Log.11 ダンジョン→海原や蒼空に呑みこまれた砂浜(上)
「――もしもし」
『もしもし? えと……アサちゃん?』
あの……ご、ごめんね。突然連絡しちゃって。
ねぇ、今、どこに居る?』
「どこって。入り口の街だけど」
『あ、本当? 私も今、そこのワープ装置近くに居るんだぁ。
てことは、あの大きな掲示板の近く、とか?』
「まぁ、そうだけど」
『――ねぇ。
今から、アサちゃんに、会っても良い?』
「…………」
『あのね、久しぶりに二人でパーティ組んで、依頼やりたいな、て、思って。
ほら、いつもリュウくん入れて三人でやってたでしょう? だから……。
あ、でも別にリュウくんを邪魔者扱いしてるわけじゃないんだよっ。
三人も三人で楽しいけど、二人でやるのも良いんじゃないかなって思っただけで。
駄目、かな。
……あ。もしかしてアサちゃん、今は他の人たちとパーティ組んでる時だったり?
それなら私、邪魔だったかな。ごめんね、私、タイミングとかいっつも悪くて』
「良いよ」
『……へ?』
「パーティ、組みたいんでしょ。良いよ。
あたし、別に今、何もしてないし。街ん中ぶらぶら歩いてただけだし」
『本当?』
「嘘ついてどーすんのよ」
『……そっか、そうだよね、うん。ありがとうアサちゃん!
それじゃあ、私、今からそっち向かうね!』
「ならあたし、依頼登録の方ちゃっちゃと済ませてくるよ。簡単なやつでも」
『良いの? ありがとう!
それじゃあ、お願いしまぁす』
「じゃ、切るよ」
『え? あ、うん。
それじゃあ、また後でね!』
「うん。……じゃ」
リリィとの『ボイスチャット』を切断するように念じると、頭の中でぶつんと何かが切れる音がした。
あたしは大きく息を吐き出しながら、煉瓦の建物にかたどられた空を見上げた。
それはとても狭くて、窮屈そうだった。
あの後――学校を飛び出して真っ直ぐに家に帰ってきたあたしは、そのまま『ワールド』の世界に閉じこもった。
何をするでもなく、ただ、この入り口の街をぶらぶら歩きながら。
多分、三時間ぐらい。
最初は、ギルドメンバーで馴染みの奴等でも呼び出して、一緒にパーティ組もうかと考えた。
けれど呼び出そうとする度に、あの伊藤香奈が放った台詞が、耳元で蘇る。
『亀田ってさ。やっぱり、一人で居ることが恐いんじゃねぇの?』
途端に、やる気が失せた。やることが、無くなる。
でも、リアルに戻るのも嫌だから、結局ここで、あたしはぼーっと彷徨っていた。
あたし、何やってるんだろう、本当に。
何度も自分に問いかける。憂鬱なため息が次々と漏れる。
でも、今は取りあえず、リリィと約束してしまったんだ。
何か適当に、依頼登録しなければ。
ふらふらと縺れる足に、内側から鞭を叩き込みながら、案内所へ向かって歩いていく。
ゆっくりとその足を踏み出し、両手の掌を呆然と見つめ、靄がかかったように動きが鈍い脳みそで、思った。
――あたし、どうして『ワールド』なんか、プレイしてるんだっけ。
※
ダンジョン→海原や蒼空に呑み込まれた砂浜
「すごい、見て見てアサちゃん! 海と空の境界線、くっきりと見えるよ!」
ダンジョンに着くや否や、リリィはその方角を指差してはしゃいだ。
あたしは適当にその方角に視線を遣り、「そうだね」と頷いておいた。
そこはもう、白いビーチみたいな場所だった。
向こう側では、海の先端が砂浜を何度も洗い流しているのが見えて、遥か遠くには、リリィが喜んでいた青の境界線が、くっきりと見えた。
海には、他のプレイヤーたちがぽつぽつと泳いでいるのが見えた。今日はなんだか人が少ない。
そんなプレイヤーたちの頭を、真上で輝く灼熱の太陽が、ぎらぎらと照りつけていた。
反対側へ視線を遣れば、そこにはヤシの実やら、南国の島に生えるのが相応しいと思える木々たちが、ずらりと並んでいた。
まるで、ここから先には行かせませんよと、通せんぼしているかのように。
「うわ、すごいねこの砂。サラサラしてるよ」
リリィはあたしの少し先でしゃがみ込んでいて、その両手を砂の中に埋めていた。
お椀の形を作りながら持ち上げられた両手から、白い砂が、ざー、と流れていった。
一つ一つの粒がきらきら輝いているのが、すごく眩しい。
全ての砂が地面に落ちていくのを見届けた後に、リリィは立ち上がって、軽い足取りで海の先端へ向かって走っていった。
本当に、子供みたいだ。
その背中を、あたしは突っ立ちながら見送った。
――ホントに、羨ましいぐらいに、明るくて、素直で、優しい子だ。
両手の拳を、ぐっ、と握りしめた。
「ねぇ、リリィ。
あたしら、別に遊びにきたわけじゃないでしょ。
早く『宝箱』を見つけ出して、依頼終わらせよう」
リリィがぴたりと立ち止り、躊躇いがちにこちらへ振り返った。
その顔は、きつく叱られた子供みたいに、悲しく歪んでいた。
やがて、えへへ、と苦笑いしながら「ごめんね、アサちゃん」と言ってきた。
あたしはぷいと顔を逸らし、海辺にそって砂浜を歩き出した。
胸がぎゅっと締め付けられるような感覚は、もううんざりだった。
ずんずんと先を行っても、辺りの気色は、何の変化も見せてくれない。
左手には、相変わらず南国の木々たちが圧迫するように並んでいる。
右手には、まるで全てを呑みこもうと企んでいるかのように広がる青がある。
黙々と、あたしはその中を歩き続ける。
リリィはずっと黙り込みながら、あたしのすぐ後ろに付いてきていた。
ちなみに今回あたしが選んだ依頼は、『隠された宝箱を見つけ出せ』というもの。
これなら適当に歩きまわっていれば、その内宝箱を見つけ出して、すぐに終わることが出来るだろう、と考えたのだ。
とにかく、ちゃっちゃと終わらせてしまおう。
一定の間隔で砂を洗っていく海の音だけが、耳元に聞こえてくる。
ざー、ざー、とゆったりとしたテンポで鳴っている。なんとなく心地よかった。
そんな穏やかな音に身を委ねながら、あたしは目を閉じた。
何やってるの、あたし。
リリィは多分……いや絶対、あたしのことを気遣って、依頼に誘ってくれたっていうのに。
今日初めて会った時から、ずっと適当に会話に合わせているだけで、その度にリリィを困らせていた。
最初に謝らなければならないのは、あたしの筈なのに。
これじゃ、リアルと全く同じだった。
相手に冷たく接してしまう、心の狭いあたし。
なんでだろう。
いつもなら、この『世界』に入れば気持ちが軽くなって、思う存分行動することが出来たのに。
何コレ。どうして。
ねぇ、なんで、なんでよ。
途端に、悔しさが次々と心の底から湧きあがってきて、あたしの心臓をぎゅぅっと圧迫してきた。息苦しくなる。
あたしは黙々と歩き続けながら、海に洗い流されている白い砂浜を睨みつけた。
目から溢れだそうとする何かを必死に抑えつけ、唇を引きつらせて思った。
どうして、この『世界』にまで、"泣く"なんてことが出来てしまうの……?
※
ふと、あたしの横をリリィが駆け抜けていった。
突然のことに驚いて、あたしは立ち止った。
リリィはそのままあたしの目の前を走っていき、数メートル先の砂浜で、しゃがみ込む。
やがて、くるりと振り向いた。淡色の髪が、ひらりと舞う。
その手に、小さな星型をかたどった物を持っていて、あたしにそれを見せびらかしていた。
「見て、アサちゃん! これ、可愛いよっ!」
無邪気に笑いながらそう言うリリィ。
太陽の光を斜め上から浴びて、きらきらと輝いていた。
それを見た瞬間、あたしの心の中で、何かがぷちんと弾けた。
全身の冷え切っていた血が、途端にぐつぐつと煮え始める。
――何も知らない癖に。
そんな、無邪気な顔で――
あたしに、話しかけんな。
精一杯、その大きな瞳を睨みつけようと、目に力を込めた時だった。
リリィの手に掲げられていた星型の物体が、ぴくり、と動いたように見えた。
そして次の瞬間、そいつに付いていたらしい二つの目が、カッと開かれた。
あたしはハッと息を呑み、そして、叫んだ。
「――リリィ! 早くそれを離してっ!」
「……え?」
きょとんとこちらを見たまま、何も気付いていないリリィ。
あたしは駆けだした。そいつが、大きくその身体を震わせる。そこでようやくリリィが異変に気付き、手からそいつを手放した途端。
そいつは――ヒトデは、巨大化した。
人の二倍程の大きさになったそいつは、側にぺたりと座りこんだまま動かないリリィを、じっと睨みつけている。
にひひ、とそいつが奇妙な笑い声を発した次の瞬間、その身体にびっちりと細かな針が生えた。身体の輪郭が分からなくなるほどに。
逃げてリリィ。あたしは叫んだ。
けれどリリィは、腰を抜かしてしまったかのように動かない。ただ、巨大化したヒトデを、恐怖の表情で見上げているだけだった。
歯を食いしばりながら、更に足を速める。
やがてそいつが、ぐらり、と身体を揺らして、リリィに向かって倒れていく。
――ヤバいっ!
射程距離内に入るや否や、あたしは急ブレーキをかけ、呼び出しておいた弓矢を構えてすぐさま矢を放った。
まっすぐに飛んだそれは、見事真ん中に的中。
そいつは、矢の飛んだ流れと同じ方向へと倒れた。
再びあたしは走りだし、へたり込むリリィの腕を掴んで、ぐいっと持ち上げた。
ふらつきながらも立ち上がったリリィに向かって、あたしは叫んだ。
「馬鹿っ! 何やってるのよ!
あんた、あのまま不意打ちされてたらどーするつもりだったわけ! 危なかったじゃんっ」
「――ご、ごめんなさ」
「それより大丈夫!? 何か、あいつに攻撃されてない!?」
「う、うん、だ、だいじょう、ぶ」
すっかり竦み上がったリリィの瞳に、必死の形相で口を開いているあたしの姿を見つけた。
そこでようやく、あたしは我に返った。
気恥かしさが途端に込み上げてくる。あたしはリリィの腕から強く握りしめていた手をぱっと放し、慌てて一歩距離を取って視線を逸らした。
と、その時、横に倒れたヒトデが、ぴくりと動くのが見えた。
すぐに危険を察知したあたしは、とにかく、頭の中であいつのステータスを調べるように念じた。すぐにウインドウがそいつの側に表示される。
レベルは――大したことない。あたしより五くらい下だ。さっきの攻撃で、HPも半分くらい削っている。
とにかく、今はあいつを何とかしよう。
あたしは、そいつに向かって再び弓矢を構え、標準を定めた。
「リリィ、あんたはとにかく、後方で待機して!
こんな奴、あたしがすぐに終わらせるから」
「で、でも――」
「早くっ」
びくりと肩を震わせたリリィは、その引きつった表情のままこくりと頷き、ヒトデと反対方向へ走っていった。
あたしは、星形のそいつを、キッと睨みつける。
そいつもまた、あたしの方の方へ光る双眸を向けてきた。
「――さっさと死んでっ」
そう叫び、構えていた矢を放とうとした時だった。
ヒトデが全身を震わせたかと思ったら、何かがこちらへ目掛けて飛んできた。
複数の鋭いものが、鋭い光を放ちながらひゅんひゅんと飛んでくる。
咄嗟の事に対処できなかったあたしは、腕で顔を覆うことしか出来なかった。
全身に鋭い痛みが走る。あたしは短く叫び声を上げながら、地面に倒れた。
「アサちゃんっ!」
「ぐぅ……」
ゆっくりと上半身を起こして見ると、身体の所々に針が刺さっていた。
舌打ちしてそいつを見た。すっかりつるつるになったヒトデ。
にひひ、とまた笑った。その笑い声が耳にこびりつく。
鬱陶しい。
その、馬鹿にするような笑いが。
あの女を――伊藤香奈を、思い出してしまうから。
胃の中がむかむかして、途端に気持ち悪くなった。
馬鹿にしやがって。
「――舐めんなよっ!」
お腹の底から声を出した。心の奥に潜んでいたエネルギーが、一気に爆発した。
あたしは立ち上がる。もう一度弓矢を構え、そいつを見た。こちらへ真っ直ぐに近づいてくる。
矢を持つ手に力を込めた。途端に、矢が光り始める。目を閉じ、何度も何度も頭の中で、強く念じた。
……もっと、もっと強く!
ヒトデがあと一メートルという所まで迫って来た気配を感じた瞬間。
あたしは、目をカッと開いた。
「いっけぇぇぇ」
渾身の思いを込めて、強い光を纏った矢を放った。
矢を包み込んでいた光は、一瞬にして竜の姿へと変化する。そのまま真っ直ぐ、標的の元へと飛んでいく。
ヒトデは、身体の真ん中を射抜かれたのと同時に、光の竜に食われた。きぃぃ、と甲高い悲鳴。そいつの姿は、一瞬にして光に埋め尽くされる。
その光が和らいだ時には、すでに跡かたもなく、ヒトデは消え去っていた。
後に残されたのは、今回の依頼の達成でもある、小さな宝箱。
気付けば、あたしの全身から力が抜けていて、白い砂浜に、崩れ落ちていた。




