1-5
「ウメ!」
ステージの袖で、呆然としているわたしに近寄ってきたのは、声をひそめた梓だった。
「ちょっと来い」
ええええ、わたし今、それどころでは……。
とか思ったところでわたしに発言権は無いです。強引に手をつかまれてステージ袖の更に奥の用具室まで連れてこられる。
「あ、梓先生。どうしよ」
「どうしようといいたいのは僕だ」
怒りをこらえて梓は言った。
「さっき王理と鳥海がこっそりとお前のパンツの柄をしていたぞ」
「うっかり転んだだけですよう。パンツ見られたのは不可抗力で」
「そんなことはどうでもいい」
梓は心底わたしを嘆かわしく思っているようだった。どうしよう、いろいろ思うところはあるけれど、梓に見捨てられたら困るのは確かにわたしなのだ。
「ごめんなさい。次から転ばないように気をつけます」
「だからそんなことはどうでもいいんだ」
梓ははき捨てた。
「どうしてイチゴ模様のパンツなんてはいているんだ。ラ・ペルラ、シヴァリス、デヴェでもいい、とにかくレースのパンツをはけ!予算がないなら購入伝票を出せ!」
それどころじゃねーんだよわたしは!
と言いたいが言えない。
「まさかパンツの指導までいちいちしなきゃいけなかったのか。そんなこと僕が言うまでもないと思っていたが。だいたい高校生にもなってイチゴのパンツなど履くな。可愛いことは可愛いが、そんなものに心惹かれる連中は大概ロリコンか変な趣味を持っている連中だ。無い、ありえない。お前は僕をロリコン扱いする気か!」
「犯罪者扱いできるものならしたいです!」
梓はうっかり本音を漏らしたわたしの耳を他の人間からは見えないように引っ張る。いだだだ、耳とれちゃうよ!
「嘆かわしい……」
「わたしは今それどころじゃないんだ!」
あ、言ってしまった。
く……言ったら絶対罵倒されるとわかっているが、今頼りになるのはこのパンツ連呼男だけだ。
「新入生挨拶のカンペ失くしちゃったんです」
「……は?」
梓は呆然としてわたしを見た。
「あれを失くした、のか?」
「はい。でも落とした記憶は無いんです。一回転んだけど、でも何も無い廊下なので、気がつかないはず無いんです」
来る、と思った。罵倒スイッチ入ります、って。
「ウメ」
驚いたことに、梓は真剣な顔でわたしを見ただけだった。
「……間に合うものなら探してやりたいが、あと五分もしないで式が始まる。多分見つけ出すのは無理だ」
そんな殺生な。
「なんとか、アドリブと記憶で成功させろ」
さすがSの人!と梓の無理難題にむかっ腹を立てようとしたわたしだが、思いもよらず梓の表情は真剣で誠実だった。
「頼む。ウメなら出来る」
「そんな」
「僕とウメが恥をかくぐらいならいい。でも……」
一瞬躊躇したけれど、梓は言った。
「心情的にはそれだけじゃすまない。頼む、なんとかうまくやってくれ」
「梓先生」
「……あまり言いたくはなかったが……」
ぼそぼそと梓は続ける。
「王理の共学にあたっては理事会も満場一致で賛成したわけじゃない。男子校にこだわる人間も多いんだ。そういった連中の息がかかった生徒も中にいる」
「……かんぺは落としたんじゃないってこと?」
「……かもな。まあいい、僕はとりあえず探しに行くから、間に合わなかったらあとは頑張れ」
励ましているようで、まったく励ましになってません。
ともかく飛び出していった梓を見送ってわたしは呆然としていた。
そんなこと言ったって、どこかのスピーチ好きな先代社長現顧問とかならともかく、わたしはステージに立った事だってないです。小学校のころ、お花その3の役をやったのが最後かな……、しかもあれはセリフがなかった。
けど。
わたしはステージを見上げた。あの校長がすでに挨拶をしている。
梓が困る理由って、校長かもと思った。病院の庭で始めて梓に会った時、校長の受診に梓が車を出してあげていたところだったらしい。きっと梓は校長に恩があるんだろう。
確かにわたしがしくじれば校長が恥をかく。
わたしは深呼吸した。
梓はまったくひどい人間だけど、それでも彼のおかげでわたしは変わりつつある。梓に振り回されているうちに、いままでの、変われないことにいいわけをして卑屈になっていただけの過去の自分には気がついた。
それが良いことかどうかはわからないけれど、でもわたしは変わりたかったんだ。
ただ、「~であればいいのに」と願うばかりの自分から。
「久賀院さん」
式を後ろで仕切っている先輩がわたしに声をかけた。
「もうすぐ挨拶だけど大丈夫?」
「……大丈夫です」
わたしはうなずく。
やってみせましょう、大アドリブ大会。
大丈夫、わたしには女傑の母さんと超マイペースお父さまと地獄のビューティーアドバイザーがついている。
……すごいな、揃って頼りになるとはとても思えない。
先輩に促されて私はステージに上る。うっわ、高い、と思った。下からみたらどうってことないのに、上から見る会場は高さがある上に、あまりにも人が多い。わたしが見下ろされている気分になるほどだ。
でも。
さっき、教室では失敗してしまったけれど、わたしは梓の教えどおり、悠然と微笑んだ。
「おはようございます」
なるべく爽やかに、あかるく切り出した。
「本日、新入生代表でご挨拶をさせていただきます、久賀院梅乃です。そしてこの私立王理高校初めての女子生徒です」
わたしは、会場を見下ろす。
たしかにここにわたしに対する悪意はあるのだろう。世界のどこに行ってもきっと悪意は必ず存在している。でもそれと等しく好意だってあるはずだ。
わたしはここで、わたしの味方になってくれる人を探したい。
きっとそれを世界は友達と呼ぶ。
「けれど、わたしの性別はさておいて、一新入生としてご挨拶をしたいと思います。なぜなら、わたしも他の新入生と等しくこの学校に対してすでに誇りと敬愛を抱いているからです」
この言葉はほんとは嘘だ。でも、自分の居場所に誇りを持ちたい。
そんな祈りを込めてわたしは言葉を続けた。
その日の帰り、わたしの挨拶のかんぺはわたしの下駄箱で発見された。
梓には言わないことにしたけれど、それはくしゃくしゃに丸められていて、たしかにあからさまな悪意を感じさせるのに十分だった。
多分、あの挨拶自体はそう大きな失敗をしたとは思えない。それがこの犯人にとってはよりむかつく事だったのだろうと思う。
でも。
ふと人影を感じてわたしは振り返った。
「……久賀院」
そこに居たのは理事長だった。あのどこからどうみても悪人顔で、わたしを見ていた。
「あの新入生挨拶だが、良くできていて驚いた」
おっ、褒めることはできるのか。
「ありがとうございます」
わたしが神妙に下げていると理事長は続けた。
「久賀院は寮生だったな」
「あ、はい」
「場所はわかるのか」
「……ちょっと……」
「どれ、私も一緒に行こう。その辺で待っていろ、荷物を取ってくる」
えー、一人で行きたいんですけど。
一緒にいる間のきまずさは予想できたけど、断ることも出来ずにわたしはしぶしぶ理事長を待った。
でも待っているうちに、ふと妙なことを思いついてしまった。
理事長は、共学に反発している。それは確かだ。
まさか、この一件って……。
それは、気のせいと思う過ごすにはちょっと重く。わたしの背中にひたりと張り付いた。