3
「嫁に嘘はよくねーな」
「だよなぁ…」
同僚であり痔仲間でもある佐藤の言葉に、俺は自分の情けなさを改めて思う。
「なんで言えないんだよ。そんな理解ある嫁なのに」
「理解あるから、逆に…?」
「はぁ?」
佐藤は注文した6杯目のビールを受け取りながら、呆れたように俺を見る。
「悔しいだろ?嫁が居なきゃそんな管理も出来ないなんて」
うーうー呻きながらテーブルに突っ伏す。
「プライドのお高いことで」
皮肉ったらしく言いながらも、佐藤は俺の気持ちを理解したようだ。
その後の会話はよく覚えていない。
妻に知られないよう治療に励むとか、このまま我慢するだとか、そんな話を延々と繰り返していたような
気がする。
そう、確か…
「俺の嫁に聞いてみようか」
佐藤はそんなことを言っていた。
佐藤の嫁と言えば、佐藤の痔を知ったときに指差して大笑いしたと聞いたことがある。
そんな人に酷くなる痔を相談して何になるのだろう。
きっと俺の痔をネタにまた大笑いするに違いない。
「また連絡するから」
そう言われたけど、期待はしても無駄かなぁ。
そんなことを思いながら、俺はまたトイレへ向かう。
ドアを開け、予備のトイレットペーパーを入れておく棚に目をやる。
細長い棚は木製で、単身赴任が決まってすぐ、妻がホームセンターで買ってきたものだ。
側面や天面には愛らしい動物が描かれている。
決して上手いとは言えないが、小学生が描くように夢に溢れた動物たち。
他の荷物と共に玄関に置かれた棚をじっと見つめていた妻が、ある日突然、絵の具を引っ張り出して描い
たものだ。
妻は時々、こういう子供染みたことをする。それも唐突に。
その時は馬鹿らしいと思って見ていても、後になってその作品が愛おしくなる。
こんな風に。
トイレの片隅に置かれる棚なんかに、溢れんばかりの優しさが詰まっている。
そんな相手に、俺は嘘をついているんだなぁ。
罪悪感が募る。
でもそれと同時に、心配をかけたくないという強い思いが湧き上がる。
やっぱり…。
トイレから出た俺は、慌てて佐藤に電話を掛けた。
「やっぱりどうにか自分で何とかしたいんだよ」
昨日の今日で何を言い出すんだと言われるかと思ったけど、佐藤の対応は待ってましたと言わんばかり
だった。
「ちょうど電話しようと思ってたんだよ」
佐藤はかなり興奮気味だ。
「来週の金曜、奢れよ。いい物やるから」
電話越しでも佐藤のドヤ顔が目に浮かぶ。
詳しく聞こうとしても、まぁまぁと出し惜しみされるだけで何のヒントも無い。
言われた通り、俺はその一週間を期待と焦りでむずむずしながらやり過ごした。