091 援護の縁結び
周囲には人型の存在は何も無い。
崖上は岩の砂漠のように拓けていて植物もほとんどない。だからヤツが隠れられる場所など何処にもない筈だ――
「攻めに来るとは思わなかったが……一歩届かなかったな、語り手」
『!? カタル! 真上よ! アンタの真上!』
声は俺の頭上から。あり得ない方向からの声に動揺して反応が遅れた――その間を、アリスが埋めてくれた。
「な――!?」
敵はあろうことか、俺のさらに上へ存在していた。
俺の跳躍とは違う。浮いている……! 敵はまるで幽霊の如く宙に浮いている!
「終わりだ、小娘」
――《ウェポン・スキル「大鎌」》
「……!」
サッ、と血の気が引くのを感じた。
俺の体はまだ宙に静止していて、敵は大鎌を構えて今にも振り下ろそうとしている。間合いは大人の大股で二、三歩程度。確実に敵の大鎌のリーチ内に入っている。
……これは、マズい。
武器を取り出そうにも確実に間に合わない。回避運動を取ろうにも跳躍の途中である俺には敵の攻撃を避ける手段が無い。
まるで自分から王手に飛び込んだような“詰み”を感じた。
『カタル――!』
「ッ――!」
最低限できる防御として、腕を前に出して首を守った。
本能的に狙いは首だと悟ったのか、自分でもよくわからない。ただ、この程度の守りでは腕もろとも首を刎ねられて終わりだろう――
「――何ッ!?」
――その絶望を、閃光が切り裂いた。
一閃が火花と轟音を散らして大鎌に命中し、敵の顔面と胴体を狙った二閃は回避される。敵は大きく仰け反っていて明らかな隙が生じていた。
「! このッ……!」
その隙を俺は決して逃さなかった。
敵の腹部に目掛けて蹴りを入れる。骨を蹴るような硬い感触を感じながら反作用で体が横に飛び、そしてそのまま崖上へ滑空するように落ちた。
『……! この音楽は……』
「音楽――?」
アリスの呟きを聞いた俺は、敵からの追撃も忘れて風を切る音に耳を澄ませる。
遠く、遠くから耳に残るノイズじみた音楽。
そして、遠方には小さな点のような人影が――
『あれは……嘘でしょ!? まさか……あの女!?』
「あの女……? って、もしかして」
アリスが何を見て、何を推測したのかは分からない。
だが、心当たりは一つだけある。いや、しかし、そんなまさか……でも、このやや耳障りな音楽は間違いなく――
「なんだ!? 何を飛ばしてきている……!?」
敵も俺も、放たれる閃光の正体が掴めずにいる。
超遠距離から凄まじい速度で飛んでくる飛来物――いや、斬撃か? “点”ではなく“線”で攻撃が飛来している。
矢なら“点”で襲ってくる筈だ。だがあの軌跡はまるで刃物で斬りつけるような攻撃で――
「――うわっ!? びっくりした……」
カチン! と鋭い音を立てて隣に何かが突き刺さる。
恐らくあの死神が弾いたものがここに飛んできたのだろう。俺の隣に深々と突き刺さっているそれは――
『何この……何? 剣の刃?』
「いや、これは……“刀”だ……柄とか鍔の無い刀身そのものだ……!?」
突き刺さっていたのは直刀。反りの無い真っすぐな刀の刀身のみだった。
あの超遠距離から飛来しているのは矢として扱われている刀。斬撃というか、本体そのものが飛来している最中で回転しているだけだった。
いや……バッカじゃないのか……!? なんて物を飛ばしてきてるんだあの子!?
『あの女……こっちに走って来てるわ。ヘンテコな弓矢を構えながらね』
「まさか……援護、してくれているのか……?」
いや、それ以外に理由は無い。彼女はどういう訳か再びこの異世界に足を踏み入れ、俺を助けようとしている。
ありがたい。おかげで一命をとりとめた。でも、何故……? どうして彼女は俺を助ける……?
「ッ、クソ……!」
何度も飛来する刀に対処しきれなくなった死神が、舌を打ちながら崖下へ宙を滑るように逃げ込んだ。
「し~しょ~お~!!」
それと入れ違うように音楽が近づいて来る。炸裂するような弓の弦が反響する。
それと一緒に、あんまりこの場に似合わない呑気な呼び声が聞こえて来た。
『あの女……“ジャンル”を使ってるわね。だからあんなデタラメな力を……』
「――ハァ……ハァ、か、間一髪って感じでしたね……夜になってすぐに追いかけて良かったぁ……」
足場の亀裂をピョンと大きく飛び越えて、そのまま俺の目の前に彼女――ニコは飛び降りてきた。
彼女の全身には鋼鉄の装甲のようなものが取り付けられていて、まるで和服を見た目通りアーマーにしたような外見だ。
片手にはとても大きな弓――まるで刀で作られたかのように、弓柄以外の部分が刃でできている――が握られていて……コレは一体なんなのだろう。矢筒と思われるケースの中には日本刀の刀身が大量に入れられていた。
「…………ニコ、どうして」
いや、今は外見よりも何故ここに来たかだ。
思わず問いかける……が、その際彼女と視線が合わせられない。あの時の後ろめたさがどうも心に引っかかり続けていた。
「? そんなの決まってるじゃないですか。あんな嘘をつかれたら気にしますよ」
「……嘘なもんか。俺は本気で――」
「だって師匠、嘘つく時に今にも泣きそうな顔してたじゃないですか」
「――――」
……そんな顔、していただろうか。今更顔をペタペタ触って確認したり。
表情は顔に出にくい方だと思っていたが――ああいや、そうか。今この体はアリスの体だ。心に鈍感な俺の体じゃない。
アリスが弱いと言いたい訳じゃないが、アリスの体で俺の心が入っているから、きっと心の中身が表情に出てしまったのだろう。
「それで、なんで師匠は嘘をついたんだろうな~って、自分なりに考えてみたんですよ。これでもいろんな登場人物が出てくる作品を書いてきた作家ですから、人の考えとかは分かる方だと思うんです、多分」
「…………」
「で、結論を言うと師匠は私を守ろうとして、あーんなつよい言葉を口にしたんだと思うんです。異世界から元の世界に帰したがっていましたしね」
……正解だ。理由付きで俺の考えをズバリ当ててきた。
「……そうだ。悪かったな、そのつよい言葉とやらを言って」
「ううん、身の丈に合わない嘘をついてでも何かをしようとする人は私好みな性格です。師匠、自分が不利益を被っても他人のために動ける人なんですね」
褒められている……んだろうな、きっと。
ちょっと照れくさいし、自分がそんな評価に値する人材だとは信じられないが、彼女が俺のことを嫌っていないと知れただけで俺の心は少し軽くなるのだった。
「――師匠。私、ちょっと願い事ができました。でもそれには師匠の存在が必要不可欠なんです。だから、師匠。私を連れまわしてやってください。力になりますから」
「――――」
座り込んでいる俺に向けて腕が差し伸べられる。
……この腕を、掴んで良いのか。
頭の中で迷いが生まれて、掴もうとした腕が宙で止まる。俺は本当に彼女の手を取って良いのだろうか――
『……ま、良いんじゃないの? アンタのコンディションを考えると、その女が居た方がよさそうだし』
「アリス……?」
『でもその女にうつつを抜かせて出し抜かれることが無いようにね。あと、あくまで相棒は私ってことも忘れないでよ』
「……ああ、忘れないさ」
大雑把に背中を押されて、俺は笑みを浮かべながらニコの手を掴む。
俺の体は彼女によって力強く引き起こされた。お互い隣り合うように立って、崖下に居るであろう死神に対峙する――!




