Log.12 ダンジョン→海原や蒼空に呑みこまれた砂浜(下)
「見て、アサちゃん。
宝箱の中身、これだったよ」
リリィははにかみながら、両手に宝箱の中身を乗せて、あたしに見せてくれた。
それは、一枚の金貨だった。
「これ、アサちゃんの報酬、だよね。
だって私、何もしてないから。
はい、コレ」
あたしは、その差し出された金貨を、未だに白い砂浜に座りこみながら、ただじっと見つめた。
灼熱の太陽光を浴び、強烈な程に輝いている。
思わず、目を細めた。
「……アサちゃん、大丈夫? もしかして、まだどこか痛いの?」
リリィがしゃがみ込み、こちらを心配そうに覗きこみながらまた杖を取り出して、あたしに回復魔法をかけた。
もう、とっくに痛みなんてなかったし、体力だって満タンだった。
でも何故か、心だけが、回復してくれなかった。
あたしの心は、色んなものを放出しすぎたせいで、すでにくたくただった。
多分、もう、限界だった。
「……アサちゃん……」
目の前のリリィの顔が、途端に、悲しげになった。
ぼやける視界の中でその顔を見ながら。
そう言えば、前にこんな表情見たことあるな、と思った。
ああそう、それは確か、リリィと――由梨と、初めて会った時。中学三年の時だ。
授業を終えて、誰も居なくなった教室で、ただぽつんと一人残されたあたしに、突然はにかみながら話しかけてきた、由梨。
そんな初対面の由梨に対して、あたしは冷たい言葉を放ったような記憶がある。
そう。
きっと、その時の顔だ。
目の前の由梨は、ゆっくりとその手を動かし、あたしの両手をぎゅっと握りしめた。
あたしはただ、その暖かな温もりを、感じることしか出来なかった。
やがて由梨は、ゆっくりと口を開いた。
「――ありがとう、アサちゃん。
私、いっつもアサちゃんに、助けられてばっかりだよね。
『ここ』でも、リアルでも」
由梨が、優しい瞳をしながら、あたしを見ている。
「中学校でアサちゃんと――麻子ちゃんと同じクラスになれて、お友達になれて、私、すごく嬉しかったんだよ?
ほら……私、例のあの"病気"だったから、三年生になって学校に復帰した時、皆と普通になじめるか、すごく不安だったんだけど。
でもね、麻子ちゃんがいつも私の隣に居てくれたから、とっても安心出来たんだよ。
それが何よりも、すごく、嬉しくて」
そこまで言うと、由梨の顔からふっと笑顔が消えて、伏し目がちになった。
その口から発せられる言葉が、ゆっくりになっていく。
「なのに……。
私、麻子ちゃんに対して、いつだって、何も出来ていなかったよね」
あたしの目の前で、由梨がそんなことを言っている。
あたしはただ、ぼうっとその顔を見つめる。
やがて。
今にも涙がこぼれてしまいそうな瞳を細めながら、由梨は、ゆっくりと笑った。
「だから、私、少しでも……麻子ちゃんの力になりたいって、思ったの。
今日、学校で、麻子ちゃんが辛そうに泣いたの、見てから。
私も、すっごく苦しくなって」
ねぇ、麻子ちゃん。
由梨は、言った。
「私なんて、何も出来ないって分かってるけど、でも……。
お願いだよ、麻子ちゃん。
何か辛いことあったら、私に遠慮なく言って。
それで何か解決出来るかって言われたら、なんとも言えないけど。
でも、気持ちを吐き出してもらうことで、少しでも麻子ちゃんの気持ちが楽になってくれたら、嬉しいの。
私が、麻子ちゃんに私の"病気"について、愚痴こぼしちゃった時みたいに」
肩を震わせ、溢れだそうとする何かを必死に抑え込むような様子で、由梨は言う。
あたしは、そっと、目を閉じた。
脳裏に、当時の記憶が、まるで昨日の映像のように蘇ってくる。
※
一人になることが、とても辛かった、あの頃。
いじめを受けてから、人と接するのが恐いと思いつつも、心は寂しいと叫んでいた、あの頃。
同じクラスで、同じようにぽつんと一人で座る女の子――由梨が話しかけて来た時も、どうせいじめてきたあの子と同じように接してくるんだろうと決めつけて、警戒していた。
でも、本当に悲しそうなその表情を見て、あたしはずきんと、胸が苦しくなった。
きっとこの子も、あたしと同じなんだ。
そう思い、気付けばあたしは、その子に手を伸ばしていた。救いを求めるように。
しばらくしてから、由梨と仲良くなった。
といっても、由梨から一方的に話しかけてきて、あたしはそれにそっけなく答える、なんていう関係だったけれど。
それでも楽しかった。
一人じゃないって思うことが、出来たから。
しばらくしてから由梨が、特別な"病気"のことについて教えてくれた時は――驚いたのと同時に、嬉しかった。
あたしだけに打ち明かしてくれたその「秘密」は、あたしと由梨が本当に友達で、繋がっている証明のように思えたから。
あたしはその時、由梨にこう言っていた気がする。
大丈夫、あたしが傍にいる。って。
中学卒業して、あたしたちは同じ高校へ進学することが出来た。
でも、クラスは別々になった。
クラスになかなか馴染めないことに、あたしは息苦しさを感じていた。
だから、あたしはそこで初めて、自分から由梨の所へ行こうと思った。
ちょっとだけ足を軽くさせながら、由梨が居るクラスを覗いたら。
由梨は、そのクラスの女子たちに囲まれ、楽しそうにお喋りをしていた。
その姿を見て、あたしはずきんと心が疼いたのを覚えている。
ああ、ついに、あたしは取り残されたんだ、て思った。
別に、由梨を恨んだわけじゃない。
時々あたしのクラスまで未だに来てくれるあの子は、悪くない。
でも、すごく、羨ましかった。
途端に学校がモノクロの世界になって、周りの生徒たちがのっぺらぼうになって、一人教室の片隅で座っている自分が――ひどく悔しくなった。
それからだ。
あたしが、『ワールド』の世界に入り込んだのは。
勢いだけで潜りこんだあたしは、最初は恐る恐るプレイしていた。
けれど、次第に『ワールド』上の知り合いが増え、プレイのコツがつかめてきた時。
その『世界』は、"あたしの世界"になった。
そこでは、あたしは「リアルのあたし」という殻を抜け出すことが出来る。
とても自由で、気楽で、素敵で。
何よりも、何時でも繋がりあえる、仲間がいてくれる。
その事実が、何よりもあたしを支えてくれ、安心させてくれた。
それからあたしは、リアルの自分に――
鍵を、かけたんだ。
※
あたしは、目の前の由梨に、しがみついた。
その細い肩を両手で掴み、顔を砂浜へ向けながら、ぼろぼろと泣いた。
自分でも情けないと思うほどに、嗚咽が、涙が、溢れ出てくる。
と同時に、心の底で、かちゃりと何かが開く音と、何かが崩れる音が、重ねて聞こえてきた。
どうしたの、とリリィが優しく問いかけてくる。
その心地良い声が、あたしのしわしわになった心に、すぅっと沁み込んできて――。
あたしは、叫んだ。
本当は、あたし、一人になんかなりたくない。
リアルでも、『ここ』みたいに、明るく素直な自分になって、友達と普通に遊んだりしたい。
『ここ』にいつまでも逃げ込んでいる自分なんて、キライ。大嫌い。
嫌だ、辛い、苦しい、限界、もうイヤ、お願い、お願い……
助けて。
わぁぁ、なんて自分が喚くのが、意識の遠くで聞こえてくる。
目の前には、白い砂浜。その上に、小さな水たまりがぽつぽつと広がっていた。
ああ、綺麗だな、て思った。
それはまるで、無限の砂漠の中に唯一潤いを与えている、オアシスのように見えて。
ふと、肩に何かが優しく触れるのを感じた。
あたしが顔を上げた時、それは全身に広がっていった。
由梨が、あたしを優しく、抱いてくれた。
あたしは喉から声にならない声を洩らし続けながら、その胸の中に顔を埋めた。
すると、その身体から、声が振動として伝わってきた。
大丈夫。私が傍にいる。
その言葉を耳にした時。
どくんと、心臓が縮こまった気がした。
それは、あたしが昔――由梨に向かって、あたしが言った台詞。
結局、守ることが出来なかった、あたしの嘘の台詞。
――ぴこん。
突然、あたしの頭の中で警告音が鳴り、あたしはびくっと身体を強張らせた。
あと少しでタイムアウト――四時間が経過し、強制ログアウトの時間になることを、告げる音だった。
もうすぐ、終わってしまう。
あたしは、この『世界』から、強制的に排除されてしまう。
目を閉じて、頭の中で確認すれば、そこに退場までのカウントダウンが示されていた。
『残り、30秒です』。
冷たくその時を知らせる、無機質な数字がそこにあった。
これがゼロになった時、あたしはリアルの世界に戻ってしまう――。
ずきんと胸が疼いた。
……いやだ。
いつまでも、この『世界』の中に留まっていたいのに。
あんなリアルの世界なんかに、帰りたくなんてないのに――。
数字は容赦なく、その時を刻んでいく。
『25』、『24』、『23』……。
早くここから出ていけと、『ワールド』から言われているかのようだった。
その時。
どくん、と、あたしは気付いた。
途端、強烈なほどの虚しさに、あたしは襲われた
ああ、そう、そうじゃない。
ここは結局、『ワールド』。
ただの、オンラインゲームの、世界。
架空の世界。偽物の世界。
何もかも、作り物の世界。
あたしは手に力を込めて、そっと由梨から――リリィから離れた。
リリィは、少しだけ驚いた表情をして、問いかけてきた。どうしたの、と。
最後に目を閉じて、カウントを確認する。
『残り、10秒です』。
そしてまた、ゆっくりと目を開けて、リリィを見た。
段々と薄まっていく視界の中で見るリリィは、やっぱり、とても作りもののように見えた。
当たり前だ。だってそれは偽物。
本物では――リアルではないのだから。
今この出来事も。リリィが言った台詞も。前に松原君が言ってくれた台詞も。ギルドメンバーも――
今、ここにいる、あたしも。
そんな作り物の世界で。
あたしは一体、何をしてきて、何を信じてきたのだろうか。
そして、カウントが『3』になって、いよいよ身体の力が尽き果てようとした時。
あたしは、リリィに向かって、ばいばい、と小さく手を振った。
視界は、完全にブラックアウトした。




