『聖女』召喚
■ハッピーエンドではありません。
■読み手をひたすら選びます。
異世界より『聖女』を召喚する儀式が行われ、一人の女性が招かれた。
黒い髪の毛に黒い目、痩せ細った体に陰鬱そうな表情をした女性は、自分が『聖女』であり、この国のみならず世界を救うという使命を与えられていると聞かされた。
女性は『地球』という世界では不遇の日々を過ごしていた。両親は離婚し、母と共に暮らしていたがその母との相性は悪い。母の愛情は弟に向けられて少女は辛うじて生きるだけの最低限は施されていたけれどもそれだけでしかなかった。
友人らしい友人もおらず、ただ慢性的に生きているだけ。大学に進学することは出来ず、高校を卒業すると直ぐに働き始めたが、親しく出来る同僚もいなかった。家賃の安いアパートでひっそりと生活し、贅沢と言えば小説や漫画を読む事くらいだけ。
何のために生きているのか分からず、小説の中にある異世界転生というものに強い憧れを抱いていた。創作の中で異世界に召喚された『聖女』は神に愛された力を発揮し、最終的に身分の高い者、特に王族と婚姻をして王妃として周りから慕われて幸せな日々を送ると言ったものばかり。
故に、女性は自分がこうして『聖女』として召喚されたからには今までの不幸など嘘のように幸せになると、何の根拠もなく信じ切っていた。
『聖女』は王家に保護され、王城の敷地の一角にある豪華な内装の施された屋敷を与えられた。その一室には『聖女』が祈りを捧げる事で世界に蔓延る瘴気と呼ばれるものを浄化するための媒体となる水晶が御されていた。
わざわざその地に行かずともこの水晶に祈りを捧げるだけでいいというのだから『聖女』は一日に三度祈りを行っていた。
日々の生活は侍女が優しく面倒を見てくれて、痩せていた体は食事によってふっくらとし、軋んでいた髪の毛も艶めくようになった。
王太子である第一王子は三日に一度、政務の合間に女性の元を訪れては女性と会話を楽しみ、異世界である『地球』の様々なことを知りたがった。女性は請われるままに『地球』での自分が知る情報を語り、王太子は『聖女』に対して感謝を述べた。
そんな生活が一年も過ぎる頃、『聖女』は王太子から妃になって欲しいと言われた。ただし、それは王妃となる王太子妃ではなく『妾妃』と呼ばれる立場であった。
何故王太子妃ではないのか、と『聖女』が問いかければ、王太子妃、並びに王妃というのは諸外国とのやり取りが多く、言語や文化、マナー一つとっても大変に複雑で、その苦労をさせたくはないのだと王太子は告げた。
『聖女』はもっともであると理解した。考えてみればその通りで、王妃や王太子妃が優雅にお茶を飲んでおしゃれをしてるだけのはずはないのだ。しかし、妾妃であれば社交をする必要はなく、今のように穏やかな日々を過ごす事が出来るのだという。
彼女は王太子の申し出を受け入れ、妾妃となった。とは言えども生活に何ら変わりはない。何時ものように水晶に祈りを捧げ、王太子の来訪を待つ。
周りに大事にされた『聖女』であったが、この国に来て二年ほどして少しずつ体調が悪くなってきた。祈りを捧げた後に体が重くなってきたし、食欲もわかない。
王太子に不具合を伝えると、彼は暫く何かを考える様で、そして思い出したようにこのように告げた。
「異世界からの来訪者はそもそもこの世界にとっては異物。故に馴染むまでに時間がかかる。これまでにも異世界から招いた『聖女』は何かしらの不具合が出ていた。そういう時は王家が所有している離宮で静養していたそうだ。自然に囲まれた場所で、美しい湖もある。君も少しの間そこで静養してみてはどうだろうか」
『聖女』は王太子の提案に頷く。これまでの『聖女』も同じような症状が出ていて、離宮で静養して回復したというのであれば同じようにしたほうがいいのだと思ったのだ。
離宮への出立の日、王太子は何時も祈りを捧げている水晶よりも小ぶりな水晶を『聖女』に手渡した。具合が悪い君に頼むのも申し訳ないのだけれども、世界の為にこの水晶に祈りを捧げていて欲しい、と。
『聖女』は当然です、とその水晶を受け取り大事に掌に包み込んだ。
離宮までの道のりは馬車で二日ほど。その合間にも祈りを捧げ、宿についても自分で定めた時間に祈っていた。そうして彼女は数名の侍女と護衛と共に離宮に辿り着いた。
王太子の言う通り、自然豊かな場所で、町からは離れているけれども空気は澄んでおり、広大な湖は大変に美しかった。
白壁の美しい離宮は王城の敷地で彼女に与えられた屋敷と変わらぬ居心地の良さ。一室に水晶を設置し、彼女は一日に三度祈りを捧げると、重い体を休ませながら時に刺繡をしたりしていた。本は文字を読む事が出来なかったので断念したけれども、美しい絵画を見たり、体調が良ければ散策などもして静養をしていた。
だが、彼女の不調は重くなるばかり。離宮に来て一年もすれば彼女はベッドから起き上がることも出来なくなっていた。侍女たちはかいがいしく彼女の面倒を見てくれていた。
ごめんなさい、と『聖女』が詫びる度に侍女たちは「『聖女』様のお陰で平和な世界になっているのです。お世話をするのは当然ですよ」と優しく応えてくれる。
水晶はベッドの傍にあるチェストの上に置かれており、侍女の言葉を思い出した『聖女』はこれだけはきちんとしなければと祈りを捧げた。
そして、その夜眠りに就いた『聖女』が目を覚ます事は二度となかった。
■
「そうか。『聖女』が死んだか」
「はい。遺体は歴代と変わらず火にくべ、骨は湖に」
「ご苦労」
王城の一室、王太子に与えられた執務室で報告を受けた彼はやっとか、と零す。
「三年とは、それなりに持ちましたわね」
「ああ。これで五十年は大丈夫だろう。各国からも手紙が届いている」
「『勇者』の召喚である程度魔物は間引いていますが、瘴気だけはどうしようもありませんものね」
「歴史書に時折『聖女』は王太子妃の身分を求めることもあるとあったが、今回のは大人しく弁えていて良かった」
「ええ。それにしても彼女は最後まで気付かなかったのですね。自分が『生贄』である、という事に」
「気付かせないように『聖女』という耳触りの良い立場を与えるべし、となっているだろう」
この世界において、『聖女』と『勇者』というのは異世界より召喚し、この世界の問題である強大な魔物を倒し、それらが残してしまう瘴気をその体に閉じ込めて死んでもらうための『生贄』であった。
この慣例が出来たのは今から随分と昔、『地球』とは異なる世界からふらりとやってきた『賢者』と呼ばれる男がこの世界の悩みの種であった魔族ですら制御の出来ない強大な魔物と瘴気の問題の解決法として、『地球』と呼ばれる世界から『生贄』を呼び出せばいいと教えたことにある。
『地球』に住む人間は魔力を持たない代わりに、体そのものが瘴気を受け入れる器になりえるし、魔法による強化を素直に受け入れるという。故に、『勇者』は魔法使いの強化魔法を受けて身体能力を無理矢理上げて強大な魔物を倒し、『聖女』は魔物が生み出した瘴気を体に受け入れるようにした。
『賢者』は、『生贄』と言えば誰もが嫌がるが『地球』の人間は『勇者』や『聖女』という言葉を神聖なものと思い協力してくれるようになる、と教えてくれた。
半信半疑で教わった魔法陣で召喚してみたところ、『勇者』や『聖女』という言葉に『地球』の人間は確かに好感を持ち協力してくれた。
『賢者』は召喚した『生贄』に貴族としてはそれなりの生活を与えることを言明した。虐げれば逃げ出すが、丁重に扱えば大人しく言う事を聞いてくれるようになるから、と。
『賢者』の言うとおりにしたところ、『生贄』はそれらの日々に満足して彼らの役目をきちんと果たしてくれた。何よりも、彼らの命は大変に短い。長くても五年あれば死んでしまうので、たった五年で数十年の平和を確保できるのであればそのくらいの予算は捻出出来る。
『聖女』と『勇者』はそれぞれ別の国で召喚されるし、『聖女』に至っては複数名召喚されている。様々な国が一人ずつを囲い込んでいるという状態だ。
王族が『聖女』を妾妃として囲うのは表に出さないようにする為だ。どうせ何れ死ぬのだから表に出ないようにしておけば態々国葬をする必要もない。流石に『勇者』は人目に触れるので立派な葬儀を出すが、『聖女』の存在は召喚を行うこの国の王族並びに、その影響を受ける世界各国の王族だけしか知らない。故に、『聖女』として葬儀を出す事はしないし、その骨は離宮の湖に捨てられるだけだ。
あの離宮は代々の『聖女』が送られて死んだ後に骨を湖に捨てる為だけに選ばれた場所だ。『聖女』達は真実を見極めることも出来ないまま死ぬので瘴気を発することもない。燃やしてしまえばそれで終わりだ。
遺体から瘴気が溢れ出るということは無い。その体が強力な密閉の入れ物になっていて溢れ出すことは無いと『賢者』は述べていたそうだし、実際に今までその事例もない。
「元の世界でも彼女たちは不要とされていたわけですから、こちらの世界で立派にお役目を果たせたので良かったのでしょうね」
召喚の魔法陣には「『地球』で不要な人間」という条件が書き記されている。この世界に招かれた人たちが今まで誰も『地球』に帰りたいと望まなかったのは、あちらで生きる希望を見失っていたからだ。だからこそこの世界で役目を与えて彼ら彼女らに希望を持たせている分、親切であるとこの世界の王族たちは本気で思っている。何よりも、今まで何の問題もなく出来ていたのだから、今後も同じように続くだけだ。
「王太子殿下が『聖女』に心を移されたらどうしようかと思いましたわ」
「はっ、冗談を。君という素晴らしい妃がいるのに、何故『聖女』を選ぶ。長く生きられもしない『生贄』は『人間』ではないだろう」
「酷い御方。足繁く通っていると聞いておりますわよ?」
「『地球』の情報を得ようとしたのだが、流石不要だと判断されただけある。何の有益な情報もなかった。貪欲に知識を得て自分の立ち位置を確保しようともしない愚鈍さだから、周りに見捨てられたのだろうな。何時でも自分は被害者だという弱さを前面に出しているような事ばかり言っていた。あれではこの国で生きていけない」
「ふふ。まあ、もう終わりましたし。他国の『聖女』よりも長く生きた我が国の『聖女』も漸くなくなりましたし、これで正しく平和になりましたわ。殿下、これから忙しくなりますわね」
「そうだ。君にも苦労を掛けるが、一緒に頑張って欲しい」
「勿論ですわ」
終