1-3
「ま、あれだ」
梓は言った。
「王理高校は、家柄がよく、かつ優秀な学生が集まってくるが、やはりこの辺鄙な場所と男子校と言う条件が昨今の少子化において学園存続において厳しいものとなってきた。そこで理事会は、共学化について検討し、概ね意見の一致をみて、今年度から女子学生の募集を始めたというわけだ」
わたしは、轟理事長と並んで梓から説明を聞いていた。
「しかし、今年は女子学生は集まらなかったんだ!」
理事長が梓に噛み付く。それを梓は冷たい目で見返した。一介の化学の先生が理事長に対してこの態度はありなのだろうか。
「何を言ってるんだ。お前が難癖つけて落としてしまったんだろうが」
「難癖なんてつけていない!」
「確かにそもそも集まった女子の受験生の絶対数が少なかったんだけど。考えてみれば、聡明な学生が多いとはいえ、人生中最もエロいことで頭が一杯な高校生男子ばかりの中に、自分の娘を放り込むのは勇気がいるよね。誰も好きこのんで愛娘を野獣の園に入れたくは無い」
「王理の学生にそんな馬鹿はいない」
「まあお前は寮から脱走してエロ本を買いに行く連中を取り締まっていた方だからな、つまらん奴め」
ぐう、と轟十郎理事長は言葉につまった。どうもこの二人、この学校の同級生か先輩後輩になるような感じだな。
「というわけで、悩んだ校長が僕に相談してきたわけだ。馬鹿理事長に困っているということ、女子学生をどう集めたらいいかということを。そんな話をしていたら、背中のベンチにカモがいるじゃないか」
「……カモ……」
あ!わたしのことか!借金ていうネギも装備してました。
「幸い久賀院さんは、血筋もいいし、成績も優秀、あ、これは中学に問い合わせたし、ちゃんと入学試験も受けてもらったから間違いない。王理一成君の成績を追い抜いて主席となった。彼女がこの学校の良さをアピールする存在になってくれれば申し分ない。来年再来年と徐々に女学生が増えればいいじゃないか」
理事長は、しばらく唸っていたが、一つため息をついて校門に寄りかかった。
「鷹雄、お前どうして俺に黙っていた」
「決まっているじゃないか」
梓は爽やかに笑った。
「お前にぐだぐだと埒も無いことを喚かれるのがうっとおしかったからだよ」
「……ほんとにお前は……」
理事長が頭を抱えた。
わたしも一つわかった。梓のSっぷりは、誰に対しても平等にふるまわれるということだ。なんて公平な男なんだろう。誰に対しても悪魔。
「校長もどうして」
「あの人、最近体調悪いんだ。怒りを向けるなよ」
「しかし……」
「いいからさっくり認めろよ。この一件は、お前の人望の無さが引き起こした」
待て。
僕はさっぱり悪くないという顔をしているが、梓以外の誰のせいだって言うのだろう。理事長、騙されてますよ!
「おい、そんなことよりも、入学式の時間になるぞ」
梓が高価そうな腕時計を見て言った。うーん、身なりだけなら梓のほうがよっぽど素敵だ。
中身は悪魔だが。
理事長は、そうかと言ってわたしを見た。
「……まあ、こうなってしまった以上仕方あるまい」
まったくもって不機嫌に言う。
「女性は守らねばならないから厄介だ」
は?
思わず自分が50年前ぐらいにタイムスリップしてしまったかと思うような言葉だった。愕然としているわたしを置いて、その長い足でとっとと歩いていってしまう。おい、初の女子学生を丁重に扱うとかそういった配慮は無しですか。ていうか、わたしはこの校内だってよくわかってないのですよ。いまどきファミレスだって席まで案内してくれる。
「言い忘れていたが、轟理事長は女性の扱いがよくわかっていない」
「言われる前にわかりました、たった今」
「そうだね、ウメは頭がいいから」
理事長がいなくなったとたんにウメ言うな!梓、絶対わざと黙っていたんだぎぎぎぎ。
「もう行きます!」
頭にきたままわたしも玄関に急ごうとした時だった。
「ウメ」
梓が言った。その端正な顔の、薄い唇がすうと歪んで、俗に言う「笑み」に近い表情を作る。しかしわたしにとっては最大の警戒警報だ。反射的に身が縮こまる。怖い、梓怖い!
「推定だけど、僕の家から戻って今日までの一週間に、一キロ……いや950グラムくらいかな、太っただろう」
あ、あたりだ……。
だってお父さまが、梅乃さんが寮生活に行ったら寂しいって、たくさん甘いもの食べさせてくれたから……。
「あれが、君のベスト体重だっていったよね」
「ごごごめんなさいい」
「簡単に謝らない!王理を代表する女子なんだから、誰もが振り返るような女子生徒でいてもらわないとダメなんだ。謝らなきゃいけないような失敗も、簡単に謝る卑屈さも厳禁!それに栄えある入学式にベストを保てないなんて最悪だよ。あのね、この計画が失敗して一番困るのウメだよ?ウメは僕に借金してるんだからね。これがどこかで頓挫したら」
梓はわたしの頭に手を置いた。ていうか掴んだ。
今日の天気みたいに清々しく笑う。
「フロに沈めるぞ」
わあ、爽やかに言うなあ、この人。
先月の話を少ししよう。
中学最後の春休み、わたしが何をしていたか……否、させられていたかと言う話。
梓鷹雄のうちで、特訓してました。泊り込みで。
まず、梓が気に入らなかったのは、わたしの地味な外見だったらしい。
洗練のかけらも無い黒縁眼鏡にどうでもいいふたつくくりの髪。伸び放題の眉毛なんぞ言語道断!と梓にまず罵倒された。
「あのお父さんの子どもなんだから、どう考えても素材はいいはずなんだ」
「そうなんです。母さんも美人なんです。結婚式の写真なんてお姫様と王子様ですよ!」
「ご家族の自慢をお伺いしたいわけではなく、お前の努力不足を指摘している嫌味だ!」
容赦ねえ。
ていうことで、美容院行かされたり、眉毛切られたり、自分でカットする練習したり、髪の毛にはトリートメントという物体が必要らしいということを知ったり、ちゃんと髪はドライヤーでブロウしなきゃいけないと叩きこまれたり。コンタクトレンズを目玉に押し付けられたり。
「若いからファンデーションは不要だが、クリアの下地兼日焼け止めを塗りアイラインとできればマスカラはやれ!あと眉毛はもう書かないと麿であることを知っておけ」と命令されたり。
いつの間にマイ眉毛は眉毛ブローカーに売り飛ばされていてたらしい。可哀そうに、どこかで元気で生きていると良いのだけど。
爪は爪きりで切っちゃいけないんだよ。やすりで磨くんだよ。なんじゃそりゃー。
あとな、なんだか知らないが、ちょっと痩せろとか。だってわたし、一度も肥満なんて言われたことも無いのにさ。スポーツがそれなりに出来るとはいえ、どうして毎朝マラソンなんてしなければならないんだよう。わたしの真価は短距離でこそ発揮されるといったのに、せせら笑われた。どうやら標準以下が望ましいらしいが、どう考えてもこれは児童に対する肉体的虐待だ。
なのに、「人間、顔じゃないはずです」と文句を言おうものなら。
「うるせえ馬鹿。僕に借金返してから講釈垂れろ。僕の目の前にいる以上、超絶美少女でなければ許さない。己を磨け、さもなくば死ね」
人は身の丈をわきまえるべきだが、一方で向上心のない人間は反省すべきである、を七万倍くらいゲスく言ったらこうなるな。うん。
しかも、ものすごく勉強させられた。高校にまだ入ってないのに、高校生レベルの勉強を春休みにさせられてさ。地獄のライフプランナーめ。わたしの寿命が削れる。
ちなみに梓の家は、お金持ちだった。都会のど真ん中にあるマンション(リビングだけで30畳くらいあった)に住んでいるんだけど、どう考えても高校教師の給料でまかなえる住まいではないと思う。
その理由がわかったのは、地獄の合宿最終日だった。
梓の作った和食中心減穀類雑穀ダイエットメニューの夕飯を食べているとき(銀シャリ食べたいよう)、彼はさらりと言った。
「ウメは、『桃色秘書室』『むっちりビーチ』『ミルクガーデン☆』のどれがいい?」
「は?」
なんだそのいかがわしさしかない名前は。
「なんですか、それは」
「んー、僕の親が経営している風俗店」
……このマンションは、世の女性の涙で家賃が払われているのか、外道!いやそんなことより、学校職員が水商売に関わっているっていうのはかなりまずいのでは。
「ウメに向いてそうなのは、『ミルクガーデン☆』かなあ」
「まて。まてまてまて、何を言ってるんですか?」
驚くわたしに梓は言った。
「あのね、僕がなんの補償もなく一千万もぽんと出すと思う?」
「かけらも思いません!」
「大丈夫、ウメはきっと売れっ子になるよ。一千万なんてすぐだって。源氏名は僕が考えてあげるからねー」
肝が冷えた。
ほんとマジで清々しいほどにこの人は奴隷商人である。
完全に人権の喪失状態にあるが、対価が美味しい条件すぎるので引き受けているわたしもわたしだ。人権というものは資本の前でなんと脆い概念であろうか。おお人類よ進化あれ。
そんな三月だったわけだ。
「ていうわけで、頑張って、新入生挨拶行って来い」
頭蓋骨割れるくらい、でかい手で頭をがっちり捕まれて、喝が入った。
「大丈夫。ウメは、僕が『これだ!』と思った逸材だよ。心配するな。まあダメだったらダメで何とかなるしね。すくなくとも僕は何一つ損しない」
「行ってきます!」
びしっと言ってわたしも駆け出す。
いつか梓鷹雄をぎゃふんと言わす。そんな決意とともに。