声を掛ける男
「アルは船には乗った事あるの?」
ナリスはアルカイルに聞いた。
「ありますな。何度か……。ただこうやって皆と食事をしながらというのは初めてだが……開放感があって良いもんですな」
アルカイルはこの食事がいたく気に入ったようだった。
船は風を帆一杯に張らんで順調に進んで行った。
このまま、この船は予定通り着きそうだった。
その時に俄かに雲行きが怪しくなった。風は更に強くなった。
「もしかしてクラーケンか?」
リチャードは海の怪物の名を上げた。
「いや、クラーケンなら風が止みます。凪の状態がまず起きます。この風ならクラーケンではありますまい」
アルカイルがリチャードに状況を説明した。さすが経験豊富な百戦練磨の戦士だ。
「だったらこれは?」
「ただ単に天気が変わっただけでしょう。それにこの海域はクラーケンどころか怪物が現れた事がありませんから心配はいらないでしょう」
アルカイルは空を見上げながらそう言った。
それを聞いていたナリスはアルカイルの言葉を聞いて安心したが、その傍らで熱心に話を聞いているスチュワートに気がついた。
彼は口下手で何を言っているか分からない時もあるが、こうやって地道に努力していた。
ナリスは今剣士になって派手な立ち回りを演じているが、吟遊詩人のスチュワートはそういう場面はあまりない。
彼は日頃の地味な努力の積み重ねしか成長するすべがなかった。そんな職種を何も考えずに選んだとは言え、一生懸命努力している姿にナリスは密かにスチュワートの事を尊敬していた。
元踊り子だったナリスだからこそ分かる努力だった。
ナリスがそんな事を考えていたら、アルカイルの言う通り空が晴れてきて風も穏やかになってきた。
「いい風だ」
ナリスは空に向かて呟いた。
風はどこまでも穏やかにそして軽やかに吹いていた。
ふと気が付くと視線の先に陸地が見えていた。
思ったより早く着きそうだ。
ナリスはデッキで気持ち良さそうに海風を受けていた。
その視線の先にアウトロ大陸が見える。
「良い風ですねえ……」
ナリスにそう言って声を掛ける男が居た。
ナリスはその男に視線を移した。
男は短くそろえた白髪で、老齢に差し掛かった賢者の風貌を醸し出していた。
男はナリスを見ずに真っ直ぐに対岸のアウトロ大陸を見ていた。
「そうですね。この風ならもうすぐ着きますね」
ナリスは応えた。
「ほぉ、ほほほ。旅の途中ですかな? 剣士のお嬢さん」
その男はナリスの方に顔を向け、何が可笑しいのか楽しげに笑って聞いた。
「はい。ナロワ国からアルカリ帝国のゴドビ砂漠へ向かいます」
ナリスは何故だかこの男にそう言って行き先を素直に教えた。
冒険者としては軽率な行為だったかもしれないが、この男からはなんだか懐かしい雰囲気を感じていた。あるいは久しぶりの船旅で浮かれていたからか、彼女の緊張の糸がほどけたのは事実だった。
「ゴドビの地下宮殿でも行かれるのかな? あそこの魔王はアバントという者で、怒らすと後々面倒な魔王なのはご存知かな?」
「ええ? そうなんですか? それは知りませんでした」
ナリスはここの魔王に関しては何も知らなかった。
ここに行く事を決めたのはリチャードでアルカイルも賛成したので、ナリスは何も考えずに安心しきっていた。
「おじさんはその魔王と戦ったことがあるんですか?」
ナリスはその男に聞いた。




