069 戦線撤退後
「ハァ……ハァ、さ、流石に人担いで走るのは疲れるな……」
王国内の路地裏に到着して、俺は少女を背中から降ろして大きく息をつく。壁に背をつけてズルズルとお尻から地面に座り込んだ。
あの襲ってきた語り手は……今のところ追いかけてきている気配は無い。頭上を見てもカラスの姿が無いことから、完全に撒くことに成功したのだと思える。
「ありがとうございます……また助けられました」
少女が俺の汗をハンカチで拭きながら礼の言葉を口にする。逃走中は構う暇がなかったが、彼女に傷や怪我は無い。
……ああ、よかった。ならば俺の目的は完遂したと言っても過言じゃない。
「ハァ、ハァ……ふぅ、それはいいけどさ……どうして君はこの異世界に留まっているんだ。戦う気が無くて戦う武器も無いのに、あんないつ語り手に襲われるかわからない場所にまた出歩くだなんて」
しかし、ちょっと無視できない部分もある。俺はハンカチで拭ってくれる彼女の手を止めさせて、真っ向から向き合って尋ねた。
「恩を着せるつもりはないけど、あんな無防備なことされ続けたらあの時助けた意味がないじゃないか」
「それは……ごめん、なさい」
「…………」
「…………」
ちょっとだけ気まずい雰囲気が流れる……が、これだけはちゃんと指摘しなければならない。彼女が本当に戦う気が無いのなら、そもそもこの世界に立ち入る理由が無いだろうに。だけどどういう訳か彼女は自ら危険に身を晒している。
俺は誰かを守りたいとは思っているけど、誰彼構わず守る対象が欲しいって訳じゃないのだ。強い口調でその点を指摘すると、少女はシュンとした表情を浮かべてしまった。覚悟はしていたがちょっと罪悪感を感じる。
「……まあ、なんだ。その辺り分かってもらえたならそれでいい。とりあえずどうしようか。王国に逃げ込んだのはいいけど、迂闊に出歩いたらまた襲われるかもしれない」
『夜の王国は人気が無いからね。動き回るべきじゃないってのは賛成よ……まあ、そんな女捨て置いて脱出した方が早いケド。なんでそんなに固執してるんだか』
この少女を守る理由なんて成り行き以外にない。だから固執しているつもりは無いのだが……こうなってしまった以上は最後まで面倒を見るつもりだ。
「……あの襲ってきた語り手はなんだったんだろう……あんな怖い語り手、初めて出会った」
「安直に見た目と武器から考察するに、あの姿は死神じゃないかな。で、童話で該当しそうなのは……“死神の名付け親”だ。有名どころだとこれしか思い当たらない」
「えっと……どういう話ですか?」
「有名なシーンだと寿命のロウソクってやつ。元はグリム童話だが、落語とかでも聞いたことないか?」
「落語なら授業で少しだけ聞いたことあるような……」
ある人間が死神から病人を助ける方法を教わるが、最後には死神の約束を破り怒らせてしまい、その結果寿命のロウソクの火を消されて死んでしまう……大雑把にまとめるとそんな感じの物語だ。
「恐らくその物語に登場する死神が契約した登場人物なんだろうな。武器にしていた鎌といいカラスの使役といい、大衆のイメージ通りの死神だった。それが物語を特定した根拠だ」
「……す、凄い。死神から逃げ切るだけじゃなくて、物語を言い当てられるだなんて……」
「まあ、逃げ切れたのも切り札を使ったからだしな……もしもアレを使って敵を振り切れていなかったら正直詰んでた」
奥の手一枚に加えて一度も使っていなかった隠し手まで披露したのだ。これでまだ追いかけられていたら一体どんな苦戦を強いられることになっていたことやら……
「凄い……流石は語り手の先輩……いや、師匠……!」
「せ、先輩? ってか師匠!?」
両手を胸元で握り締め、目を輝かせて少女はそんなことを言い始めた。
ズイ、と身を乗り出してそんなことを言ってくるもんだから思わず身を逸らせてしまう。唐突すぎてびっくりした。
「あのっ師匠! これからは師匠って呼んでもいいですか!?」
「いや、もう呼んでるし……どう呼ぼうとも別にいいけどさ、一体何の師匠なんだ?」
「語り手の師匠です! 戦い慣れていて、推理力もあって、かっこいい上に可愛い……完璧な存在ですから」
「完璧な存在って……」
褒められて悪い気はしないが……なんかこそばゆいな。
自己肯定感も無いからそんなことを言われても実感が湧かないというか……
「俺は君が思っているような完璧じゃない。もっと行き当たりばったりな奴で……ってか、師匠呼びはやっぱりおかしいだろ。弟子を取るつもりなんて考えたことなかったし、そもそも俺達は本来語り手同士だ」
「むむ……じゃあ、アリスちゃんって呼びましょうか?」
「まあ、人前で呼ばれることを考えるとそっちの方が…………ん?」
『んな――この女、私の名前を!?』
――って、ちょっと待て……! 今この少女、一度も口にしていない筈のアリスの名前を口にしなかったか……!?
「……! おまっ……今、アリスって……!?」
「ふふん、“コーカス・レース”でしたっけ。あんな特徴的な単語が聞こえたら、知ってる人ならすぐわかるんじゃないですか?」
一本取ってみせたような得意げな顔で少女はそう言ってのける。
カードを使うことによる呪文の詠唱は誰にでも聞こえる。物語を特定できるような単語が呪文になっていた場合は一発で判明してしまうだろう。
実際、仮契約していた段階の俺でも物語の正体を不思議の国のアリスだと特定できたのだから、他の誰かに特定されるのは時間の問題だとは思っていたが……まさかこんなあっという間だとは。
「……ああ、物語を特定されたことなら大丈夫ですよ。他の誰かにこの情報を横流しするつもりはありませんから。ってか、襲われずに対等にお話しできる相手なんて師匠しかいませんし」
それもそうか。実際彼女は二度も他の語り手に襲われている訳だし。バトルロワイアルという殺し合いでこんな感じに仲良くお話している方が異例というやつだ。
あとなんかサラッと引き続き師匠呼びされているし……




