Log.6 ダンジョン→記憶だけが取り残された廃墟(下)
その呑気な声が聞こえて来た瞬間、俺は文字通り飛び上がった。心臓が破裂するかと思った。
なんとなく脈拍が止まっていないのを確かめながら、声の主を見た。
そこには、小さい体躯に不釣り合いな大きな槍を抱えた、赤髪の少年プレイヤーが立っていた。
俺の様子を見て、「ありゃ」と目を丸くさせた後に、たはは、と笑った。
「おっとっと。驚かせちゃったらゴメンよー」
「いえいえー」
俺の替わりに、リリィが笑顔で応じた。その少年は、子供のように笑い続ける。
俺は大きな深呼吸を一つして、気持ちを落ち着かせた。それから、「何か用か?」と、問いかけた。
少年はそこで、ようやく笑いを止めた。
「あ、そうそうー。実はねぇ」
にかりと満面の笑みを浮かべたその少年は、ピースサインを作りながら、元気よく言った。
「ボクの入っているギルドに、入って欲しいのだぁ!」
がくっ、と、大きく肩がずり落ちるのを感じた。
……なんだよ、よくあるギルド勧誘じゃないか、コレ。
隣でリリィが、「ギルドって、アサちゃんが入ってるって言ってた?」とこっそり問いかけてきたので、俺は力なく頷いた。
「あー、ただのギルド勧誘だと思ってるなぁ!」少年が俺を指差しながら叫んだ。
ため息を一つついてから、俺は言った。
「いやだって、どう見てもただのギルド勧誘にしか」
「あのねぇ! 僕はマジメなの! 僕が入ってるギルド、マジで人不足で困ってんだよ。
お二人とも、なんとなく雰囲気でギルド加入してない風だし! 良かったら是非是非!」
「雰囲気で決めるなよっ」思わず突っ込んだ。
「でもでも、図星でしょ?」
「それは……」
うーん……困ったな。そう思い、リリィに視線をやった。
リリィは訳がわからないと言った風に目をキョロキョロさせていて、なんだか混乱しているようにも見えた。
――ここは、すぐに立ち去ったほうがいいかもしれない。
俺は、一つ咳払いしてから、少年に近づいてから言った。
「せっかくの勧誘で悪いけど、俺たち、ギルドには入る気ないんだ。他のプレイヤーに勧誘してくれないか?」
えー、と少年は唇を突きたてた。そして、じっとりと俺たちを見ている。
そのねばりっぽい視線に、なんだかとてもしつこそうな印象を受ける。面倒臭いことになりそうだ。
リリィに目配せした後、俺はその細い腕を掴み、少年へ告げた。
「本当に、俺たちはギルドに入る気はないんだ。悪いな。
あ、それと、最初にギルド名を名乗っておいた方がいいと思う。
じゃないと、誰だって入り辛いと思うぜ?」
「……ふーん」
少年がそう呟き、俯いた。
その長い前髪で、目が隠れる。
やがて、その口元が大きく歪み、にやりと、不気味なほど大きな笑みを作った。
瞬間、背筋にぞわっと悪寒が走っていくのを感じた。
リリィの腕を引っ張り、ワープ装置まで急いで向かおうとした時だった。
「――じゃあ、ギルド名乗れば、入ってくれるのかな?」
きらり、と光るものが、すぐ近くに迫った。
動かしかけた身体を止め、視線だけをゆっくりと、そちらに遣る。
鋭く光る刃が、顔の側にあった。
「! リュウくんっ」
慌てて近寄ろうとしたリリィをさっと手で制し、俺は恐る恐る、振り返る。
さきほどまでやんちゃを演じていた少年が、悪魔のように微笑み、長い槍をこちらに向けながら、言った。
「だったら、教えてあげるよ。ギルド名」
少年は、低いトーンで、その名を告げる。
「僕らのギルド名は――
『プレイヤー殺戮会』」
息を呑んだ。
少年は、誇らしげに笑っていた。
すぐ隣で、同じように息を呑む音が聞こえた。
「な、なんで……?
プレイヤーが攻撃する対象は、モンスターでしょう……?」
少し声を上ずりながら問いかけたリリィを、少年はぎろりと睨みつけた。
ちろり、と舌を出しながら、言う。
「あのさ。あんた、『VRMMO』の真髄を忘れてない?
ここではさ、実際に"体感"出来るんだよ?
感触も、息遣いも……痛みだって。
ねぇ、これってさ、すっごぉく楽しいことだと思わない?」
こちらを馬鹿にするかのような、憐れむかのような瞳が、俺に向けられる。
舌舐めずりをしながら、こちらを舐めるように。
どくん、と。
心臓が、一気に重くなった。
俺は、この目を知ってる。
それを、一体何度、見てきていることか。
「だからさ、それをもっともっとプレイヤーに"体感"させてあげようと思って、僕らが痛みを提供してあげるんだよ。
そうしたら、嫌でもその素晴らしい技術を実感できるでしょ?
ふっははははは、どうどう? 素晴らしいギルドだと思わない?」
その槍の刃が、俺の首元に当たる。
その冷たい感触や、押し込まれるような圧迫感、皮膚が切れるような感覚まで、確かに伝わってきた。
奥に必死に押し込めた恐怖感も、一緒になって身体を浸食していく。
下唇を噛みしめた。
喉から苦いものがせりあがろうとしている。
くそ……。
こんなの――こんなの冗談じゃないっ!
す、と手を伸ばし、俺はそいつの刃を手で退いた。
掌に何か切れる衝撃が走ったが、無視した。俺は言った。
「……そんなことしなくとも、プレイヤーはモンスターとの戦いの中で、嫌でも"痛み"を感じるだろうが」
自分でも驚くほど、腹の底から低い声が出た。
くっくっく、と少年が笑う。
「嫌だねぇ。僕らが傷つけることに、意味があるんだから。
それぐらい、分からないの?
お・バ・カ・さ・ん?」
ぎり、と奥歯を噛みしめた。
熱いものが体中を浸透していき、腹の中がふつふつと湧きあがるのを感じる。
突然、今日の昼間に野村先輩とやりとりしたことが、鮮明に蘇ってくる。
あの、こちらを見下すような、監視するかのような、冷たい目。
あの、鼻をツンとつくような、とても不愉快な匂い。
あの、不健康な紫色の唇で捨て台詞を吐き捨てながら、去っていく後ろ姿。
――そして、それに対して何も言い返せない、惨めな自分。
ぷつん、と頭の中の何かが、切れた。
「やめて!」と、後ろでリリィが叫ぶ声を耳にした時。
俺は愛用の武器である剣を取り出し、
そして。
それを、自分の左腕に向かって、思いっきり突きさした。
「リュウくんっ!!」
「なっ……」
リリィの悲鳴が響き渡り、目の前の少年の目が、大きく見開かれたのが見えた。
左腕に、一瞬にして大きな衝撃が駆け巡った。体験したこともない強い痛みに呻く。足から力が抜けていく。視界が薄れていく。
あぁしまった。俺、何やってるんだろう。このままじゃ、ログアウトに――
地面に崩れ落ちる、その直前だった。
視界が一気に光に包まれた。俺は咄嗟に目を瞑った。
数秒ほど経ってから、ゆっくりと目を開く。
俺はしっかりと、地面に膝をついていた。
ログアウト……していなかった。
ふと、俺のお腹に、誰かの腕が絡まっているのが見えた。それは――リリィの腕だった。
後ろから抱きついているのだ、と理解した瞬間、心臓がひっくり返った。
思わず「うわっ」と叫びながら、その身体から遠ざかった。
「り、リュウくん、大丈夫!?」
リリィが尚もこちらに近寄ってこようとしたので、俺は慌ててぶんぶん頷き、地面に尻もちをつきながら後ずさりした。
左腕の痛みは、もうすっかりとどこかへ飛んでしまっていた。
「だ、大丈夫、もう平気、ホント。マジで、さ、サンキュ」
あぁ、俺マジで動揺してるの、ばればれじゃないか。
リリィは「良かったぁ」と言って、胸をなでおろしていた。
と、その時、頭上から声が降ってきた。
「お前、あれ……。マジかよ」
見上げると、少年が口をぽかんとあけながら、目をまん丸にさせてこちらを見ていた。
しまった。一瞬だけど、こいつの存在をすっかり忘れていた。
俺は慌てて頭を掻きながら、「えっと……」と何か言い返す言葉はないかと探した。
でも、見つからない。
――ええい、もうこうなりゃ自棄だ!
俺はそいつをびしっと指差し、引きつった笑顔で言った。
「ど、どうだよ、お前! 俺と同じこと、出来るか!?
人のことばっか傷つけて、実は、自分が傷つくのが、一番恐いんじゃないのか!?
結局、お前は人を傷つけることで自分の弱さを隠してたんだよ!
そうだろうっ!」
ほとんど、あてずっぽうだった。
少年と俺の間に流れる、痛いほどの沈黙。
やがて、少年が呆れたようなため息をつくと、
「……なんか、萎えた。帰る」
と言った。
そして、くるりと俺たちに背を向け、少年は去っていった。
残されたのは、緊張の糸の切れ端と、傍観者のように見守る星の輝きだけだった。
※
「……本当に大丈夫? リュウくん」
リリィが、相変わらず杖を片手に治癒術をかけながら、俺の顔を心配そうに覗きこんでいた。
俺も相変わらず地面にへたりこみながら、ははは、と力なく笑った。
「平気。もう大丈夫だって。
でも、あーいうことはするもんじゃないな。
説明書に『無闇な自傷行為はおやめください』て書いてあった理由、よく分かるよ。すっげぇくるわ」
無理に笑ってみせるが、リリィは笑わなかった。
俺の左腕が、リリィの両手で包み込まれる。
またもや跳ねる俺の心臓。
そして、そっと息を吹きかけるように、リリィは言った。
「お願いだから……。
自分を傷つけること、しないで」
それは、喉からぎゅうっと振り絞るような、掠れた声だった。
ずきり、と、今度は胸が痛んだ。
リリィは、目を伏せながら、悲しそうな表情を作った。
「私――この世界に、ああやって人を傷つける為にプレイしている人がいるのを知って、ショックだったけど。
でも……、咄嗟のことでも、自分の大切な身体傷つけるのを見るのは、もっと嫌だった」
「……ご、ごめん、リリィ」
リリィの震える白い腕を見ながら、俺は咄嗟に頭を下げた。
罪悪感が押し寄せてくる。ぐっと唇を結んだ。
嗚呼、俺は本当、何をやっているんだろう……。
「――でも」
リリィはそう呟くと、伏せていた顔を上げた。
その顔には、目に涙を溜めこみながらも、小さな笑顔を咲かせていた。
「ありがとう。最後の、ちょっぴり、格好良かったよ」
リリィの優しい言葉が、今度はふわりと心を包み込んできた。
――『格好良かったよ』、だって……?
慌てて視線を逸らし、右手で頭を掻いた。
「え、いやそんな……あんなの、そんな、全然」
「なんか……まるで『勇者』さんみたい、だったよ」
「え?」
『勇者』の単語に驚き、リリィの顔を見た。
えへへ、といつものようにはにかみながら、恥ずかしげもなく言った。
「本当。ほら、アニメとかでよくあるじゃん。パーマンとか。
ああいう感じの、ちょっぴり頼もしい男の子」
『勇者』の言葉が、俺の頭の中でエコーを伴って、ぐるぐる回り始める。
かぁ、と顔が一気に熱くなって、俺は顔を伏せた。
「俺、別に、そんな大層なもんでもないし、強くもなんともないし。
てか、何気に子供じみてて恥ずかしいし、そもそも例えの『パーマン』てのが古すぎるし、いや、そうじゃなくて。
なんつーか、その……」
自分でも意味不明なことを口走っているなぁとは思った。でも言葉が上手くまとまらなかった。
リリィが桜色の頬を緩ませる。
そして、もう一度俺の手を、両手で優しく包み込む。
ほのかな体温がじんわりと身体に広がってきて、身体全体を、ふわりと包み込んでくれるようだった。
徐々に血の巡りが乱れてくる。ばくばくと心臓が暴れ出す。
『勇者』さんみたい、だったよ。
そんなことを言われたのは……初めて、だった。
しかも、同い年の女子に。
熱さと口の渇きで、倒れてしまいそうだった。
そして、本当に、視界がぐるりと回転して――
「あ、あれ? リュウ、くん? リュウくん、ね、ねぇ!
し、しっかりして、リュウくんーっ!」
俺を呼ぶリリィの声だけが、聞こえてきた。
※
「……はぁ」
俺はログアウトして目が覚めてから、さっそく盛大なため息をつく。
ヘッドホンを脱いで、それを机の上に置いた。そして近くに置いてあったタオルで、顔全体の汗を急いで拭きとる。
あの後は結局、リリィが俺の体調を気遣って、そのままお開きということになった。
けれど、未だに汗の量が半端ない。
身体中から、どんどん熱が溢れだしてくる。
あぁ、早くシャワーでも浴びよう、と思った。
そういえば。
はたと気付いた俺は、自分で傷つけた左腕をさすってみる。
今ではもう何の痛みもない、傷一つない左腕がある。
――まぁ、当たり前だけど。
「……『勇者』、か」
その言葉を放ち、椅子にぐったりと背を預ける。ぎぃ、と椅子が悲鳴を上げた。
部屋の天井は、パソコンからの光が漏れている所以外、深い闇に覆われていて何も見えなかった。
ふと窓の外に視線をやると、薄らとした月が、夜空に浮かんでいるのが見えた。
はぁ、ともう一度ため息をつきながら目を閉じ、今日のゲーム内での出来事を思い返す。
槍を向けてきた少年。やめて、と叫ぶリリィの声。
腹の底から響いてくる、自分の声。
「俺、ちゃんと、相手に断れてた、よな……?」
今更のように、実感する。
ちゃんと、相手に断れた。
しっかりと、伝えていた。
剣を取り出してあんな行為に走った事実も驚きだったけれど、その事実の方が、俺にとっては衝撃だった。
だって、リアルだったら絶対に、出来ないことだったから。
"なんで、リュウ君はこのゲームを、プレイしているの……?"
リリィのあの台詞が、耳をよぎった。
そして、ハッと気付いた。
――嗚呼。
俺は、理解した。
今なら、その答えが言える気がする。
俺は――――
突如、ぴろろろろ、と机が震えだす。
椅子からひっくり返りそうになるのをなんとか堪え、すっかり古くなったスマホを俺は手に取り、画面を確認した。
『メールが到着しています 送信者:野村先輩』
一気に現実に引き戻される感覚が、全身を襲った。
身体から、体温がすぅっと引いていく。
震える自分の指を操作し、メールの中身を表示させた。
『送信者:野村先輩
題:明日
内容:明日の部活前なんだけど、前みたくジュース四つでよろしく。
金は、今までのと合わせて返すから。
あと、部活前の準備も。頼りにしてるよ~』
「……は。ははははは」
自然と笑いがこみあげてくる。
手に持っていたそいつを、ベットに向かって投げ捨てる。ぽす、と間の抜けた音。
バカみたいな笑い声が出るたびに、椅子がきぃきぃと唸る。
――やっぱり、リアルなんて、こんなもんなんだ。
喉に重石が引っかかるのを感じ、口を閉じた。
何かが吐きだされるのを、必死で堪える。
盛大に椅子が悲鳴を上げるのを無視して、天上の一番深い闇の部分を見上げた。
そこは、やはり何も見えない。見えるはずがない。
なぁ、リリィ。
俺は、今頃ベットの中で眠りについているであろう、遠いプレイヤーへ向かって、問いかけていた。
「俺は、ゲームに逃げてるだけなのかな……」




