婚約継続
「こ、婚約破棄でございますか……?」
父が汗を拭きながら、デイビット様と向かい合っていた。
その日のうちに、両家を交えた話し合いの場が設けられた。端的に言うと、デイビット様はもう私を婚約者にしたくない。フィオナとなら婚約できる、と。
そして、両親も私も反対はしなかった。父は安堵のため息を吐いてデイビット様と話を続ける。
一つ、問題があった。創立祭は目前だった。
開会式の並びも、夜会も、婚約者同伴を前提に組まれている。今ここで婚約を解消すれば、余計な混乱が起こる。
噂も広がるし、学園としても困る。
「創立祭までは、今まで通り婚約者として振る舞ってほしい」
そう言ったのはデイビット様だった。
「構いません」
私がそう答えると、場の空気が少しだけ緩んだ。でも、私は続けた。
「ただし、条件がございます」
「条件?」
「創立祭が終わるまでは婚約者として必要最低限の体裁を守ります。ですが、婚約破棄は今、この場で受け取ったものとして、今後は私的なお付き合いは一切いたしません。生徒会の裏方も、これまで私がしていた調整も、今後はいたしません」
「マリサ、それは――」
「いいえ、あなたは私のことを信用していません。先ほど、温室で起こった事件の仔細を客観的に話しても、状況証拠と、フィオナの話を信じました。ですので、もう結構です」
「だ、だが、それとこれとは……。くっ、フィオナは怪我のショックで頭が混乱しているんだ! だが、状況証拠があるんだ。嫉妬した君がフィオナに暴力を振るったに決まっている」
決めつけは行き過ぎた正義だ。この帝都でも冤罪が様々な場所で起こり得る。
「……では、体裁も気にせず、いまこの場で婚約破棄を発表しましょう」
「い、いや、それは……くっ、仕方ない。別に君がいなくても問題ない」
「創立祭の夜が終わった時点で、私たちはもうこれ以上関わり合いません」
「わかったわかった」
デイビット様の面倒臭そうな返事。顔をキョロキョロさせている。この場にいないフィオナを探しているみたいだ。
もうこの会談に飽きてしまったんだ。
「それから」
もう一つだけ、言っておきたいことがあった。私は、学園から持ってきた魔道具をテーブルに広げる。
「……誓いの制約?」
「はい、婚約破棄の制約、私的な付き合いの終了、そして、結果を覆さないことへの制約です。この魔道具で制約をしてもよろしいですか? よろしいならここにサインを」
デイビット様はめんどくさそうに誓いの制約をちらっと見てサインをした。文字なんて全然見ていなかった。取り交わした制約から外れる行動を起こすと、誓約によりペナルティが発動する魔道具。
「それではこれで話し合いは終わります」
私は息を吸って、はっきり告げた。
「今後は何があっても、弁明はいたしません」
あの場で信じてもらえなかった時点で、もう遅かった。
今さら何を説明しても、失ったものは戻らないからだ。
***
人は、失ってから気づくことがある。
私はそれをどこか他人事のように思っていた。
学園の教室、デイビットが慌ただしく生徒たちとやり取りを行っていた。
「くっ、なぜこんなに忙しいんだ……。すまない、マリサ、生徒会の仕事が終わらん。手伝ってくれ」
「大変申し訳ございません。私はもう生徒会の人間ではございません」
「しかし――」
「誓いの制約があります」
1週間前とは態度が大違いだった。あの制約の後、デイビットは自信満々の態度だった。
『婚約者の一人がいなくて特に何か変わることはない。ふっ、優秀な俺なら何でもできる』
デイビット様は本当にわかっていなかった。私はデイビット様の生徒会だけではなく、私生活、貴族同士の付き合い諸々、彼が生活しやすいように気を使っていたんだ。
それでも私は約束通り、手を引いた。
彼の私生活の世話も、公的にも、生徒会の準備も、招待客への配慮も、創立祭に必要な細かな調整も、もう自分からはしない。
生徒会所属の生徒が昼休みにまで押しかけてくる。私の方をちらりと見ているけど、話しかけてこようとはしなかった。
「デイビット様、来賓の貴族たちへの手紙の送付が遅れてます! あの、書面はこれでいいですか……?」
「飲食系を行う仮設店舗の保健所への届け出ができていません! あ、あの、申請はどうすればいいですか?」
「模擬ダンジョンの解放って、設定レベルとかはどうすればいいんですか?」
「何をしていいか分かりません……。指示を、指示をお願いします!」
私は席を立つ。あまり聞きたくない話だった。私的な関わりはしない。それよりも、私は行きたいところがあった。
魔道具研究部だ。
本当はずっとこの部活に入りたかった。でも、いままでは生徒会の世話があり無理だった。……しかも、私、生徒会の役員でもなかったし。デイビット様が手伝えっていって、そのままなす崩しに……。
「去年はどうしていたんだ!」
苛立ちを抑えているのがわかる声だった。
「去年はラインハルト様が全部一人で……資料はありません! こ、今年は、外部のマリサ様が……」
一瞬、教室が静かになった。生徒たちの視線が私に集まった。
私は知っている。今まで誰も私を見ていなかったのだ。ただ、デイビット様のよこにいる便利な令嬢と思われていただけ。
私が今までずっと何をしていたのかも、誰も知らない。
私は教室を出た。
「てっきりデイビット様なら全部把握していると思っていて……」
背中から聞こえてきた声。
「う、うるさい! 俺だって忙しいんだ! 各自判断して今日中に終わらせろ。俺はフィオナを迎えに行かなきゃならないんだ」
廊下を歩きながら胸に手を当てる。心は何も動かない。あの日、私の心は死んでしまった。
人は変わらない。人は変われない。
ううん、私はこれから変わろう。たとえ、心が死んだとしても、やりたいことをして人生を楽しむんだ。




