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スマホを耳に当てると、ドクンドクンと自分の心臓の音が響く。
「…もしもし?」
いつもならほっとする妻の声に、俺は一瞬ビクッと体を強張らせる。
「…」
何と言って話を始めれば良いのか。言葉が見つからない。
「…どうしたの?」
妻が訝し気に尋ねてくる。
俺は意を決して話を切り出した。
「佐藤の嫁さんからさ、何か…聞いた?」
言いにくそうに聞く俺の声に、妻は何かを察したようだ。
「佐藤さん、何か言ってた?」
「君の声だったんだってね」
「…ごめんなさい」
少しでも、私を傍に感じてもらえたらと思って。
妻は申し訳なさそうに応える。
でも、まさか心配の延長でカメラを仕込もうなどと考えるだろうか…。
「カメラが仕込まれてたって聞いて。佐藤は、君がやったって」
「…」
妻は応えない。
「本当なのか?」
「…」
無言は肯定を意味するのだろうか。
「なんでそんなことを?」
「…」
「何か言ってくれよ」
「…ごめんなさい」
妻は小さな小さな声で、そう呟いた。
「何でだよ!」
俺は電話口の向こうでしゃくりあげる妻を責める。
心配が理由になるか。
プライバシーも何もあったもんじゃない。
何がしたいんだ。
しばらく無言を貫いた妻は、掠れた声で説明した。
一言ずつを、まるで搾り出すみたいに。
妻は俺の排便をカメラで見ていた。
毎回、毎回、俺が便座に座るたび、妻はじっと俺の表情を窺っていたという。
排便の苦痛だけでなく、悩み事は無いか、どこかに怪我でもしてないか。
ふと、子供の頃に見た中国の歴史を扱った番組を思い出す。
皇子は紙の上に便をして、それを何人もの召使いが観察し、臭いを嗅いでいく。
便の色や硬さ、臭いから皇子の健康状態を計るというものだ。
だが妻が俺にしたことは訳が違う。
妻はそれ以上の弁解をしなかった。