Log.5 ダンジョン→記憶だけが取り残された廃墟(上)
「えいっ」
リリィの杖から放たれた一筋の光線が、目の前に居た雑魚モンスターを包み込む。
やがて、光はモンスターと共に、消えていった。
「お。やるじゃないか」
リリィは、こちらを見て、えへへ、と微笑んだ。
ぴろん、と電子音。リリィのすぐ左側の空間に、ウィンドウが表示された。
そこには、『経験値:200 取得ゴールド:100 PC:リリィはレベル十五に上がった!』と書かれていた。
「やった!」とリリィは、ウサギのようにぴょんととび跳ねた。そして、傍にいた俺に向かってピースサインを作った。
「私、段々と戦闘に慣れてきた感じがする!」
子供みたいにはしゃぐリリィに、俺は自然と頬が緩んだ。
「そりゃ良かったよ。
リリィのレベルも、かなり上がってきたしな」
「うん。リュウくんのおかげだよ。ありがとう」
にこりと微笑むリリィに、俺は照れ笑いしながら頭を掻いた。
「いやいや。俺はただ、基本を教えてやっただけだって」
「それでも、リュウくんが居なかったら、私は今頃、最初のタウンで未だに迷ってたかもしれないよ?」なんて言い、両手に抱えた杖を揺らしながら笑うリリィ。
俺は「なんだよそれ」と吹きだしながら、顔を上げた。
遥か上空に広がる夜空には、満遍なく散りばめられた大小様々な星たちがいて、それらは俺たちに優しく微笑みかけているように見えた。
※
もはやこのダンジョンには、残骸しか残されていなかった。
以前この地に建っていた形跡であろう大きな建物の土台や骨組み、またはその一部の壁など、だ。
それらはもうすっかり古びていて、ちょんと触れただけでも崩れてしまいそうだ。
唯一残っている壁には、何かの傷やら銃痕やら、飛び散った血の跡やらが伺える。
砂が一面に覆う地面には、ガラスの破片が多く散乱している。その中に、剣の切れ端や錆びれた銃、銀の鎧の残骸などが落ちているのも、見えた。
それらは、天から降り注ぐ小さな光を反射して、ちかり、ちかりと輝く。淡く、優しく。
その光景はまるで、地面にも星が誕生したかのようだ。
俺は、視界全てが「夜空」に包まれたかのようなこのダンジョンが、お気に入りだった。
一般では、レベルが低いモンスターしか出てこないから『初心者レベル上げ用のダンジョン』として有名だ。
でも、未だに俺は、ここに足を踏み入れては上下の「夜空」を眺めている。
ここに来れば、少し寂しいけれども、とても落ち着いた気分に浸ることが出来るから。
「素敵な場所だね、ここ」
リリィは、そんな地面の星屑たちを優しいまなざしで見つめながら、言った。
「俺のお気に入りダンジョンの一つなんだよ」
「へぇー……」
リリィはしゃがみ込み、地面で輝く星を一つ手に取り立ち上がった。
掌に乗せられたそれは、ただのガラスに変化した。それでもそれを大切そうに両手で包み込みながら、リリィは俺の方を見た。
「このゲームには、他にもこんなような場所があるの?」
「そうだなぁ……」俺は少し考えながら言った。「廃墟はここだけだけど、あとは砂漠とか海辺とか山ん中とか。ああ、あと、前行った高原とか。
それと、ダンジョンのネーミングもなんか不思議な感じなんだよな。
例えばここなら、『記憶だけが取り残された廃墟』、て名前だろ? 長ったらしいけど、そういうのもなんか面白いよな」
「うん、そうだね」
ちかり、ちかり。
地面と夜空に散らばる星屑たちが、リリィの華奢な身体を、淡い光に包みこんでいた。
「アサちゃんは、このダンジョン、知ってるのかな?」
「……さぁ? どうだろうな。
ま、でも結構有名なとこだし、知ってるんじゃないか?」
「そっかぁ」ふふふ、とリリィは笑った。「いつか三人で、ここ、お散歩したいね」
なんて言うリリィに、俺は、ははは、と苦笑を洩らすしかなかった。アサが一緒となると、結構賑やかなことになりそうだ。
そこでふと、脳裏に以前から抱えていた疑問が浮かんできた。
「そういやリリィと――藤川と亀田って、昔からの友達、みたいなもんなのか?
二人が初めて会うのを『ここ』で見たけど、初対面にしちゃ、すごく仲良さそうに見えたから」
「ああ、うん。そうだよ」
リリィが、はにかんだ。
「えとね、中学三年生の時に同じクラスになって、そこでお友達になったの。
高校に上がってからはまだ一回も同じクラスになってないから、あまり会えてないけど。
でも時々、私の方から麻子ちゃんに会いに行って、勉強教えてもらってるんだ。
麻子ちゃん理系だから、私の苦手な数学、すごく丁寧に教えてくれるんだぁ」
「あぁ、あいつ、理系だっけか」
頭を掻きながら、そういや今の亀田のクラスがどこなのかとか、詳しく知らないことに気付いた。
一年の時、亀田と同じクラスになり、同じ委員会の仕事を担当したことがあった。
それ以降、亀田との接点は、あまりない。
まぁ、接点といってもあっちはほぼ黙りこくってるから、会話なんてほとんど成立していないのだけど。
「ねえねえ。
リュウくんとアサちゃんの二人は、結構前から『ワールド』とかで仲良かったの? いつからパーティ組んでた?」
リリィが首を傾げながら、楽しそうに問いかけてきた。
俺は、うーん、と唸った。そういや、なんであいつとパーティ組むようになったんだっけ? 一年前の記憶を、一生懸命探る。
そして、その答えを手繰り寄せた時に俺は、ああ、と手を叩いた。
「そうだ、委員会の当番で一緒だった時だ。
『ワールド』の話で盛り上がって。あの時、俺と亀田が同じ時期に始めたんだなぁってなことを、喋ってた気がする。
そしたら、亀田が言ってきたんだよ、『それなら一緒にパーティ組まない?』って。そっからだ」
「へぇ。それじゃあ、パーティ組むきっかけは、私とリュウくんとほぼおんなじなんだね!」
そう言って、リリィはにっこりと笑った。
――そうなるのか?
と思いながら、俺も躊躇いがちに笑った。
※
――二か月前。
まだ桜が散る前の、クラスメイトたちに初々しさが残っていた日の、下校時間。
バスケ部が急遽休みになって、浮かれていた俺と洋平。それで、学校で隠れて『ワールド』をやってみよう、なんて無謀な計画を打ち出してそれを教室の片隅で実行していた。
学校の規則によって、校内で『ワールド』をプレイすることは断じて禁止されていた。けれど、大抵の人間は、禁止されるとやりたくなる衝動に駆られるもんだ。
最初は嫌だった俺も、いつの間にか乗る気になっていた。
誰も居なくなった教室内の片隅で、持ってきたノートパソコンを机の引き出しに隠し、肩から毛布なんかかけたりして「いかにも不貞寝してます」といった感じを装う。
そして一時間ほどプレイした後、顔を上げた時に。
目の前に、藤川がいた。
その時、俺は藤川のことを「ただの同じクラスの女子」との認識しかなかったから、正直とても焦った。
じっと、こちらを見つめてくる藤川。
先生にチクられると思った洋平が「俺は関係ない」といった仕草で、そそくさと教室を出ていったのを覚えている。
そして、一人残されたことに内心焦りまくって、適当な言い訳をずらずらと述べた俺。
藤川は、にこりとして、言った。
「私ね、一か月くらい前に、『ワールド』始めたんだ。
良かったから、基本的なこと、教えてくれない? そうしたら、先生に言わないから」
俺はもう、こくりと頷くしかなかった。
胸の内で、心臓がばくばくと跳ね上がるのを感じながら。
桜色の頬を緩ませながら、あどけない少女のように笑う藤川の笑顔が、とても眩しく見えたからだった。
※
俺が物思いに耽っている間、リリィはこちらに背を向け、夜空を見上げながら一歩一歩ゆっくりと踏み出していた。
その細い背中を見つめながら、俺は思った。
あの時、学校でゲームをやったことがばれたのが、藤川で良かった。
でなければ、こんなふうに、二人でパーティ組むなんてことは、なかったのだから。
目の前のリリィはふと足を止め、くるりと俺へ向き直った。
髪がさらりと、綺麗な扇形を描いて舞い上がる。
それはとても、グラフィックの偽物だと思えないくらい魅惑的で、俺の視線を釘付けにする。
「リュウくんは、えと……一年前にこのゲームを始めたんだよね?」
「え? うん……まぁ、そうだけど」
そっか、と呟いた後に、リリィは夜空を見上げながら、「ねぇ」と問いかけてきた。
「どんな気持ちだった? 最初にプレイした時って」
「……へ?」
最初にプレイした時――?
変な質問してくるな、なんて思いながら、俺は一呼吸置いて思考を巡らせる。
脳の記憶の奥で眠っていた、一年前の初々しい気持ちを、呼び起こす。
専用ヘッドホンを手にした時の実感。パソコンを前に座る時のワクワク感。これから自分は、違う世界へ旅立つんだという冒険心――。
気付けば、口元から笑みがこぼれていた。
「そりゃあ……すっげぇ嬉しかったぜ。
なんせ、ファンタジーな世界で、自分が好きな職業になりきれて、自分の思い通りに動けて、好きなように冒険できて。
しかもこうやって、ここに立っている感覚も、匂いも分かる。まさに最先端の技術って感じで、はしゃぎすぎてた気がする。
ガキの頃、スマホを手にした時より飛び上がってたなぁ。あ、ちなみに、今もそのスマホ使ってたりするんだけど。手持ち型のやつ。
今じゃ腕時計型が主流だっていうのに。時代遅れだよなぁ」
「へぇ」と、リリィは口に手をあてながら、くすくすと笑った。
「なんか、リュウくん、可愛い」
「なっ」
思わぬ言葉に、俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。
それに気付いたリリィも、頬をピンク色に染めながら笑った。
「赤くなるのも丁寧に反映されるんだね、このゲーム」
「おま……からかってるのかよっ!」
それでもなお、くすくすと笑い続けるリリィ。俺は背を向け、夜空を見上げた。
そこで輝く星達の光で、この顔の熱を隠してしまいたかった。
「そ……そういうリリィはどうなんだよ。お前、始めたばっかだろ?
初めてログインした時って、ほら、やっぱ嬉しいもんだろ」
少しぶっきらぼうな感じで、俺は問いかけた。
けれど、すぐには返事が返ってこなかった。
あれ、と思い、リリィの方へ視線をやった。
リリィは、地面に散らばる小さな光を見つめていた。
その表情は、さきほどまでの緩やかな感じではなく、あの、少し悲しみを湛えたような、繊細な陶器のようになっていた。
どきん、と心臓が跳ねた。
「……感動した」
目を静かに閉じながら、リリィは優しく言葉を発した。
「ゲームの世界なのにね、感触やら匂いを感じられるってことに、なんかすごく、感動した。
感動しすぎて、しばらく動けなかったぐらい。
信じられなかったの。こんなふうに、普通に感触として伝わってくることが。
最初は、こんな生々しく伝わるもんだと思ってなかったから、すごく、びっくりしちゃって。
でも、確かに感じるんだよね。痛みも、かゆみも、触れる感じも。
それでね、私、思ったの。
――こういう表現は、おかしいと思うけど」
一呼吸置いてから、リリィは、俺を優しい眼差しで捕えた。
「"生きてるんだな"って、思った」
リリィの発した最後の一言に呼応するように、視界の上や下から、ちかちかと星達がリズムを取る。
それらは相変わらず優しげな光を放っていて、俺たちをそっと包み込む。
俺は、リリィの放ったたった一言に、完全に意表を突かれていた。
『生きてるんだな』、か――。
その言葉を噛みしめるように、俺は目を閉じた。
ここは、ゲームだ。単なるゲーム。プログラム上の架空の世界。
「0」と「1」の数式から成り立つ、現実に限りなく近いようで、それでも偽物の世界。
だから、ここにいるプレイヤーの俺たちも、体感することは出来るけれど、それはコンピュータ上の仕組みでしかない。
機械の中の出来事であって、「現実」じゃ、リアルじゃない。
「……なるほど、な」
思わず、頷いた。
『生きている』、か。
そんなふうに考えてみたことなんて、一度もなかった。俺は目を開けて、もう一度星空を見る。
星は、ここに存在する命の鼓動を伝えるかのように、力強く輝いているように見えた。
ふ、と俺が思わず笑うと、横からリリィがくすりと笑う声が聞こえてきた。
「ごめん。変なこと言ったね、私」
「……いいや、そんなこと」
言いながら、俺はあの台詞を呼び起こしていた。
"何故、このゲームをプレイしているのか"
――そうか。
きっと、リリィにとっては。
この世界を、現実とは「別のもの」じゃなくて、もうひとつの「リアル」だと、思っているのかもしれない。
だから、その体感できるこの『世界』を、リリィは本物のようだと考えている。
本当に、大切にしているんだな、と思った。
それはなんだか、とてもリリィらしい発想だ。
俺はつい、笑ってしまった。
――だったら、リアルの方は、どう思っているんだろう?
ふと、頭の中に一つの疑問が湧きあがった。
つい、リリィの方を凝視していまう。リリィは、嬉しそうに頬をほころばせながら、「ん?」とこちらを見ていた。
俺は少し戸惑ったものの、言葉にして問いかけようとした時だった。
「――あ。そっこのお二人さぁん」
声が、飛んできた。




