096 刹那の静寂
可聴域を飛び越える轟音。破壊力を持った音の塊。
嫌な予感に導かれて取った回避が九死に一生を得た。至近距離にも関わらず敵の不意打ちをある程度回避することが叶った。
「ぐ――」
「うわ――あわわ!?」
しかし、余波でも絶大な威力だったその一撃は、致命傷にならずともそれに近い負傷を俺に与えた。
しかも、後方で弓を構えて援護しようとしていたニコまでも余波で巻き込んだらしい。後方から焦ったような声を聞いた。
余波でなおかつ鍵の盾越しだというのに、ここまでの破壊力を……!
“ソニックバースト”と呪文で名乗りを上げたその攻撃は、大地を薙ぎ、反動に身を任せるように天に向けて放たれる。
朝焼けに染まりつつある空の雲が一部千切れて吹き飛んでいた。
「……チッ、四肢で固定しなければ安定して撃てないのか……だが、追い詰めたぞ」
「痛つつ……ハッ!? ジャンルの武装が、解けている……!?」
体に視線を落とすと、ロボットのような装甲は無くなっていて、普段のアリスの姿に戻っていた。変身した姿はどうやら解けてしまったみたいだ。
もう少し視線を上げると地面にジャンルの真っ白な本が落ちているのが見える。ギリギリ届かない距離だし、そもそも一度使ったら再度転移するまで使えない……とか、そんな説明を受けた記憶がある。これ以上役に立たないだろう。
『クソ……! ダメージを負いすぎて強制解除させられたみたい! 撤退して! 今の残存武装じゃコイツに敵わないかも!』
「そうは言われても……! ぐッ……」
全身を強く地面に打ち付けられた痛みで体が思うように動かない。これは一時的なものだろうが、それでもこの狼の語り手からすれば十分事足りる隙だろう。
後方のニコも気絶しているのか地面に伏して動かない。だから意識のある俺がどうにかするしかないのだが……クソッ、とてもじゃないが戦える状態じゃない。
――《ウェポン・スキル「金の鍵」》
それでも、立ち上がらないといけない。アリスのため、ニコの安全のため。ここで俺が歯を食いしばってでも耐えなければ彼女たちの未来が無い。
だから立ち上がる。鍵を杖のように使って三足歩行で立ち上がる。
無様でも良い、生に意地汚くてもいい。
俺のためじゃない。他人のために俺は立ち上がらなければならない――
「――!」
まばたき程の一瞬で敵が迫る。腕に付けた鉤爪を大きく振りかぶっている。
戦わなくては。体が思うように動かなくても頭で無理やり動かさなければ。重い腕で鍵を構えて、だけど鍵の切っ先がブレて。狼の接近を容易に許してしまって――
「! その姿……その鍵……まさか、貴様――アリスか!?」
「…………へ?」
目と鼻の先ほどの間合い。狼の縦に裂けた瞳孔が何もせず、ただ静かに俺を捉えて制止していた。振り上げた武器を俺に振るうことなく、石になったかのように固まっている。
なんだ……? どうしたっていうんだ……? 考えもしなかった言葉を敵に投げかけられて、こちらも迷いが生じて武器が振るえなかった。互いにお見合いでもするような静かな時間が流れる。
「…………ふん」
「うわ……!?」
風圧。砂煙を含んだ風に押し退けられたかと思うと、目の前にあった狼の姿は何処にもなかった。
……ヤツはなんだったんだ。まるで俺のことを――アリスを知っているかのような反応だったが。腹の内に何を抱えているのか全く推測できない。
『カタル! 死神はどうなった!?』
「……! ッ、くそ……重心がブレる……!」
足を若干引きずって崖下のすぐ手前まで向かう。ヤツは……死神はどうなったのか、あの狼を相手にして全く構っていられなかった。
なんとか不調も治って小走りで到着する……が、何もない。何の姿もありはしない。おそらくこれは……
「……逃げられた、のか?」
『あの狼め……なんだったのかしら。正直、敵前逃亡してくれたのは助かったけど』
「…………」
――その姿……その鍵……まさか、貴様――アリスか!?
「姿だけじゃなくて、武器まで把握されていたな……どうしてだ?」
『そうね……心当たりとしては、誰かさんがハーメルンの笛吹き男を逃したのがデカそうだけど? そこから情報が漏れたとかねぇ?』
「うぐ、それは……ハッ!? ニコ! ニコ、大丈夫か!?」
『あ、逃げたわね』
話題から逃げたのもあるが、ニコが心配なことは本心だ。俺は慌ててニコの元へ駆けつける。すぐ近くにまで近づいたところでニコは自力で目を覚ました。
「うぅ……なんか一瞬寝て……いえ、寝てませんが!?」
「本当に寝てるやつの誤魔化しでしょーがそれ。で、体調は大丈夫か?」
「はい……うん、大丈夫だよ、ごめんね……えっと、師匠、申し訳ないんですけど肩を貸してくれませんか? 力が抜けちゃって……」
「ああ、身長差があるけどな」
ニコは自分の契約している物語と会話を交えながらそう言ってきたので、俺は背中辺りに腕を回して起き上がらせる。この体の筋力は優れているので介助は容易だ。
「ごめんなさいね、師匠……あ、死神はどうなりました?」
「それが逃げられた。あの狼が襲ってきた隙に逃げられたみたいだ」
「もしかして仲間だったんでしょうかね?」
「ああ、かもな……それでこれからについてだが……えっと、あった」
俺はニコの介助をしながら周囲を見回す。戦闘中に一瞬見えた筈なのだが……おっと、あったあった。すぐ近くに“それ”があるのは助かった。
「アリス、洞穴での脱出方法は?」
『穴に転げ落ちるように飛び込めばいいわ。穴が小さくても上手いこと落ちることができるから大丈夫』
「そうか。ビーム砲の痕跡が小さな洞穴になっている……こいつを使って異世界から脱出しよう」
「そう、ですね……お願いします、師匠。もう朝だから私の力じゃ脱出できそうにないので」
……腰辺りまでずっぽりと埋まりそうな小さな穴だ。非常時でもないのにこの中に意図的に飛び込むというのは、少しだけ勇気が要る。ちょっとだけ怖い。
だけど、ニコを連れて何時間もぶっ通しで歩き続けて王国に行くのは少々現実味が無い。だからこれ以外に選べる手段は実質無かった。
「…………よしっ」
心に活を入れる。俺は一度深呼吸をして、せーので縦穴の中に飛び込むのだった――
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