073 少女の器と男の家
「うううううううううう……」
……辱められた、辱められた、辱められた――
とにかく、酷い目に遭った。前世でどんな大罪を犯せばこんな恥辱を受ける羽目になるのか。
『ほらほら、唸るんじゃないよ。もうすぐ家でしょ』
「……16回だ」
『あー、何が?』
「二度見された回数……」
『ああ、そう……』
道行く人からは当然、駅員や乗客にも二度見されたしザワザワとされた。
日本人はなんていうか……異質なものに対して視線が集まりやすいというか。
俺も外国人を見かければ自然と視線が寄せられたりするが、まさかそれが俺に身に起こるとは思わなかった。
……特に異質だもんなぁ。こんな奇抜な恰好をして、金色の髪色で。目立たない訳がないのである。
『でもよかったじゃない。この姿なら費用が安く済むんでしょ?』
「だから余計なトラブル招いたんでしょうが! そのせいで駅員さんたちにジロジロ見られたんだぞ!」
『いや私にキレられても……』
八つ当たりなんて百も承知だ。うっかり大人料金で乗ろうとして駅員さんに「小人の料金で大丈夫だよ」なんて引き留められてしまったのだ。んでもって奇抜な見た目のせいで事務室内をザワつかせたのである。
クソッ……実家が田舎町だから自動改札じゃないのが災いした。隣町のように自動改札ならこんな目には合わずに済んだのに……!
『で、家に着いたのは良いとして……その格好で帰るの? 野宿とかで良いんじゃない?』
「駄目だ……母さんと約束しちまってるから野宿は可能な限り避けたい……後々心配されたりトラブルに繋がる……!」
『あー、そうですかい。まあ家庭の事情なんて私にゃどうでもいいんだけど』
「別に今日この姿にならなくても、明日異世界に一瞬入って撤退すりゃいいんじゃないのか……!?」
理屈上、会う直前にこの姿に変身する方法でも十分な気がする。まさかアリス、単に頭が回らなくてこの姿で一日過ごす提案をしたんじゃないだろうなぁ……!?
『それもアリっちゃアリだけど……まだオススメしない。あの語り手が私たちの後を追っている可能性だってあるんだから。もしも寝込みを襲われたらたまったもんじゃないわよ』
「そこはアリスが警戒してくれよ! モンスターの気配を感知するみたいにさぁ!」
『それは無理。モンスター相手ならできるけど、語り手同士の気配までは分からないから。そういうのは特殊技能や固有スキルでもない限り無理ね』
「ぐぬぬぬ……絶妙に不便だな……!」
歯を食いしばって不満をぶつけるが、状況が何かしら変わるわけではない。
そろそろ諦めて俺はたどり着いた家の玄関を前にした――が、ここで一つの問題に突き当たったことに気が付いた。
「……しまった、この姿じゃ家の鍵が無いぞ。普段の姿の上着ポケットの中だ」
『鍵なら問題ないわ。トランプを引いて金の鍵を使いなさい』
「あの武装って異世界限定じゃなくて現実でも使えるのか……!?」
『そんなの当然でしょ……ほら、早く開錠しなさいよ。その程度なら軽く叩くだけで開くだろうから』
「お、おう……“そんなの”って言われても、今初めてその事実を知ったぞ」
――《ウェポン・スキル「金の鍵」》
俺は太もものトランプを引き抜いて鍵を召喚し、コツン、と軽く玄関の扉を金の鍵で叩いた。するとガチャリ、と開錠した時の音が扉から鳴った。
……鍵を捨てて玄関に手を伸ばすと、アリスの言う通り簡単に開錠されていた。真っ暗な家の中へと恐る恐る侵入する。
「…………!」
誰かが勘づいたりしてやってくる前に鍵を締め、足音を殺してさっさと自室へと駆け込んだ。自室の戸を閉める音も立てないように用心して、ベッドに倒れ込む。
……なんだろう、男の臭いがする。や、それも当然か。この体は他人の体なのだから、佐渡カタルの臭いが気になるのだろう。
まあ、嫌な臭いって訳ではないし、気にしないように心がければすぐに気にならなくなる。その程度の認識だ。
「……はぁ」
『お疲れ様。でも本番は明日よ。その注意力を絶やさないようにね』
「休める時ぐらい気の休まる言葉をかけてくれ……」
『あ、アンパンのこと忘れないでよね』
「……うっす」
そういえば無難に帰ることに必死すぎてアンパンを買って帰る約束をすっぽかしていたな……相変わらず頭の中はワガママな少女が居座っているのである。
――――私の名前はニコ! 覚えておいてくださいね、師匠!
「……“我がまま”な少女はもう一人いたな」
『……? ああ、あの女のことか』
腰のポーチから名刺を取り出して、月の光に当てて文字を見る。
ライトノベル作家、“niko狼”……ニコという本名からもじって名乗っているのだろうか。未熟な立ち振る舞いが印象的だが、一体中身はどんな人物なのだろうか。語り手は物語の姿に変身している以上、外見だけでは年齢や性別すら分からない。
「危なっかしい子だった。俺が殺されるとか以前に、あの子の方がいつか死んでしまいそうな雰囲気だった」
『だから言ってるじゃない。リスクがあるなら見捨てればって。手が届くからって全てを救えるぐらい人間は器用にできてないのよ』
……物語の人物がまるで人間をわかったような風に言う。
いや、きっと彼女の方が正しい。アリスの方が人間に対する解像度は高いだろう。だから、そんなことで未練とか後腐れを感じている俺は――
「――――ハァ」
『カタル……?』
自分の過去――暗いものを思い出さないように無理やり蓋をする。
これでいい。この少女の体には脳の萎縮がない。思い出さないようにすればそれで発作のようなものは収まってくれた。
「……それができないぐらい不器用だから、俺はきっとここまで堕ちて来たんだ」
月の光に当てるように伸ばしていた腕を、握っていた名刺ごとベッドに落とす。
そして大きくため息を吐きながら、窓から覗き見える月を見上げて俺はポツリと小さく呟いた。




