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神に愛された幼女

だいたいの成人男性はこんな感じ

 春の大型連休を前にした暖かな春の日、田中はふと気が付いた。自分が愛され系幼女になれば、全てが解決するのではないか、と。


 そう、田中はついに、この世界における真理の一端をつかんでしまったのである。


 田中は、一般に働き盛りと言われる年ごろを過ぎているが無職で配偶者もいない。そして、これからの未来にも、所帯や家庭といったものとは無縁だろうと諦念を抱いていた。なにしろ無職である。それに、取り立てて容姿がすぐれているわけでもなければ、家事が得意なわけでもない。そんな男を引き取ってくれる篤志家が世の中に存在するだろうか、と考えてしまうのも何ら不思議なことではないだろう。


 しかし田中は、特別に抑えがたい孤独を感じているわけでは無い。老後のことを思い浮かべれば、それなりには不安を覚える程度である。苦痛を伴わないのであれば、孤独死しても構わないと思っているが、そんなにあっさりと死ねるとは思われない。


 人生が詰んでいると言うと大げさだが、『現状を維持したまま幸福な未来が訪れるだろうか』と問われれば、否と断じてしまっても大過なかろう。


 そんな人生に行き詰まった田中が、いつものようにウェブ小説を読んでいるときに閃いた人生のソリューションが愛され系幼女になるというものである。

 まずもって愛され系幼女には保護者がいるはずである。であれば、その保護者の被扶養者となることにより無職という枷は消え失せ、さらには孤独とも無縁となるのである。一石二鳥の非の打ちどころのない計画と言っても差し支えないだろう。


「天啓なりや。と、でも言うべきか。天は俺に浮上の機会を与えてくださったのか。

 いいや、そも、天の意志といえるものがあるのであれば、俺が不遇を(かこ)っていることが順当ではないのだ。

 これは俺の常人の枠を逸脱するほどに優れたる頭脳から自然とにじみ出た着想だ。自身の才覚の著しさには驚嘆せざるを得ないな」

 

 田中は自身の思索に自惚れた。

 しかし、弁当ガラの山に囲まれながら、パソコンの前で鬱屈した日々を過ごしている無職の成人男性が、このようなハッピーで彩られたキラキラと輝くスウィートなアイデアにたどり着くのは稀なことでは無い。むしろ当然の帰結であろう。男性は何歳になってもイチゴみたいに可愛くて甘くて、ちょっぴり切ないものに強い憧憬を抱いているのだ。

 数多の男性が同様の発想を得ていることなど、田中は考えもしなかった。



 

 その夜、銀色に光るまん丸のお月様がお空でみんなを見守っていた。


 田中はベッドに仰向けに寝そべると、ペラペラのポリエステル綿の布団を体にかけた。枕からは心安らぐ加齢臭が漂っている。枕の横には、用途不明のティッシュ箱が置かれていた。


 そうして田中は胸の前で手を組み目を閉じて、神様におねだりを始めた。


「神様、どうかわたしを愛され系幼女にしてください。わたしには、愛してくれる保護者が必要なの。明日の朝に起きたらびっくりするぐらい可愛くて、誰からも愛されちゃう幼女にしてね。よろしくね。それじゃ神様、おやすみなさい!」


 既にして、田中の胸中では幼女になり替わることは決定した未来となっていた。現時点では、幼い口調で独り言をつぶやく成人男性であるが、明日には外見も可憐なる幼女へ変態をとげると確信していた。


「ふむふむ。きみは日頃からとても良い子でいるようだね。きみの願いを叶えてあげよう。明日の朝を楽しみにしていなさい。そして、これからも良い子でいるんだよ」


 田中はつとめて低く優しい声で囁いた。田中の想像する神とは年を重ねた穏やかな男性であるらしい。

 神が男性であると自然に想起する田中は、自身も気づかぬうちに男尊女卑的な思想を有しているのかもしれない。しかしながら昭和生まれの男性である田中が、そのような思想を有していたとして誰が責められようか。政治的正しさをもって断罪されるべき旧人類と(そし)るには、田中はあまりにも小市民すぎると言えよう。


「えへへ、神様ありがとう。わたしずっと良い子でいるから、見守っていてね」


 小芝居に満足した田中は、明日への大いなる期待を胸に抱いて眠りにつこうとした。しかし、ここで懸念すべきことが頭に浮かんだ。

 はたして、幼女は就寝時に一人芝居をするのだろうか、と。

 就寝時、おおよそ全ての男性は、しばしばこのような茶番劇を繰り広げている。当然、田中も男性である以上、何も不自然なことは無い。しかしながら明日以降は幼女になってしまうのである。となれば、幼女としてあるべき行動をとらねばならない。

 ところが、田中は一般に幼女が就寝時に何をするのかについての知見を持っていないのである。これは由々しき事態だろう。


「明日からしばらく、一人コントは控えた方が良いわね……」


 用心するに越したことは無い。

 田中とて最低限の危機管理能力を有しているのだ。

 頭によぎる不安を振り払い田中はついに眠りについた。




 翌朝、田中は起床するとすぐに洗面化粧台の鏡の前で自身の身体を観察しはじめた。己の身体がいかように変貌をとげたのかが、気がかりで気が急いて仕方が無かったのだ。


「うーん、なんだか思っていたのとは違うような……」


 伸ばした人差し指を頬に当て、困惑したようにつぶやく田中の眼前には予想に反してよく見慣れた人物が映し出されていた。

 ランダムネスなうねりを有した細い黒髪の天然パーマは肩口までかかっている。眼鏡の下には笑うと筋になってしまう慎ましやかな細い目が存在していた。そして厚ぼったく紫がかった唇は渇いてささくれ立っている。また腹部はたるみ、怠惰を具現化したかのような体形をしている。さらには、豊かな腋毛にすね毛、それだけでなく乳首や手足の指にも毛が生えている。


 田中には鏡に映された人物が幼女であるとは、とうてい思われなかった。田中は幼女に詳しいわけではない。それでも、自身の幼少時の身体を思い返せば、少なくとも腋毛や指毛は生えていなかった。そこから類推すれば、鏡中の人物は幼女ではなく第二次性徴を終えた成人。さらに言ってしまえば、成人の男性であり、昨夜に別離したはずの本来の田中そのものであった。


(多分、わたしにだけに本当の姿が見えるとか、この鏡が真実の姿を映し出す魔法の鏡だったとか、まあそんなところなんでしょう。神様はわたしを誰からも愛されるような幼女にしてくださると約束してくださったのだもの。それを反故にされるはずが無いわ。きっとわたしの神様への信頼を試されているのね。)


「大丈夫。いまのわたしは誰がどうみても幼女なんだから!」


 顔の下に握った両手を添え、田中は自身を鼓舞した。

 田中は自分を幼女に変換してくれた神を盲信することしかできない。田中は宗教学も神学も齧ったことすらない。それ故に神に対する批判的言説など思いつかないのである。その超常をあるがままに受け入れることしかできなかった。


(なんだかちょっと気色が悪いわ。主観的には、冴えないおじさんが、ぶりっ子しているようにしか見えないわ。見るに堪えない不愉快な絵面だけれども、客観的には愛くるしい幼女が張り切っているように見えるのね。この姿に、みんなはメロメロに魅了されてしまうのだから世の中ちょろいもんだわ)


 主観的にはどうあれ、現在の田中は愛おしさを感じさせる幼女であるらしい。

 しみ一つ無い陶器の様に滑らかな白い肌、神聖ささえ感じさせる艶めくブロンドの髪、くりくりとした大きな目には濁りの無いアイスブルーの瞳、すっと真っすぐな鼻梁、桜色の唇はフルーツのように瑞々しい。昨夜、眠りにつくまでに空想したとおりの容姿。ゲームやライトノベルの世界、その中でも剣と魔法のファンタジー世界、俗っぽく言えば中世ナーロッパの世界から抜け出してきた様な幼女。それが現在の田中の客観的外見であるらしい。

 さてこのことから、田中の理想的女性像とはコーカソイド系であることは明白である。しかし、これをもって田中を白人至上主義の下僕などと蔑むことは早計である。田中が多感な時期には、セックスシンボルとされるような女性はコーカソイド、特にブロンド髪であることが多かったのである。つまり、田中は当時のマスメディアに美の基準を刷り込まれた憐れむべき人間なのである。




 こうして田中は所望通りに愛され系幼女の姿態を己が物とした。しかし、外見以外の設定が空白であった。さしあたって、名前と簡単な生い立ち程度は決めておくべきだろうと考えた。

 外見は中世ナーロッパの幼女であるのに、名は田中でアパートメントに独居というのは、違和感があるだろうと思えた。せっかく、真実の自分に生まれ変わったのだから、本来自分が居るべき社会的立場を得ても良いだろうという欲目もあった。


 田中は窓際で胡坐を組むと暖かな日差しを身に受けながら、新しい自分の設定を考え始めた。


「どうせなら貴族のご令嬢が良いわ!」


 この願望には、田中の愛読するウェブ小説が影響している。特に最近は、中世ナーロッパを舞台とした貴族令嬢たちの恋愛物語に入れ込んでいた。豪奢なシャンデリアの下で煌びやかな装いに身を包み、アンシャンレジームの最右翼たる王子様や上位貴族と素敵な恋愛をしたり、逆に婚約破棄等により積極的に労働者階級への転落を画策したり、そのようなウェブ小説群を読み漁っていた。

 そうしたものに影響を受け、田中は迷うことなく貴族階級となることを望んだ。貴族であれば、貴金属や領地など、何かしらの資産を保有していることは間違いないだろう。それに領地からの収入や国からの給金等の不労所得があるかもしれない。田中はこのような財産を強く欲したのである。

 ウェブ小説で描かれるような貴族社会の権謀術数や派閥争い等のしがらみなど田中には想像がつかない。しかしながら労働者の苦労は理解できる。日々、溌溂と労働に励むことのできる優良な心身を有し、かつ社会に対して価値を提供できる頭脳ないしは技術を有しているならば労働者であっても辛酸を舐めるような事は少ないだろう。しかし、それでもひとたび事故や病気などにより労働に就けなくなってしまえばどうだろうか。社会福祉の発達した現代と言えど、慎ましやかな生活を強いられることは想像に難くない。


 そのような訳で、不労所得と資産に魅入られた田中は迷うことなく貴族令嬢となることを選んだのである。つまり田中はカネのために現代人としてのモラルを捨て去り、時代錯誤の階級主義者にして21世紀秩序を乱す者へと堕落したのだ。


(名前ねぇ……。貴族の女性とわれても、エリザベス女王、マリーアントワネット、紫式部に清少納言ぐらいしか思いつかないわ。でも、紫式部と清少納言って名前なのかしら? よくわからないわ)


 思案しても田中の海馬には貴族女性に関する情報は残されていなかった。まさか自分が貴族に名を連ねるなど夢にも思わなかったのだから仕方がない。


(とりあえず、エリザベスかマリーのどちらかね。最期がギロチンなのは、ちょっと縁起が悪い気がするから、エリザベスにしましょう)


 田中はえいやとエリザベスに決めてしまった。コモンウェルスへの配慮など一切考えない豪胆さである。


(まぁ貴族で大事なのは家名よ。家名こそが青き血の証なの。貴族と言えば、ハプスブルク家、サウード家、愛新覚羅氏、あとは近衛に岩倉に西園寺みたいな日本の公家しか思いつかないわ。考えてみるとわたしって何にも知らない)


 名といい家名といい、あまりにも無知が過ぎると田中は落胆した。

 しかし、所詮、田中は憐れな独居無職である。教養などという高尚なものを求めるのは酷な事である。


(無難に考えればハプスブルクかなぁ。だけど、愛新覚羅の字面の力強さには惹かれるのよね。愛新覚羅エリザベスってどうなのかしら。そんなに違和感も無いような気がするわ)


「よし決めた! わたしは今日から愛新覚羅エリザベス!」


 東洋と西洋の奇跡的マリアージュの瞬間である。

 新たなる名を得た愛新覚羅エリザベスは喜びを全身で表現するかのように跳び跳ねた。その度に愛新覚羅エリザベスの腹部も上下に跳ね、フローリングからどんどんと低音が鳴った。


「でも、清朝にとって英国王室なんて不倶戴天の敵と言っても良いような……。もしかしたら、わたしって道ならぬ恋の末に生まれた子なのかも。あまり口外しない方が良さそうね。基本的にはベスとだけ名乗っておこう」


 ベスは名を借りるだけでなく、無邪気にも血縁関係にあるという大胆な設定を自身に付加した。しかしベスはただ無邪気なだけの幼女では無かった。自身の存在が公知になった場合の社会的影響を勘案する利発さをも備えているのである。流石は貴族なだけあってしっかりとした教育が施されていることが明白である。


 このような具合で、中国四千年の伝統の集大成 大清帝国と、世界史上最大の帝国 大英帝国、その双方に連なる貴族令嬢”愛新覚羅 エリザベス”が東京都江戸川区で密かに誕生したのである。

かわいい

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