ヒグマ vs. 召喚 どちらにする?
7/25 ミカの台詞の最後を少し変えました。
離宮の地下にある古い一室に、二人の男が向かい合って立っていた。
「これが成功すれば、わが国初の召喚成功。殿下の功績のひとつとなりましょう」
目深にローブを被った背の高い男が、恭しく頭を下げた。
殿下と呼ばれた男は、鷹揚に頷いた。
「そなたの研究によると、隣国では、過去、その国から優秀な人材を、幾人もまとめて召喚し、今の発展の礎を作ったというのだな。公の文書には、そのような記録はないと思うが」
「さすがに異世界の人間を自分たちの都合で有無も言わさず召喚し、その者らによって国を繁栄させる手助けをさせたなど、公にできるものではありません」
「ではなぜ、それを知っている」
「魔術師の性として、秘術を成功させたことを黙っていられる者はおりません。同僚や弟子に、口外するなと言いつつ、それを語り、またそれを発展する方法を協力して研究します。その探求心は国境を越えるのです。魔術師にとって、国境や王家など、足枷にしかなりません」
「俺を足枷と言うか」
「これは、口が滑りました。お許しください」
「しかし、なぜその国から来た幾人もの人間は、勝手に召喚されたにも関わらず、召喚先の発展に尽くしたのだ? 反発はしなかったのか。一人二人ならともかく、何十人という単位だったというではないか」
「私が調べましたところ、彼らはむしろ感謝していたようなのです。トーキョーというところに住んでいて、まさにビーニ・ジュウクの攻撃を受けていたというのです。生きていられるのは召喚のおかげと、働くことをいとわなかったそうです」
「ビーニ・ジュウクとは、何だ」
「詳しくは分かりませんが、推測するに、そうとう大きな飛行型の魔物のたぐいかと」
「魔物のいる国だったのか」
「彼らは、平均して賢く、手先が器用で、新しいものを生み出す能力もある。言いつけた仕事も最後まできちんとこなし、反抗することもなく従順な人間が多かったと聞きます」
「うむ、実に使い勝手が良さそうな民族であることよ」
「殿下のために、役に立ってもらいましょう。まずは、実験的に、ひとり召喚してみようと思います。その後、大量に召喚して、わが国のために働かせましょう。この一連の召喚が成功した暁には、私を魔術師長にご推薦ください」
「よかろう。それだけのことを成し遂げれば、文句も出まい」
この魔術師は、隣国の二百年ほど前の召喚について、ずっと研究してきた。しかし、その大規模召喚以降、どの国でも召喚は行っていない。曰く、倫理に反する。曰く、偶然の成功例を真似しても、実りが少なすぎる。どれもこれも、できない言い訳にすぎないと魔術師は思っている。現に、召喚について密かに研究を続けているのは自分だけではないことを知っている。皆、自分こそが偶然ではない召喚を成し遂げたいと願っている。あちこちの国で召喚を試したものの、いまだどこも成功したという話を聞かない。
そして、今回、この魔術師は、召喚技術の最後のピースを見つけた。
(これで、かの国から人を呼べる。皆が私を賞賛するに違いない。頭の固い老害魔術師どもを、魔術師塔から追い払って、私の時代を築くのだ)
魔術師は、フードの下で暗く笑った。
◇ ◇ ◇ ◇
エリカは、肌寒さに目が覚めた。外はもう明るい。
エリカが、テントの入口を少し開けると、夏とは思えない冷たい空気が入ってきた。二泊で来た北海道のキャンプ場には、薄い霧が立ちこめていた。
「さっぶ~」
冷気に当たったせいか、エリカはトイレに行きたくなってきた。
トイレまでは20mくらいだろうか。誰かを誘って行きたいが、同じテント内の二人は熟睡している。起こすのは忍びない。
テントを出ようとして、昨日一緒に来た男子の一人に、絶対に一人で行動するなと言われた。理由は二つ。
一つは言わずと知れたヒグマ注意。これは分かる。実際、近隣のキャンプ場にも目撃情報があったらしい。そこからはそこそこ離れているということで、今回、ここがキャンプ地に選ばれたのだ。ヒグマは確かに怖い。見つかったらアウトだ。
もう一つは、はっきり言って意味が分からない。オカルト過ぎて返事に困った。というのも、最近日本各地で、召喚未遂事件が発生しているのだという。オカルト専門の you tube だけでなく、地上波のニュースでも取り上げられるようになった。
エリカはそれらのニュースを信じていない。映像を見てもフェイクとしか思えない。しかも、未遂ばかりで実際に召喚の魔法陣なるものに、吞み込まれた者はいないのだ。
事件が日本ばかりで起こるのもおかしい。ウルトラマンやプリキュアの敵が、日本にばかり来るのと同じだ。誰かが作ったフェイクニュースだからだ。
今やAIを駆使すれば、いくらでもそれらしい動画が作れる。どうしてそんなものを信じることができよう。
同じテントで寝ているミコは、この召喚を本物だと信じている人間の一人だ。実家は神社らしく、目に見えないものを畏れ敬う素地があるのだろう。
エリカは以前、彼女からお守りをもらった。
「うちの神社ね、天照大御神様がご祭神なの。今各地を賑わしてる召喚未遂だけど、天照大御神さまのお守りを持っていると、そのご威光で召喚を防ぐことができるのですって。エリカはこういうの信じないと思うけど、召喚だけじゃなくて、交通安全の祈りも込めてあるから、持っていて。私を安心させるためだと思って、お願い」
と、真剣に懇願されてしまった。
そうまで言われて無下にもできず、エリカはお守りを受け取った。ばかばかしいと思いつつも、心配してくれる気持ちは本物だからだ。
トイレまで、ほんの20mだ。エリカは一人で行くことにした。
念のため、召喚除けのお守りと、クマ対策に七味唐辛子一缶。クマ専用ではなく、エリカ愛用の八幡屋磯五郎の七味だ。どうかエリカをお守りください。二つを握りしめて、エリカはテントを出た。
◇ ◇ ◇ ◇
「では、始めます」
魔術師は、あらかじめ部屋の中央に描いておいた魔法陣に向けて杖をかざした。
これまで何度やっても成功しなかったのは、『太陽の国』という単語がいけなかったのだ。あの国の魔術師と親しくなって、魔法陣の写しをもらった。ほかの人間から聞いた話や、当時の魔術師の覚書などから推測するに、『太陽の国』ではなく、『太陽の出る国』でなければならなかった。そこを書き換え、試しに呪文を途中まで唱えた時、確かに魔法陣が明滅を始めたのだ。そこでいったん呪文を止めた。なぜなら、魔力が万全でないときにやると命の危険があるからだ。本番では、魔力を込めた魔石を使用することにした。
満を持して魔術師が、杖をかざしたまま、呪文を唱え始めた。
魔法陣が明滅を始めた。チカチカと火花のように魔法陣に描かれた星と太陽が輝き、いったん光が消えて、失敗か、と落胆したその瞬間、魔法陣から円柱状に光の柱が立ち上り、石の天井を突き抜けて空まで異世界人を迎えに行くのが見えた。天井の石が透けているのだ。
魔術師と殿下と呼ばれる男は、祈る思いで光の柱を見上げた。
◇ ◇ ◇ ◇
エリカは、テントを出て10mほど歩いた。その時、後ろからイヤな気配がした。
振り返るのが怖い、振り返らないのはもっと恐ろしい。
こわごわ振り返ると、30mくらい先に、一生会いたくなかった凶暴なあいつがいた。首を揺らしているのが不気味だ。エリカと目が合った。揺らしていた首が止まった。ロックオンされたのが分かった。
その時、エリカの後ろが眩しく光った。
思わず振り向いて確認すると、エリカの足元から5mほど後ろに、魔法陣が光っていた。中心から光の柱が立ち上って消えた。今は魔法陣だけがチカチカと光っている。
「本当に? 召喚するつもり? でも、そこ誰もいないじゃん。下手くそか」
いや、そんなことを考えてる場合ではなかった。ヒグマがすぐそこにいるのだ。
ヒグマが近づいてくる。後ろの魔法陣の光を警戒しているのか、近づき方はゆっくりだ。エリカから目を離さない。エリカも目を離せない。ミカのお守りと、八幡屋磯五郎の七味だけがエリカの頼みの綱だ。
ヒグマがスピードを上げた。後ろには光る魔法陣。
「前門のヒグマ、後門の魔法陣、どっちも嫌!」
ヒグマが眼前に迫る直前、
「ばか、横に飛べ!」
という、怒鳴り声がした。大声で命令されたら従ってしまう体育会系体質が、その時ほどありがたかったことはない。エリカは、思い切り横に飛んだ。
エリカのいた所を通り過ぎて、ヒグマが魔法陣に入った時、再び光の柱が立ち上った。眩しさに目をつぶる。
光が収まった時、ヒグマはいなかった。魔法陣はまだ明滅を繰り返していた。
エリカは恐る恐る近づいて、魔法陣に触れないように気をつけて覗き込んだ。
どこにつながるのか分からない穴が、だんだん狭まってくる。その穴が半径20㎝くらいになった時、エリカは七味のフタを開けて、缶をその穴に放り込んだ。ついでにお守りも。
「何やってんだ、お前」
エリカの命の恩人が、呆れたように言った。
「いや、今さらながら、クマにかければよかったなあって。お守りは、向こうで天照大御神様のご威光が発揮されないかな、という期待?」
「いや、ほんと、危ないことしてくれるなよ」
「そうだ、トイレ行きたかったんだ」
「緊張感ないな、お前。クマが一頭とは限らないからな。もう荷物まとめて帰るぞ。俺は管理棟に行って、ヒグマが出たこと知らせてくるから、ほかのやつに伝えて」
「はーい」
その後、エリカたちは朝食も食べずに撤退することにした。
帰りの車の中で、エリカは事の顛末を詳しく話した。
「いや、まさか、私が召喚されそうになるとは思わなかったよ。だけど、技術的にはまだまだで、私の位置から5mくらいズレてたよ。おかげで私の代わりにヒグマを連れて行ってくれて、ほんとにラッキーだった。ミカのお守りのおかげかな」
「そのお守りは、どうしたの」
「あ、閉じそうになってる魔法陣の中に放り込んだ。あっちの犯人にバチが当たるといいなと思って」
「そっか。あれさ、わたしが祈りを込めたお守りなんだよね。召喚しようとした相手に、バチが当たるようにしたんだ。どんなだったかな。たぶん、外に出るたび鳥のフンが落ちてくるか、毎日夢の中で足を踏み外して目覚める、のどちらかだと思う。召喚されることに比べたら、軽すぎるバツだよね。でも、召喚は失敗するんだし、それくらいで良いかな」
「ミカの呪いが効きますように!」
エリカは両手を合わせて天照大御神様に祈った。
◇ ◇ ◇ ◇
「やった、成功だ! 光の柱の中を降りてくるぞ」
「おお、やったな!」
「おお?」
「なんだ!?」
二人の目の前に息の荒い獣がいた。たった今、光の柱から降りてきた。
そいつは魔術師に狙いを定め、飛び掛かろうと一度体を低くした。その頭に、コン、と何かがぶつかった。同時に赤い粉が舞った。
獣は赤い粉に塗れ、やみくもに暴れ出した。
魔術師も殿下と呼ばれた男も、遅れて赤い粉を吸い込んだ。
室内は、獣と人間二人の阿鼻叫喚である。
魔術師はローブのたもとですかさず鼻と口を覆ったので、比較的回復は速かった。
魔術で獣を拘束し、殿下を連れて部屋を出た。
二人は咳き込みながら、失敗を悟った。
その後、魔術師は部屋に戻って、異世界の獣を亜空間に片付けた。魔法陣は、今回の召喚でひび割れたり焦げ付いたりしていて、今後も使えるかは分からない。そばに、見覚えのない赤い小袋が落ちていて、
知らない文字が刺繍してあった。それは、確かに異世界とつながったことを物語っていた。
魔術師は、それ以降、異世界からの召喚の研究を止めた。あの獣の目はトラウマ級のヤバさだった。魔術で対抗する余裕もなかった。赤い粉がまき散らされなければ、魔術師と殿下は死んでいただろう。
あの粉を一緒に送ってくれた異世界人の慈悲深さに、魔術師は心を入れ替えようと思った。
ただ、あれ以来、魔術師は外出するたび、頭に鳥のフンが落ちてくるようになり、殿下と呼ばれた男は、毎朝、夢の中で足を踏み外して目覚めるようになった。その理由を、二人が知る日は永遠にこない。
読んでいただき、ありがとうございました。
ビーニ・ジュウクという飛行型魔物の正体、気付いてくれたでしょうか。