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無能な中年男、男をたぶらかす魔女となり、自分を捨てたパーティメンバーに地獄を見せる

作者: 埴輪庭

 ◆


 バジルという男がいた。


 齢は四十に近く、腹は樽のように膨れ、顔は潰れた饅頭を思わせ、性根は陰気を絵に描いたような、つまり世間から見れば生きている価値があるのかすら怪しい部類の人間であった。


 そんな男が冒険者パーティの荷物持ちなどという半端な仕事に就いていたのは他に雇ってくれる場所がなかったからに過ぎない。


 冒険者ギルドには様々な依頼が舞い込むがその裏方として荷物持ちという職種がある。戦闘には参加せず、消耗品や採取物を運搬し、野営の準備をし、時には見張りもする。報酬は正規の冒険者の十分の一程度だが戦って死ぬ危険がないぶん命の安売りにはならない。バジルはそう思っていたし、実際その通りのはずだった。


「バジル、お前今日の飯当番だろ。さっさと支度しろよ」


 リーダーのアルロンドがそう言い放ち、焚き火の前で足を組んだ。金髪を後ろに撫でつけた二枚目で剣の腕もそこそこ立つ。冒険者としては中堅どころでこのパーティ『碧空の翼』を率いて三年になる。剣士のカイルは黙って剣の手入れをしており、神官のロベルトは聖典を読んでいるふりをしながら居眠りをしている。三人とも若く、容姿に恵まれ、バジルとは別の生き物のようだった。


 バジルは黙って鍋を取り出し、水を汲みに行った。森の奥にある小川まで往復するだけで息が上がる。この体では仕方のないことだ。若い頃から肥満体質で食事を減らしても痩せず、運動をしても続かず、気がつけばこの有様である。顔も悪い。鏡を見るたびに自分でもうんざりする。目は小さく、鼻は丸く、唇は厚く、全体的にぼんやりとして締まりがない。生まれ持った不運と言えばそれまでだが不運を嘆いたところで何も変わらない。バジルはただ黙々と生きてきた。黙々と。


「おい、遅えぞ」


 アルロンドの声が飛んでくる。バジルは重い足を引きずって戻り、鍋に火をかけた。干し肉と野菜を適当に放り込む。調理の才能もないが文句を言われるほど不味くもない、そういう中途半端な飯しか作れない。中途半端。バジルという人間を表すのにこれほど適した言葉もないだろう。


「なあ、バジルよ」


 カイルが剣を鞘に収めながら声をかけてきた。赤毛の青年で顔立ちは整っているが目つきが悪い。


「お前、何で冒険者なんかやってんだ? 向いてねえだろ、どう見ても」


「……荷物持ちしかできませんので」


「それはそうだけどよ」


 カイルは鼻で笑った。


「もっとこう、あるだろ。パン屋の見習いとか、掃除夫とか。お前みたいなのは街にいた方がいいんじゃねえの」


「街では雇ってもらえませんでしたので」


 嘘ではない。バジルは様々な職を転々としてきたがどこでも長続きしなかった。鈍臭い、不潔だ、客が嫌がる。そういった理由で追い出され、最後に流れ着いたのがこの仕事だった。冒険者パーティの荷物持ちは人手不足で選り好みをしていられない。バジルのような者でも雇ってもらえる、数少ない場所だったのだ。


「まあいいけどよ」


 カイルは興味を失ったように視線を逸らした。バジルはそれ以上何も言わず、鍋をかき混ぜ続けた。


 翌朝、パーティは更に森の奥へと進んだ。依頼は深部に生息する魔草の採取で危険度はそこそこ高いが報酬も悪くない。バジルは背負子に荷物を満載し、三人の後をついていく。足取りは重く、息は切れ、汗が滝のように流れる。しかし弱音を吐く余裕などない。遅れれば置いていかれる、それだけのことだ。


「バジル、もっと急げよ。日が暮れちまう」


 アルロンドの声は苛立ちを含んでいた。バジルは「はい」とだけ答え、足を速めようとした。が足がもつれて転倒し、背負子から荷物が散乱する。


「……はあ」


 アルロンドは大きく溜息をついた。カイルが舌打ちし、ロベルトは空を見上げて何も言わない。バジルは這いつくばって荷物を拾い集めた。その姿を三人は冷たい目で見下ろしている。


 この程度のことは日常茶飯事だった。バジルは何度も転び、何度も叱責され、何度も侮蔑の視線を浴びてきた。慣れたとは言わない。慣れるような類のものではない。ただ、感覚が麻痺してくる。心の奥底に沈殿していく泥のように、少しずつ、少しずつ、何かが溜まっていく。


 森の奥に進むにつれて、空気が変わってきた。木々の間隔が狭まり、地面には苔が厚く生え、太陽の光が届かなくなる。獣の気配は消え、代わりに得体の知れない不気味さが漂い始めた。魔物の領域に入りつつあるのだ。この世界には魔物と呼ばれる生物が存在する。獣のような姿をしたものもいれば、人に似た姿のものもいる。共通しているのは人間に敵対的であるということ、そして通常の武器では倒しにくいということだ。冒険者という職業が成り立つのは魔物の素材や魔物が棲む場所の植物に価値があるからであり、同時に危険だからでもある。


「気配があるな」


 アルロンドが剣の柄に手をかけた。カイルも身構え、ロベルトは杖を握りしめる。バジルは背負子を下ろし、身を縮めた。戦闘時、荷物持ちは邪魔にならない場所に隠れているのが鉄則だ。足手纏いになるぐらいなら、いない方がいい。


 茂みが揺れた。


 現れたのは狼のような魔物だった。ただし通常の狼の三倍はあり、毛皮は暗緑色で目は赤く光っている。森狼と呼ばれる種で単体ならば中堅パーティでも対処可能だが群れで行動することが多い。


 案の定、茂みから次々と同じ魔物が姿を現した。一匹、二匹、三匹……七匹。


「多いな」


 アルロンドの声が硬い。カイルが「逃げるか」と呟き、ロベルトは青い顔で頷いた。


「バジル」


 アルロンドがこちらを向いた。その目には何か冷たい計算が浮かんでいる。


「お前、囮になれ」


 バジルは一瞬、意味が理解できなかった。囮。囮とは何だ。


「走れとは言わねえ。ただその場にいろ。奴らの注意を引けば、俺たちは逃げられる」


「ででも、それでは私は」


「お前が死んでも誰も困らねえだろ」


 カイルがそう言い放った。ロベルトは目を逸らしている。神官という職業は慈悲を旨とするはずだがこの男にそんなものは欠片もないらしい。いや、あったとしてもバジルのような者に向けられることはない。


「さっさとしろ。時間がねえ」


 アルロンドが背を向けた。二人がそれに続く。バジルは立ち尽くしたまま、遠ざかっていく三つの背中を見ていた。森狼たちがゆっくりとこちらに近づいてくる。赤い目がバジルを捉え、涎を垂らしている。


 ──走れ。


 体が動く前に心が叫んだ。走れ。逃げろ。死にたくなければ。


 バジルは走った。背負子を投げ捨て、転びそうになりながら、必死に足を動かした。後ろから森狼の唸り声が迫ってくる。振り向く余裕はない。ただ前へ、前へ、茂みをかき分け、木の根につまずき、それでも止まらずに走り続けた。


 どれほど走っただろう。気がつけば森狼の気配は消えていた。息が切れ、足が震え、視界が霞んでいる。バジルはその場に崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返した。生きている。まだ生きている。奇跡としか言いようがなかった。


 しばらくして体力が回復し、周囲を見回した。見覚えのない場所だ。森の最深部に迷い込んでしまったらしい。帰り道などわかるはずもない。バジルは重い体を引きずって歩き始めた。どこかに出口があるはずだ。そう信じるしかなかった。


 やがて、開けた場所に出た。


 そこには泉があった。澄んだ水が湧き出し、周囲には見たこともない花が咲いている。空気が清浄で先ほどまでの不気味さが嘘のように感じられる。


「これは……」


 バジルは泉に近づいた。水面に自分の顔が映る。汗と泥にまみれた、醜い中年男の顔。見たくもない顔だ。だが目を逸らすこともできない。


『汝、選ばれし者よ』


 声が響いた。どこからともなく、頭の中に直接届くような声。バジルは驚いて周囲を見回したが誰もいない。


『汝は死地より生還した。その意志の強さに、我は奇跡を授けよう』


「誰だ……」


『我は名を持たぬ。ただの概念、ただの力。汝にはそれで十分であろう』


 声は淡々としていた。感情の欠片もない、機械的な響き。


『汝に授けられる奇跡は選べぬ。定められた運命に従うのみ。さあ、泉に触れよ』


 バジルは迷った。怪しすぎる。罠かもしれない。だが今更何を恐れるというのだろう。すでに見捨てられ、死にかけ、行き場を失った身だ。これ以上悪くなりようがないではないか。


 バジルは泉に手を浸した。


 瞬間、全身を光が包み込んだ。眩しくて目を開けていられない。何かが体の奥底から湧き上がってくる感覚。熱くも冷たくもない、ただ「変化」としか表現できない感覚。


 光が収まった。


 バジルは自分の手を見た。細く、白く、若々しい手。自分の手ではない。いや、自分の手のはずだ。だがこんな手をしていたはずがない。


 泉を覗き込んだ。


 そこに映っていたのは若い女の顔だった。二十代前半だろうか、整った顔立ちで黒髪が肩まで流れている。見目も十分に良い。総じて、魅力的な容姿と言えるだろう。


『汝に授けられし奇跡は性別反転の力なり』


 声が説明した。


『望めば汝は若き女となる。望めば元の姿に戻る。この力は永遠に汝のものとなろう』


 バジルは呆然と自分の姿を見つめていた。女。若い女。それがバジルに与えられた奇跡。


 笑いが込み上げてきた。最初は小さく、やがて大きく、腹を抱えて笑った。何という皮肉だろう。醜い中年男が若い女になる力を得るとは。神がいるなら、相当に悪趣味な奴に違いない。


 だが笑いの後に残ったのは一つの閃きだった。


 やり直せる。人生を。この姿なら、誰もバジルだとは気づかない。新しい人間として、新しい人生を歩むことができる。そしていつか……。


 バジルは奥歯を噛みしめた。アルロンド、カイル、ロベルト。あの三人の顔が脳裏に浮かぶ。自分を見捨てた者たち。囮にして逃げた者たち。許せるはずがなかった。許す気もなかった。


 復讐。


 その言葉が心の中で形を成していく。


 バジルは泉から離れ、元の姿に戻った。とりあえずこの森を出なければならない。復讐はその後だ。


 森を彷徨うこと三日、バジルはようやく出口を見つけた。見知らぬ街の外れに出たらしい。野宿と木の実でどうにか生き延びたが体力は限界だった。街に入り、安宿を探し、持っていた僅かな金で部屋を取る。ベッドに倒れ込み、泥のように眠った。


 翌日、目が覚めてからバジルは行動を開始した。まずは冒険者ギルドに行き、新規登録をする。もちろん女の姿でだ。名前はジルと名乗った。バジルから一文字取っただけの安直な名前だがそれでいい。複雑な設定を作ると、後で辻褄が合わなくなる。


「はい、登録完了です。ジルさん、でよろしいですね」


 受付の女性がそう言い、銅のプレートを渡してくれた。冒険者ランクは最下位の銅。ここから始めなければならない。


 バジルことジルは単独で依頼をこなし始めた。最初は薬草採取や小動物の討伐といった簡単なものから。驚いたのはこの女の体が持つ魔術の才能だった。バジルには魔術の素養など欠片もなかったはずだ。だがジルの体で詠唱を試みると、驚くほど簡単に魔力が流れ、魔術が発動する。まるで生まれつき魔術師であったかのように。


 おそらく、これも奇跡の一部なのだろう。性別反転と共に、新しい体には新しい才能が宿っている。バジルはその才能を徹底的に磨いた。本を読み漁り、実践を繰り返し、夜も寝ずに修練を続けた。元の体では考えられないほどの集中力と体力があった。若さとはこういうものなのか。あるいはこれも奇跡の恩恵か。


 三年が経った。


 ジルは最上位冒険者の一人として名を馳せていた。単独で上級魔物を討伐し、依頼の成功率は百パーセント。様々なパーティから加入を求められたがすべて断り続けた。必要なのはあのパーティだけだ。碧空の翼。アルロンド、カイル、ロベルト。あの三人のいるパーティ。


 彼らを探すのに二年かかった。バジルを見捨てた後、パーティは別の街に拠点を移していた。罪悪感からか、それとも単なる偶然か。どちらでもいい。見つけた以上、計画は次の段階に進む。


「初めまして。私、ジルと申します。パーティへの加入を希望しているのですが」


 ギルドの酒場でジルは碧空の翼の面々に声をかけた。アルロンドは酒を飲む手を止め、ジルを見上げた。


「ああ、あんたか。噂は聞いてる。凄腕の魔術師だってな」


「恐縮です。皆さんのパーティにずっと憧れていまして」


 嘘八百である。だがジルは完璧な笑顔を作った。三年間、笑い方も話し方も練習してきた。女としての仕草、媚び方、男を惹きつける術。すべては復讐のために。


「加入を認めてくれるなら、報酬は分け前の一割で構いません」


「一割だと? 凄腕の魔術師がそんな条件で?」


 カイルが訝しげな顔をした。当然だろう。普通なら考えられない条件だ。だがジルには金などどうでもよかった。


「私、このパーティで働けるなら、それだけで十分なんです」


 潤んだ目で見つめる。男はこういう目に弱い。特にアルロンドのような自信家は自分に惚れている女を邪険にはできない。


「……まあ、いいだろう。試用期間として一ヶ月、一緒にやってみるか」


 アルロンドがそう言い、カイルとロベルトも頷いた。ジルは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。精一杯務めさせていただきます」


 こうしてジルは碧空の翼に加入した。復讐の幕が静かに上がった。


 一ヶ月後、ジルは正式メンバーとなった。パーティの戦力は格段に上がり、より危険な依頼も受けられるようになった。報酬は増え、名声は高まり、三人の男たちは上機嫌だった。


 ジルは計画的に三人に近づいていった。最初はアルロンド。リーダーの信頼を得ることが最優先だ。戦闘では的確な援護を行い、日常では気の利いた世話を焼く。料理を作り、衣服の繕いをし、時には肩を揉む。過剰にならない程度に、少しずつ距離を縮めていく。


「お前、気が利くな」


 アルロンドがそう言ったのは加入して二ヶ月目のことだった。


「皆さんのお役に立てて嬉しいです」


 ジルはにっこりと微笑んだ。この笑顔も練習の賜物だ。鏡の前で何百回と繰り返した。自然に見えるように。魅力的に見えるように。


「正直、女の冒険者ってのは扱いにくいと思ってたんだがお前は違うな」


「そうですか? 私、ただのおせっかいですよ」


「謙遜するなって。お前がいてくれて助かってる」


 アルロンドの目がほんの少し柔らかくなった。それを見逃さない。ここからが勝負どころだ。


 同時に、カイルとロベルトへのアプローチも進めていた。カイルには戦闘技術を褒め称え、ロベルトには神への敬虔さを見せた。三人それぞれ好みが違う。カイルは自分より強い女に興味があり、ロベルトは清楚で純真な女に惹かれる。ジルはそれぞれの前でそれぞれが好む女を演じ分けた。


 半年が経つ頃には三人ともジルに心を傾け始めていた。


「なあジル、今度二人で飯でも食わないか」


 アルロンドがそう誘ってきた。


「え、でも……」


「いいだろ、たまには。パーティの打ち合わせってことでさ」


 ジルは頬を染めて頷いた。演技だ。すべて演技だ。だが演技であることを悟らせてはならない。


 その夜、二人は高級な店で食事をした。アルロンドは饒舌だった。自分の武勇伝を語り、将来の夢を語り、ジルの美しさを褒めた。ジルは適度に相槌を打ち、適度に笑い、適度に恥じらった。


「俺、お前のこと……」


 アルロンドが言いかけ、言葉を止めた。ジルは期待するような目で見つめ返す。


「……いや、なんでもない。今日は遅いし、帰るか」


 まだ早い。焦ってはいけない。ジルは素直に頷き、アルロンドと別れた。


 翌日、カイルが声をかけてきた。


「おい、昨日アルとどこ行ってたんだ」


「え? ただの食事ですよ。パーティの打ち合わせで」


「打ち合わせねえ……」


 カイルの目が鋭くなった。嫉妬だ。予想通りの反応だ。


「カイルさん、もしかして心配してくれたんですか?」


「……別に。ただ、仲間内で変なことになると面倒だろ」


「変なこと、なんてありませんよ。私、そういうの、よくわからなくて……」


 うつむいて、小さな声で言う。カイルの表情が少し緩んだ。


「そうか。まあ、俺は別にお前がどうしようと構わねえけどよ」


「でも、カイルさんには心配してもらえて嬉しいです」


 見上げて、はにかむ。カイルは視線を逸らし、何も言わずに去っていった。


 ロベルトへのアプローチは少し違った。彼は神官だ。色恋沙汰には疎いふりをしている。だが禁欲的な男ほど、いざ火がつくと止められない。ジルはロベルトと一緒に祈りを捧げることを習慣にした。静かな教会で二人並んで跪く。神聖な空間に二人きり。それだけで十分だった。


「ジルさん、あなたは信仰深い方ですね」


 ロベルトがある日、そう言った。


「そんなことありません。ただ、神様を信じることで心が落ち着くんです」


「その謙虚さが尊いのです。最近の若者は神を軽んじる者が多いですからな」


「ロベルトさんは私の師のような存在です」


 ジルはロベルトの手に自分の手を重ねた。祈りの最中に。神聖な行為の最中に。ロベルトは顔を赤らめ、手を引っ込めようとして、しかし引っ込められなかった。


「ジルさん……」


「すみません、つい……」


 慌てて手を離す。だが一度触れた感覚は残る。ロベルトの心に、小さな棘が刺さったはずだ。


 一年が経つ頃には三人はジルを巡って牽制し合うようになっていた。アルロンドはジルとの食事を重ね、ついに想いを告白した。ジルは嬉しそうに頷き、恋人関係になった。だがそれを知ったカイルとロベルトは激怒した。


「アル、てめえ、抜け駆けしやがったな」


 カイルが酒場で絡んできた。アルロンドは平然と答えた。


「抜け駆けもなにも、俺が先に動いただけだ。お前が遅いのが悪い」


「ふざけんな。俺だってジルのことは……」


「お前がどう思ってようと関係ない。ジルは俺を選んだ。それが全てだろ」


 二人の間に剣呑な空気が流れた。ロベルトは黙って見ているだけだったがその目にも暗い光が宿っている。三人の絆は確実に綻び始めていた。


 ジルはその様子を見て、心の中で笑った。計画通りだ。男など単純なものだ。女一人を巡って争い、友情など簡単に捨てる。バジルを見捨てたように。囮にして逃げたように。


 だがまだ足りない。もっと深く、もっと徹底的に。


 ある夜、ジルはカイルを部屋に呼んだ。


「カイルさん、話があるんです」


「なんだ、改まって」


 カイルは警戒しながらも、ジルの部屋に入った。二人きりになった瞬間、ジルはカイルに抱きついた。


「私、本当はカイルさんのことが好きだったんです」


「は? でもお前、アルと……」


「アルロンドさんには断れなくて……でも、心の中ではずっと……」


 嘘だ。全部嘘だ。だが男は信じたいものを信じる生き物だ。カイルはジルを抱きしめ返した。


「俺もだ。お前のこと、ずっと……」


「でも、アルロンドさんには秘密にしてください。今はまだ……」


「ああ、わかってる」


 カイルは頷いた。ジルは満足げに微笑んだ。同じことをロベルトにもした。神官は最初こそ躊躇ったが結局は欲望に負けた。人間とはそういうものだ。特に、満たされていない者は。


 三人の男は全員がジルの「本命」だと思い込んでいた。そして全員が他の二人を裏切っている自覚を持っていた。罪悪感と優越感、嫉妬と独占欲。それらが入り混じり、三人の間に修復不可能な亀裂を生んでいった。


 決定的な破局はある雨の夜に訪れた。


 アルロンドがカイルとジルが密会しているところを目撃した。あるいはジルがわざとそうなるように仕向けたのかもしれない。アルロンドは激昂し、カイルに剣を向けた。


「てめえ、俺の女に何してやがる」


「アルこそ、独り占めしようとしてんじゃねえか。ジルは俺を愛してるんだよ」


「嘘つけ。ジルは俺の恋人だ」


 二人の言い争いに、ロベルトが割り込んできた。


「落ち着きたまえ、二人とも。……だが言わせてもらえば、ジルさんは私とも特別な関係だ」


 三人の男は互いを睨み合った。ジルは怯えたふりをしながら、心の中で歓喜していた。


「決闘だ」


 アルロンドが低く言った。


「この際、はっきりさせようぜ。勝った奴がジルを手に入れる」


「上等だ」


「異存はない」


 三人はそれぞれ剣を抜いた。ジルは止めようとするふりをした。


「やめてください、私のためにそんな……」


「黙ってろ、ジル。これは男の問題だ」


 アルロンドがそう言い放ち、カイルに斬りかかった。カイルは受け止め、反撃する。ロベルトは杖で魔術を発動しようとするが二人の動きについていけない。


 戦いは熾烈だった。三人とも腕は確かだ。だが冷静さを失っている。怒りと嫉妬に駆られ、本来の実力を発揮できていない。


 最初に倒れたのはロベルトだった。カイルの剣が腹を貫き、神官は血を吐いて崩れ落ちた。次にカイル。アルロンドの一撃が首筋を裂き、赤毛の剣士は絶命した。


 残ったのはアルロンドだけだった。


「ジル……俺が勝った……」


 血にまみれたアルロンドがジルに手を差し伸べた。ジルはその手を取り、優しく微笑んだ。


「ええ、あなたが勝ったわ。私はあなたのものよ」


 こうして、碧空の翼は崩壊した。かつてバジルを見捨てた三人のうち、二人は死に、一人は殺人者となった。ジルの復讐はここで終わっても良かったはずだ。だが終わらなかった。終わらせる気がなかった。


 アルロンドとジルは結婚した。正確にはアルロンドがジルに求婚し、ジルがそれを受け入れた。二人は冒険者を引退し、小さな村に居を構えた。アルロンドは過去を清算したかったのだろう。仲間を殺した罪悪感から逃れたかったのだろう。だがジルは逃がさなかった。


 五年の歳月が流れた。


 ジルは妊娠していた。腹の膨らみは日に日に大きくなり、もうすぐ臨月を迎えようとしていた。アルロンドは喜んでいた。子供が生まれれば、新しい人生が始まる。過去を忘れ、家族として幸せに暮らせる。そう信じていた。


 その夜、雪が降っていた。


 窓の外は真っ白で音もなく雪が積もっていく。暖炉の火がぱちぱちと爆ぜ、二人は食卓を囲んでいた。アルロンドは機嫌が良かった。明日には産婆を呼ぶ手筈が整っている。生まれてくる子供の名前も、いくつか候補を挙げていた。


「なあジル、女だったらアリアって名前にしないか」


 アルロンドがふとそう言った。


「アリア……いい名前ね」


 ジルは静かに呟いた。


「そういえば、アル」


「ん?」


「あなた、バジルという男を知っている?」


 アルロンドの手が止まった。フォークを持ったまま、固まっている。


「バジル……?」


「ええ、バジル。昔、あなたたちのパーティにいた荷物持ちの」


 アルロンドの顔色が変わった。忘れかけていた名前だ。忘れようとしていた名前だ。あの森で囮にして見捨てた、醜い中年男。


「なんで……お前がその名前を……」


「覚えているのね」


 ジルは立ち上がった。腹の重みを感じながら、アルロンドの前に歩み寄る。


「私、実は秘密があるの」


「秘密……?」


「見せてあげる」


 ジルの体が光を放った。眩い光が部屋を満たし、アルロンドは目を細めた。


 光が収まった時、そこに立っていたのはジルではなかった。


 不潔な中年男だった。腹は樽のように膨れ、顔は潰れた饅頭を思わせ、目は小さく、鼻は丸く、唇は厚い。かつてのバジルそのものの姿がそこにあった。


「よう、アル」


 バジルは下卑た声で言った。


「久しぶりだなあ、オイ」


 アルロンドは椅子から転げ落ちた。目を見開き、口をぱくぱくと動かしている。言葉が出てこない。当然だろう。死んだはずの男が目の前にいる。しかも、五年間妻だと思っていた女の姿で。


「お、お前……バジル……? 馬鹿な、あの時、森で……」


「死んだと思ったか? 残念だったなあ、生きてたんだよ、俺は」


 バジルは大声で笑った。腹を抱えて、涙が出るほど笑った。


「ぎゃははははは! アル、お前さんの顔、最高だぜ! 鏡見てみろよ!」


「嘘だ……こんなことが……」


「嘘じゃねえよ。全部本当だ。俺はあの森で奇跡の力を手に入れた。女になれる力をな。そんでお前らに復讐しようと思ったのさ」


 バジルはアルロンドの顔を覗き込んだ。かつて自分を見下していた男の、今は恐怖に歪んだ顔を。


「なあアル、お前さんは俺に言ったよなあ? 『ジル、君と出逢えた事で俺は愛を知る事が出来た』ってよォ!」


 バジルは裏声で真似をした。


「そして俺に熱烈なキスをしてくれたなァ! 覚えてるか? 俺は覚えてるぜ、全部!」


「やめろ……」


「やめねえよ! お前さんは俺の手を握って言ったよな、『一生離さない』って! 俺と結婚する時、『君を幸せにする』って誓ったよな!」


 アルロンドは耳を塞いだ。だがバジルの声は止まらない。


「なあアル、俺と寝た夜のこと覚えてるか? お前さん、すげえ優しかったよなあ! 『怖くないように』って、何度も何度も確認してくれたよなあ!」


「やめろおおおおお!」


 アルロンドが叫び、剣を抜いた。壁にかけてあった、かつての愛剣。錆びついていたがまだ人は斬れる。アルロンドはバジルに斬りかかった。


 だが遅すぎた。


 バジルの指先から光が放たれ、アルロンドの腹を貫いた。魔術。この五年間、怠りなく磨き続けてきた力。元のバジルには欠片もなかった才能が今は自在に操れる。


 アルロンドは崩れ落ちた。腹から血が溢れ、床を赤く染めていく。


「ぐ……っ……」


「悪いな、アル。でも、お前を生かしておく理由がねえんだわ」


 バジルは倒れたアルロンドを見下ろした。かつて自分を見下していた男が今は足元で血を流している。復讐は完了した。カイルもロベルトも死に、アルロンドも死ぬ。碧空の翼は完全に消滅する。


「頼む……」


 アルロンドが掠れた声で言った。


「子供、は……」


 バジルの動きが止まった。子供。そうだ、腹の中には子供がいる。この男の子供が。いや、正確にはこの男とバジルの子供が。アルロンドの目が閉じていく。最後の力を振り絞って、バジルの顔を見つめている。その目には憎しみも恐怖も、もうなかった。ただ懇願だけがあった。


「頼む……子供だけは……」


 それがアルロンドの最後の言葉だった。


 バジルは真顔でそれを聞き届けた。長い沈黙の後、口元が歪んだ。笑っているのか、泣いているのか、わからない表情だった。


「ぎゃははははは!」


 大声で笑った。腹を抱えて、床を転げ回るほど笑った。だがその目からは涙が溢れていた。止めどなく、滝のように。


「ぎゃはははは……あはは……うあ……あああああああああ!」


 笑いと泣き声が混じり合い、もはや何の音かわからなくなった。バジルは暖炉の前にうずくまり、しばらくそのまま動かなかった。


 外では雪が降り続いていた。音もなく、何もかもを白く覆い隠すように。


 ◆


 とある村に、一人の女が住んでいた。


 中年の女だ。顔立ちは平凡で特に美しくもなければ醜くもない。穏やかな笑顔を浮かべ、誰にでも親切に接する。村人たちは彼女を「優しいお母さん」と呼んでいた。


 女には娘がいた。五歳になる女の子だ。黒髪を二つに結い、大きな目をくりくりと動かしながら、村の中を駆け回っている。元気いっぱいで好奇心旺盛で誰からも愛される子供だった。


「お母さん、今日ね、お花を見つけたの」


 女の子が駆け寄ってきて、小さな野花を差し出した。女はそれを受け取り、微笑んだ。


「あら、アリア、綺麗ね。ありがとう」


「お母さんにあげる」


「嬉しいわ。大事にするね」


 女は花を髪に挿し、娘の頭を撫でた。娘は満足げに笑い、また駆け出していった。


 女はその背中を見送りながら、空を見上げた。雲一つない青空だ。穏やかな風が吹き、木々の葉を揺らしている。


 平和な日常。幸せな生活。誰もが羨むようなありふれた光景。


 女の目がほんの一瞬だけ、何かを思い出すように細められた。


 だがそれもすぐに消えた。女は再び穏やかな笑顔を浮かべ、娘の後を追いかけていった。


(了)

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