Log.9 ダンジョン→淡いオレンジ色を放つ夕日を渡る橋
図書館に着いたのはいいけれど、結局集中出来なかったあたしは、『ワールド』へ行こうと決めた。
周囲の目につかない奥側の席へとこっそり移り、鞄の奥にしこませていた『ワールド』専用ヘッドホンを取り出し、装着する。
ノーパソに『ワールド』のログイン画面を表示させたまま、その蓋を閉じた。
掛けていた眼鏡をケースに入れ、鞄に仕舞う。
そしてあたしは、机の上に組んだ腕の中へ頭を埋め、まるで居眠りしているかのような態勢を作りながら。
その意識を、ゆっくりと『ワールド』内へと沈めていった。
※
目を開けると、いつものように、入り口の街へと転送されていた。
その腕に垂れさがる振袖の感覚を確かめる。ふぅ、と思わずため息が出た。
あたしは確かに今、『ワールド』に居る。
さて、ではいつも通り、電光掲示板でも覗いてくるか。そう思い、広場に向かってあたしは歩き出した。
その掲示板の前でさっそく、あたしは一人で立ち尽くすリュウを見つけた。
そんな偶然に喜んで、つい、「リュウー」と手を振りながら呼びかけ、そのまま近寄っていった。
リュウがその身に纏っている白いマントをひらりと翻しながらこちらに顔を向けた。すると、戸惑ったような表情を彼は作った。
そこで、あたしはハッと気付いた。
前にリアルで会った時、なんか気まずいような雰囲気になってたんだった。
――体育館近くで、会話をした時だ。
そんなつもりはなかったのに、きごちない雰囲気を作ってしまった、あの時。
ホントは優しい言葉をかけて、「辛い時は言ってもいいんだよ」って、言いたかったのに。
でも、リアルのあたしじゃ、上手く言えなくて。
つい、いつもみたいに、ぶっきらぼうになってしまって。
それを思い出したら、つい先ほど教室で伊藤香奈と揉めたことが、頭の中をよぎった。
――そんなに、一人になりてぇのかよ。
だったら、一生一人でいればいいよ。
その言葉がナイフとなって、あたしの心を切り刻んでいく。思わずあたしは立ち止り、胸を抱えた。
どくどくと、不気味なぐらい大きな音を立てているのが、手から伝わってくる。息が苦しくなる。
……いけない。それは、リアルの話だ。
ここは、『ワールド』の中。
関係、ないじゃない。
ぶんぶんと思いっきり頭をふって、あたしは何事もなかったかのように二コリと笑いかけ、戸惑うリュウに話しかけた。
「今日はインすんの早いんだね」と。
しばらくしてから、リュウも緊張の糸を解いてくれて、「今日は、部活の顧問が休んだから早く帰れたんだ」と教えてくれた。
今から一人で依頼でもすんの? と聞くと、ああ、と頷いたリュウに、あたしは即、一緒にパーティ組まない? と口に出していた。
少し驚いた表情になって、リュウは、遠慮がちに頭を掻いた。
あ。もしかしたら、断られるかも?
あたしがそう思った後、彼はゆっくりと苦笑した。
「アサって、ホント、突然突っ掛かってくるよな」と。
そして、「一緒に行こうぜ」と言ってくれたリュウの言葉が、あたしの心を、きゅんと跳ねあがらせた。
※
ダンジョン→淡いオレンジ色を放つ夕陽を渡る橋
「にしたって、ここの橋渡る時って、あまり良い気分じゃないよな」
「ん? そう?」
人一人通るのがやっとな吊り橋をゆっくりと渡りながら、前を行くリュウが言った。
足を一歩踏み出す度に、ぎぃ、ぎぃと音を立てて吊り橋が揺れる。
向こう岸までは、まだ半分ぐらいある。
「でも、ここのダンジョン選んだの、リュウでしょ」
「そりゃ……まぁ、そうなんだけど。
たまたま、簡単そうな依頼の場所がこのダンジョンだったんだよ」
あたしは足元を見た。遥か下の方で、崖に挟まれながら流れる細い川は、ごうごうと音を立てて勢いよく流れている。
空で宙ぶらりんにぶらさがっている夕陽の色を、淡く映しだしながら。
視線を前に戻すと、その夕陽に照らされて半分がオレンジに染まっているリュウが、おっかなびっくりといった様子で一歩一歩進んでいる。
あたしはつい、吹きだした。
「もしかしてリュウって、高所恐怖症とか?」
「うっ。それは……」と言いかけて、口を噤んでしまうリュウ。
その様子がなんだか可笑しくなって、あたしはわざと、橋を揺らしてあげた。
「おいっ!」とものすごい形相でリュウが振り向いてきたので、あたしは、あはは、と声を出して笑った。
オレンジ色に染まる周りの景色は、なんだか少しだけ、眩しく見えた。
「……ところで、『祭壇』までこの道で合ってたっけ」
向こう岸にたどり着くと、リュウはマップを目の前に表示させ、まじまじとそれを見つめた。
あたしも、目の前にマップウインドウを表示させた。
今回のあたしたちの依頼は、『目的のアイテムを祭壇にささげよ』。
目的のアイテムは既にリュウが手に入れていたので、あとは祭壇を見つけて、それを置いていくだけ。
その祭壇は、依頼を受けたものにしか見えないシンボルとして、このダンジョンのどこかに設置される。
ただ届けるだけ、と考えれば簡単なんだけど。
ダンジョンの構図が、それを許してはくれない。
「むー……。多分、この先右」あたしは言った。
「でも、それ遠回りだろ?
この左の橋渡って、右、右、上、左じゃないか?」
「えー? 違うってば。
ほら良くみてよ、小さいけどここに橋掛かってるじゃんか。こっち行ったほうが近道だよ」
このダンジョンは、いくつかの橋が複数の崖を複雑に繋げている構図。
だから、目的地までの道順をしっかり把握しておかないと、最悪行き止まりにぶち当たったりして、結構手間取ってしまう。
「あぁ、そうか。じゃあこっちで良いのか」リュウが納得したように頷いた。
「そうそう」チラ、とリュウを見て、「ま、でも別に、橋を沢山歩きたいのなら、左行ってもいいけどねー」
「や。右行こう右」
きっぱりと言い切ったリュウに向かって、あたしはうししと笑った。
ほっとけ、と言いたそうにリュウがそっぽを向いた。
「そういや、さっきからモンスター全然出てこないね」
あたしは、マップ表示を仕舞いながら、ぐるりとダンジョンを見回した。
確か、普通なら各崖の上で何体か出現してくるようなものだけれど。
「そういや、そうだな。
こういう依頼の時は、出てこない仕組みなんじゃないか?」
「うーん。……それか、何か仕組みがあったりしてね。
例えば、一匹だけ巨大なヤツを最後にしこませておくとか、帰ろうとしたときに襲ってくる、とかさ」
なんだよそれ、とリュウが笑いながら突っ込んだ。
冗談だって、とあたしはまた笑った。
そんな調子で、二人で雑談しながら進んでいた時。
頭上から、ぴこん、と音が鳴った。
あたしとリュウは、同時に歩みを止めた。
「お、と。ようやく目的地に着いたみたいだな」
「ホントだ」
あたしたちは、ちょうど最後の橋を渡り終え、終点の崖の上へと立っていた。
崖の先端には、四角いコンクリートの塊が一つ。
リュウが、ふぅ、と額の汗をぬぐった。
「あれが祭壇っぽいな」
「ふーん……。なんか、思ってたよりシンプルだね」
「だな」
二人で顔を見合せながら、そんな率直な感想を言い合った。
四角いコンクリートは冷たい光を辺りに漂わせていて、その中央には「これは祭壇です」と、御丁寧にも字が彫り込まれていた。
変なの、と笑いあいながら、あたしが一歩足を踏み出した時だった。
※
一瞬にして、崖の周りが光の壁で覆われた。
それと同時に、小さなヒヨコがどこからともなく、わんさかと湧いてきた。
「ちょ、何これ!」あたしは思わず叫んだ。
「……どうやら、アサの言ってたからくりって、こういうことだったみたいだな」
隣のリュウは既に剣を構えていて、ヒヨコたちを見据えていた。
「ちょ……。何それ。冗談だったのにぃ……」
何なのよ、この面倒臭い展開。
ちょっと嫌気がさしながらも、脳内でこの子たちのステータスを表示するように指令を出す。
見ると、レベルは三十。弱点は特になし。
まぁ、平均的な中雑魚と言ったところ、かな。数は、ざっとみて五十匹ほど。
ヒヨコたちは、頭に触角みたいなものが生えていて、目がぎらぎらと輝いていた。
でも、毛がふさふさで、触ると柔らかそうだなぁなんて想像すると、ちょっとキュンとしてしまった。
「広範囲で一気に仕掛けたほうが良いな。
アサ、バックアップ頼むよ」
剣を一薙ぎしながら、リュウはそう言った。
そして彼が飛び出してしまう前に、あたしは「待って!」と引きとめた。
「あたしも参戦する!」
目を丸くしながらこちらを見るリュウに向かって、あたしはちろりと舌を出した。
「あたしだって、広範囲攻撃出来るんだし。
それに二人で突っ込んだ方が早いっしょ」
「でも、弓矢の職業って防御力低いんじゃ……」
その言葉に、ちょっとむっときた。
「馬鹿にしないでよねぇ! レベル、こっちのが上なんだし! あたしの実力、なめてるでしょう!」
と話している間にも、ヒヨコたちはこちらに向かって距離を縮めてくる。
あたしは、その子達をキッと睨みつけた。
「見ててよねぇ!
いけぇ、私の必殺奥義!」
あたしは上空に向かって、光を纏った矢を発射する。
ある一定の高さに辿りついた時、それは強い光を発する。
そして複数に分裂した後に地上に降り注がれ、そこに溢れるヒヨコたちを確実に仕留めていく。
隣でリュウが、「おぉ」と漏らすのが聞こえた。へへん、とあたしは威張ってみせた。
「状態異常技が豊富なだけが、弓矢使いの特権だと思わないでよ?
距離を一定に保ったまま、広範囲攻撃だって出来るんだから」
すると、ふ、と笑みをこぼしたリュウ。
そして、「そういうことなら」と言いながら、リュウは一歩踏み出し、あたしの背後に向かって剣を振るった。
驚いて背後を見ると、そこでヒヨコ三匹が消えていくところだった。――いつの間に。
「俺がアサをバックアップする。その間、アサは広範囲攻撃を仕掛ければ良い。
それで、文句ないだろ?」
ニっと笑いかけるリュウに、あたしの心臓が十センチくらいとび跳ねた。
……ううん、十センチなんてもんじゃない。
あの夕陽に届くぐらいとび跳ねたといっても、過言じゃない気がした。
どきんと高鳴る心臓の前で、弓を持った手を握り締めながら、あたしは笑顔で頷いた。
「うん、オーケー!」
それからしばらく、あたしとリュウの二人の攻撃は続いた。
あたしは上空に向かって矢を放つ。リュウはあたしの周りで、華麗に舞いながらヒヨコたちを薙いでいく。
一気に消えていくヒヨコたちはなんだか可哀想に思えたけど、清々しいのも確かだった。
すぐ隣には、リュウがいる。
そう思うと、ドキドキが止まらなくなる。頭がぼうっとして熱くなる。
そういえば、こんなふうに二人でパーティ組んで依頼やるなんて、久しぶりだなぁと思った。
一年の時、以来だった。
良かった、とあたしは思った。
彼と一緒に、冒険出来て。
去年――図書委員で同じになった時、思わずあたしの『ワールド』アドレスを教えてしまった動機が、今ならはっきりと分かる。
一目見かけた時から気になっていたリュウに――松原君に、知ってほしかったんだ。
あたしの、本当の姿を。
※
あたしが矢を放つと、最後の一匹が消滅していった。
崖を取り囲んでいた光の壁も同時に消えて、残されたのはあの簡素な祭壇のみになった。
「はぁ……やっと終わったぁ」あたしは、思いっきり肩をぐるぐると回した。
「お、結構経験値はいったな」リュウは、変化ステータスを見て嬉しそうに言った。
リュウは、そのまま祭壇の方へ歩いていって、手に現れたアイテムをその上に乗せた。
ぴこーん、と間の抜けた音が聞こえてきた。
続いて、『イライ、クリア、オメデトウ』と機械の声。
「よっし。これで依頼達成だな」
「うん!」
久しぶりに二人でモンスター退治出来た嬉しさと高揚感で、なんだか気持ちがとっても軽くなった。
ふわふわとどこかへ飛んでいっちゃいそうだった。顔が思わずにやけてしまう。
「ねぇリュウ。掌、出して」
あたしは、リュウが不思議そうに差し出してきた手に、ぱん、と思いっきり手を打ちたたいてあげた。
リュウは「いってぇ!」と叫んで両手をばたばたと振りまわした。
あたしはそれを見て、くの字に身体を曲げて思いっきり笑い転げた。
「おまっ……やるならもうちょっと手加減しろよっ」
「はははっ、だって普通にやったら面白くないと思って」
「なんだよそれっ」
お腹を抱えながら、あたしは笑い声を立て続けた。
そしたらリュウも、諦めたように笑い始めた。
二人分の笑い声が、夕空に響いた。
しばらくして。
リュウが静かに、「なぁ」と呼びかけてきた。
ん? と言いながら、あたしはそちらへ視線をやる。
リュウは少しだけ、躊躇いがちな笑顔を作っていた。
そして、言った。
「お前、リアルでもそうして明るくしてればいいのに」
――どくん。
心臓が今までと違う方向に跳ねて、あたしの顔が途端に引き攣るのを感じた。
そんなあたしの変化を察知してか、リュウが咄嗟に視線を逸らし、頭を掻きながら慌てて言った。
「あ、いや、なんというか……。
俺も、人のことあんま言えた立場じゃないんだけど。
でも……すごくもったいないなって、思ったんだ」
あたしは、ごつごつとした地面を見つめながら、黙り込む。
地面の先に、鎧のブーツを履いたリュウの足があった。
「なんつーか……。
こっちにいる『亀田』のほうが、すごく生き生きしてるっていうか。
すごく楽しそう、ていうか」
ぎゅっ。
両手の拳を、思いっきり握りしめた。
かちゃり、と、リュウが一歩、こちらに近づいてくる。
「――いや、ごめん。悪かった。なんか急に、変なこと言って。
俺だって、お前の気持ち、分からなくもない――ていうかなんとなく分かるけど」
心臓が途端に、どくどくと不穏な音を立てて、冷たくなった血が全身を駆け巡っていく。
足が、がくがくと震えて動かない。
また一歩、リュウが近づいてくる。
ヤメテ。
あたしは心の中で叫んだ。
あたしに、近寄って来ないで――
そして。
リュウは、言った。
「俺、『ワールド』にいるアサの方が、好きだから」
あたしの中の時が、一瞬にして止まった。
心臓もストップしてしまったかのようで、息が出来なくなる。
思わず顔を上げて、リュウのことを直視した。
しばらく経ってから、リュウがハッと気付いた様子で、「あ」と呟いた。
かぁぁぁ、とその顔が徐々に紅葉していく。
「あ――あ、いや!
その、す、『好き』って、そ、そういう意味じゃなくて……」
なんて言って、あたふたと慌てだし、不思議な動きを繰り出す目の前のリュウ。
あたしの頭の中が、途端にふわりと浮きあがり出した。
凍りついた心臓が、とくん、と優しく脈を打ち始める。
まるで適度なぬるま湯につかっているような安心感が、あたしの身体を包み込んでいく。
――嗚呼。
あたしは。
思わず、唇にそっと手をあて、くすりと笑った。
「……何言っちゃってんだか」
「へ?」
くるり、とリュウに背を向けた。
不思議なくらい、その動きはとても軽かった。
さっきまでの足の震えは、すっかりどこかへ飛んで、消えていた。
宙に浮かんでいる柔らかな夕陽を眩しく見つめながら、あたしは言った。
「――ありがとね、リュウ」
「……アサ」
あたしは、先ほど渡ってきた吊り橋へ向かって、ゆっくりと歩き出した。
スキップしてしまいそうにはやる気持ちをなんとか宥めながら、歌うように言った。
「さぁほら。早くタウンに行って、報酬もらってきなよ。
あ、報酬は全部リュウが持ってっていいよ。あたしは、リュウと一緒にバトル出来ただけで、十分だしさ。
さてと。もう疲れたから、あたし、先にワープ装置行ってアウトするね。
帰り、吊り橋渡る時に気をつけなよー。あまりビビりすぎて、落ちないようにさ。
また、機会あったら一緒にパーティ組もうよ。そっちから誘ってくれて、全然良いから。
そんじゃね」
それだけ一気に言うと、あたしは振り向かず、一気に吊り橋を駆け抜けた。
目の前で、指標のように優しく輝く夕陽を見つめながら。
※
目が覚めた瞬間に、あたしはバッと顔を上げて周囲を見た。
若干薄暗くなった図書館の周辺には誰もおらず、カウンターに座っている委員の子の姿を遠くで確認すると、大人しく本を読んでいた。
あたしは、素早くヘッドホンを外して鞄に仕舞い、ノーパソの電源を落とした。
ほうっと、柔らかな溜息が洩れた。
「――好き」
その言葉を、自然と口にしていた。
急に恥ずかしくなってきて、あたしは熱の上がった両頬を、慌てて両手で包み込んだ。
――好き。
確かに、リュウが――松原君が、そう言ってくれた。
心臓が、とくんとくんとさっきより早いリズムを打ちながら、あたしの浮いた気持ちをコロコロと転がす。
「……うはぁ」
気持ちが今にもはち切れてしまいそうで、あたしはまた机の上で腕を組んで、その中にすぽっと顔を埋めた。
――好き。
何度も、何度も、その言葉だけがあたしの脳内に響いてきて。
たった一言の呪文に、あたしはすぅっと身体が楽になるのを感じて。
そして。
あたしは、自分の腕の中で、
ひっそりと、泣いた。




