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Real World~本当の僕ら~  作者: 新橋うみ
亀田麻子編
11/24

Log.10 一番恨むべきなのは、自分

 翌日、あたしはいつもより十分ほど遅く起きて、朝食もそこそこに家を出た。

 学校へ行く足は若干重かった。でも、心だけはちょっとだけ浮いている。そんな奇妙な感覚を抱えながら、校門を抜けていく。

 そして、靴箱で自分のスリッパを手に取った途端、これからクラスに向かうのだ、と気付いてしまった。

 浮いた気持ちが、ずぅんと沈んでいくのが分かった。


 それは、あの女と――伊藤香奈と、嫌でも顔を会わせなければならないことだから。


 まぁ、存在丸ごと無視して、一日を過ごせばいいだけだ。いつものように。

 でも、そう思って心を真っ黒に塗りつぶそうとする時に、昨日のリュウの台詞が蘇ってきて、待ったをかける。



『お前、リアルでもそうして明るくしてればいいのに』

『俺、『ワールド』にいるアサの方が、好きだから』



 その度に、あたしはいちいち動きを止めてしまう。

 どくん、と心臓が大きく脈拍を打つ。


 ――リアルでも、明るく。

 それは、あたしが昔、強く願っていたことだった。

 でも。

 高校になって、中学三年の時にずっと傍にいてくれた例外と――由梨と別々のクラスになったことに失望し、この状況に慣れてきてからは一切考えてこなかった。

 新しい世界である『ワールド』で、楽しく過ごせればそれで良いと思ってきたから。


 けれど。

 本当に、あたしは「それで良い」と、思ってきたのだろうか。


 履いていたローファーを適当に靴箱に突っ込み、スリッパを足に引っ掛けながら、廊下を渡っていく。

 そこに響く「おはよー」の合唱を耳にしながら、あたしは自分のクラスへ向かい、ゆっくりと歩いていった。

 そっと目を閉じて、心の奥を覗いていく。


 そこに一つ、鍵がかけられたまま固く閉ざされている扉を見つけた。

 それは、何をしても動かないぞいう、強い気配を見せながら。


 あたしはそれを――その扉の中に眠っている"思い"を、多分、知っている。

 知っているけれど、ずっと気付かないようにして、今まで過ごしてきたのかもしれない。

 ゆっくりと、階段を一歩一歩踏み出していく。

 すると、あたしの横をやんちゃな声を上げながら女子生徒が駆け下りていった。

 足を止め、その子を見送る。

 階段を降りた彼女は、廊下で待っていた一人の女子に向かって、子供みたいに抱きついた。

 抱きつかれた子は、なによぉ、なんて言い合いながらきゃっきゃとはしゃいでいる。


 いつもなら、無視していた光景だった。

 でも、今は少しだけ、彼女たちが眩しく見えた。

 いつかの時の、あたしとクル☆ミンみたいだ。

 階段の手すりを、ぎゅっと握りしめた。


 今なら。

 今なら、心の奥にあるその扉を、そっと開けられるような気がした。

 でも、覗いてしまうのが、恐くもあった。

 それと同時に、きっと、自分自身が崩れてしまいそうな気がしたから。


 ふぅ、と軽く息を吐き出してから、あたしは軽く頭を振り、階段を上り始めた。

 あたしの教室は、階段を上って左に曲がれば、すぐだった。


 ※


 前方にある教室のドアを開けると、目の前に女子生徒が立っていた。

 伊藤香奈、だった。

 あたしは思わず、持っていた鞄を落とした。

 相手も、予想もしなかった突然の出来事に、目を丸くさせていた。


 まさか、一番始めに遭遇してしまうだなんて。


 あたし達二人は、ドアの向かい側と外側で、お互いに睨みあう形になった。

 何かが触れただけでも爆発しそうな空気が、辺りに漂う。

 伊藤香奈の周辺には、お喋りしていたであろう女子グループがちらりと見える。彼女たちも、あたしに対して、冷たい視線をよこしてくる。

 周りを真っ黒にした伊藤香奈の目を睨みつける。

 だけどあたしの心臓は、何かを訴えるかのように、ばくばくと胸を叩いていた。


 ――あたしから言うべき言葉が、あるはずだ。


 けれど、それは形にならず、心の中でぐるぐると渦を巻いてしまう。

 その間に、あたしの眉間に入る力が、強くなっていった。

 相手も徐々に顎を持ち上げながら、こちらを見下してくる。

 やがて、ふっと口元を歪ませながら、言った。


「あたしら、話で忙しいんだ。あんた、あっちから入れよ」


 遠い方のドアを親指で示しながら、伊藤香奈は笑った。

 途端に、カッと顔が赤くなるのを感じ、あたしは落ちた鞄をすぐさま拾い、ぷいっと反対側のドアへ向かって歩いていった。

 ドアを開けて教室に一歩踏み込むと、女子グループがこちらを見て、あははと笑うのが見えた。

 鞄を持つ手に力を込めながら、あたしは窓側の、前から二列目の席へどすんと腰を下ろした。

 鞄から電子パッドを乱暴に取り出しながら、あたしは大きく長く、息を吐き出した。

 途端に胸がからっぽになって気がして、さっきより楽になった。

 けれど、すぐに虚しくなった。胸が、ちくりと痛む。思わず叫び出しそうな衝動に、襲われた。

 こんなの、いつもの調子なら、軽くやりすごすことできた筈なのに。


 今のあたしは、脆い。

 それはきっと、松原君のせいだ。

 松原君が、あんなこと言うから。

 でも。

 彼を責めることは、出来なかった。

 

 一番怨むべきなのは、自分なのだと知っているから。



 ようやく、お昼を告げる鐘の音が響いた。一番休息出来る時。

 あたしは、弁当を片手に教室中をウロウロしだしたクラスメイトたちを横目に流しながら、床に置いてある自分の弁当箱へと、手を伸ばした。

 今日はいっそ一人で校庭にでも出ようかな。所々雲が浮かんでいる曖昧な空でも眺めながら、外の空気を思い切り吸いつつ食べるのも、良い気がする。

 そんな想像を巡らせた時だった。

 後ろから、ふいに声を掛けられた。


「ねぇ、亀田さん。

 今からうちら女子で球技大会の練習すんだけどさ。

 付き合ってよ」


 そう告げた伊藤香奈の口元は、醜いぐらいひん曲がっていた。


 ※


「じゃあ、うちらで輪になって、トス練習しようか。

 ここら辺で丸くなれば良いんじゃない?」


 伊藤香奈は、運動場と校舎の間にある、やや広まったこのコンクリート道路で、手に持っている大きなソフトバレーボールをバウンドさせた。

 ボスの声に動かされるように、彼女に付いてきたクラスメイトの女子四人が、円を描くように広がっていく。

 あたしもしぶしぶ足を動かしながら、そいつらの顔をちらりと見た。

 全員、あたしを見て不吉に笑っているように見えた。

 こいつら、絶対何か図ってる。

 そう思わざるを得なかった。


 あたしのクラスの女子が担当する球技大会種目は、バレーとバスケ。

 クラスに女子は十二人いたから、半分ずつ、六人が一つの種目をやることになっているはずだ。

 その担当分けを、あの日――あたしと伊藤香奈が口論になったあの日、あたしが出て行った後に、こいつらが勝手に決めたらしい。

 そして今、この場にあたしと伊藤香奈が、一緒に居る。

 つまり、バレーを一緒にやる、ていうこと。


 どう考えたって、それは何か企みがあるに違いない。

 そいつらの顔を順に一瞥しながら、手をぐっと握りしめた。

 伊藤香奈は、あたしの二つ左隣に立っている。


「よし、大体円になったね。そんじゃ、行くよー」

 伊藤香奈はそう言って、手で弄んでいたそのボールを、ひょいっと真上へ投げた。

 それがちょうど手元の高さまで落ちて来た時に、彼女は掲げた両手の手首をくいっと曲げて、直線上にいる女子へトスした。

 トスを受けた子は喜々とした表情で、「絵里、パス!」と言いながら、右隣の子へ向かってトスしていく。

 絵里と呼ばれた子もまた、午後のうららかな陽に顔を照らされながら、「ほいよっ」と伊藤香奈へボールを戻した。

 彼女はそれを、左隣の子へと、トスする。


 ……嗚呼、そういうことか。

 あんたたちの企みは、こうして、あたしにボールを永遠に回さないことで、あたしをのけものにすることなのか。

 あたしを見世物にすることだったのか。


 拳を一層、きつく結ぶ。

 馬鹿みたいだ。

 あたしは心の中で、毒づいた。

 その間にも、ボールは軽々と宙を舞っている。



 ――良いじゃない。もう、勝手にすればいい。企みだろうがもう、なんでも良くなってきた。

 もう、どうだっていい。


 やっぱりあたしには、リアルで明るくなんて、無理な話だったんだ。

 


 そう思い、運動場で同じように球技大会の練習をしている連中を、眼鏡のレンズを通して睨みつけていた時だった。

 ぽん、と。

 頭に、何かが落ちてきた感覚がした。驚いて、視界を足元に落とす。

 そこには、大きなバレーボールが転がっていた。


「ちょっとぉ、亀田さん。

 ちゃんとトスしてくんなきゃ、練習にならないじゃーん」


 伊藤香奈が、陽気な声を上げるのが聞こえてきた。あたしは戸惑いつつも、その顔を見た。

 彼女は、「ほらほら、早くトスしてよぉ」と甘ったるい声を出して、あたしに陽気に笑いかけていた。

「……え?」

 慌てて、周囲の女子たちの顔を見た。

 そこには、先ほどのような何か企みを持ったような含みの笑みはまるで無く、本当に楽しそうに笑っているように見えた。

 あたしは呆然とした頭の中で、ゆったりとした動作で転がったボールを拾い、腕の中に収めた。

 ――どうなってるの?

「ちょっと亀田さん。トストス」

 隣から明るい声で言われて、あたしは慌てて、どぎまぎとした動作ながらも、ボールを適当に上空へとトスした。

 それは綺麗な放物線を描いて、直線上にいる女子の元へと飛んでいった。

 その直線上の子は、あたしの投げたボールを避けるようなこともなく、ちゃんとトスして隣の子へとボールを回していく。


 ――最初だけ油断させて、後から無視してくる戦法、とか?


 心の中で、少しだけそう疑った。けれど、数分する内にそれは消え去っていった。

 伊藤香奈は変わらずに明るい笑顔を向けてくるし、周囲の女子たちも、楽しそうにボールをあたしへトスしてくれる。

 あたしも、ぎこちないながらもトスを返す。

 それはまさに、仲の良いクラスメイトたちが、楽しく練習している光景だった。


 ……あたしの、考えすぎ、だったんだろうか。

 純粋な笑い声が広がっていく空気に呑まれながら、そう思った。

 全部、あたしの思い込みすぎで。

 実は、伊藤香奈たちはあの時のことを悪いと思ってくれていて。

 そして、あたしも――。


 気付けばあたしの頬は緩んでいて、しっかり相手にボールを届けようと、トスに集中するようになった。


 ※


 そんなトス練習が、十分ほど続いた時。

 隣の子から回されたボールを、あたしが力を込めて、伊藤香奈へとトスした。

 ボールは、正確な機軸を描いて彼女の元へと飛んでいく。

 そして、彼女は。


 そのボールを、上空に掲げた両手で、しっかりとキャッチした。


「……ちょ」

 何やってるの、とあたしが言おうとした時だった。

 伊藤香奈は、ゆっくりとその視線を、あたしに向けた。

 その視線に、あたしの心臓は一瞬にして竦み上がった。

 こちらを冷たく見放すような、こちらの心を抉るかのような、鋭い視線が、あたしを捕えてくる。


 無意識の内に、足ががくがくと小さく震えだす。拳を、ぎゅ、と結んだ。

 やがて彼女は、今日最初に話しかけてきたような醜い口元で、言った。


「……ねぇ、亀田。

 あんた、なんでうちらと一緒にいるわけ?」


「――へ」

 途端に喉元が縮こまって、上手く声が出なかった。

 息をすることさえ、難しくなる。

 あたしは何も言えず、周囲の女子たちを慌てて見た。

 いつの間にか、彼女たちもまた、伊藤香奈と同じ笑みを作っていた。

 ふ、と伊藤香奈の方から、息が漏れる音が聞こえてきた。


「やっぱり、ね。

 ウチが狙った通りだったっしょ」

 くすくすと、周囲から笑いが漏れる。


 ――何が。

 そう詰問したかった。今すぐに。怒鳴り散らしたってかまわない程に。

 でも、喉からはひゅーひゅーと鳴るか細い息しか出てこなくて、口の中が、途端にからからに乾いていく。

 心が、崩れかけのジェンガのように、大きく傾いていく。

 やがて、伊藤香奈が。

 止めの一言を放った。



「亀田ってさ。

 やっぱり、一人で居ることが恐いんじゃねぇの?」



 途端、全身から力が抜けていく。

 視界がぐらりと大きく揺らぐ。

 必死に、足を踏ん張った。

 次第に、周囲から声が重なってきた。

 それらは容赦なく、あたしを押しつぶしていく。


「何、亀田って結局、一人で格好つけてたってことぉ?」「うわ、なにそれ」「きもちわるー」「てか、ださい」「どこのガキだよって感じじゃね?」「ホントホント」「うけるー」


 やめて。

 あたしはそんな言葉の渦の中で、思わず耳を塞いだ。


 やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて――――



「てゆーか、なんか、かわいそぉー」



 その最後の一言で。

 ついに、何かが音を立てて崩れたのが、分かった。

 きっと、心の中の、ジェンガが。

 ふ、と目の前の気色が、一瞬にして、透明になった。


「……勝手に、言ってろよ」

「――は?」

「あんたたちに、あたしの何が分かるっていうのよっ!!」


 精一杯叫んだ。これでもかと叫んだ。

 叫ぶことしか、出来なかった。

 あたしはくるりと背を向け、校舎に向かって走り出した。

 水たまりの中みたいにゆらゆらと揺れている視界の中を、感覚の無くなった足で、前に前に押し出しながら進んでいく。


 もう、嫌だ。


 今度は心の中で、あたしは叫んだ。


 もう、こんなの、嫌だ。


 ※


 階段を一段飛ばしで駆け抜け、教室のドアを思いっきり開く。

 誰もいない空っぽの教室に並ぶ机たちをかき分けながら、自分の机へ真っ直ぐに向かう。その横に掛っている鞄をひったくるように取って、踵を返す。

 とにかく、早く、一秒でも早く、この場所から――この「世界」から、出たかった。


 鞄をしっかりと抱きかかえ、階段を降りるときに足元を見て、そういえば靴のままだったと今更のように気付いて、でもすぐにそんなのどうでも良いじゃないかと思い直し、靴箱へ続く廊下をあたしはまるで誰かに急かされているかのように足を小刻みに動かし、ようやく出口が見えてきたところで――


「あ、麻子ちゃんっ!」


 あたしは、立ち止った。

 目の前に、由梨が立っていた。その両手に、電子パッドを抱えながら。

 何も知らない由梨は、あたしにえへへ、と笑いかけてくる。

 その黒くて長い髪を、昇降口から吹いてきた穏やかな風になびかせながら。


「良かったぁ。

 丁度今、麻子ちゃんに会って勉強教えてもらおうかなと――」


 そこまで言いかけ、あたしの顔を見た由梨は瞬間、息を呑んだようにその表情を強張らせた。

 あたしは、今まで動けたのが嘘のように、すっかり固まってしまう。

 何故だか身体の制御が停止してしまったかのように、動けなくなる。

 頬に、何かが次々と伝っていくのを感じながら。


「――麻、子……ちゃん……?」


 由梨が、目をこれでもかと大きく見開かせた。

 そして、恐る恐るといった感じで、あたしに一歩、近づいてくる。


「……一体……どう、したの……?」


 その白くて細い腕を、あたしに向かってそっと伸ばしてくる。

 そして、その指先が、あたしの頬に触れた瞬間。



「――やめてぇ!!」



 あたしは思いっきり、言葉に出して叫んでいた。

 そして、外に向かって走り出した。

 


 校門を抜け、街路樹が立ち並ぶ歩道を、あたしは両腕で鞄を必死に握りしめながら、足がちぎれんばかりに動かした。

 頭の中には、あの時――こちらに向けてとても悲しそうな表情を見せた由梨の顔が、べったりとこびりついていた。


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