063 対キングゴブリン-2
空気が濁っているような、そんな息苦しさを感じる。
洞窟の奥は換気が悪いのに加えて、松明の火が酸素を奪っている気がする。小さな火だが、ジリジリと呼吸を制限してくるような、そんな錯覚。
『状況はどうよ』
「……鼻が曲がりそう」
『それは私だって嫌でも感じ取ってるわよ。味覚と同じく嗅覚も私と共有してるんだから、鼻で深呼吸とか死んでもやらないでよね』
そんなことやったら鼻が死にそうなのでやりません。俺はため息で答えながら周囲の警戒を怠らないで足を進める。
先ほどの不意打ち以降、襲撃は今のところ一度も無い。安心する一方で不気味さを感じるのだが……と、
「……? なんだここ。急に拓けたな。それに松明が無い」
『何か荷物があるわね……ここは物資の保管庫のようなものかしら』
「ああ。あきらかにゴブリンの物じゃないというか、人間が作っただろって感じのものが置かれてる……強奪品か?」
キングゴブリンの討伐が依頼された理由も、確か近辺のゴブリンによる強奪が酷いからとか、そんな理由だったはず。なら強奪品として人間の持ち物が多く置かれていても不思議ではない。
……不思議ではないのだが、それにしては異質なものが目に入って俺は思わず足を止めた。
『どうしたのよ? なにかあった?』
「これは……なんだこれ、金属製のタンクか? 外装が赤く塗られてるけど、中身は……まさか、ガソリンかコレ?」
『ガソリン臭いならガソリンなんでしょ。松明の燃料に使ってるだけだし、別に気に留めることじゃないわ。ああ、だから松明がこの辺には無いのね。火気厳禁だもの』
「気に留めることじゃないって……ここって異世界なんだろ? そんなガソリンを作るような精錬技術が存在するのか?」
そんなに詳しくないが、石油の精錬って面倒くさいレベルで複雑なはずである。
いや、アルコールのように蒸留すれば作れるっちゃ作れるけど……馬車が走ってる世界にガソリンは必要か? ガソリンって車のために存在してるものだろうに。
『そりゃ、勝者がどんな異世界を望むのか分からないからね……なんでも“都合がいい”ように用意されてるってことでしょ』
「勝者……ああ、異世界を得る権利だったか。そんなのもあったな。願いが叶う方に気を取られて忘れてた」
『そんなのってなによ。私からしたらそっちの方が重要よ』
しかし……都合がいいように用意されている、か。仮に勝者が石油エンジンを欲したならその時のために準備されているってことなのだろう。
いや、そもそもこの世界のことを中世ヨーロッパのように思っていたが、あの王国は下水の概念がしっかりしていると今更思う。中世ヨーロッパってのは糞尿が街に捨てられているとか聞くし。暗黒時代ってやつだが、それがこの世界にはない。
そもそも、この“異世界”というものの文明の異質さを改めて認識するべきなのかもしれない。当然のように現実世界よりも文明の遅れた世界と認識していたのはきっと間違いだ。
「……って、無駄話をしてる場合じゃなかった。いけね」
『大丈夫。一応索敵はしてたから。近づいてくる気配は無かったわ』
「ん、さんきゅ」
四散した注意力をかき集めて固める。そんな考察もこの場においては不要の長物というものだ。今はキングゴブリンの討伐に集中力を使おう――
■
しばらく松明の無い空間が続いたが、更にしばらく進むと再び松明が壁に設置されるようになってきた。いや、それどころか明かりの数が増えてきている。わかりやすく明るい空間になっていた。
「足元まで分かるぐらい明るいな……」
『気を付けて、気配が濃くなってる。多分ゴブリンどもの生活圏内に踏み込んでるわ』
「ならキングゴブリンもここにいるって訳か……早く片付くならいい。いい加減この空間にゃ居たくない」
なにしろ臭気が濃くなっている。嫌悪感が我慢できなくなってきた。
道端に捨てられた糞尿のような残骸をしかめっ面で一瞬見ながら、俺は奥へ奥へと足をさらに進める。狭かった洞窟とは打って変わって、広々としてきた。だというのに気配と臭いは濃くなりつつある。
「ゴァアアアア――!」
そして、その気配が動き出すのを耳で感じた。
大きな雄たけび。ゴブリンのものではない。ならば、ここに巣食うのはただ一つ――
「来たか、キングゴブリン……!」
敵の大きさは俺の三倍以上、四倍未満。通常のゴブリンよりも濃い緑色の肌をしていて、肉質はブヨブヨと分厚い印象を覚える。
キングの名にふさわしく、ゴブリンの王のような大きさだ。手にしたこん棒も、まるで生えていた木を一本丸々握っているかのようなサイズだ。
『周囲に石柱が多いわ。広いけど金の鍵を使うには場が悪すぎる、注意して!』
一瞬だけキングゴブリンから視線を外して周囲を見る。確かに周囲には鍾乳洞のような石柱が多く、地面から生えているのもあれば天井から垂れ下がっているのも多くある。
確かにこんな場所で大剣なんて扱えば、周囲にぶつかりまくってまともに振るえないだろう。だが、そんなのはこの洞窟に入る前から覚悟していた。
「ッ――!」
『カタル!? そんな前に出て大丈夫なの!?』
前へ駆ける。石柱の隙間を縫うように精密に、しかし電撃のように迅速に。キングゴブリンが臨戦態勢を取るよりも前に、俺は仕留めることだけを思考して行動に移していた。
相手に反応させる隙を与えない。俺はトン、と石柱を足場にして跳躍する。
「――1!」
キングゴブリンの心臓にクナイを一本突き立てる。ドクリと致命的な手ごたえ。心臓に命中した感触。
「ゴァ――!」
「ッ、2――!」
「――!?」
防御のために振るわれたキングゴブリンの腕。それを足場にして再度跳躍し――下顎の内側、構造上骨が無く柔らかいその部位を一突きで串刺しにする。
足がキングゴブリンの肩に届いたので、更にそこから更に上へ跳躍する。
天井からツララのように垂れ下がる石柱に届くギリギリの高さ。キングゴブリンよりも高い位置から、最後の一本のクナイを両手に握りしめ――
「3撃目――オラァッ!」
最後の致命傷をキングゴブリンの後頭部に叩きこんだ。




