072 夜影の眩んだ最前線
――月下に影が奔る。
影は二つ。交差するたびに火花が迸り、力強い金属音が周囲に飛び散る。
――《ウェポン・スキル「獣牙の短剣」》
ガリ、と何かを砕く音と同時に詠唱が鳴る。その詠唱と同時に一つの影は手にした武器を投擲した。
金属ではないが故に光を反射せず、夜闇に紛れる短剣。大きな肉食獣の牙で作られた得物はもう一方の影を仕留めんと襲い掛かり――
――《マジック・スキル「黒の翼」》
ドス、と鈍い音が小さく響く。黒い外套に包まれた影に短剣が深々と突き刺さる……が、黒い翼が繭のように影を包んでおり、その身に届くことは無かった。
「早いな……だが、捉えられん訳ではない」
影を包んでいた黒い翼が四散すると同時に、突き刺さっていた短剣が地面に落ちて突き刺さった。その影は顔に髑髏の面を付けていて、まるで骸骨が宙に浮かんでいるようにも見える。
「……読めたぞ、死神。その目で見られると対象に精神汚染を及ぼすのだな」
もう一方の影は深い毛で覆われており、開いた口に覗き見える鋭い牙と瞳は獣のそれだった。両腕には金属製の鉤爪が装備されており、鋭く光を反射している。
「獣はよく吠える……分かったところで貴様にはどうしようもないだろうに」
「どうかな。そのスットロい目に収まるほど軟弱な肉体ではないのでね……!」
そう吠えるように言うと、獣の影は残像を置いて駆け出した。
風を切る音は死神の右に振り切れ、背後を回り、左に振り切れる。
振り切られ続けているうちは、死神の眼は常に後手になっている。目にも止まらぬ速さで動き続けるほどに死神の眼による影響力は弱まり、獣は更に加速し続ける。
「チィ……! 確かに速い……!」
「その程度で命が刈れるのか、死神ィ――!」
パン! と空気の弾ける音が死神の背後で鳴り響いた。
死神の眼を振り切るほどの速度が急停止し、獣は鉤爪を構えて背中から斜めに斬り落とそうと武器を振るい――
――《マジック・スキル「幽体浮遊」》
その前に、死神がタロットカードを切った。
獣は死神の回避先を読んで斜めに武器を振るったが、真上への回避は予想していなかった。死神は浮遊するかの如く宙に浮いて回避した。
「……目で捉えられないのなら、こうすれば良いだけのことだ」
――《マジック・スキル「穀物の生成」》
死神が次のタロットカードを切った瞬間、周囲に背丈ほどの長さの麦畑が生成され、それは徐々に周囲一帯を覆いつくした。
「! これは……!」
獣は周囲を穀物の畑に囲まれて二の足を踏む。先ほどのように疾走しようにも、ここまで密集した植物が生い茂った環境ではそれも難しい。
しかし、この環境は視界が遮られているため同時に死神の眼による精神汚染――デバフ効果も期待できなくなる。だが、さっきの動きから死神は獣の姿を目で捉えきれない。故に目の力を捨てて相手の足を封じる選択を選んだのだ。
「――ククッ」
……だが、獣の胸の内など到底わかるものではない。
四方を囲まれて身動きが取れない中、獣はにやりと笑みを浮かべ――
――《マジック・スキル「ソニックバースト」》
ガリ、と獣はまたしても何かを砕く音を鳴らした。詠唱と同時に大きく息を吸い込み、四肢を地面に突き立てて構え、大きく口を開き――まるで大砲のように、風圧を発射した。
地面もろとも吹き飛ぶ穀物の畑。風圧は射線上にあるすべての物を薙ぎ倒し、遠方にある木々すらも破砕した。
「…………」
獣は四肢を地面から引き抜いて二足で立ち上がる。7割以上が破砕された影響か、あるいは使用主が効果を切ったのか。麦畑は少しずつ四散して粒子となって消えつつあった。
……その麦畑の中に黒い外套は何処にもなく、ただ静寂が残っていた。
「……ああ、そうだな。コイツァ逃げられたってことか」
獣は虚空に向かって呟く。死神の姿が無いということは逃げられたか今の一撃で吹き飛んだかのどちらかだが、搦め手を多用する語り手が今の程度でやられるわけがない。
恐らく今のは獣の足を止めるためではなく、初めから撤退のために使ったマジック・スキルなのだと獣は悟っていた。
「ああ、面白い――」
獲物を取り逃した獣は、何故か満足そうに続けて呟く。
「物語……もっと俺を夢中にさせてみろ……!」
まるで遠吠えのように獣は叫ぶ。
月下で笑みを浮かべている獣は、空腹に飢えているのではなく、ただ戦いに飢えていた。




