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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

何にも知らない世界で出逢った、私の友だち

作者: 津籠睦月

 物心ついたばかりの(ころ)のことを、(おぼ)えている。

 まだ世界のほとんどを知らなくて、何もかもが物珍(ものめずら)しかった頃のことを。

 蜘蛛(くも)の巣に光る水晶のような朝露(あさつゆ)や、シャボン玉の(まく)の虹色マーブルの()らめきにさえ、いちいち心(さわ)いで、ときめいていた頃のことを。

 

 あの頃は「楽しい」や「おもしろい」のハードルが、(おどろ)くほどに低かった。

 ほんの些細(ささい)なことが楽しくて、おもしろくて、ずっと()きずに遊んでいられた。

 まるで()とは、世界からして(ちが)うみたいに。

 

 私があの子と出逢(であ)ったのは、そんな、美しくて素晴らしくて――二度と戻れない世界の中だった。

 

 いつ、どうやって出逢ったのか、最初のはじまりは覚えていない。

 気づけばそばにいて、当たり前のように一緒(いっしょ)に遊んでいた。

 

 あの頃は、友達のハードルも(おそ)ろしいくらい低かった。

 友達を選ぶ・選ばないじゃなく、友達になる・ならないでもなく――気がつけば、もう友達だった。

 当たり前のように一緒に遊び、当たり前のように一緒に大きくなり、当たり前のように同じ年に小学校に入学した。

 

 その子が他の友達と何か違うことに気づいたのは、それから何年かしてからだった。

 ある学年から、その子だけが私とは違う教室に(かよ)いだした。

 

 いろいろな学年がごちゃ()ぜで、人数もずっと少ないその教室は、数字ではなく平仮名(ひらがな)の名前で呼ばれていた。

 (まど)(かべ)には色紙を切り()いて可愛(かわい)い動物の(かざ)り付けがされ、教室の(すみ)には(たたみ)も置かれていた。

 机も少なく広々していて、ちょっと学校らしくない感じがして、数字の名の付いた教室よりずっと居心地(いごこち)が良かった。

 

 私はその子と遊ぶついでに、当たり前のようにその教室に入り(びた)った。

 当たり前のように、その教室の他の子とも遊ぶようになった。

 その教室にしかないクイズ本や学習まんがを読みながら畳の上でダラダラ過ごしたり、その教室だけで()()われたクリスマス会のお菓子をこっそり分けてもらったりした。

 それは私にとって、小学校前から続いてきたつき合いの、当たり前の延長線(えんちょうせん)だった。

 

 だけど、そのうちふと気づいた。

 そうして教室をまたいでまでその子と遊んでいたのは、私だけなのだと。

 

 時々、他の友達を(さそ)ったりもしたが、(みんな)あまり乗り気ではなかった。

 私を間に置いて一緒に遊びはしても、私を飛び越えてその子と会話することは、ほとんど無かった。

 その子と他の友達との間には、得体(えたい)の知れない“壁”があった。

 私はその壁の存在に、まるで気づいていなかった。

 

 その子は“自分たち”とは違うと、皆の目が言っていた。

 だけど、私には分からなかった。

 その子が私と違う(・・・・)のなんて、当たり前のことだ。

 この世界に(ただ)一人だって、私と同じ(・・・・)人間なんていない。

 みんな違って、何一つ同じじゃなくて、その違いが大きいか小さいかの差しかない。

 それなのに、どうしてそれがそんなに問題なのか――私には、まるで分からなかった。

 むしろ『同じなんかじゃない』人間を一括(ひとくく)りにまとめて『自分たち(・・)はその子と違う』と壁を作る皆の方が、私には薄気味(うすきみ)悪く思えた。

 

 人間という生き物は、大概(たいがい)の場合、自分と似た(・・・・・)種類の人間としか()れないものらしい。

 なるべく自分と差が少ない(・・・・・)人間を選んで“仲間”と“そうじゃない人”を区別するものらしい。

 教室を飛び()えて交友を(きず)く私を、周りは理解してくれなかった。

 理解できない行動に勝手な解釈(かいしゃく)を付けて“偽善(ぎぜん)”と侮蔑(ぶべつ)した。

 いい子ぶっている、点数(かせ)ぎ、あるいは馬鹿真面目(ばかまじめ)な優等生……。

 そんな周囲の評価に、(かな)しむよりも、(いきどお)るよりも、()(あき)れ果てた。

 

 皆は何も知らない。

 何も知らずに、居心地の良い教室で漫画やお菓子を満喫(まんきつ)するだけの私に、仮にも“善人(ぜんにん)”のような評価をつける。

 その“見る目の無さ”は滑稽(こっけい)過ぎて“笑える”どころか“可哀想(かわいそう)”に思えるほどだった。

 

 人間(ヒト)人間(ヒト)を見る目なんて、所詮(しょせん)その程度のものなのだ。

 実態(じったい)も知らずに好き勝手な想像をして、()ずかしいほどの思い違いをする。

 私の行動に、善も偽善もありはしなかった。

 あったのは、ただ仲の良い友達と普通に遊びたいという、ありふれた欲求だけだった。

 

 他の子たちとの遊びや会話は、学年が上がるごとにどんどん変わっていく。

 知らない有名人や流行(はや)りモノの話題に、ついて行けない時もある。

 だけど、あの子との遊びは(はげ)しい変化とは無縁(むえん)で、安心できた。

 考えるよりも先に感情や直感で生きていた幼い頃のように、ただただ「楽しい」や「おもしろい」に身を(まか)せていれば良かった。

 きっと私と他の子たちとの違いは、あの子と遊ぶのに()れていたかどうかだけだ。

 あの子と何をして遊べば楽しいか、知っていただけなのだ。

 

 私は自分を博愛(はくあい)主義者だとは思っていない。

 あの子と出逢うのがもっと(おそ)かったなら、他の子たちと同じように“壁”を感じていたと思う。

 これはきっと、偶々(たまたま)だ。

 壁を感じるよりも先にあの子と出逢った――その偶然(ぐうぜん)のタイミングが、私をこういう風にしたのだ。

 人間の生き方なんて、案外(あんがい)そんなものなのかも知れない。

 生まれ持った資質だけが全てではなく、これまでの人生の道筋(みちすじ)で出逢ってきたものたちが、私を“私”にする。

 私はきっと、他の子たちよりも幸運だったのだ。

 

 物心ついたばかりの頃のことを、私はよく覚えている。

 幼い目に映るあの世界で、“知らないもの”は“心ときめくもの”だった。

 知らないものに()れると、世界の秘密を垣間見(かいまみ)たかのように、胸が(さわ)いだ。

 知らないものを、これから知っていく――そのことに、冒険じみた興奮(こうふん)を覚えた。

 知らなかったものを知るたびに、世界が広がっていく気がしていた。

 

 大人になることは、もっと世界が広がることだと、あの頃は信じていた。

 だけど、逆だ。

 成長するにつれ、“知らないもの”が怖くなる。

 知らないものを“得体の知れないもの”“気味が悪いもの”として、壁に()()め遠ざける。

 気づけばどんどん壁が増えて、世界が狭苦(せまくる)しくなっていく。

 地平の果てまで無限に広がっていくように思えた世界は、いつしか、壁で囲まれた窮屈(きゅうくつ)な迷路になり果てる。

 

 私も、他の子たちと大差(たいさ)は無い。

 普通に壁を築き、普通に人を遠ざける。

 そのことに、高校生となった今は、もう気づいている。

 自分とあまりにタイプの違う人間は、何となく怖い。

 (かみ)()め、派手(はで)なメイクをキメた子たちには、気後(きおく)れして近づけない。

 話してみれば案外(した)しみやすくて、あっさり友人になれるかも知れないのに……一歩を()み出す勇気が出ない。

 この世界には、あまりにも知らないもの、知らない人が多過ぎて、全てを知るには時間も勇気も()りない。

 きっと、生きているうちに全ての壁を取り去ることはできないだろう。

 

 (おさな)く美しい世界で出逢ったあの子とは、中学が別になった。

 小学校の他の友人たちと同じように、だんだんと会うことが()り、つき合い自体もなくなっていった。

 きっと二十歳(はたち)(つど)いか何かで再会できたら、はしゃいで()()り、手を(たた)き合うだろう。

 けれど、わざわざ連絡(れんらく)を取り合ってまで会ったりはしない――そんな、特別でもない、ありふれた友人関係。

 それでも、幼いあの頃を思い出す時、いつでも浮かぶのは、あの子の姿だ。

 

 今ではもう駐車場(ちゅうしゃじょう)になってしまったあの場所は、幼い頃には小さな公園だった。

 ブランコとベンチがあるだけの箱庭のようにちっぽけな公園で、空が朱色(あけいろ)に染まるまで夢中で遊んだ。

 ブランコが高く上がるたびに、茜空(あかねぞら)()い込まれてしまいそうな気がして、この世と異界の境目(さかいめ)を行ったり来たりしている気分だった。

 あの子も同じ気分だったかは知らない。

 だけど、幸福な興奮に満たされたあの時間を、一緒に過ごした――それだけで充分(じゅうぶん)だった。

 まだ遊び足りないけど、もう帰らなくちゃ。明日は何して遊ぼう――そんなことばかりで頭を満たしていた、不安や鬱屈(うっくつ)無縁(むえん)の世界。

 楽園というものがあるとしたら、幼い頃に当たり前に()たあの世界こそが、そうだったのかも知れない。

 

 世界が壁で(せま)くなった今も、時々あの世界を思い出す。

 壁の向こうに閉じ込めたもののことを、私はまだちゃんと知らない――そのことを、思い出す。

 壁を(こわ)したら、その向こうには広々とした地平が広がっているのかも知れない――それを思うだけで、心がほんのり、窮屈(きゅうくつ)さから解放される。

 

 (なん)にも知らなかったあの世界で、私たちは出逢った。

 世界のほとんどを知らなくて、知らないことが“当たり前”だったあの頃に。

 (なん)にも知らない目で見る世界は、楽園の美しさだった。

 何もかもが新鮮(しんせん)で、特別で、幸福感に満ちていた。

 あの(いとお)しい世界には、もう帰れない。

Copyright(C) 2023 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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