Log.15 ダンジョン→天までその命を輝かせる火山
「さすがに……あ、暑いな……」
「うへぇ……」
前を歩いていくリーダーさんといーくんの背中が、おじいちゃんみたいに曲がっている。
両手をだらんと垂らしながらよぼよぼと歩くその姿は、なんだかそっくりだった。可笑しくてつい頬を緩めると、額から一筋の汗が落ちてきた。
「もー! なんで今度はこんな暑苦しい場所にしたのよ!」
ふいに、私の隣にいたセレスさんが叫んだ。リーダーさんは、振り返った。
「だって、昨日は寒すぎるところだったから、『今度は暑いところが良い』って言ったの、キミじゃないか」
「あなたねぇ!」セレスさんは頬を膨らませた。「だからって、暑すぎる場所選んでどうするのよ!」
「いやだって――」
「あぁぁ、もう、ちゃんと考えなさいよっ」
そう叫ぶセレスさんの頬から、また一つ、汗が流れおちた。
――暑い。
そう思うと、途端に肌にまとわりつく熱を感じて、ぶわっと全身から汗が噴き出てきた。
私は、顔から流れ出た汗を、手の甲で拭った。
確かに、暑いけれど。
でも、やっぱりそれが、嬉しかった。
※
森のお散歩があった日から、私たちギルドメンバーは、色んな場所へ行った。
オーロラのような幻想的な場所だったり、ちょっとお化けが出てきそうな不気味なお城の中だったり。
新たな場所に一歩踏み込む度に、私は一々感動していた。こんな素敵な場所が、『ワールド』にあっただなんて。
二人が知ったら、どう思うかな?
ちなみに昨日は、一面が氷漬けになったような氷山の中を歩いた。そこで皆寄り添いあいながら、進んでいった。
しばらくしてから、セレスさんが「こんな寒いのいやー!」と駄々を捏ねてしまって、すぐお開きになってしまったけれど。
そして今日も、リーダーさんから集合メールが送られてきた。
私はもちろん、意気揚々と集合場所へ向かった。
その時には既にメンバー全員揃っていて、私が着くなり、リーダーさんは嬉しそうに言った。
「本日は、とってもダイナミックな場所へ行こう」と。
私は「ダイナミック」の言葉に、とってもわくわくしていた。
セレスさんが「寒くない所?」と聞いたら、リーダーさんは自信たっぷりに頷いた。
セレスさんは胸をなで下ろして、いーくんは「だいなみっくぅ」とはしゃぎまわって、ロロちゃんは「楽しみです」と笑った。
そして着いた場所が、ここだった。
ワープ装置からどこかへ繋がる一本道がずっと奥まで続いていて、その両側が火の海に囲まれた、立派な火山の中。
火の海は、時々ぼこぼこと音を立てながら、火の噴水を出していた。
私たちは今、この道を真っ直ぐに突き進んでいる。
※
「まったくもー……。何が『ダイナミック』なのよぉ……」
私のすぐ隣にいたセレスさんが、両手を扇のようにパタパタと仰ぎながら、辛そうに言った。
「あの、大丈夫ですか? セレスさん」
「……全然大丈夫じゃないわ」
ふぅ、とため息をつきながら私を見るセレスさん。
「リリィ、あなたはどーなのよ?」
「私は、なんとか大丈夫です」
笑顔で返すと、信じられない、といった様子でセレスさんが口をぽかんと開けた。
その後に、「若いっていいわね」と言いながら、ぷいと顔をそむけてしまった。
「ロロちゃんは……大丈夫?」
私は後ろへ振り向きながら、一歩後ろで歩いているロロちゃんに尋ねた。
キョロキョロさせていたその視線を私へ向けたロロちゃんは、にこりと微笑んだ。「はい、大丈夫」
「うへああ……オレもう限界」
その声で前を見れば、いーくんが一本道の上で、ぱたりと倒れてしまっていた。
「ちょ……そこで行き倒れるな、いーくんっ」
隣にいたリーダーさんが、慌てて言った。
「俺は、キミたちをこの奥にある『ダイナミック』な場所を案内しようとしているんだ。そこで倒れられては困るんだ!」
それでもいーくんは動く様子がなくて、うーんうーんと唸りながらばたばたと手足を動かしている。
それがなんだか子供みたいで、可愛かった。
「……おっかしいなぁ。ここら辺で、何かあった筈なんだけどなぁ」
リーダーさんは、そう呟きながら頭を掻いた。
私が「何かあるんですか?」と聞くと、「うーん」と唸っていた。
「確か、ここら辺で何かイベントみたいなものがあって、それをやった後に、『ダイナミック』な場所へと行けた、と記憶しているんだけど……」
「なによそれぇ。その、『イベントみたいなもの』って一体何なの?」
ついにはセレスさんも、足をよろめかせながら前へ倒れそうになったので、慌てて身体を支えてあげた。
「いや、実はさ、俺がここに来たの、一年ぶりで……ほとんど記憶がなかったりして。あはは」と、リーダーさんは笑った。
「『あはは』って……ちょっとあなたねぇ、ホント、しっかりしなさいよぉ!」
セレスさんが急に起き上がったから、あたしはびっくりして支えていた手を離しそうになってしまった。
リーダーさんは、うーんうーんと唸った。
それを見たセレスさんは、呆れたようにぶーぶー文句を言う。
その間、いーくんは相変わらず、地面でばたばたと小さく暴れている。
――ここのギルドメンバーの人たちは、とても愉快で、楽しい。
「リィちゃん、楽しそう」
いつの間にか私の隣まで来ていたロロちゃんが、柔らかい笑みで、ちょんちょんと私の頬をつついた。
私は、えへへ、と笑った。
と、その時。
何かが唸るような、低い物音が遠くから聞こえてきたような気がした。
私が、その方向――進行方向のずっと奥――に視線を向けた時に、ロロちゃんが同じ場所を指差しながら言った。
「あれ……あそこ。何かいます」
よく目を凝らしてみると、確かにうっすらと黒い影みたいなものがあった。
それはなんだか、動いているようにも見える。
「うっひょう! もしかしてもしかして、モンスター!」
地面をクロールしていたいーくんが、いきなりエビみたいに飛び上がった。
同時に、「ああそうだ!」とリーダーさんが叫んだ。
「思い出した! 確か、あるモンスターを倒した時に、上まで続く道が出来た筈だ!」
「えぇ! じゃあ、あれ、倒せってこと!?」
「まぁそうなるね」
「ちょっとぉ! あなた、最初の時に『戦闘しない』て言わなかったぁ!?」
「……あれぇ?」リーダーさんは、頭を掻きながら、あはは、と笑った。「そんなこと、言ったっけぇ?」
「なっ! あなたねぇ!」
と、セレスさんが文句を言っている間に、いーくんとリーダーさんは、先の方まで走っていってしまった。
私とロロちゃんで苦笑しあいながら、セレスさんの両側を二人で支えてあげて、その後を追った。
※
その影の正体は、やっぱりモンスターだった。
それは、通路の一番奥に出来ている円型の地形の真ん中で、佇んでいた。
最初の印象としては、赤い海の真ん中で漂う、イソギンチャク。
身体全体は薄い青色になっていて、その長くてうにょうにょさせた複数の触角を、あちらこちらに伸ばしている。まるで青い海を求めているみたいに。
セレスさんは一目見ただけで「き、気持ち悪いわっ!」なんて叫んでいたけれど、私は可愛いなぁと思った。
特に、触角の内の二本の先についている、くりくりとした目玉とか。
あれを退治しようという話になった時はちょっぴり悲しかった。
でも、『ダイナミック』な場所に行く為には仕方のないこと。
私も、皆に続いて、自分の武器である杖を取り出した。
リーダーさんの武器は、拳銃。いーくんは、棍棒。セレスさんは、鞭。そしてロロちゃんは、私と同じ杖。
ロロちゃんの杖は、先端に水晶みたいに透き通った玉が乗っていて、左右に小さな羽がついている。
まるで宇宙の全てをそこに閉じ込めたような水晶玉の輝きに、私はつい釘付けになってしまった。
他の皆も、食い入るように見つめた。
これが、アメリカクオリティー、てやつなのかな? そう問いかけたら、ロロちゃんはにこりと笑った。
リーダーさんは、皆の武器を確認すると、よし、と頷いた。
「とりあえず接近攻撃の三人で突っ込んで、適当に二人に回復してもらいながら攻略しようか!」
いーくんが「きょーこーとっぱー」と、さっきまで駄々をこねていたのは嘘だったみたいに陽気に笑っていた。
セレスさんは「気持ち悪いから早くやりましょ!」と身体をぶるぶる震わせながら言った。
「オーケー。じゃあ、とっとと突破しちゃいましょーか。
お二人さん、回復、あと補助魔法とかも、宜しくね」
はい、と返事する声が、ロロちゃんと重なった。
その後に、リーダーさんが先頭になって、三人はイソギンチャクへ向かって、走っていった。
「リィちゃん。頑張ろう」
ロロちゃんが、隣からにこりと声をかけてくれた。
私も、うん、と笑顔で頷いた。
「頑張ろうね!
でも、私、上手く出来なかったらごめんね。実は、あんまり戦闘経験なくて」
えへへ、と頭を掻きながら言ったら、ロロちゃんが「大丈夫」とゆっくり頷いてくれた。
「私、回復やるよ。リィちゃん、補助魔法宜しくね。
コツは、皆の動きを良く見て、『助けてあげたい』て気持ちになること。
その気持ちがあれば、大丈夫だよ」
『助けてあげたい』という気持ち。
ふと、頭の中に、リュウくんやアサちゃんの顔が思い浮かんだ。
杖をぎゅうっと握りしめて、目を閉じた。そして、私は、ゆっくりと頷いた。
「……うん! そうだね!」
目を開いて、イソギンチャクに飛びかかる三人を見つめた。
今の私の役目は、あの三人を、助けることだ。
※
「いやー、結構簡単だったねぇ」
「サイコーサイコー、気分サイコー」
「全然サイコーじゃないわ、未だに気持ち悪いわ……あの感触。うえぇ」
イソギンチャクが消えてしまった後、上へと延々と続く階段が、目の前に現れた。
リーダーさんといーくん、セレスさんが先頭に立って、私たちメンバーは、階段を上り始めた。
一段ずつ上がっていくと、火の海から徐々に遠ざかっていって、同時に肌にまとわりつく熱さからも離れていっているような気がした。
「ロロちゃん、さっきはありがとう」
私は隣で肩を並べるロロちゃんに向かって、私は微笑んだ。
「なんかさっきの戦闘、ほとんどロロちゃんがやってくれた、て感じだったよね。
ごめんね、私、あんまり役に立ってなくて」
ロロちゃんは、ふるふる、と頭を左右に振った。
「そんなことない。リィちゃん、すごく頑張ってた」
えへへ、と私は照れ隠しみたいに笑った。
優しい眼差しでこちらを見てくるその二つの瞳は、透き通った青色で、やっぱりすごく綺麗だなぁ。
「ロロちゃんはさ、結構戦闘慣れしてるんだねぇ。
すごいなぁ」
私は思いついた台詞を、そのまま言葉にした。
そしたら、ロロちゃんは黙ってしまって、俯いてしまった。
あれ?
どうしたんだろう。
「……それしか、私には、楽しみがなかったから、でしょうね……」
「――え?」
ロロちゃんは、立ち止った。
私も、一歩先で同じように止まった。
「私には……今、『ここ』に居ることが、全てだから」
こちらを少し見上げてくるその顔は、下から照りつける赤色に染まりながら、悲しく微笑んでいるように見えた。
私は一瞬にして、胸が苦しくなった。
「……どうしたの? ロロちゃん」
私は近づいて、その手を握った。
何も言わずに、今にも泣き出しそうな目をしながら優しく微笑むロロちゃん。
先の方で、楽しそうにお喋りする会話が、どんどんと遠くなっていく。
私が三人に向かって、待って、と呼びかけようとした時だった。
「リィちゃん」と、私を小さく呼ぶ声が、聞こえてきた。
「リィちゃんは、なんで、『ワールド』をプレイしていますか?」
どきん、と大きく心臓がとび跳ねるのが分かった。
慌ててロロちゃんを見た。
その表情はやっぱり辛そうで、でも誰かに今すぐにでもすがりつきたいような弱さを、必死で隠しているような瞳が見えた。
――アメリカから、一人で来た女の子。
――お金をかけてまで、外国のサーバーにまでやってきた、小さな女の子。
その姿は突然、儚くて今にも壊れてしまいそうに、見えた。
私は……胸の前に置いた手を、握り締めた。
――きっと、私と同じなんだ。
そう思った。
だって、私は、その言葉を知っているから。
その言葉の重みを、私は、誰よりも一番良く、知っているから。
不安に駆られる気持ちを抑え込みながら、私はそっと、尋ねた。
「何か、辛いことでも、あるの?」
目の前の女の子は、その瞬間、信じられないといった風に目を丸くさせた。
しばらくして、その目が徐々に、潤んでいく。
どうしたの。もう一度、私は優しく尋ねた。
ふ、と目の前の小さな女の子が、悲しそうに笑った。
「――なんででしょう。
今まで、色んな国のサーバーの、色んな方に会ってきたけれど。
リィちゃんになら、私、全て、話せる気がします」
すると突然、私の左手がその小さな両手に包まれた。
私はその温もりを感じながら、じっと次の言葉が出るのを待った。
やがて。
ロロちゃんは、泣き出しそうな声で、言った。
「私……あと半年で、死ぬかもしれないんです」
息をするのを、途端に忘れた。
ロロちゃんはさっきよりも、強く力を込めて私の手を握りしめている。
そして、その顔を伏せながら、ロロちゃんがゆっくりと言葉を繋いでいく。
私は静かに、耳を傾けた。
※
――癌が発覚したのは、一年前のこと。
お医者さんには、もう無理だ、一年半ぐらいしか持たないとはっきり言われ、取りあえず形だけの治療を、今もしているらしい。
そんな入院生活を初めてから一か月続けた時に、ロロちゃんはあることにふと気付き、急に恐くなった、と言った。
このまま、この白くて狭い病室に閉じ込められながら、死んでいくんだ、といったことを。
ロロちゃんには、夢があった。
それは、『世界の色んな景色を見たり、その国の人たちと交流したい』、という夢。
そしてある日、『ワールド』というゲームを知る。
ロロちゃんは、そこでなら、夢を叶えるんじゃないか。
そう思って、すぐに買ってもらい、プレイし始めたという。
狭い病室の中から唯一抜け出せて、色んな場所に行くことが出来て、色んな人に会える。すごく、感動した、と言った。
その内、他の国のサーバーに行けることも知って、親にすがりつくように頼んだ。すぐに、承諾してくれた。
そして、わくわくした気持ちを抱えながら、遊びに行ったこと。
そこには様々な国の人の形があって、場所があって、空気があることを感じた、とロロちゃんは語ってくれた。
それを感じながら、すごい、すごいと言いながら、思わず泣いた、と教えてくれたその顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
私は何も言わずに、そっとその小さな体を、優しく抱きしめてあげた。
――"生きている"って感じが、したんです。
その一文が、私の心に一番響いてきた。
"生きている"。
私は、さっきよりも強く、その小さな身体を抱き寄せた。
私の腕の中にある小さな温もりは、確かに今、ここにある。
ちゃんと、私にも伝わっている。
ロロちゃんは、確かに今、ここに居る。
――分かるよ。
その気持ち、すごく、分かるよ。
「大丈夫だよ、ロロちゃん。
その気持ち、すごく、良く分かるから。
だってね。
私も、同じ気持ちだから」
ロロちゃんが、そのぐしゃぐしゃになった顔をばっと上げた。
私は、えへへ、とほほ笑んだ。
同時に頬から、汗が一筋、流れていった。
「私もね。
ある、特殊な"病気"に罹ってるんだ」




