066 マイペースな姫君
『……ん? なんだろ』
「どうした? モンスターの気配か?」
『いや、そういんのじゃなくてさ、あれ見て。左斜め前の空』
アリスからそんな指摘を受けて晴天を見上げる。空色は夕方と夜の狭間だ。
この辺は背の高い針葉樹林だからちょっと見上げるのが大変だな――なんて感じていると、何か白い煙のようなものが針葉樹林の隙間の空に見えた。よくあんなの発見したな。
「あれは……煙か?」
『誰かあそこにいるのかも――って、動くのが速いわよ、もう』
「だって救難信号かもしれないだろ? この森は王国からそう遠くないのに、わざわざ野宿なんてするか? 何かあったのかもしれない」
『それは……まあ、そうかもだけど』
ここからそう遠くない。俺はアリスの言葉を聞いている途中で駆け足で森の中を突き進む。そして間もなくして、駆け付けた先で焚火の明かりを見つけ出した。
「……けほっ、けほっ」
そこにあったのは煙をモクモクと立てている小さな焚火と、それに咳き込んでいる一人の――見覚えのある――少女だった。
「……! 君は」
「あ……語り手さん。また会いましたね」
『あの時の語り手か……なんでこんな森に?』
昨日の夜、突然俺達の前から姿を眩ませた銀色の髪の毛の少女。
そのことについてはなんの悪びれた様子もなく、彼女は丸太に腰かけて焚火で暖を取りながら俺に声をかけてくれた。
「あー、なんでこんなところに? 迷子か?」
「いや、単に焚火を楽しみたかっただけで……」
「楽しみたかっただけ」
呑気な返答に空気が緩む。
……いやいや、んな馬鹿な。もっとこう、緊急性のありそうな狼煙じゃないか。
「んじゃあ、そのモクモク出てる狼煙みたいな煙は?」
「けほっ……えっと、これはうっかり生木を火にくべちゃっただけです……針葉樹の生木って水分と油分で凄い煙が出るので」
「うっかりくべちゃっただけ」
「…………」
「…………」
『…………』
沈黙が場を支配する。俺もアリスもぽかんとすることしかできない。
……なんだろう、心配してなんか損したなぁ!?
どうやら必要のない心配だったらしく、俺はガックリと肩を落としていると、少女はなにやら周りの匂いを嗅ぐようなしぐさを見せて、少し眉をひそめた。
「……ん、語り手さん。なんかちょっと臭いますよ」
「へ? ……ああ、そっか。キングゴブリンの巣の中に挑んだんだよ。そのせいだと思う。あそこの匂いが服に移っちゃったか……」
「ご、ゴブリンの巣!? なにそれ、そんなのあるの!?」
「うわびっくりした」
ある程度間合いがあった筈なのに、ズイっと距離をつめられてびっくりする。
少女の手にはペンとメモ帳が握られていて、今にも何かを書き出しそうな雰囲気。ってかそんな小道具どこで調達したんだ。
「どんな感じだった!? ゴブリンってあのゴブリン!?」
「“あの”が何を指してるのかは分からないけど……俺の胸より下ぐらいの大きさで、緑色の肌をしてる」
「やっぱり巣に捕虜とか居た!? 盾に人間を括り付けて肉壁にするって本当!?」
「……それは見なかったけど」
「じゃあいかがわしいこととかされた!?」
「されてないが!?」
どういう質問なんだそれは。しかも若干残念そうに少女はメモを取っていた。まるでいかがわしいことをされるのをお望みな反応だなオイ。
……と、そこで突然少女はメモを取るのを止めて隣の虚空を見つめる。何か会話でもしているような様子で、何もないところに向かって頷いていた。
「……? ああ、そうなんだ。ええっと今、私の物語に教えてもらってたんですけど、大変らしいですね、キングゴブリンを倒すのは」
「キングゴブリン自体は問題なかったけど、その後が大変だった……倒した直後に他のゴブリンが一斉に襲って来たんだよ……」
「……ふんふん。ゴブリンの社会って力で地位を奪い合う感じらしいから、空いた王位を乗っ取るためにみんな揃って躍起になってたんじゃないか~って」
『だからキングゴブリンを倒した後から残党が襲ってきたって訳ね』
どうしてあんなに襲ってくるのか疑問だったが、そういう社会性が背景にあったのか。恐らく俺の首を打ち取れば王に成れるとか、そんな感じなのだろう。
となると最悪、巣の外に逃げても襲ってきた可能性があったのか……恐ろしいな。
「……え? 話を逸らしすぎ? そんなの貴女のせいでしょ~! ……あ、ごめんなさい語り手さん。そういえば私、消臭スプレー持ってるけど、使います?」
「……お願いしようかな」
正直言うと、指摘されてから俺も臭いが気になってきていたので助かる。
少女は懐のポーチから市販の霧吹き型の消臭スプレーを取り出したので、俺は両手を挙げてスプレーを受け止める。シュ、シュッ、と緑茶っぽい香りのする霧を全身に浴びると、簡単に臭いはごまかされてくれた。
「それにしても……語り手さん、とっても小さくてかわいらしい姿なのに戦うだなんて大丈夫だったんですか?」
「一応馬鹿力が備わってるからな……そもそもかわいらしい少女の姿をしてるだなんて、そっちも同じだろ」
「か、かわいらしい……ですか」
『誰が馬鹿力ですってオイ』
語り手が皆そうなのかは知らないが、こんな少女の姿でもバリバリに戦える戦闘力を有しているのだ。ならば彼女も同じぐらいには戦えるだろう。
シンデレラがどれほどの戦闘力を保持しているかは未知数だが、同じ非戦闘の童話であるアリスでもこれぐらい戦えるのだ。対等か、それ以上の可能性だってある。
「え――な、何? どうしたの?」
「? ……ああ、そういうことか」
困惑した表情を浮かべて虚空に向かい話しかける少女を見て、契約している物語に話しかけられたのだろうと状況を把握する。
契約している物語は他人から見えない。なるほど、第三者からすればこのように何もないところに話しているように見えているのか。
「――――」
少女は無言で物語の言葉に耳を傾けている。それは別にいい。ただ、妙に緊迫した様子で会話を聞いているような、そんな気が――
「……ッ! 語り手さん、危ない……!」
ドン、と。
突如彼女に跳びつかれ、俺は押し倒された。




