第一章「地下深くからの憎しみ」 第22話「踏みとどまる者」
黒い霧が、ゆたかを包み込む。
視界は暗く、音は遠い。
心の中に流れ込んでくるのは——
怒り
憎しみ
絶望
「……全部……壊せ……」
声が響く。
それは怨念か、自分の内側か。
もう区別がつかない。
ゆたかの体から、黒い霧が噴き出す。
地面がひび割れ、空気が震える。
まさきは動かない。
目の前には、神鬼丸。
——全部壊せばいい
——全部消せばいい
その考えが、自然に浮かぶ。
「……そうすれば……」
一歩踏み出す。
その瞬間——
「違うでしょ」
声。
優しい、懐かしい声。
ゆたかの動きが止まる。
「……母ちゃん……?」
振り返る。
そこには誰もいない。
だが、確かに聞こえた。
「怒りで戦うのは、あんたらしくない」
胸の奥が、わずかに熱くなる。
黒い霧が、一瞬だけ揺れる。
「……でも……守れなかった……」
視線が、まさきへ向く。
動かない体。
血。
「……俺、何もできてない……」
膝が震える。
霧が再び強くなる。
——弱い
——無力だ
その時——
別の声。
「だから強くなるんだろ」
低く、落ち着いた声。
まさきの声だった。
ゆたかの目が見開かれる。
「……まだ終わってない」
現実に目を戻す。
まさきの胸が、かすかに動いている。
完全には、終わっていない。
「……生きてる……!」
その瞬間——
何かが繋がる。
怒りでも、絶望でもない。
もっと強いもの。
「……守る」
小さく呟く。
黒い霧が、再び流れ込んでくる。
だが——
今度は違う。
「……お前らの怒りも」
霧の中の“感情”を掴む。
「……苦しみも」
拒絶しない。
飲み込まれない。
受け止める。
「全部……背負う」
その瞬間——
霧の動きが、変わる。
暴れるのではなく、
流れるようにゆたかの中に収まっていく。
まさきがかすかに目を開ける。
「……ゆたか……?」
その姿は——
さっきとは違っていた。
目は澄んでいる。
だが奥には、確かな“闇”を宿している。
制御された力。
神鬼丸が、初めてわずかに眉を動かす。
「……ほう」
ゆたかはゆっくりと立ち上がる。
呼吸は静か。
無駄がない。
「……さっきのは、暴走だ」
一歩踏み出す。
「でも今は違う」
拳を握る。
黒い霧が、ゆたかの周囲で静かに流れる。
「……使う」
その言葉に、重みがあった。
神鬼丸が笑う。
「面白い」
「人が、ここまで至るとはな」
ゆたかは構える。
「……次は、倒す」
空気が変わる。
さっきまでとは違う。
——恐怖ではない
——対等に近づいた“緊張”
まさきがかすかに呟く。
「……やっとか……」
ゆたかは前を見る。
目の前には、まだ圧倒的な敵。
だが——
もう折れない。
もう飲まれない。
覚悟が、力を制御している。
戦いは、最終局面へ。




