086 贖罪の拒絶
特典を入手した俺達は一度仕切り直しとして、撤退することを選んだ。ガラスの中から飛び出して異世界から脱出し、現実世界に戻って来た。
ニコは元の姿――銀色の髪におしゃれな洋服姿に戻ったが、俺は変身を解いていない。まだアリスの姿のままだ。
「アリスちゃ~ん、どうしたんですか~? 突然現実世界に戻るだなんて」
「…………」
「うぅ、アリスちゃんがなんか怖くなっちゃった……私、何かやっちゃったかなぁ」
……実を言うと、撤退を選んだのは俺だけであって、半ば強引にニコを異世界の外に連れ出したに近い。
あれからニコとは思うように会話ができない。原因は全て俺にあるのだが、どうも罪悪感とか自身への嫌悪感がうまく改善できずにいる。
「……ハァ」
『さっきからずっとそんな感じね。そんなにあの女のことが気になる?』
「……どうするかは考えてる。だから口出ししないでくれ」
『はいはい、荒れてるわね……わかった。しばらく黙って見てるからご自由に』
頭の中の声はそれっきり途絶える。
静かになった頭の中で考えることは、やっぱり頭によぎってしまった考えてはいけない思想だ。
俺はあろうことか、この手でニコを脱落させようとした。
ちゃんと敵意を持って倒すのならまだ良い。でも俺は、あろうことか100%の親切心で不意打ちを仕掛けようとしたのだ。
彼女のためだと思い込んで襲い掛かるだなんて、あまりに歪な動機だ。サイコパスじみた自身の発想に嫌気が差す。
「えっと……もう夕方なんですね! あはは、は……」
空気に耐えられなくなったらしいニコがそう切り出す。
現実世界の時間は……夕方ぐらいか。空はまだ夕焼け色に染まっていないが、少しだけ暗くなりつつあった。
「……そうだな」
「うぅ……あの、アリスちゃん、私何かやっちゃいました!? 何かこう、機嫌を損ねるような事とか!」
「別に、ニコに何かあった訳じゃない」
「う~、じゃあこの気まずい空気はなんなんですかぁ~」
頭をワシャワシャと揉みくちゃにしながらニコが泣き言のように叫ぶ。彼女の活発な雰囲気からして、こういう空気は耐え難いのだろう――
――と、そんな空気の中、突如音楽が流れだした。さっき戦闘中にも散々聞いた音楽で、確実にニコの趣味だ。
「わっ……! ちょ、ちょっと待っててください! えっと、ケータイ、ケータイはどこだっけ……えっと、あった! はい、もしもし! ニコです!」
小さな手提げカバンからスマホを取り出したニコは少し緊張した声色で電話に答える。姿勢もピンとなっていて明らかに緊張している。
「編集さん? はい。はい……はいぃ!? じ、重版ですか!? 異界探偵の!?」
盗み聞いているようで申し訳ないが……どうやら編集――彼女の上に立つ相手からの連絡のようだ。なるほど、それは緊張もするだろう。
緊張する彼女だなんて、珍しいものを見れた気がする。
「はい……はい、はい! はい! ありがとうございます! はい! 失礼します……!」
ニコは元気に答えると画面を静かにタップして電話を切る。すると彼女は間もなくして、フツフツと静かに沸き起こるように笑い出した。
「……えへっ、えへへっ」
「どうしたんだよ、そんな笑い方をして」
「えへへ……えっとですね、書いてる小説が良い感じに売れてるみたいでして。異世界の臨場感が良いとか、世界観に引き込まれるとか、良い評価をたくさん受けてるみたいです」
嬉し恥ずかしそうにニコは頭の後ろを撫でながらそんな報告をしてくれる。
まだ短い付き合いだが、あんなに元気いっぱいな彼女がこんな控えめに笑うのは珍しい。嬉しさと照れ隠しが混じった、本心からの笑いだからかもしれない。
「やっぱり現地取材してますから、臨場感は当然ですよね! 作者は自分が経験したことしか書けないとか言いますし!」
「――ニコ」
……ああ、だから。
「? なんですかアリスちゃん?」
「……お前はここで脱落しろ。そして二度と異世界に関わるな」
俺はここで最低の人間にならなければいけないと、そう感じた。
「……アリス、ちゃん? ど、どうしたんですか急にそんな」
……この子にはまだ未来がある。異世界なんかじゃなくてこの世界に十分明るい可能性が眠っている。
だからこんな未来を賭けに使うような戦いに身を投じる必要なんて無い。
戦うのは、俺のような未来の無い人間だけでいい。間違っても彼女が関わってはいけない――そう俺は確信した。
だから今度は、100%敵意をむき出しにして言ってやる。
「異世界の勝者になれるのは一人だけだ。君みたいな中途半端な語り手は要らないんだよ」
「そんな……な、何かの冗談、ですよね? アリスちゃんがそんな自己中な考えを持てないことぐらい分かってるんですから!」
「……あんなの演技さ。本当に怖い大人は本性を隠す。本音を言うなら、一緒にいる間いつ襲ってやろうかとずっと考えていたよ」
「う、嘘です! そんな、アリスちゃんはそんなこと――」
……ああ、上手くいかない。
自分は、嫌になるほど説得がへたくそなのだと改めさせられる。
だから俺は強行手段に出ることにした。
――《ウェポン・スキル「金の鍵」》
「え――アリス、ちゃん……?」
「消えろ。二度と顔を見せるな。これ以上俺を本気にさせるな」
武器を手に取る。突き付けた鍵の鍵山は、ニコの首の隣へ添えられている。
俺がこのまま首に刃を当てて引き抜けば、首の頸動脈が切断される。この状況からの殺しは容易だ。
「………………」
ニコは後ろに後ずさり、そのまま何も言わず背中を向けて逃げ出した。
少しずつ遠くなる彼女の背中を静かに眺めながら俺は鍵を捨てる。
「……最低だ、俺は」
『……そうかもね。でも、その行いがたとえ自己満足だとしても、誰よりも優しい行いだってこと、私は知っているわ』
演技でも悪人は悪人だ。でも、その胸の内を理解してくれる相棒がいる。
だからまだ耐えられる。どんなに胸が苦しくても作りたくない敵を作ったとしても、共感してくれる彼女がいるから悪人としてこの嘘を突き通せる。
「……行こう、アリス。異世界へまた繰り出そう」
『そう。まあ、魂石がおいしいイベントっぽいし文句は無いけど、無理はしないでよね。今のアンタ――いや、なんでもない。行きましょう』
意味深長な言葉を聞くが、取り下げられた以上聞き流す。
最後に一度だけニコが駆けて行ってしまった道を眺めて、俺はもう一度異世界の中に飛び込んだ――
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