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Real World~本当の僕ら~  作者: 新橋うみ
松原龍介編
19/24

Log.18 ここに居るのは、一体、誰なんだ?

※残酷描写(流血など)有り! 苦手な方、ご注意ください!※



 藤川が、学校に来なくなった。


 三日前から――最後に、『ワールド』で会おうと約束した日から、だ。

 朝のホームルームで、先生がクラスメイトたちの名前を読み上げる間、俺はずっと、藤川の空いた席を見つめ続けた。

 胸が、ぐっ、と締め付けられた。


 あの日、俺は八時頃になってようやく部活の雑用を終え、『ワールド』にインした。

 藤川は、「ログアウト」になっていた。

 制限の四時間までずっと待ってみたけれど、結局、来なかった。


 その間に藤川から送られてきた長文のメールを、何度も何度も読んだ。

 その度に俺は、奥歯を噛みしめた。

 ぎりぎりと鳴るその音が、更に俺の心臓を、締め付けていく。 


 俺はなんて、馬鹿なんだろう。


 あいつは――藤川は、こんなにも、俺たちのことを考えていてくれて、行動していてくれていたのに。

 なのに俺は。リアルでも、『ワールド』でも、何かやる前から、全部諦めて。

 こんなもんなんだ、としか、考えてこなくて。


 結局、何もしてこなかったじゃないか。


 亀田の件についてだって、そうだ。

 藤川はずっと気にかけていた。心配していた。どうにかしようとしていた。

 でも、俺は……俺は……。

 

 とにかく、藤川に会ったら、すぐに謝ろうと思った。ありがとう、とお礼を言おうと思った。

 けれど、翌日、藤川の姿は学校になかった。

 すぐに、メールした。風邪なのか、大丈夫なのか、昨日は会えなくてごめんな、と。

 でも、返事はいつまでたっても、返ってこなかった。


 二日目なら、会えると期待した。でも、来なかった。

 焦った。何かあったのかと思った。もしかして、例の"病気"ってやつか――?

 その日帰ってすぐ『ワールド』にインしてみた。もちろん藤川の……リリィの表示は「ログアウト」のまま。

 返事のこないスマホを握り締め、そわそわと落ち着かない心を必死に落ち着かせながら、俺は思った。

 きっと、次の日なら来てくれるはずだ。


 でも。

 今日になっても、藤川は、来ない。

 これは絶対、何かあったに違いない。

 そう思わざるを得ない。

 俺はぐ、と拳を強く握りしめた。

 


 なぁ――藤川。

 お前、一体、どうしたんだよ……?




 とにかく、すぐにでも藤川の容体を聞こうと思った俺は、朝のホームルームが終わって職員室へと歩いていく担任の後を、急いで追いかけた。


「先生! 藤川は、藤川はなんで学校に来ないんですか!?」


 俺が叫ぶと、先生は驚いてすぐさま立ち止り、振り返った。

「……うーん」先生は戸惑いながら、頭を掻いた。「いや……実はなぁ、オレも、よく事情が分からないんだ」

「事情が、分からない?」

 慌てて先生に詰問した。

 先生は未だに唸りつづけ、天井を見上げながらゆっくりと言った。

「ああ……。親御さんからの話だと、最初は単なる体調不良だったようだが……今日の電話だと、なんというか、ものすごく慌てたような感じでなぁ……」

「どんな感じでしたか?」

 とにかく、俺は必死だった。

 藤川の様子が、早く知りたい。

 俺の問いかけに、またもや先生は、うーん、と唸った。


「なんかなぁ……『あの子があの子じゃない』とか、『おかしい』とか、言っていてなぁ。

 しばらくしてから落ち付かれたようだったけど。

 もしかしたら……」


 そこまで先生が言いかけた時、廊下の奥から突然「先生っ!」と呼びかける、大きな声が響いてきた。

 驚いてそちらに視線を遣ると、そこには一人の女性が、ものすごい形相で立っていた。肩で大きく息をしている。

 その人はずんずんと大きく足を広げながらこちらに歩いてきて、先生の近くまで来た途端。

 その肩を、がしっと掴んだ。


「先生っ! 由梨は……由梨は学校で、何かあったんですか!?

 あの子、様子が――様子がおかしいんですっ!」


 先生の身体が大きく揺さぶられるのを横目に、俺は急いでその人に問いかけた。

「何か、て……。どうしたんですか、何かあったんですか!」

 女の人は――恐らく藤川のおばさんは、俺を涙の溜めた目でちらりと見た後に、先生に向かって吠えた。


「あの子、一歩も部屋から出てこなくて、閉じこもりっきりで!

 最初は風邪かと思って様子みてたんですけど、昨日あたりから、急に変なこと言いだしたり、夜中なんて、


 手に――手にカッターなんか持って、ふらふらしてるところを見つけて!


 ああ、なんで、なんであの子がまた、あんなことをっ!

 学校で……学校で何か嫌なことでも、あったんじゃないんですか!?」


 ――カッター……?

 その単語が、俺の心臓にぐさりと突き刺さった。


 藤川に、カッター、だって?


「お、落ち着いて下さい奥さん」先生が慌てながら言った。「とりあえず落ち着いて。職員室でお話を伺いますから」

「悠長にしてる場合じゃないんですよっ!」おばさんが負けじと叫ぶ。「今だって、あの子一人で部屋にひとりぼっちにさせたまま、私、出てきたんですよ!?

 先生、あなたも一緒に着いてきて、見てあげてくださいよ! 助けてあげて下さいよっ!!」

「ちょ、待ってください! あ、あのですね、僕にも仕事というものが――」

「あの子の担任なんでしょう! 授業なんてどうでもいいから、ほら、あの子の様子、見てあげてっ!」

 おばさんの叫び声が廊下に響くのを聞きながら、俺は、唇を噛みしめた。


 やっぱり、何か、あったんだ。

 それは、学校の中でじゃない。

 タイミング的に――そうだ。恐らく、『ワールド』で。

 俺と約束した、あの日に。


 俺は、おばさんに向かって、叫んだ。


「俺を代わりに連れてって下さい! お願いします!

 俺、あいつと仲良いですから、少しでも力になれるかもしれないからっ!

 それに俺、あいつに、どうしても伝えたいことがあるから!


 お願いします、マジでお願いします!」


 

 それから、担任の先生が取り計らってくれて、俺は学校を早引きし、おばさんと共に藤川の家へ行くことになった。

 校門を出て、おばさんが乗ってきた車で一緒に家へ行こうということになり、急いで駐車場へ向かおうとした時。


 亀田に、会った。


 俺は、久しぶりに見るその姿に、一瞬固まった。

 亀田も、突然出くわした俺の顔を見て、驚いたように短く叫んだ。持っていた鞄を落とす。

 しばらく、道路の上で視線を交わした。

 やがて亀田が、視線を伏せ、小さく口を動かして「お……おはよう」と言った。

 俺は何も言わず、亀田に近づいて、その腕を掴んだ。

 そして、ぐい、と引っ張って、駐車場へ向かうおばさんの背中を追っていった。

「ちょ、ちょっと!」と戸惑いつつも足を動かす亀田に向かって、俺は叫んだ。


「亀田、お前も来いっ!

 藤川の、藤川の様子が、おかしいんだ!」


「――え?」

 ぽかんと、間抜けたように開く口が、見えた。


 ※


 藤川の家に着くやいなや、俺は玄関を開けて急いで階段を駆け上った。事前に、おばさんから藤川の部屋の位置は聞いていた。

 後ろから、未だに状況が掴めていない亀田が、戸惑いつつも走って付いてきた。

 藤川の部屋の前に着いてから、俺はゆっくりと、息を整えた。

 心臓が未だに、ばくばくと不整な音を立てている。

 ごくりと鐔を呑み、意を決した後に。

 俺は、ゆっくりとした動作でその扉をノックした。


 返事は、返ってこなかった。

 俺はもう一度強くノックしながら、言った。


「藤川! 俺だ、松原だ! 分かるか!?」


 しん、と静まる。

 中からは、やはり何も聞こえてこない。

 俺は背後に立つ亀田に目配せした。亀田は固い表情でこくんと頷いた後に、ゆっくりと口を開いた。


「由梨……由梨、そこに居るんでしょう?

 ねぇ、私……麻子、だよ。ねぇ、お願い、出てきて由梨」


 数秒した後に、中から、どすん、と音が聞こえてきた。

 そして、ゆっくりとした声が、聞こえてきた。


「龍介、君、麻子、ちゃん――?

 ああ、二人、とも、来て、くれたんだ」


 良かった――その声は、いつもの藤川の声の調子に聞こえた。

 俺は少しだけ、胸をなでおろす。

「ああ。来たよ。

 藤川、ずっと学校休んでたから。心配だったんだぞ。

 ほら、亀田だって、ちゃんと学校来てたし。

 なぁ、藤川。部屋、入っても良いか?」

 しばらく経ってから、「良いよ」と返事が聞こえてきた。

 俺は安堵のため息をつきながら、亀田と視線を合わせた。亀田もまた、安堵したように頬を少しだけ緩めていた。

 俺はドアノブに手を掛け、それをゆっくりと回して、扉を開けていった。


 ※


 部屋の中は、薄暗かった。目の前の小さな窓には、カーテンが掛かっている。

 その窓の下に机があって、藤川はその机の椅子に、こちらに背を向けて座っていた。


 俺が完全に扉を開けると、藤川は首だけをこちらに動かして、俺たちを見た。


「藤川――」


 呼びかけようとして、ハッと気付いた。

 藤川は笑っていた。

 でもそれは、いつものような、可憐な花を咲かせたような笑みでは、なかった。


 花が萎れてしまう寸前のような、影のある笑みだった。


「由梨……?」

 亀田が後ろから、恐る恐るといった感じで、藤川に呼び掛ける。

 藤川は亀田の方へ視線を遣ると、更に一層、その影を深くしていった。


「ああ――麻子、ちゃん。

 麻子ちゃん、だ」


 良かった、とぽつりつぶやいた藤川は、首を折れそうなほどに傾け、口元をゆっくりと歪ませ、その長い髪を垂らした。

 ぞく、と、冷たいものが背筋を撫でる感覚が襲う。


 ――違う。

 これは、いつもの藤川なんかじゃ、ない。


 俺は急いで、その背中に近づいた。

 おい、どうしたんだよ、と呼びかけながら、その机の上に目を遣った時。


 息が、止まった。



 そこには、机に深く刺したカッターを握った右手と、赤色に塗れた左腕が、あった。



「藤川っ!!」

 俺は急いで、その右手からカッターを奪って部屋の隅へと投げ捨て、左手首を掴んだ。

 その左腕は、いくつか刺し傷があって、そこからどくどくと、まるで穏やかな噴水のように、血が噴出していた。

 いやぁっ、とすぐ傍で、短く叫ぶ声が聞こえた。

 がくがくと、藤川の掴む俺の手が、震える。


 うそ……だろ……これ……藤川、が……?


 『咄嗟のことでも、自分の大切な身体傷つけるのを見るのは、もっと嫌だった』

 以前、藤川が言った台詞が、耳元をよぎった。


「どうしたの。龍介君、麻子ちゃん」

 藤川は俺たちを、ぼうっとした表情で見遣った。

 その目は、この世界を見ているような真っ直ぐな目じゃなくて、まるで異次元の世界を覗いているかのように、虚ろだった。


「お、おまえ……なに、を……何をやってるんだよっ!!」


 叫びながら、取りあえずこの血をなんとかしなきゃ、止血しなきゃ、と焦った。とにかく、何か、包帯か、タオルか何かを……!

 左腕をぐっと握りしめながら、部屋の中を見渡す。すると、目を丸くさせながら、こちらをただただ見遣る亀田の顔が、見えた。

 完全に、魂が抜けたような顔になっていた。


「――あぁ、コレ?」


 藤川は、ふいに自分の左腕に視線をやって、再び俺に、視線を戻した。

 そして、ふ、とゆっくり影の笑みを作って、言った。

 

「大丈夫だよ、龍介君。だって、私、痛くないもん。

 私、"痛み"とか、そういう感覚が無い身体なんだから、平気だよ」


「――は?」



 一瞬にして、思考が止まる。

 今……何て言った?

 感覚が無い身体――?



「だからね、もう、良いんだ。ほら、こうやって、触られても、何も感じないから、良いよね。

 私、初めて、この身体で良かった、て、思った。

 何も、感じない。無理やり、触られても、何も思わない。恐くない。


 ねぇ。

 これって、良いよね。素敵だよね。最高だよね」


 突然、後ろから盛大な叫び声が上がり、俺の耳をつんざいた。

 振り返ると、そこにはおばさんが口に手を当てて、扉に身体を預けながら、これでもかと震えていた。


「ゆ……由梨、あんた、あんた、な、なんで、こんな……! 何してるの!」


 部屋に入ってきたおばさんが、その場にいた俺と亀田を、強い力で押しのけた。

 その弾みで、俺は尻もちをついた。

 おばさんは、藤川の腕を見、更に大きな泣き声を上げながら藤川に抱きついた。


「だ、駄目じゃない! 何やってるの由梨!

 もう自分の身体傷つけないって、約束したでしょうっ!」


 おばさんの腕の中でも、藤川は、

 あの不気味なほど暗黒の笑顔で、にたにた笑っていた。


 俺の心臓が、どく、と押しつぶされる。

 机から、一筋の赤い液体が、ぽとり、と床に落ちる。

 ぽとり、と、ぽとり、また、一滴。

 早く、救急車、救急車、と叫びながら、おばさんはものすごい勢いで、階段を降りて行った。

 残された藤川は、少し寂しそうな表情をした後に、机へ向き直った。

 そして、その引き出しから、何かを取り出す。手に持っているそれが、きらりと不気味に光る。


 カッター、だった。


 亀田が、「ヤメて由梨!」と叫びながら、背後から藤川に抱きつき、その右手を抑え込んだ。

 お願い、こんなこと止めて由梨、ねぇどうしちゃったの由梨、と亀田は必死に叫びながら、右手を力いっぱい掴んでいる。

 藤川が、また、笑う。

「どうしたの麻子ちゃん、大丈夫だよ私は」なんて言いながら。

 俺はもう、完全に力が抜けてしまって、動けなかった。

 その間にも、机からまた、ぼと、ぼと、と、鮮明な血が、次々と、爛れていく。

 強烈な鉄の匂いが、した。


 俺の脳裏にふと、記憶の中の藤川が現れた。


 ――花を咲かせたように、本当に楽しそうな笑顔でこちらを見る藤川。

 ――いつも人のことを考えて、こちらが悲しそうな雰囲気を察すると、同じように悲しい表情を作ってくれた藤川。

 ――明るい言葉を掛けてくれて、こちらを励まそうと努力してくれた、藤川。


 俺は、目の前にいる、腕から大量の血を流しながら、友達の腕の中で、壊れたような微笑みを作って、虚ろな目をしている人物を、見た。


 ここに居るのは、一体、誰なんだ――?



 しばらくしてから俺の耳元に、遠くから響く救急車の音が、かすかに聞こえてきた。

 

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