「今、彼女の寮については検討しているところだ。それが決着するまで私が目を光らせることにする。もし、彼女に何かいかがわしいことをする不埒者ものがいれば」
理事長がそこで手にしていたものを抜いた。
蛍光灯の明かりを反射するのは、抜き身の、日本刀。たしかに日本刀は美術品扱いで、銃と違って所有に資格は要りませんが……。
「容赦なく斬る」
……目がかなりマジだった。
というのが、入寮初日の話。やあ、インパクトのある入寮式だったなあ。そのおかげかどうかは知りませんが、平穏な日々を送っています。
ていうかわたしの平穏を乱すのはどう考えてもこの理事長の存在だ。ただでさえ人相悪いっていうのに、横に武器が並んだあかつきにはもう……。
「ていうか、理事長」
私は廊下の壁にかかっている理事長のスーツを眺める。ここは確かに通路のはずだがなんだが理事長の部屋っぽくなっているような……。
「こんなところで暮らしていたら疲れませんか?」
「いや、疲れない。そんなに軟弱ではない」
でたよ、サムライ発言。
「久賀院こそ、そんな足むき出して風邪を引く。もも引きとか毛糸のパンツはちゃんと履いているのか。あまり身体を冷やしてはならない。出産は女の大事な仕事だ。男は育児に協力はできても出産は代行できん」
そんなもん履いたら梓に殺される。
それにまあ、セクハラボーダーな発言よ。政治家が言おうものなら大バッシングだ。まだどう見ても三十代前半なのに、この発言の古臭さはないよ。この考えじゃ、もてないだろうなあ……せめて言葉にしないほうがいいと思うけど……。ま、わたしの知ったことじゃないか。
「腹巻でもいいな」
とかいいながら、理事長はかかっているシャツを取った。
あれ、そういえば、理事長ってよくよく考えれば、すごく若いよね。理事長の役職には相応しくないくらいの若さ。なんでだろ。
わたしがそれを訪ねようか逡巡している間に、理事長は私の目の前で着ていた服を脱ぎ始めた。Tシャツを脱いでひょいとシャツを羽織って、ジャージを脱いで。
「そういえば、何も不埒な振る舞いはされていないか」
「なうされてます!」
ぎゃーと叫んで私はトランクス姿になった理事長から駆け出した。お前が一番ハレンチ学園なんだよ!乙女の目の前でパンツ一丁になるおっさんがいるかー!
「おはよう、久賀院さん」
「梅乃ちゃんおはよう」
先輩も同級生もちゃんと挨拶してくれるしさ、優しいしさ。
大問題なのは理事長だけだ!
「おはよー」
食堂では、一成君と蓮君がいた。そうか、この二人寮でも同室なんだ。トレイに朝ごはんをとってわたしは二人の前の席に叩きつけるように置く。
「なんか悲鳴が聞こえたけど」
結末を予想している顔で、一成君が言った。
「ねえ、どうして理事長ってあんなに無頓着なの!」
信じられない、と私はりんごジュースの紙パックに勢いつけてストローを挿した。
「中学校の時の男子だって、もっと羞恥心があった」
「いいんじゃない?少なくとも理事長に襲われることはなさそうだ」
蓮君っちゃあ気楽だ……。
「でもまあ、気の毒といえば気の毒だよなあ。あんな強面が部屋の前にいたんじゃ」
「そうだよね。一成君は優しいからわかってくれるよね。理事長もちょっとは一成君並のデリカシーもってくれない」
「そうだよなあ」
一成君は何かを思い出しながらその言葉を言う。
「理事長も、すこしは大人にならないと」
「……ねえ、あの人何者なの?」
一成君に聞くのも悪いかなと思ったけど、わたしはつい尋ねてしまった。
王理一成君が、この学園の創設者一族だということは入学して数日のうちに知った。王理グループっていう、もと華族で財閥となり今は大企業となった名門一族らしい。没落しまくった久賀院家とは大違いじゃのう……。
でも理事長の苗字は轟だし。王理グループとどんな関係があるのかな。
「うん、何者って?」
あの爽やかな笑顔で一成君は聞き返してきた。うーん、そう返されちゃうと聞きにくいなあ。
「えっと……」
助け舟にならないかと蓮君のほうを見てみるけど、彼は相変わらずぼさぼさした髪とくすんだ眼鏡の下で何を考えているのやらわからない。ほんとは梓に聞けば一番知ってそうな気がするんだけど、ヤツにそんなこと聞く勇気がない。
「あの人も王理の人間だよ」
一成君はそれだけ言った。
「ところで、そろそろ急いで食べないと遅刻するよ」
あっと、そんな時間か。そう思ってわたしが朝ごはんに箸をつけようとした時だった。
「久賀院さん」
急に声をかけられた。
そこに居たのは、同じクラスの人だ。なんだっけ、名前、名前。あーもー、ただでさえ31人もいるっていうのに全部男、名前覚えにくいんだよ。
ひょろりと背の高い彼はトレイをおろしてわたしの横に座った。
「どうした鮎川」
連君がそう呼んでくれてやっと思い出す。そうそう、鮎川君だ。バスケ部の。たしかこの人も外部受験組だったんだっけ。
「ほんとは久賀院さんにだけ用があったんだけど……」
でも鮎川君はちらりと二人を見た。
「なかなか久賀院さんに声をかけるときもなくて」
「わたしに何か話なの?」
わたしはにっこり笑って鮎川君の言葉を待つ。
「どーする、俺たちメシ食ったし、席外そうか?」
遠慮した一成君に鮎川君は穏やかに首を横に振った。
「まあいいや。どうせもう終わった今更な話だから」
朝っぱらから鮎川君はどこか暗い顔だった。そういえば、確かにあまり彼がはしゃいでいる姿とか見たことないな。
「あのさ、久賀院さんの出身中学をこのあいだ聞いたんだけどさ」
「あ、うんそうだけど」
気楽なわたしの返事に鮎川君の表情は一層暗くなる。
「同じ学年に、北原亜由美っていなかった?」
いた。同じクラスだった。女子にしては背の高い、そうだ、鮎川君と同じでバスケ部だった。
「その子って、どこの高校に行ったかわかる?」
「……なんで?」
一応知っているけど、そういうことってあんまりぺらぺら話していいものでもないよねえ。
多分わたしの表情から考えていることを掴んだんだろう、鮎川君は気まずそうに頭をかいた。
「んーとさ、中学の頃から俺、バスケをやっていてね。県の大会で北原さんとは知り合ったんだ。で、まあ友達になって、高校は一緒の高校にいこうって行っていたんだけど、ちょっとそれが出来なくて」
これはもしかしてかなり深刻な話なのでは、と思った時には鮎川君の表情は心底落ち込んだものにかわっていた。う、こりゃ逃げ損ねた。
「まあ、俺が約束破ったのが先だったんだけど……でも、俺たちが行こうとしていたバスケの強豪高校には彼女も行ってないみたいなんだ。彼女がどうしてしまったのかすごく気になって」
それが、鮎川君の話だった。