無口な男リターン
イツキの中では、すでににらめっこ勝負のゴングが鳴っていた。
男はヒキニートな上、無表情だった。
腫れぼったい瞼が今までのヒキニートのキャリアを感じる。
厚ぼったい唇は今まで何万枚のポテトチップスを食って来ただろう。
そしてポテトチップスと親の脛をかじりまくった結果手に入れた、たるんだ体。もうどうしようもない。
こんな奴がドアップで目の前で無表情にこっちを見ている。
イツキは耐えたが、耐え切れずに吹き出してしまった。
「私の負けです。珈琲でも奢りましょうか?」
とイツキが言うと男は無言で頷いた。
イツキはそのヒキニートを連れて自分の事務所へと戻って行った。
そしてこのヒキニートに珈琲を一杯入れた。
ヒキニートは午前中に座っていた椅子にまた座り、黙って珈琲を飲んだ。
イツキは二杯目の食後のコーヒーに口をつけた。
「で、ヒキニートさんは僕に何の御用ですかな?」
イツキの中で、彼の名前は既にヒキニートとしてインプットされてしまった。
「僕……魔王になりたいんです。」
ヒキニートな男は小さな声でやっとしゃべった。
「はぁ?」
イツキは思わず聞き返した。
「僕、魔王になりたいんです」
男は同じセリフをまた言った。今度はさっきよりは少しだけはっきりとした声だった。
「ヒキニートの?」
――それならもうなっているだろう――
「いえ、普通の魔王になりたいんです」
男は表情も変えずに言った。
「あ、失礼……普通の魔王ですか。魔王自体がもう普通ではないような気がしますが……」
――誰だ? こんなバカを放し飼いにしたのは――
とイツキは心の中で憤っていた。
「魔王ねぇ……そんなもん『なります』って言ったって直ぐになれるもんでもないですよ。分かってます?」
とイツキは取りあえず答えてみた。
そう、取りあえず……イツキは今までこんな間抜けなオーダーを聞いた事が無い。
……なのでどう対応して良いか考えあぐねて、話しを続けながら探りを入れようとしていた。
「はい」
男は小さい声だったが更にはっきりと答えた。
――というか、そもそもこのギルドに『魔王』って職種無いだろう――
イツキはそう思っていたがそれには触れずに話を続けた。
「それに魔王になる前に魔人とか魔獣とかも経験してもらう事になりますよ」
と言いながらも前例がないのでこれはイツキの勝手な想像だった。
――この男は猪八戒なんか似合いそうだな――
「え? そうなんですか?」
男は驚いたように聞き返した。
――やっと食いついてきた――
イツキは会話が成り立ちそうな気がしてきたので少し安心した。
「そりゃ、そうでしょう。入ったばかりの新人職人を直ぐに棟梁にする工房なんてありますか?」
とイツキは至極まともな例え話をした。
「多分……ないと思います」
男は力なく答えた。その程度の事は、この男も理解できるようだった。
「それと同じ事ですよ」
とイツキは言いながら常識的な会話が少しできてほっとしていた。
しかしだ。会話が続いたからと言って、このギルドに魔王なんて職種があるはずもなく、イツキはこの会話の落としどころを模索しながら話を続けていた。
「はあ」
男は力なくため息をついた。
「ところで、ヒキニートさん、そもそもあなた今まで仕事に就いた事……働いた事ありますか?」
とイツキは聞いてみた。
「ないです」
きっぱりとそのヒキニートは応えた。
――なんでそこで自信満々に答えられるんだ?――
とイツキはツッコみたくなったが止めた。




