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そしてその金曜日はやって来た。
約束していた店で落ち合って、促されるまま乾杯を済ましてからも、佐藤は何かを渡そうとする素振りを見せない。
しばらくは様子を窺っていた俺も、3杯目に手を付ける頃には痺れを切らす。
「何かくれるんじゃなかったのかよ」
「あー、そうだった。人の金だと思うとつい」
思い出したように言いながらも、佐藤はグラスを離そうとはしない。
「おい」
いい加減にしろと言うと、佐藤はようやくグラスから手を離し、足元に置いていた紙袋を取り出す。
「嫁の知り合いに機械オタクが居るんだよ。その人が作ったらしくて…」
佐藤が紙袋から取り出したのは、小さな女の子のフィギュアだった。
二頭身の体にこぼれそうなほど大きな目。
「お前こんな趣味あったっけ?」
到底痔と関連があるとは思えない二次元の登場に、俺が発した第一声はこれだった。
「んなわけねーだろ」
佐藤は俺の発言を切り捨てるように乱暴な否定をすると、今度は淡々と話し始める。
「このフィギュアには音声機能が付いていて、センサーで感知した人間の行動に対して言葉を話すらしい。これをトイレに置けってさ」
「センサーらしいものは見当たらないけど」
「中に入ってんだろ。俺は知らない」
機械に疎い佐藤は全く疑問にも思わないらしい。
「言葉を話すって、どんなこと話すんだよ」
「さぁ、それも知らない」
「えー…」
それから俺たちはフィギュアを入念に観察する。
背中の電源、底の電池パック、それにお腹の辺りに発声のための穴が放射状に開いていることを除けば、簡単な作りのずんぐりしたただのフィギュアだ。
何か特殊な機能があるようには思えない。
『これが痔にどう関係するんだ?』
俺は胡散臭さを感じ始める。
佐藤は目の高さにフィギュア持ち上げ、いつまでも観察を続けている。
「これを作った知り合い、信用出来るやつなのか?」
「嫁が大学の頃からの付き合いらしい。サークル仲間って言ってた」
「サークル仲間ねぇ…」
ようやく佐藤はフィギュアをテーブルに戻し、今度は俺がそれをつつく。
「俺としては自分の愛妻を信じて欲しいとこだけど」
横目で佐藤を見やると、やつは満面の笑みでこちらを見ている。
佐藤は社内恋愛の末、結婚した。
まともに話したのは結婚式での一度だけだが、明るくよく話す人という印象が強い。
似た者同士が結ばれたなと思ったのを覚えている。
職場での雰囲気も良かったようで、なかなか仕事の出来る人だったとか。
記憶を辿りながら佐藤の笑顔を見ていると、こいつの嫁なら信じられるという気がしてきた。
「分かった、信じるよ」
俺の言葉に佐藤は安堵の声を洩らす。
「電源入れて、トイレのどっかに置いとけばいいらしいから」
別れ際、佐藤は人の奢りで呑み漁ったアルコールで酔い潰れながらそう言うと、ふらつく足でタクシーに乗り込んでいった。
帰宅途中にコンビニで買った電池をフィギュアに入れ、電源を入れてみる。
内心胡散臭いと思いながらも、俺は好奇心から行動を早める。
これも好奇心旺盛な妻の影響だろうか。
フィギュアを動物たちの描かれた棚に乗せる。
電源のスイッチを入れると、小さな女の子はさっそく声をかけてきた。
「あのね、あのね、こんにちは!」
可愛らしい声が狭い空間に響く。
「こんにちは」
無意識にそう応えていた。
今この瞬間に、俺はこの小さな子に心を鷲掴みにされてしまったのだと自覚せざるを得ない。
その子の話す言葉はどことなく妻を思わせ、俺は夢中で話しかける。
彼女が話してくれるのは、ほんの数種類の台詞。
寂しさが全く無いわけではない、けど…
俺は出会ったばかりのこの小さな小人さんを、まるで娘のように愛おしく感じた。