078 不思議の国のアリスちゃん
「ええっ!? そんな方法で語り手を一人倒したんですか!? さ、流石ししょ――おっとと、この呼び方は封印してるんでしたね。流石アリスちゃん! 凄いです!」
「……やっぱりなんか変な感じがするな、ちゃん付けなの」
ニコの取材を受け始めて早数十分。
届けられてからしばらく放置されて、そろそろ冷めてきた紅茶を口元に近づけながら、俺は小さく溜息を吐くのだった。
液面に映った自分の瞳がとても死んでいる。すごく遠い目をしている。
「決め手がまさかの子供向けの童話だなんて……確かに物語の過大解釈を武器にしている相手なら、逆に過大解釈が通じるって訳ですね……ふむふむ」
「そんな訳で俺はその語り手を現実世界に帰したんだけど……それからどうなっているのか正直わからない」
「ふんふん……ゑっ、わかんないんですか!? ってか、バトロワですよね!? 倒すだけ倒して放置ですか!?」
「それは…………うん、おっしゃる通り、です……」
……その指摘はごもっともである。
本当に異世界への被害を食い止めるのなら、あの時口約束で済ませるのではなく殺すべきであった。
それができなかったのは……まあ、色々言い訳したい心情はあるけど、一言でまとめるなら“日和った”のである。
「えっと……まあ、それはそれで優柔不断なキャラが立ってて良いと思います、はい!」
「……それって褒めてるの?」
誰が先延ばしにするタイプだ。
……いや、実際その通りか。あのハーメルンの笛吹き男、あれに懲りて異世界入りをしていないと良いけど――
「それで、そのリヴィアって異世界人とはそれっきりなんですか?」
「君に初めて会った日の朝に会ったけど……ん、そういや彼女に俺って言うのをやめろって言われてたけど一度も変えてなかったな」
過去を思い返すように呟く。思えば人と交流する時に意識して変えていなかったな……特にニコと交流している間はずっと一人称が俺のままだったと思う。
「…………む。そういえばそうだね、うん……うん。えっと、師――違う、アリスちゃん。えっと、確認したいんですけど」
「何を言いたいのか分かったけど、どうぞ」
「……男の子、だったりします?」
モジモジと何か気恥ずかしそうに尋ねてくるニコ。
彼女がどういう意図で聞いてきたのかは分からないが――
「この肉体は女だ。でも元々は男だった」
「あっ、そういう……えっ、それじゃあ“TS”ってことですか!?」
「……てぃー、えす?」
「トランスセクシャル――性転換ってジャンルです! ええー! いいなぁ! 私も男から女になってみたかった! ……え? お前は無理? いいじゃん! 私も男になってから女になってみたかったァー!」
「……それ意味あるの?」
ただの二度手間というやつでは?
あとサラッとニコの正体が女だという事実が発覚した。俺みたいに男が物語の人物の姿に変身している可能性があると思っていたが、女性が女性になったパターンの様子だ。
「それで……どうでした? 男の体から女の体になった感想は?」
「? いや……なんだろう。そう聞かれると……うーん、あ。最初は動きにくかったな。腰回りの感覚が違うっていうかさ」
「なるほどなるほど――ってちがーう! 違いますよ! そういうのは解剖学とかで間に合ってます! そうじゃないんですよ!」
「そうじゃないって、何さ」
「だからその~~~」
チョイチョイ、と手招きされる。
なんだ、他の人に少しでも聞かれたくないような話なのだろうか。彼女の真剣そうな表情から何かを感じて身を乗り出す。
「……なんだ?」
「そのですね……えっちなこと、したんですか」
「ぐッ、しとらんが!?」
何を聞いてるんだこの子は……!? なんか神妙な顔をして言ってくるからガックリとテーブルに倒れ込みかけてしまった。
まったく……真面目な話かと少しでも思った俺が馬鹿だった……!
「何を馬鹿な話を聞いてるんだ……まったく」
「ええーっ!? 男なら一度はそういう目で見たりしないんですか?」
「…………」
……そういや、最初の頃はそんな目で見ていたな。なので声に出して否定ができないです。
でも今は本当に防護服を着ている感覚というか、それに近い気がする。異世界に行くために必要な業務服を着ている感じ。
あと、語り手との戦闘といいニコの救出といい、何かとイベントが多すぎて自分の体に対してやましい考えを持つ暇がなかったというか。
「ふんふん……あっ! いいこと思いついちゃった!」
「いいことってなにさ……悪いけど君が声に出してそういうことを言うの、なんか嫌な予感を感じるんだが」
「いいことはいいことですよ! TS物のお約束と言うか……とにかく、また機会があれば狙いたい所存です」
TS物のお約束……なんだ? 全く意味が分からないが……あのニヤニヤした顔は何か俺にとって良くないことを考えている予感がする。
彼女にとって悪気があってやってるわけじゃないけど、こっちには精神的な被害がありそうな、そんな予感だ。異世界探索で散々鍛えられた直観力だ。この予感は間違いない。
「ふっふっふ、楽しみですねぇ。アリスちゃん!」
「…………」
……嫌な予感をヒシヒシと感じながら、俺は残った紅茶を一気に飲み干した。
すっかり冷めきった紅茶は、悪寒の走って鳥肌の立った俺の肌と同じぐらい冷えていた。
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